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大学三年・夏

ありものまとめて料理開始!

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 追いかけて来てみれば、瞳子は冷蔵庫を開けたまま難しい顔をしていた。

「閉めろよ。電気代がかかる」

 言っても、瞳子はうんうん唸っているだけだ。

「食べるもの、ないのー」

 覗いてみれば、確かに冷蔵庫はほぼ空だ。生鮮品といえば使いかけのネギ、ほんの少し余った肉くらいで、あとは扉ポケットに調味料の類しかない。

「豚肉の残りがちょっとあるけど、一人前には足りないし―。ミカちゃん、なにか食べるもの持ってないー?」
「ない」

 即答すると、瞳子は少し首を傾げて口の端を曲げた。

「ミカちゃんのうそつき―」
「ついてない。あったら自分で食ってる」
「ミカちゃん時々おそうめん食べてるー」

 あ、と、声が出た。
 去年に続いて今年も、実家が大量の素麺を送ってきていた。休日はたまに茹でて食べてはいる……けど正直、今食べる気にはなれない。

「素麺は飽きた」

 同じ味、同じつゆ。何度も食えば飽きる、へたをすると一食の間にすら飽きる。去年は結局余らせてしまった。今の気分で食ったら、むしゃくしゃが余計に増しそうだ。

「飽きちゃったのー?」
「あれは一口でいい。延々食ってると飽きる、飽きたものを夜中にわざわざ食いたくない」

 不意に、瞳子が笑った。
 大きな目を細めて、口角を目いっぱい引き上げて、「満面の笑み」の見本みたいな顔を作って、笑った。

「わかった」

 瞳子は、何度も大きく頷く。

「ミカちゃん、おそうめん借りていいー?」
「だから食いたくないって」
「借りていい―?」

 瞳子が、ずいと顔を近づけてくる。
 目の前いっぱいに、キラッキラの笑い顔。心地いい声がうきうきと訊いてくる。この状況で、断りきれる奴がいるだろうか。

「……量は」
「一束でいいよー」

 満面の笑みのまま、瞳子は流しへと立つ。ああ、ようやく解放された。
 最悪ちょっとだけ口をつけて、あとは瞳子に返せばいい……そんなことを考えつつ、あたしは部屋へ素麺を取りに行った。
 
 
 
 素麺を一束持ってくると、瞳子はもう料理を始めていた。コンロには小ぶりの片手鍋と、それより一回り大きな鍋とが火にかかっていて、瞳子はおたま片手にその前で立っていた。

「持ってきたぞ」
「ありがとー」

 渡しがてら覗き込むと、片手鍋の中には赤身の肉が数切れ入っていた。まだ煮えていない湯の底で、肉は静かに沈んだままだ。大きな鍋の方は、たっぷりの水以外何もない。

「お湯が沸くまでもうちょっとかかるからー。ミカちゃんは座ってていいよー」

 言われるがまま、簡素な木の椅子に座る。ほどなくかすかに、あっさりめのチキンスープのような香りが漂ってきた。
 瞳子は、片手鍋から時折なにかをすくい取りつつ、二つの鍋を見守っていた。肩まであるウェービーな茶髪は、今はピンで留められている。その背中に実家の母さんを思い出して、あたしはふと気がついた。
 おいしいご飯と音楽と家族。それだけあれば生きていけると、あたしは思っていた。
 でもそのうち、今あたしにあるのは音楽だけだ。大学に進学してこっちに出て来てから、家族と会う機会は夏冬の帰省時だけだ。おいしいご飯はたまにバンド仲間と食べに行くけど、普段はスーパーの惣菜や弁当屋でまかなってる。
 三つのうち二つ……いや一つと半分くらいかもしれないけど、気がついたら、なくなってしまってた。
 そんなことを考えつつ、また目の前の瞳子を見る。鍋を見守る背中は、やっぱり母さんみたいだ……そう思いかけて、あたしは急に気恥ずかしくなった。
 あたしは何をやってるんだろう。実家じゃ母さんの手伝いだってしてたじゃないか。年下の子に料理を作らせて、ただ座ってるだけなんて。

「瞳子」
「なぁーにー」

 呼びかければ振り向きもしないまま、間延びした声が返ってくる。

「なんか手伝うこと、ないか」
「ありがとー。でも、手伝いがいるような大変なお料理じゃないから―……あ、そろそろお湯わいたー」

 瞳子は、渡した素麺を大きい方の鍋に投入した。ほどなく、小麦粉が煮えるどこか香ばしい匂いが漂ってくる。
 素麺は細くてすぐ煮える。ほどなく、瞳子は両方の火を止めた。

「こっちはおっけー、っと……こっちもゆだってるー」

 瞳子は大きな鍋の中身をざるにあけると、慣れた手つきで水で締め、調理台の上のどんぶりに盛った。その上に、片手鍋の中身を流し込む。
 せめて運ぶくらいは手伝おうと、あたしは瞳子の脇へ寄った。できたての料理が、熱々の湯気を立てている。

(……これは……)

 素麺だ。
 麺が素麺なのは確かだ。
 けどぱっと見も匂いも、全然あたしの知ってる素麺じゃない。素麺はチキンスープっぽい匂いなんてしないし、肉が乗っていたりもしない。あっさり系のラーメンか、でなきゃエスニック系の創作料理か……そんな感じの雰囲気だ。
 どんぶりを持っていこうとすると、瞳子に止められた。

「だめー。まだ、できてないからー」

 言うと瞳子は、調味料の棚から粗挽き胡椒とごま油を持ち出してきた。両方を振りかけると、油の強烈な香ばしさと香辛料の刺激が、肉とスープの匂いに加わる。ほんの少しの強い香気が、ベースの匂いを引き立てて、すごく、いい香りがしている。
 腹がまた、ぐるると鳴った。瞳子が声をあげて笑う。

「これにて完成ー。ミカちゃん、食べていいよー」

 すぐにでも飛びつきたいのをこらえ、あたしはどんぶりを静かに食卓へ運んだ。そうして、静かに手を合わせた。

「それじゃ……いただきます」
「ミカちゃんいい子―。ちゃんといただきます言えるんだ―」

 普段なら、やめてくれと言っただろう。
 けど、今ばかりは食欲が勝った。
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