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第1話 仄明星々
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──男は、原付きのスロットルを勢い良く回した。
その日は特に暑い日だった。日が落ちかけた頃だというのに、昼間の暑さは残ったままだ。
人通りは少なかった。学校はもう終わっていて、ほとんど帰宅済み。この時間に帰宅するのは大人だけである。
「っ!?」
だからこそ、ひったくりは起こる。
原付きに乗った男は、歩いていた女からバッグを奪って通り過ぎていった。勿論走って追いつくことはできない。唖然とし、どうすればよいか分からなくなる。これが普通だ。
しかし、バッグを奪われた張本人が何かしようと動くよりも早く、その少女は走り出した。
普通の人間では、時速三十キロメートルどころか、法定速度を超えんばかりの速度で走る原付きに追いつけるはずがない。にも関わらず彼女は走り出した。
それはなぜか。答えは単純明快。彼女が所謂『普通の人間』ではないからだ。
彼女の足元が光を発する。かと思えば次の瞬間、彼女の体は吹き飛んだ。爆発に押されたようだ。
いや、正しくそうだった。彼女の足元は爆発したのである。ステップのような体制で、跳ぶ。
とてつもない加速を見せて、少女はひったくり犯を掴んだ。そして強引に引きずり下ろした。
今度は爆発を進行方向とは逆方向に起こし、少女は停止する。
コントロールを失った原付きは倒れて、滑るだろう。だがそうなるより早く、爆発四散した。これも謎の光とともに起こった。
「ひったくったバッグ、返してもらうね」
「くっ⋯⋯」
少女は男を押さえつけた。力こそ外見に見合うものだったが、抑え方が違うのか、まるで力が入らない。
「もう。大人しくして」
それでも抗い続けるため、少女はより押さえつけようとした。しかし、その時だった。突然、男が発火したのである。
「あっつ!?」
少女は熱いと思って、反射的に後ろに跳ぶ。ひったくりの男は少女と相対する。どうやら逃げることは諦め、少女という追手を潰そうとしたようだ。
「⋯⋯⋯⋯」
男は右手を少女に向ける。すると、炎が発生し、少女を襲った。
まともに当たれば全身大火傷だ。死なない程度に火力調整こそしているが、手加減などしていなかった。
「レベルだと3くらいかな。ちゃんとした使い方すれば、こんなことしなくてよかったのに」
「⋯⋯何」
そうだ。手加減など全くしていない。なのに、男の炎は少女に通じなかった。
そこで男は気がつく。この少女の正体に。これほどまでの能力者だと、名は通っていた。それが例え学生であったとしても。
肩くらいまであるピンクの長髪。赤紫色の目。透き通るような白い肌。東洋人の血も引いているのだろう。この辺りの人種とは違うが、整った容姿をしている。
普通の中学生の学生服を着ている。年齢の割に長身の少女。
史上最年少でレベル4へと至り、そして現在、レベル5となった天才の能力者。
「⋯⋯お前みたいに恵まれてるやつにはわからねぇよ!」
男の逆鱗に触れてしまったようだ。少女は言葉に配慮が足りなかったと思った。
そうだ、こういう能力者は多い。レベル3ぐらいの能力者は特に、そういう傾向にある。
よくわかっていた。知っていたはずだったのに。酷い言葉を言ってしまった。
「恵まれてる⋯⋯か。そうかもね。でも、それなりに苦労はしてきたつもり。だから分かるよ」
少女は能力を使う。ほぼ無意識で、使おうと思えば思い通りに使える。彼女らにとって、能力を使うとは手足を動かすようなもの。身体機能の一つだ。
「わたしの超能力だって、最初はもっと弱かった。レベルだって1からだった」
男の、殺す気の炎。能力者のレベルと出力には確かに関係性はあるが、殺傷力となれば少し違う。能力の殺傷力に大きく関係するのは能力の性能そのものだ。
「だから、そこまでよ」
最高火力の炎も、少女の前では無力だった。完全に掻き消された。むしろそれは自らの視界を奪っており、一瞬で間合いに入ってきた少女への反応に遅れてしまった。
組み付かれ、首を締め上げられる。抵抗しようと能力を使うより早く、男の意識は暗闇に落ちた。
それからしばらくして、警察が来た。ひったくられた女が通報したのだろう。
少女に駆け寄ってきて、話し掛ける警官が居た。
「君、怪我はないかい? 犯人を捕まえてくれたのには感謝するけど、危ないよ」
「大丈夫です。えっと⋯⋯わたし風紀委員でして」
少女はバッグから風紀委員の印である腕章を取り出し、警官に見せる。彼は彼女の行動の理由を理解した。
「そうだったのか。なら失礼なことを言ったね。すまない。⋯⋯それにしても、君、どこかで見たような」
警官は少女の顔を見て、悩む。そしてしばらくしてハッと気づいたようだ。
「もしかして、星華美七さんかい?」
「はい。そうです」
「なるほど。通りで⋯⋯あの犯人、実は凶悪犯罪者でね。中々、我々もS.S.R.F.も手を焼いていたんだ。殺人犯だったが脱獄して⋯⋯怪我もなく無力化できるとは、凄いな。流石はレベル5能力者だ」
ひったくりは指名手配されているほどの凶悪犯罪者だった。銀行強盗及び警官や特殊自救隊を含めた合計六名を殺害。一時は監獄に囚われていたが、先週脱獄していた。
ひったくりをしていたのはただ単純に金目当てだろう。
「⋯⋯え?」
それを聞いたとき、ミナは違和感を覚えた。
確かにあの能力だと人を殺すことは容易い。実際、一般的な警官だと、能力者であっても殺されていたかもしれない。
だが、S.S.R.F.は対能力者及び犯罪者のプロフェッショナルだ。並の能力者は当然、高位能力者にも引けを取らない者たちが、殺されるような相手だったのか。
「⋯⋯どうかしたかい?」
「⋯⋯いえ、なんでもありません」
ただそれも推測の域を出ない。ミナは自分が高位能力者であり、あの勝利も相手の油断やミスがあったから得られたものである可能性だってある。
「そうかい。⋯⋯今日のところはありがとう。犯人もうちが引き取っておく。心配はいらないだろうけど、気をつけて帰ってね」
「はい。ありがとうございました」
夕日が完全に落ちてしまい、辺りはどんどんと暗くなっていく。
それどころか、ミナはこのままでは門限に間に合わなくなるかもしれない。事情を話せば許してもらえそうだが、厳重注意は免れないだろう。あの寮母は厳しいから。
「では、失礼しました」
ミナは自分の帰路に付く。
◆◆◆
ルーグルア国、学園都市エスグラン。
総人口二百四十二万人。内、生徒、学生がおよそ四十パーセントの九十七万人を占める。更に人口のうち三割が、現実を歪める力、超能力を持つ者である。
学生が総人口の四十パーセントを占めるため、学生も社会人のように仕事をする。人工知能を備えたロボットがあるため、学業が疎かになることはないが、外の学生とは少し違う生活を送っていることが殆どだ。
閑話休題。
能力者にはレベルがあり、定義上では七段階ある。
レベル1。非常に微力で、あってもなくてもあまり変わらない程度。観測が難しく、普通に見たところで分からないことが殆ど。
レベル2。能力として肉眼でも観測できる。あったら便利な程度。
レベル3。能力者として優れている。炎を出したり、氷を操ったりと、段々と派手になっていく。一般的に想像するような超能力。
レベル4。ショットガンやライフルと同程度の破壊力。もしくはそれに相当するほどの利便性を持つ。非常に優秀。
レベル5。兵器級の破壊力、価値を持つ。研究価値も非常にあり、能力者によっては学園都市の運営にも関わる。普通の能力開発を受けて、辿り着ける最高地点。
レベル6。特殊な能力開発を受けなければ辿り着けない。学園都市に八人存在する能力者の頂点。その戦術的、科学的価値は国家が揺らぐほどとされる。
レベル0。1~6までは能力因子と呼ばれる、能力の性質を決めるものを持っている場合であるが、このレベルは異なる。レベル0とは別名『拒絶者』と呼ばれる。彼らは特殊な能力こそ持ち合わせていないが、同時にありとあらゆる異能を受け付けない。
また、定義上ではないが、非能力者のことをレベルNと呼ぶこともある。
「⋯⋯学年一位の優等生様が、こんな時間に帰宅とは」
星華ミナ。彼女が通う中学校は高レベル能力者が数多く在籍するが、レベル5は彼女一人だけだ。
彼女は優秀な能力者としてだけではなく、勉学も運動もでき、まさに文武両道。学年一位の成績を収める超優等生である。
基本的に学園都市に住まう学生たちは寮で生活している。ミナも勿論そうであった。
そんな彼女の部屋には一人、同居人が居る。
彼女の名前は月宮理恵沙。青みがかった、長くて、手入れがされている白髪。碧色の綺麗な目。とても整った顔つきで、スレンダーな美人。身長はミナより少し小さいが、どういうわけか彼女からすれば大きく見えてしまう。
最初は「同じ出身国の女の子だ!」と嬉しかったが、彼女は何かと言葉が強い。
悪い子ではない。いやむしろ規律を重視し、優等生である。言葉が強いのもミナにだけであり、それは彼女の普段の行動故だ。
悪いのは全部ミナである。誰よりも理解しているのは彼女自身であった。
「確かに風紀委員であるあんたの仕事は、この学区の治安を守ること。犯罪者を捕まえるのは間違ってはいない。しかし、他でもない風紀委員であるあんた自身が、規律を守らないとはどういうことだ。大体、相手は凶悪犯罪者だったらしいな? あんたが優れた能力者で、対人能力が高いことは認めるが、危険をわざわざ犯してまでやることじゃない。あんたがやらなければいけなかったことは被害者の安全確保と犯人の追跡。追跡だ。そこまでだ。犯人を捕まえるのとか、そういうのは──」
ミナが今回のように危険なことに突っ込むのは少なくない。事件があれば大体ミナが関わっている。その度に危ない目に合い掛けている。
最終的には問題なく解決しているが、風紀委員長であるリエサには毎回その報告が行っており、よく「危ない」だの「首を突っ込み過ぎ」だの言われていた。
大体、リエサが風紀委員長に任命されたのはミナの管理能力の無さ故であった。それぐらい、ミナはある意味問題児だ。
「わかった。わかったから。ごめんって。謝るから許して」
「いや、あと一時間は説教しないと、あんた話聞かないでしょ。三年間の付き合いで分かってるの。それともレベル5様は、私のようなレベル4の話は聞きたくないって?」
「そんなこと言ってない」
「じゃあ話聞いて、反省しなさい」
「⋯⋯はい」
それから一時間、リエサの説教は続いた。内容は的確にミナの悪いところを指摘しており、どうすれば改善できるかを話していた。
全くもって反論できない。全部、正論。何も間違っていない完璧な言い分だった。
「──分かった?」
「ハイ。すみませんでした。今度からは自分からは首を突っ込み過ぎないようにします。以後気をつけます。本当に申し訳ございませんでした」
「なら良し。⋯⋯で、今回の犯人だけど」
「ごめん。本当にごめん。だからもう説教は許して。泣きそうだから!」
「いや違う。説教じゃない。⋯⋯おかしくない? 相手、あのS.S.R.F.の隊員を殺したような能力者なのに、あんたが無傷でどうこうできる相手じゃないでしょ。実際どうだったの?」
「え? あ、そっちね。⋯⋯うん。そんなに強いわけじゃなかった。多分レベル3程度。良くてレベル4。普通の警官とかならともかく、S.S.R.F.の人たちを殺せるような器じゃなかった」
S.S.R.F.は人命救助に長けている学園都市の組織だ。しかし、特筆すべきは、場合によってはレベル6さえも取り押さえられるとされる対能力者のエキスパートであるということ。
レベルと対人殺傷力は必ずしも比例関係にないとはいえ、レベル3、4程度に殺されるような人たちではない。
「⋯⋯なら、だとすれば⋯⋯まさかね」
「何か知っているの?」
その話を聞いたリエサには、何か心当たりがあったようだ。ミナが質問すると、彼女は口を開いた。
「学校というより、警察関係から来たんだけどね。最近『能力覚醒剤』なるものが流出しているらしくてね」
「『能力覚醒剤』?」
「私も詳しくは知らないんだけど⋯⋯」
リエサは『能力覚醒剤』について、知っていることを話し始めた。
『能力覚醒剤』とは、その名の通り能力の性能を上昇させる薬のことだ。勿論副作用もあり、大抵の場合は自制心の低下、凶暴性が発現するなど、精神状態の悪化である。また、肉体にも大きな負荷がかかり、場合によっては能力そのものの破損もあり得る。
初めて確認されたのは二年前だった。その時はほぼ流出はしていなかった。そのため軽い取締程度の対処であった。
しかしそれから半年後、急激に流出量が増加。これが影響し、対応に遅れてしまい、売買ルートが完全に確立されたらしい。
そして『能力覚醒剤』は、当初は所謂裏社会でのみ流通していた。表社会では言葉を聞かなかったのはそれが理由だ。だが、近頃は一般人──特に深刻なのが学生にも流れているということである。
「何にせよ、風紀委員にこの情報が来たということは、思っている以上に深刻ってこと。あんたも気をつけなさいよ」
「うん」
「じゃ、私は先に寝てるから。おやすみ」
「おやすみ、リエサ」
彼女は明かりがついている部屋でも普通に寝られる。これからご飯を食べて、風呂にも入らなければいけないミナに気を遣ってそのまま寝てしまった。
ミナもさっさと明日の準備をし、日が変わる前に眠りに付いた。
◆◆◆
翌日。
ミナたちは特に何事もなく学校に登校し、午前中の授業を終えた。
昼食を食べ、昼休憩が終わり午後の一限目。LHRが始まった。
「今日は進路についての希望を聞きます。配る用紙に希望進路を記入し、提出してください。その後は自由にして構いません」
ミナたちは中学三年生。ここルーグルア国では九月初旬で進級する。勿論高校進学もその時期である。そのため、七月である今には、既に受験先を学校側に提出しなければいけなかった。
「ミナ、どこ行くの?」
「ミース学園。あなたは?」
リエサは隣の席であった。覗き込みつつ、一応進学先を聞いてきた。
「やっぱり。ま、私もなんだけど」
両者、共にミース学園に進学することは察していた。
この学園都市にはいくつもの学校がある。本当に多種多様である。
中でも規模も質も最上位の『三大学校』というものがあり、その一つがミース学園だ。
レベル5やレベル4の能力者ともなれば、特別な理由がなければ『三大学校』に行くのが当たり前である。
「一番近くの『三大学校』はミース学園だけど、あんたの能力ならファインド・スクールの方がいいんじゃないの? あんた理数系得意だったでしょ」
『三大学校』はどれも各分野最高峰ではあるが、勿論傾向というものがある。
ミース学園はどちらかと言えば文系。対して話題に出たファインド・スクールは理系の学校だ。能力の分類にも同じことが言えて、ミナの能力的にはファインド・スクールが適している。
「そうかもしれないけど、あのレベルだとどこでも一緒。わたしの夢を考えるとね。⋯⋯あと、もう一つ理由はあるけど」
「ふーん。⋯⋯S.S.R.F.に入隊することよね、確か。ま、重要なのは高校の後か」
「そうそう。ところであなたは?」
「私の能力的に」
二人は雑談を交えつつも希望進路を記入した。二人ともミース学園が第一志望だが、ミナはそれだけしか書いておらず、対してリエサは第三希望まで書いていた。
クラスメート全員が希望進路を提出し終わり、残りは自由時間。お喋り、読書、はたまた居眠り。何にせよ各々自由な時間を過ごす。
ミナとリエサもそうで、何気ない話題について話していた。あの店のスイーツが美味しいとか、欲しい服があるから買いにいこうだとか、そんな年頃の女の子らしい会話だ。
本当に、何の変哲もない昼過ぎだった。
──その瞬間までは。
「────!」
聞こえてきたのは悲鳴だった。それから硝子が割れるような音がし、続いて何かが崩れる音。
何が起こったのかを理解するよりも先に、異変は目の前まで来ていた。
──化物だった。
教室の窓を豪快に突き破り、それは現れた。
辛うじて人の姿を保っていたと思う。けれど紛れもない化物だ。
天井に届かんとする巨体。裂けた口。顔には四つの目があり、その目は複眼だ。
硬質化した爪は大きく、鋭く、そして長くなっており、人を殺すには十分な刃物であった。
人の知性や理性を感じさせない動き。雰囲気。それはまるで人の形をしただけの獣だ。
「な⋯⋯」
手足が刃物になるだとか、鋼鉄のように硬くなるだとか。そういうものは肉体変化系の超能力として存在する。しかし、いくら超能力が蔓延るこの学園都市でも、ここまでの異形は存在しない。
そのはずだ。これを見るまではそう思っていた。
化物は手始めに、近くにいた男子生徒を狙った。標的にされた彼は問答無用で超能力を使用した。超能力の無断使用は禁じられているが、こんな状況下だと無理もない。
男子生徒のサイコキネシスは化物の体を動かした。
しかし、ほんの数ミリメートル。つまり、意味はない。それほどまでに隔絶した能力の強度差が原因だ。
「たすけっ──」
刃物のような爪が迫ってくる。人体の一刀両断なんて容易いものだ。男子生徒は死ぬだろう。目の前でクラスメートの一人が、真っ二つになって死ぬだろう。何も抗えず、死んでしまうだろう。
だが、そうはならなかった。
なぜなら、そうなるよりも早く、化物は爆発に巻き込まれたからだ。
煌めく星々のような軌道。そして直後、それらは爆裂する。
人に対して使うよりも、遥かに出力は増している。そうでもしなければいけないと、彼女の、ミナの感覚は言っていた。
「早く! 今のうちに皆逃げて!」
ミナの一声で、クラスメート全員は逃げ出す。
しかし、彼女は逃げなかった。ここで逃げてしまえば、あの化物を抑えられないと思ったからだ。
ああ、判断は間違えていなかった。悲しいことに。自分の感覚は間違っていなかった。
「⋯⋯今の、結構出力あげたのに」
少々体表が焦げている程度。血が少し滲んだくらいで大したダメージは与えられていない。
化物は怯んだ様子こそあれど、戦闘続行に支障はなはそうだ。
その証拠に化物は一直線にこっちに向かって来ている。ミナはそれを迎撃するために能力を行使しようとした。
「⋯⋯ったく、あんた、いっつもそうやってリスキーな真似するんだから」
その瞬間、化物は氷に包まれた。氷の先を辿ると、そこにはリエサが居た。彼女は口から真っ白い息を吐きつつ、ミナをいつものように説教する。
「でも今回は助かった。⋯⋯あんたがやってくれなきゃ、私じゃ間に合わなかった。ありがとう」
リエサは少しだけ震えている。能力が原因ではない。彼女は自分の能力で凍えるようなことは滅多にない。それは恐怖から来るものだ。
ミナもそうだ。目の前の化物が怖かった。それでも、なぜか、誰よりも早く動けた。
「こっちこそ。⋯⋯もう、何が何だか」
凍りついた化物を見る。やはり幻惑とか、そういう類ではなさそうだ。であれば純粋な意味不明の化物かと思えば、服のようなものを着ていた跡があったり、不思議だ。
人を化物に変えるという、趣味の悪過ぎる超能力者でも居るのだろうか。ともあれ警察を呼ぼうとしていた時だった。
氷が砕けた。そして化物はミナに爪を振り下ろした。
「ミナっ!」
同時、爆発が引き起こされる。爪の振り下ろしにタイミングを合わせて起爆し、弾いたのだ。僅かにできた隙に彼女は化物から距離を取る。
「ちぃ!」
巨体が迫ってくる威圧感は言うまでもない。だが、今度こそリエサは恐れずに能力を使う。
氷漬けにしようとした。が、足元から凍らせようとすると振り払われる。不意打ちだったから通用していたのだ。今だと意味がなくなった。
氷の壁を作り出し、突進を防ぐ。そして氷の刃を作り、飛ばした。
氷の刃は、なんと弾かれた。あれは鉄をも切り裂くものだ。弾かれたことなんて殆どなかった。
「嘘でしょ⋯⋯」
ミナの爆発も、リエサの氷も、どちらも通用しなかった。
足止めこそできるが、いつまで持つかもわからない。いやそんなことより、自分たちの命を守らねばならない。
「逃げよう、リエサ」
「そうしたいのは山々よ⋯⋯すばしっこい。こっちが下手に動けば、確実に隙を狙ってくるかも」
化物は知ってか知らずか、廊下側を背に立っている。逃げようにも退路が絶たれている状況だ。何とかしようにも、既に能力がまともに通用しないことは理解されている頃だろう。証拠に、防戦一方だ。
氷の壁を作り、爆発で弾き、既の所で致命傷を躱し続けている。
だがこのままでは疲労で能力が使えなくなるか、はたまた体が動かなくなるかして死ぬ。
更に、リエサには明確なタイムリミットがあった。
(⋯⋯体温がそろそろ不味い)
彼女は能力を使えば使うほど、自らの体温が低下していく。能力による体質変化のおかげで、体温が多少低下した程度では問題ないが、やはり能力も身体機能の一つ。酷使にも限度がある。
(能力を高出力で使い過ぎたからだ。能力はあと数回。必要最低限に絞っても)
どこかで仕掛けなければ。それも一撃かそこらでやらなければいかない。でないと、限界が先にくるのはこちらだ。
そうやってリエサは頭を回転させ、現状打破の一手を考え続けていた。
「リエサ。違う。逃げるのは後側」
けれども、ミナの一声で全て吹き飛んだ。
「え?」
「後ろ。外に飛び出すの」
この教室は二階にある。飛び出して落ちればただでは済まない。体制によっては死んでもおかしくない。
「わたしの能力で落下の衝撃を相殺する。だから、リエサは全力で奴を拘束して」
「⋯⋯⋯⋯ん。わかった」
二人は知り合って三年だ。こうも長い付き合いだと、言いたいこと、やりたいことが少ない言葉からよく分かる。
そしていつも、リエサはこう思う。ミナはやはり天才だ、と。
リエサは彼女を信じて、ミナも何の躊躇もなく背中から地上に落ちる。化物はその肉体強度を誇るかのように、こちらも躊躇いなく落下する。
地面に激突するまで数秒もない。ならば一秒未満でそれを行うのみ。
「空中だと、避けも、振り払えもしないでしょ」
化物がリエサの氷獄から逃れる方法は三つ。一つは躱す。もう一つは完全に凍る前に振り払う。最後に時間を掛けて砕く。
が、空中だと一つ目と二つ目は不可能。
「完全に凍らされた今。抜け出すまでにはかなり長い時間を要する。それはそれは、不必要なくらい」
ミナとリエサの二人は、ミナの能力によって落下の衝撃が相殺され、問題なく着地できた。氷漬けにされた化物も地面に叩きつけられたが、それで砕けるほどリエサの氷は本物らしくない。
なにせリエサの氷は、氷のような性質を持つだけの結晶なのだから。そして彼女は、その結晶を自由自在に操ることが可能。
「さ、あとは華々しく散らすだけよ」
──星華ミナ。能力名『仄明星々』。能力発動時、星屑の軌道を描くと、それに沿って爆裂が発生する。
「さっきまでは学校の中だったからね。学校が倒壊しない最大火力だと倒しきれないのなら、こうするしかないってね」
ミナが正真正銘の最大火力を引き出そうものなら、周辺はもれなく吹き飛ぶ。耐えられるのはリエサのような高位能力者やシェルターのみ。
だから学校の校庭だと、正真正銘の最大火力を出すには狭すぎる。しかし、必要十分だろう。目の前の化物を倒すならば。
今までよりもより濃く、多重に星屑の軌道が化物の周りに描かれた。軌道が現れるのと、起爆はほぼ同時だから避けることは、ただでさえ厳しい。にも関わらず、爆発の寸前までリエサの氷の結晶に囚われていたのだから不可能だ。
化物は爆発に直撃した。あの硬い体表も爆発には耐えられずに砕かれた。全身に火傷を負い、体力が尽きて倒れる。
それでも死にはしなかった。気絶こそしたが、生きてはいた。
「⋯⋯あの状況下で、火力調整とは、やっぱり凄い能力操作ね」
ミナは化物を殺すことができた。彼女の能力をよく知るリエサはそうだと確信できる。
だが、現実、化物は死んでいない。とどのつまり、ミナは化物を殺さずに気絶させる程度に、爆発の火力を減少させたということだ。
おそらくわざとではない。最早彼女は無意識にそれをやってのけている。
「これで一件落着、だね」
── 誰も殺さないヒーロー。平和の象徴。そんな夢を、叶えるために。
その日は特に暑い日だった。日が落ちかけた頃だというのに、昼間の暑さは残ったままだ。
人通りは少なかった。学校はもう終わっていて、ほとんど帰宅済み。この時間に帰宅するのは大人だけである。
「っ!?」
だからこそ、ひったくりは起こる。
原付きに乗った男は、歩いていた女からバッグを奪って通り過ぎていった。勿論走って追いつくことはできない。唖然とし、どうすればよいか分からなくなる。これが普通だ。
しかし、バッグを奪われた張本人が何かしようと動くよりも早く、その少女は走り出した。
普通の人間では、時速三十キロメートルどころか、法定速度を超えんばかりの速度で走る原付きに追いつけるはずがない。にも関わらず彼女は走り出した。
それはなぜか。答えは単純明快。彼女が所謂『普通の人間』ではないからだ。
彼女の足元が光を発する。かと思えば次の瞬間、彼女の体は吹き飛んだ。爆発に押されたようだ。
いや、正しくそうだった。彼女の足元は爆発したのである。ステップのような体制で、跳ぶ。
とてつもない加速を見せて、少女はひったくり犯を掴んだ。そして強引に引きずり下ろした。
今度は爆発を進行方向とは逆方向に起こし、少女は停止する。
コントロールを失った原付きは倒れて、滑るだろう。だがそうなるより早く、爆発四散した。これも謎の光とともに起こった。
「ひったくったバッグ、返してもらうね」
「くっ⋯⋯」
少女は男を押さえつけた。力こそ外見に見合うものだったが、抑え方が違うのか、まるで力が入らない。
「もう。大人しくして」
それでも抗い続けるため、少女はより押さえつけようとした。しかし、その時だった。突然、男が発火したのである。
「あっつ!?」
少女は熱いと思って、反射的に後ろに跳ぶ。ひったくりの男は少女と相対する。どうやら逃げることは諦め、少女という追手を潰そうとしたようだ。
「⋯⋯⋯⋯」
男は右手を少女に向ける。すると、炎が発生し、少女を襲った。
まともに当たれば全身大火傷だ。死なない程度に火力調整こそしているが、手加減などしていなかった。
「レベルだと3くらいかな。ちゃんとした使い方すれば、こんなことしなくてよかったのに」
「⋯⋯何」
そうだ。手加減など全くしていない。なのに、男の炎は少女に通じなかった。
そこで男は気がつく。この少女の正体に。これほどまでの能力者だと、名は通っていた。それが例え学生であったとしても。
肩くらいまであるピンクの長髪。赤紫色の目。透き通るような白い肌。東洋人の血も引いているのだろう。この辺りの人種とは違うが、整った容姿をしている。
普通の中学生の学生服を着ている。年齢の割に長身の少女。
史上最年少でレベル4へと至り、そして現在、レベル5となった天才の能力者。
「⋯⋯お前みたいに恵まれてるやつにはわからねぇよ!」
男の逆鱗に触れてしまったようだ。少女は言葉に配慮が足りなかったと思った。
そうだ、こういう能力者は多い。レベル3ぐらいの能力者は特に、そういう傾向にある。
よくわかっていた。知っていたはずだったのに。酷い言葉を言ってしまった。
「恵まれてる⋯⋯か。そうかもね。でも、それなりに苦労はしてきたつもり。だから分かるよ」
少女は能力を使う。ほぼ無意識で、使おうと思えば思い通りに使える。彼女らにとって、能力を使うとは手足を動かすようなもの。身体機能の一つだ。
「わたしの超能力だって、最初はもっと弱かった。レベルだって1からだった」
男の、殺す気の炎。能力者のレベルと出力には確かに関係性はあるが、殺傷力となれば少し違う。能力の殺傷力に大きく関係するのは能力の性能そのものだ。
「だから、そこまでよ」
最高火力の炎も、少女の前では無力だった。完全に掻き消された。むしろそれは自らの視界を奪っており、一瞬で間合いに入ってきた少女への反応に遅れてしまった。
組み付かれ、首を締め上げられる。抵抗しようと能力を使うより早く、男の意識は暗闇に落ちた。
それからしばらくして、警察が来た。ひったくられた女が通報したのだろう。
少女に駆け寄ってきて、話し掛ける警官が居た。
「君、怪我はないかい? 犯人を捕まえてくれたのには感謝するけど、危ないよ」
「大丈夫です。えっと⋯⋯わたし風紀委員でして」
少女はバッグから風紀委員の印である腕章を取り出し、警官に見せる。彼は彼女の行動の理由を理解した。
「そうだったのか。なら失礼なことを言ったね。すまない。⋯⋯それにしても、君、どこかで見たような」
警官は少女の顔を見て、悩む。そしてしばらくしてハッと気づいたようだ。
「もしかして、星華美七さんかい?」
「はい。そうです」
「なるほど。通りで⋯⋯あの犯人、実は凶悪犯罪者でね。中々、我々もS.S.R.F.も手を焼いていたんだ。殺人犯だったが脱獄して⋯⋯怪我もなく無力化できるとは、凄いな。流石はレベル5能力者だ」
ひったくりは指名手配されているほどの凶悪犯罪者だった。銀行強盗及び警官や特殊自救隊を含めた合計六名を殺害。一時は監獄に囚われていたが、先週脱獄していた。
ひったくりをしていたのはただ単純に金目当てだろう。
「⋯⋯え?」
それを聞いたとき、ミナは違和感を覚えた。
確かにあの能力だと人を殺すことは容易い。実際、一般的な警官だと、能力者であっても殺されていたかもしれない。
だが、S.S.R.F.は対能力者及び犯罪者のプロフェッショナルだ。並の能力者は当然、高位能力者にも引けを取らない者たちが、殺されるような相手だったのか。
「⋯⋯どうかしたかい?」
「⋯⋯いえ、なんでもありません」
ただそれも推測の域を出ない。ミナは自分が高位能力者であり、あの勝利も相手の油断やミスがあったから得られたものである可能性だってある。
「そうかい。⋯⋯今日のところはありがとう。犯人もうちが引き取っておく。心配はいらないだろうけど、気をつけて帰ってね」
「はい。ありがとうございました」
夕日が完全に落ちてしまい、辺りはどんどんと暗くなっていく。
それどころか、ミナはこのままでは門限に間に合わなくなるかもしれない。事情を話せば許してもらえそうだが、厳重注意は免れないだろう。あの寮母は厳しいから。
「では、失礼しました」
ミナは自分の帰路に付く。
◆◆◆
ルーグルア国、学園都市エスグラン。
総人口二百四十二万人。内、生徒、学生がおよそ四十パーセントの九十七万人を占める。更に人口のうち三割が、現実を歪める力、超能力を持つ者である。
学生が総人口の四十パーセントを占めるため、学生も社会人のように仕事をする。人工知能を備えたロボットがあるため、学業が疎かになることはないが、外の学生とは少し違う生活を送っていることが殆どだ。
閑話休題。
能力者にはレベルがあり、定義上では七段階ある。
レベル1。非常に微力で、あってもなくてもあまり変わらない程度。観測が難しく、普通に見たところで分からないことが殆ど。
レベル2。能力として肉眼でも観測できる。あったら便利な程度。
レベル3。能力者として優れている。炎を出したり、氷を操ったりと、段々と派手になっていく。一般的に想像するような超能力。
レベル4。ショットガンやライフルと同程度の破壊力。もしくはそれに相当するほどの利便性を持つ。非常に優秀。
レベル5。兵器級の破壊力、価値を持つ。研究価値も非常にあり、能力者によっては学園都市の運営にも関わる。普通の能力開発を受けて、辿り着ける最高地点。
レベル6。特殊な能力開発を受けなければ辿り着けない。学園都市に八人存在する能力者の頂点。その戦術的、科学的価値は国家が揺らぐほどとされる。
レベル0。1~6までは能力因子と呼ばれる、能力の性質を決めるものを持っている場合であるが、このレベルは異なる。レベル0とは別名『拒絶者』と呼ばれる。彼らは特殊な能力こそ持ち合わせていないが、同時にありとあらゆる異能を受け付けない。
また、定義上ではないが、非能力者のことをレベルNと呼ぶこともある。
「⋯⋯学年一位の優等生様が、こんな時間に帰宅とは」
星華ミナ。彼女が通う中学校は高レベル能力者が数多く在籍するが、レベル5は彼女一人だけだ。
彼女は優秀な能力者としてだけではなく、勉学も運動もでき、まさに文武両道。学年一位の成績を収める超優等生である。
基本的に学園都市に住まう学生たちは寮で生活している。ミナも勿論そうであった。
そんな彼女の部屋には一人、同居人が居る。
彼女の名前は月宮理恵沙。青みがかった、長くて、手入れがされている白髪。碧色の綺麗な目。とても整った顔つきで、スレンダーな美人。身長はミナより少し小さいが、どういうわけか彼女からすれば大きく見えてしまう。
最初は「同じ出身国の女の子だ!」と嬉しかったが、彼女は何かと言葉が強い。
悪い子ではない。いやむしろ規律を重視し、優等生である。言葉が強いのもミナにだけであり、それは彼女の普段の行動故だ。
悪いのは全部ミナである。誰よりも理解しているのは彼女自身であった。
「確かに風紀委員であるあんたの仕事は、この学区の治安を守ること。犯罪者を捕まえるのは間違ってはいない。しかし、他でもない風紀委員であるあんた自身が、規律を守らないとはどういうことだ。大体、相手は凶悪犯罪者だったらしいな? あんたが優れた能力者で、対人能力が高いことは認めるが、危険をわざわざ犯してまでやることじゃない。あんたがやらなければいけなかったことは被害者の安全確保と犯人の追跡。追跡だ。そこまでだ。犯人を捕まえるのとか、そういうのは──」
ミナが今回のように危険なことに突っ込むのは少なくない。事件があれば大体ミナが関わっている。その度に危ない目に合い掛けている。
最終的には問題なく解決しているが、風紀委員長であるリエサには毎回その報告が行っており、よく「危ない」だの「首を突っ込み過ぎ」だの言われていた。
大体、リエサが風紀委員長に任命されたのはミナの管理能力の無さ故であった。それぐらい、ミナはある意味問題児だ。
「わかった。わかったから。ごめんって。謝るから許して」
「いや、あと一時間は説教しないと、あんた話聞かないでしょ。三年間の付き合いで分かってるの。それともレベル5様は、私のようなレベル4の話は聞きたくないって?」
「そんなこと言ってない」
「じゃあ話聞いて、反省しなさい」
「⋯⋯はい」
それから一時間、リエサの説教は続いた。内容は的確にミナの悪いところを指摘しており、どうすれば改善できるかを話していた。
全くもって反論できない。全部、正論。何も間違っていない完璧な言い分だった。
「──分かった?」
「ハイ。すみませんでした。今度からは自分からは首を突っ込み過ぎないようにします。以後気をつけます。本当に申し訳ございませんでした」
「なら良し。⋯⋯で、今回の犯人だけど」
「ごめん。本当にごめん。だからもう説教は許して。泣きそうだから!」
「いや違う。説教じゃない。⋯⋯おかしくない? 相手、あのS.S.R.F.の隊員を殺したような能力者なのに、あんたが無傷でどうこうできる相手じゃないでしょ。実際どうだったの?」
「え? あ、そっちね。⋯⋯うん。そんなに強いわけじゃなかった。多分レベル3程度。良くてレベル4。普通の警官とかならともかく、S.S.R.F.の人たちを殺せるような器じゃなかった」
S.S.R.F.は人命救助に長けている学園都市の組織だ。しかし、特筆すべきは、場合によってはレベル6さえも取り押さえられるとされる対能力者のエキスパートであるということ。
レベルと対人殺傷力は必ずしも比例関係にないとはいえ、レベル3、4程度に殺されるような人たちではない。
「⋯⋯なら、だとすれば⋯⋯まさかね」
「何か知っているの?」
その話を聞いたリエサには、何か心当たりがあったようだ。ミナが質問すると、彼女は口を開いた。
「学校というより、警察関係から来たんだけどね。最近『能力覚醒剤』なるものが流出しているらしくてね」
「『能力覚醒剤』?」
「私も詳しくは知らないんだけど⋯⋯」
リエサは『能力覚醒剤』について、知っていることを話し始めた。
『能力覚醒剤』とは、その名の通り能力の性能を上昇させる薬のことだ。勿論副作用もあり、大抵の場合は自制心の低下、凶暴性が発現するなど、精神状態の悪化である。また、肉体にも大きな負荷がかかり、場合によっては能力そのものの破損もあり得る。
初めて確認されたのは二年前だった。その時はほぼ流出はしていなかった。そのため軽い取締程度の対処であった。
しかしそれから半年後、急激に流出量が増加。これが影響し、対応に遅れてしまい、売買ルートが完全に確立されたらしい。
そして『能力覚醒剤』は、当初は所謂裏社会でのみ流通していた。表社会では言葉を聞かなかったのはそれが理由だ。だが、近頃は一般人──特に深刻なのが学生にも流れているということである。
「何にせよ、風紀委員にこの情報が来たということは、思っている以上に深刻ってこと。あんたも気をつけなさいよ」
「うん」
「じゃ、私は先に寝てるから。おやすみ」
「おやすみ、リエサ」
彼女は明かりがついている部屋でも普通に寝られる。これからご飯を食べて、風呂にも入らなければいけないミナに気を遣ってそのまま寝てしまった。
ミナもさっさと明日の準備をし、日が変わる前に眠りに付いた。
◆◆◆
翌日。
ミナたちは特に何事もなく学校に登校し、午前中の授業を終えた。
昼食を食べ、昼休憩が終わり午後の一限目。LHRが始まった。
「今日は進路についての希望を聞きます。配る用紙に希望進路を記入し、提出してください。その後は自由にして構いません」
ミナたちは中学三年生。ここルーグルア国では九月初旬で進級する。勿論高校進学もその時期である。そのため、七月である今には、既に受験先を学校側に提出しなければいけなかった。
「ミナ、どこ行くの?」
「ミース学園。あなたは?」
リエサは隣の席であった。覗き込みつつ、一応進学先を聞いてきた。
「やっぱり。ま、私もなんだけど」
両者、共にミース学園に進学することは察していた。
この学園都市にはいくつもの学校がある。本当に多種多様である。
中でも規模も質も最上位の『三大学校』というものがあり、その一つがミース学園だ。
レベル5やレベル4の能力者ともなれば、特別な理由がなければ『三大学校』に行くのが当たり前である。
「一番近くの『三大学校』はミース学園だけど、あんたの能力ならファインド・スクールの方がいいんじゃないの? あんた理数系得意だったでしょ」
『三大学校』はどれも各分野最高峰ではあるが、勿論傾向というものがある。
ミース学園はどちらかと言えば文系。対して話題に出たファインド・スクールは理系の学校だ。能力の分類にも同じことが言えて、ミナの能力的にはファインド・スクールが適している。
「そうかもしれないけど、あのレベルだとどこでも一緒。わたしの夢を考えるとね。⋯⋯あと、もう一つ理由はあるけど」
「ふーん。⋯⋯S.S.R.F.に入隊することよね、確か。ま、重要なのは高校の後か」
「そうそう。ところであなたは?」
「私の能力的に」
二人は雑談を交えつつも希望進路を記入した。二人ともミース学園が第一志望だが、ミナはそれだけしか書いておらず、対してリエサは第三希望まで書いていた。
クラスメート全員が希望進路を提出し終わり、残りは自由時間。お喋り、読書、はたまた居眠り。何にせよ各々自由な時間を過ごす。
ミナとリエサもそうで、何気ない話題について話していた。あの店のスイーツが美味しいとか、欲しい服があるから買いにいこうだとか、そんな年頃の女の子らしい会話だ。
本当に、何の変哲もない昼過ぎだった。
──その瞬間までは。
「────!」
聞こえてきたのは悲鳴だった。それから硝子が割れるような音がし、続いて何かが崩れる音。
何が起こったのかを理解するよりも先に、異変は目の前まで来ていた。
──化物だった。
教室の窓を豪快に突き破り、それは現れた。
辛うじて人の姿を保っていたと思う。けれど紛れもない化物だ。
天井に届かんとする巨体。裂けた口。顔には四つの目があり、その目は複眼だ。
硬質化した爪は大きく、鋭く、そして長くなっており、人を殺すには十分な刃物であった。
人の知性や理性を感じさせない動き。雰囲気。それはまるで人の形をしただけの獣だ。
「な⋯⋯」
手足が刃物になるだとか、鋼鉄のように硬くなるだとか。そういうものは肉体変化系の超能力として存在する。しかし、いくら超能力が蔓延るこの学園都市でも、ここまでの異形は存在しない。
そのはずだ。これを見るまではそう思っていた。
化物は手始めに、近くにいた男子生徒を狙った。標的にされた彼は問答無用で超能力を使用した。超能力の無断使用は禁じられているが、こんな状況下だと無理もない。
男子生徒のサイコキネシスは化物の体を動かした。
しかし、ほんの数ミリメートル。つまり、意味はない。それほどまでに隔絶した能力の強度差が原因だ。
「たすけっ──」
刃物のような爪が迫ってくる。人体の一刀両断なんて容易いものだ。男子生徒は死ぬだろう。目の前でクラスメートの一人が、真っ二つになって死ぬだろう。何も抗えず、死んでしまうだろう。
だが、そうはならなかった。
なぜなら、そうなるよりも早く、化物は爆発に巻き込まれたからだ。
煌めく星々のような軌道。そして直後、それらは爆裂する。
人に対して使うよりも、遥かに出力は増している。そうでもしなければいけないと、彼女の、ミナの感覚は言っていた。
「早く! 今のうちに皆逃げて!」
ミナの一声で、クラスメート全員は逃げ出す。
しかし、彼女は逃げなかった。ここで逃げてしまえば、あの化物を抑えられないと思ったからだ。
ああ、判断は間違えていなかった。悲しいことに。自分の感覚は間違っていなかった。
「⋯⋯今の、結構出力あげたのに」
少々体表が焦げている程度。血が少し滲んだくらいで大したダメージは与えられていない。
化物は怯んだ様子こそあれど、戦闘続行に支障はなはそうだ。
その証拠に化物は一直線にこっちに向かって来ている。ミナはそれを迎撃するために能力を行使しようとした。
「⋯⋯ったく、あんた、いっつもそうやってリスキーな真似するんだから」
その瞬間、化物は氷に包まれた。氷の先を辿ると、そこにはリエサが居た。彼女は口から真っ白い息を吐きつつ、ミナをいつものように説教する。
「でも今回は助かった。⋯⋯あんたがやってくれなきゃ、私じゃ間に合わなかった。ありがとう」
リエサは少しだけ震えている。能力が原因ではない。彼女は自分の能力で凍えるようなことは滅多にない。それは恐怖から来るものだ。
ミナもそうだ。目の前の化物が怖かった。それでも、なぜか、誰よりも早く動けた。
「こっちこそ。⋯⋯もう、何が何だか」
凍りついた化物を見る。やはり幻惑とか、そういう類ではなさそうだ。であれば純粋な意味不明の化物かと思えば、服のようなものを着ていた跡があったり、不思議だ。
人を化物に変えるという、趣味の悪過ぎる超能力者でも居るのだろうか。ともあれ警察を呼ぼうとしていた時だった。
氷が砕けた。そして化物はミナに爪を振り下ろした。
「ミナっ!」
同時、爆発が引き起こされる。爪の振り下ろしにタイミングを合わせて起爆し、弾いたのだ。僅かにできた隙に彼女は化物から距離を取る。
「ちぃ!」
巨体が迫ってくる威圧感は言うまでもない。だが、今度こそリエサは恐れずに能力を使う。
氷漬けにしようとした。が、足元から凍らせようとすると振り払われる。不意打ちだったから通用していたのだ。今だと意味がなくなった。
氷の壁を作り出し、突進を防ぐ。そして氷の刃を作り、飛ばした。
氷の刃は、なんと弾かれた。あれは鉄をも切り裂くものだ。弾かれたことなんて殆どなかった。
「嘘でしょ⋯⋯」
ミナの爆発も、リエサの氷も、どちらも通用しなかった。
足止めこそできるが、いつまで持つかもわからない。いやそんなことより、自分たちの命を守らねばならない。
「逃げよう、リエサ」
「そうしたいのは山々よ⋯⋯すばしっこい。こっちが下手に動けば、確実に隙を狙ってくるかも」
化物は知ってか知らずか、廊下側を背に立っている。逃げようにも退路が絶たれている状況だ。何とかしようにも、既に能力がまともに通用しないことは理解されている頃だろう。証拠に、防戦一方だ。
氷の壁を作り、爆発で弾き、既の所で致命傷を躱し続けている。
だがこのままでは疲労で能力が使えなくなるか、はたまた体が動かなくなるかして死ぬ。
更に、リエサには明確なタイムリミットがあった。
(⋯⋯体温がそろそろ不味い)
彼女は能力を使えば使うほど、自らの体温が低下していく。能力による体質変化のおかげで、体温が多少低下した程度では問題ないが、やはり能力も身体機能の一つ。酷使にも限度がある。
(能力を高出力で使い過ぎたからだ。能力はあと数回。必要最低限に絞っても)
どこかで仕掛けなければ。それも一撃かそこらでやらなければいかない。でないと、限界が先にくるのはこちらだ。
そうやってリエサは頭を回転させ、現状打破の一手を考え続けていた。
「リエサ。違う。逃げるのは後側」
けれども、ミナの一声で全て吹き飛んだ。
「え?」
「後ろ。外に飛び出すの」
この教室は二階にある。飛び出して落ちればただでは済まない。体制によっては死んでもおかしくない。
「わたしの能力で落下の衝撃を相殺する。だから、リエサは全力で奴を拘束して」
「⋯⋯⋯⋯ん。わかった」
二人は知り合って三年だ。こうも長い付き合いだと、言いたいこと、やりたいことが少ない言葉からよく分かる。
そしていつも、リエサはこう思う。ミナはやはり天才だ、と。
リエサは彼女を信じて、ミナも何の躊躇もなく背中から地上に落ちる。化物はその肉体強度を誇るかのように、こちらも躊躇いなく落下する。
地面に激突するまで数秒もない。ならば一秒未満でそれを行うのみ。
「空中だと、避けも、振り払えもしないでしょ」
化物がリエサの氷獄から逃れる方法は三つ。一つは躱す。もう一つは完全に凍る前に振り払う。最後に時間を掛けて砕く。
が、空中だと一つ目と二つ目は不可能。
「完全に凍らされた今。抜け出すまでにはかなり長い時間を要する。それはそれは、不必要なくらい」
ミナとリエサの二人は、ミナの能力によって落下の衝撃が相殺され、問題なく着地できた。氷漬けにされた化物も地面に叩きつけられたが、それで砕けるほどリエサの氷は本物らしくない。
なにせリエサの氷は、氷のような性質を持つだけの結晶なのだから。そして彼女は、その結晶を自由自在に操ることが可能。
「さ、あとは華々しく散らすだけよ」
──星華ミナ。能力名『仄明星々』。能力発動時、星屑の軌道を描くと、それに沿って爆裂が発生する。
「さっきまでは学校の中だったからね。学校が倒壊しない最大火力だと倒しきれないのなら、こうするしかないってね」
ミナが正真正銘の最大火力を引き出そうものなら、周辺はもれなく吹き飛ぶ。耐えられるのはリエサのような高位能力者やシェルターのみ。
だから学校の校庭だと、正真正銘の最大火力を出すには狭すぎる。しかし、必要十分だろう。目の前の化物を倒すならば。
今までよりもより濃く、多重に星屑の軌道が化物の周りに描かれた。軌道が現れるのと、起爆はほぼ同時だから避けることは、ただでさえ厳しい。にも関わらず、爆発の寸前までリエサの氷の結晶に囚われていたのだから不可能だ。
化物は爆発に直撃した。あの硬い体表も爆発には耐えられずに砕かれた。全身に火傷を負い、体力が尽きて倒れる。
それでも死にはしなかった。気絶こそしたが、生きてはいた。
「⋯⋯あの状況下で、火力調整とは、やっぱり凄い能力操作ね」
ミナは化物を殺すことができた。彼女の能力をよく知るリエサはそうだと確信できる。
だが、現実、化物は死んでいない。とどのつまり、ミナは化物を殺さずに気絶させる程度に、爆発の火力を減少させたということだ。
おそらくわざとではない。最早彼女は無意識にそれをやってのけている。
「これで一件落着、だね」
── 誰も殺さないヒーロー。平和の象徴。そんな夢を、叶えるために。
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