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大学四年・春

今、あたしにできること

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 しばらく待ったが、瞳子は出てこない。出てきそうな気配もない。
 大型テレビではニュースが終わり、バカみたいなバラエティ番組が始まった。

「美佳ぁ。そんなに瞳子のこと、気になる?」
「そりゃまあな。瞳子がああまで落ち込んでるの、見たことねえしよ」

 振り向きもせずに答えれば、背中の方から、あー、と声があがった。

「まあ確かにねえ。瞳子っていっつもふわふわしてるし」
「でもさぁ、あれであの子、結構苦労してんだよねぇ」
「ああ、それは聞いた。なんでも――」

 そこであたしは言葉に詰まった。これは、勝手に言いふらしちゃいけねえ気がする。
 けど他の二人は、勝手に話を進めていく。

「お母さん亡くして、ずっとひとりで家族の食事作ってたって話だろ?」
「だねぇ。早く自分でお金稼ぎたいから、四大じゃなくて短大に行ったって話だけどぉ」
「あと学費も、なるべく安くしたかったって言ってたね」
「え?」

 あたしは二人を振り向いた。二人は顔色も変えず、のんびりとソファにもたれてテレビを見ている。

「今の、初めて聞いたぞ」
「そりゃ美佳、あんた瞳子とほぼ喋ってないじゃん。バンドだバイトだ、それが終われば就活だ……って、ほぼここにいないし」

 返す言葉に詰まる。
 確かに瞳子とじっくり話した機会は、母さんが亡くなったすぐ後を除けば、ない。瞳子はなんとなくそこにいて、イラついているとなんとなく来てくれて、食事を作ってくれる。そこにいてふわふわしているのが、どこか当たり前のように思えていた。
 けど、瞳子も――
 そう思いかけた時、不意に扉が開く音がした。

「……あ」

 部屋の入口に、瞳子が立っている。
 あたしたち三人の目が、一斉に部屋着姿の瞳子に注がれた。

「え。……どうした、の」

 くりくりした目が、泳ぐ。急に注目されて驚いたんだろうか。
 けど、白目が確かに赤い。目尻のあたりも不自然に濡れている。

「どうした、瞳子」

 あたしが言えば、瞳子はふるふると首を振った。

「べつになにもないよー? ちょっとお顔、洗ってくるー」

 瞳子が、小走りにあたしの脇を抜ける。すれ違いざま、頬にはたしかに、涙の流れた跡が見えた。
 
 
 
 洗面所を覗くと、丸めた背中が見えた。
 ひかえめに水を流しながら、瞳子が顔を洗っている。
 何度も何度も、洗っている。
 そろそろ前髪がびしょびしょだろう、そう思ってしまうくらいに洗っている。

「……瞳子」

 そっと背後に立ちながら、あたしは言った。
 水しぶきが点々と飛ぶ鏡に、あたしが背後霊みたいに映っている。瞳子がむっくり顔を上げた。

「なあにー」
「どうしたんだよ。帰ってきてからおかしいぞ」

 鏡の表面を、幾筋も滴が垂れていく。映った瞳子の顔が、縦の線でぐちゃぐちゃになる。

「なんでも、ないよー」
「なんでもないのに、泣いてたのかよ」

 瞳子は何も言わないまま、白いタオルで顔を拭いた。洗剤の匂いのする、ふわふわのタオルだった。
 タオルを掛け直しながら、瞳子は何度も頷いていた。

「いつまでも泣いてても、なんにもならないのー。もう全部、おわったことなのー」
「瞳子!」

 あたしの言葉を聞いているのかいないのか、瞳子は低く呟いた。

「腰かけじゃないの、花嫁修業でもないの……わたし、ちゃんとお仕事するのー……」

 それだけ言い残して、瞳子は洗面所を出ていった。
 嫌な言葉がいくつも浮かぶ。圧迫面接、就活ハラスメント……あわててあたしは瞳子の後を追った。
 けど目の前で瞳子の部屋は閉じられて、ノックをしても声をかけても、開く様子はなかった。
 ただ、テレビからのけたたましい笑い声だけが、共用スペースから聞こえていた。
 
 
 
 扉にもたれて中の気配をうかがってみても、なにかが動く様子はない。声も聞こえない。テレビの声に消されてるわけでもなさそうだ。
 どうしたもんか、考え込む。
 就活先で何かあったのは確かだ。もし違法な質問やハラスメントにあたる行為があったのなら、短大の学生課に相談する手があるだろう。あたしも一応法律を学んでる身だから、ちょっとなら相談に乗れるかもしれない。
 けどそれも、元気が戻ってからの話だ。
 ボロボロに傷ついて起き上がれない時に、無理に立てとは言えやしない。戦うのは気力があってこそだ。

(どうすりゃ、いいんだよ……)

 瞳子を元気にするには、何がいいのか。
 アイデアが出てこねえ。あたしが得意なものといえば音楽だ、けど瞳子が好きなジャンルは知らない。いやそもそも、瞳子が音楽好きかどうかも知らない。
 部屋に半年放置されたままのギターが、一瞬頭をよぎった。けどまさか、このシェアハウスでワンマンライブをやるわけにもいかない。近所迷惑どころの話じゃねえぞ。
 あー、と、思わず声が漏れる。
 逆の立場だったら話は早かった。落ち込んでるあたしに、瞳子は何かおいしいもの作ってくれて。あたしはそれ食べて元気になって。それで万事解決だった。

(あー。なんで、あたしは何もできないんだろう)

 そう、思いかけた時だった。

(いや、待て。待てよあたし)

 頭ん中で、不意にひらめいたものがあった。

(あたしにも、たぶん……できることはある)

 慌てて立ち上がり、自分の部屋に戻る。
 ベッドの上に、イヤホン挿しっぱなしのスマホが転がったままになっていた。
 ブラウザを立ち上げ、慣れたフリック入力で検索窓にキーワードを打ち込む。

「料理 初心者」

 そこまで窓に打ち込むと、予測候補が下にずらずら出てきた。
 探す内容が、ご丁寧にも一番上にある。最近の検索サイトは賢くていい。

「料理 初心者 レシピ」

 実行ボタンを押すと、一秒も経たずに結果は返ってきた。

『約 23,800,000 件 (0.47 秒)』

 画面いっぱいに並んだ検索結果を、あたしは一番上からひとつずつ開いていった。
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