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第八章「終止符を打つ魔女」
第三百二十四話 最終決戦Ⅱ 〜純粋なる黒〜
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破滅の伝播はありとあらゆるものを通じている。それには勿論、空気も含まれる。そのため、実質的な遠隔攻撃だった。
エスト有利の形勢は一気に逆転し、メーデア優勢となる。
エストはメーデアの反転移魔法を解析し、解除。新たに術式を組まれるまでは転移による回避運動が可能だ。
指定、演算、魔法操作の繰り返し。メーデアの伝播する破滅を回避しつつ、攻められる隙を探す。
(今っ!)
煙幕の魔法をメーデア中心に展開。転移魔法も同時に行使。メーデアの背後から無音でエストが迫る。その左手に展開するのは、接触系黒魔法〈偏執病〉を、第十一階級の要素を組み込み改良したものだ。
「無駄です」
しかし、メーデアは超人的な反射神経でエストに影を突き刺す。真っ赤な血が飛び散った──が、
「──偽も」
既にメーデアは術中に嵌っている。
「〈灰燼懐廃〉」
天から降り注ぐ光の柱が、一瞬だけ現れた。次の瞬間には、純然たる破壊エネルギーが放出されるのみ。
本来であれば王都全域を消し飛ばしても可笑しくないほどの火力を引き出せる魔法だが、エストの総魔力量や周囲への影響を考え、出力はロアの六割に留め、更に白魔法による次元閉鎖を行うことで被害を最小限にした。
「⋯⋯能力と魔法の同時行使。それでも削りきれる。流石はロアの魔法だね」
エストは第二プランを実行に移した。
彼女は魔法で煙を掻き消し、全身に火傷を負ったメーデアを見て言った。
今の彼女は意識を失い、気絶している。都市を一つ更地にするような魔法を、不意打ちで受けて、原型を保っていることに動揺した。
だが、これでメーデアの再生力を再び封じられる。
「〈魔滅の力〉」
メーデアに解析された術式を組み直し、更に複雑化させた。少なくともこの戦闘中に解析が終了することはないだろう。
ただ、これはサブプランの布石に過ぎない。少しでも時間を稼ぐための手段に過ぎない。
エストはメーデアを殺す──いや、消滅させる方法を新たに獲得できると確信していた。時間が、あるいは別の要素がそれを促してくれるはずだ。
「────」
瞬間、影が辺り一帯に引き伸ばされた。
これはメーデアの意思によるものではない。無意識でもなく、おそらくは能力による自動防御システム。彼女が意識を取り戻すまでの時間稼ぎだ。
滅茶苦茶に影が振り回される。規則性がなく、標的もないため、動きが予測できない。
エストの反射神経は優れているが限度はある。メーデアの影の最高速度は、音を置き去りにするほどだ。
回避に集中しなければ直撃は不可避。当然、避けようとすればカウンターは考えられない。
(虚空に引きずり込みたかったけど⋯⋯無理ね、これ。範囲外)
エストはメーデアから距離を取らざるを得なかった。このまま見ているだけしかできないようだ。
やがてメーデアは自己治癒を終わらせ、反撃が始まろうとした。
その時だった。エストが思わず振り向いてしまうほどの魔力反応が生じた。
彼女の目線の先に居たのは、魔法陣を展開し、詠唱している黒髪の少女だった。
「──赫き侵食。永久に続け、その身を蝕め、そして生命を冒涜せよ。〈赫水晶〉」
メーデアに一直線に、赫の水晶が飛来する。彼女に第十階級以下の魔法は通用しない。にも関わらず、それを使う理由。
「おっと、危ないですね」
メーデアは『瘴気』を纏わせた影で水晶を受け止めた。
「第十一階級化。油断して食らっていたら、一貫の終わりでしたよ」
「ちっ⋯⋯今ので死ねば良かったのに」
ミカロナを討ち、イザベリアがエストを助けに来た。
破滅の能力があるとは言え、二対一はメーデアにとって厳しい。防戦に回りつつ、きっかけを作って一人落とさなければいけない。
が、エストの能力により、完璧な連携が取られる。その厄介さは身を以て知っている。まず間違いなく、死なないことを最優先に動かれるだろう。人数不利となるようなリスクは犯さないはずだ。
「なら少し、無茶しますか」
どちらにせよ、メーデアは人数不利を覆さなければならない。体力を消耗することにはなるが、やらなければいけないと判断した。
魔力を練り、効率を上げ、詠唱する。
「〈処刑〉」
メーデアがこの魔法を使うときは、持続時間を一秒以内に留めている。理由は単純明快で、制御が難しく、脳への負荷が大きいからだ。しかし彼女は無理して、この魔法を維持した。するとどうなるか。
範囲内を切り刻むこの魔法の対処方は二つ。一つは防御すること。もう一つは範囲外に逃れること。
エストとイザベリアは、一瞬だけ迷いがあったが逃げることを選択した。
「何を⋯⋯」
狙っているのか。人数不利な状況での遠距離戦は、確かに近距離戦よりは戦いやすいだろう。しかし、メーデアのように即死攻撃があり、かつ、耐久力もあるのなら、近距離で一人を無理矢理殺してしまった方が良い。
ましてや近距離戦ではメーデアに分があり、遠距離戦だとほぼ互角だ。ますます遠距離戦を仕掛ける意味がなくなる。
「何かしてくる。周りを警戒して」
「分かってるよ。でも⋯⋯」
魔力反応、なし。気配も感じない。そしてメーデアはそこに立っているだけ。
何もしていない。それが余計に怖い。一体何が狙いなのか。
「──混濁し、生まれるは純黒」
詠唱が聞こえた。メーデアの能力ならば、ここまでして時間を稼ぐ必要はないはずだ。
そうだった。それが、メーデアの緻密な計算の元の策でなければ。
嫌な予感を覚えたエストとイザベリアは、即座にメーデアに魔法を放つ。だが、魔法に命中したメーデアは、真っ黒な粉となり離散する。あれは偽物だった。
「打ち付けよ、染め上げよ、そして絶望を報せよ──」
メーデアは二人の死角を、既に取っていた。〈処刑〉をフェイクに、詠唱をするための時間を作ったのだ。
それを見たエスト、イザベリアは、メーデアが何をしようとしているかを理解した。だから、何としてでも対抗しなくてはならなかった。
三人、それぞれ第十一階級魔法陣を、同時に展開する。
「──〈純粋なる黒〉」
「──〈虚空支配〉」
「──〈形成〉」
地面が、空が、黒に染まる。まるで黒のクレヨンで塗り潰されたみたいに。
黒はみるみると辺りを食らって行く。対象としないのは生命のみ。それ以外の全てを、黒で潰していく。
侵食は視界内全てに届いた。そこで終わっているかもしれないし、あるいは、今も広がり続けているかもしれない。
閉じない空間支配魔法か? そうだとも言える。
だが、正しく言うのであれば、それは黒魔法の極地だ。
「⋯⋯まっずい⋯⋯」
エストたちが今生きていられるのは、即座にカウンターで行使した第十一階級魔法があったからだ。もし少しでも反応に遅れていたり、判断を誤っていたりすれば、ここで死んでいた。蘇生もできずに、終わっていただろう。
であれば、その即死攻撃を避けられたのは幸運だったか? 否。死ななかっただけだ。これは、メーデアの策略のうちだ。
「⋯⋯エスト、助けに来て早々で悪いけど、私もう無理かも」
黒に染め上げられた世界は元の色を取り戻した。メーデアの第十一階級魔法は解除されたのだ。
しかし、
「あの魔法を防いだのですよね。⋯⋯魔法、使えますか?」
その代償はあまりにも大きすぎた。
ただでさえコストが大きい空間支配系魔法。魔力消費もそうだが、それ以上に脳への負荷が大きいのである。ましてや別の同系統魔法を塗り潰すためにそれを行使したのである。いくらエストやイザベリアでも、問題なく対処できようはずがなかった。
メーデア含め、今、三人の魔女は、魔法を司る脳回路が焼き切れている。
「そうですとも。ええ、勿論ですとも。私は下手な策は考えませんでした。最初から、魔法戦をするつもりはありませんでしたよ」
メーデアはこれを狙っていた。
魔法主体の二人と、能力や肉弾戦でも戦えるメーデア。ならば、自分も魔法が使えなくなったとしても、相手の魔法が潰せるのならリターンの方が大きい。
(エストは多少、近接戦でも戦える。すぐには殺せない⋯⋯。でも、イザベリアはミカロナ相手にかなり消耗している様子ね。魔法がなければ雑魚同然)
メーデアが狙うのは必然、イザベリアだ。それを分かっていてエストがカバーに入るも、能力を重ねがけしたメーデア相手にスピードで上回れなかった。
「速っ!?」
エストを過ぎ去り、メーデアはイザベリアの前に立つ。その時点で蹴りの予備動作は完了していた。残るは、対象をぶちのめすのみ。
「っう!」
そこで、血を流したのはメーデアの方だった。
「私の役目はこれで終わり。あとは頼んだよ」
同時、イザベリアが持っていた魔法杖が砕け散る。演算も魔力消費も、全てを肩代わりさせたからだ。しかし元より長くはなかった。判断は間違っていない。
連戦に次ぐ連戦で、まだ魔力は残っていても短期間に使い過ぎた。もう限界が来ていたイザベリアは、完全に意識を失う。思わぬ反撃があったものの、今度こそ殺せる。が、それより先に対処すべきことがメーデアにはあった。
「らぁっ!」
エストが背後からメーデアを襲う。その手に持つのは黒刀だった。気絶したセレディナから拝借しておいたもの。猛烈な魔毒が何か役に立つかと期待していたが、思わぬ所で活用することになった。幸いにも、魔法が封じられていても、魔法により収納したものは取り出せたのである。
「速いですね。しかしそれだけ」
しかし、斬撃はメーデアには届かなかった。イザベリアの反撃による傷は浅く、致命傷にはならない。片目を潰せたが、大した影響はなさそうだった。
影が黒刀を掴んでいる。セレディナならば簡単に手放し、新たに作っただろう。だが、エストには同じことができない。
メーデア相手に得物もなしに戦うことは避けたい。エストは肉弾戦は不得意な方だ。そも、筋力でメーデアに勝てる気がしない。
「パワーは足りない。テクニックも、私の方が上。得意のスピードも、私と互角か多少勝る程度でしょう?」
黒刀は呆気なく取られ、破壊される。影はより増えて、より伸ばされる。
「あなたは既に詰みの状況にあるのですよ」
今度は影がエストの首を締め上げる。必死の抵抗も虚しく抑えられた。触れられない影なのに、あっちからは触れられる。そんな理不尽な暴力によって、エストは意識を失う。
今のエストは魔法が使えない。蘇生も無理だ。即ち、それは、
「ご機嫌よう、白の魔女、エスト──」
──エストはその時、死を目前にした。
◆◆◆
動かないエストを、メーデアは優しく降ろした。光を失った灰白色の目を見て、彼女はおそらく初めて、勝利を嬉しく思った。
「さて」
メーデアの焼き切れた魔力回路は今、復活した。今度はそれを焼き切らない程度に加減して、〈純粋なる黒〉を再発動する。
範囲内に居たあらゆる生命を破壊した。この魔法の効果はいくつかあるが、最も強い権能は、範囲内における無制限かつ必中化された能力、魔法、戦技、加護の行使だ。
つまり、この領域にいる限り、対象は〈破滅〉によって即座に死ぬ。
これによって、メーデアはイザベリア含めた敵の全てを破滅させた。この魔法の最大範囲は王都全域に渡るからだ。
「⋯⋯ふふふふ」
メーデアは勝利を噛み締める。勝つことがこんなにも嬉しく、こんなにも愉快だとは思わなかった。
「──おや?」
だが、そんな興奮の頂点に居たメーデアに、水を差す者が居た。
「⋯⋯マサカズ・クロイ」
殺したと思っていた。けれど、殺せていなかったようだ。おそらくは『死に戻り』によって広範囲即死攻撃を知り、避けたのだろう。その方法は分からないが、とにかく、彼であれはそれぐらいできそうだ。
「なんで死んで⋯⋯あー、いや、なんで避けられた、か。なんでだと思う?」
「どうでも良いです。あなたを殺せばそれで済む話でしょう?」
「オーケー、なら身を以て教えてやる。今、俺は二つの意味ですこぶる機嫌が悪いんだ」
マサカズは剣を構えた。転移者にはあまりにも不格好なほどの力を秘めた、神器級の武器だ。そんなもので斬られれば、再生力を失っているメーデアには致命傷となる。
しかしながら、当たらなければ問題ない。マサカズは先の戦いで魔法が使えなくなっている。魔力系にも支障を来しているはずだ。即ち、前回のように、不測の事態は起こらない。
目の前の彼は、転移者としての、貧弱な人間だ。そんな人間に何ができる?
「機嫌が悪い? だから何ですか? 所詮は人間。『死に戻り』がいくらできようと、私とあなたの間にある力の差は埋められるはずがありませんよ」
「だろうな。勝てないさ、転移者の俺なら。過去が証明している。⋯⋯だが」
マサカズは──魔法陣を展開した。
理解が追いつかないままのメーデアに対して、マサカズは一瞬で距離を詰める。速い。メーデアより、エストより、スピードだけで言えばアレオスに匹敵する。いや、あるいは、超えているのかもしれない。
「っ!?」
メーデアはマサカズの剣戟に反応し、影で防御した。しかし、そのあまりのパワーに耐えられず、斬られることはなかったが吹き飛ばされる。
飛ばされた先で、メーデアは仰向けになっていた。全身が痺れている。あの聖剣の神聖属性を受けたのだろう。だが、
「問題⋯⋯なし」
立ち上がる。そして、ゆっくりと歩いて来ているマサカズを睨みつけた。
「⋯⋯なぜ、どうして、そう思うだろうな。俺が、転移者の俺がこんなに強いわけない。何かあるんだろう、ってな」
「『縛り』ですね。先程の肉体強化系魔法には発動条件が設定されていました。⋯⋯それが魔法を使えることも含む条件であるのならば、今の今まであなたが使わなかった理由にも納得いきます」
『縛り』は厳しければ厳しいほど、大きな利益が得られる。マサカズは本来魔法が使えない身で、かつ、肉体も魔法には耐えられない。
それでも魔法を使えるようにする『縛り』となると、条件の厳しさは常軌を逸しているだろう。
「近からず遠からず、ってとこだな。まあ分からないに決まってる」
「⋯⋯⋯⋯」
「教えてやるよ。それが肉体強化魔法の強化条件だからな」
マサカズは内に隠そうともしない憎悪や怒りを見せながら、そう言い捨て、メーデアに対して、なぜ魔法が使えるようになったかの情報開示を始めた。
「魔女ってのは種族分類としては魔族に当たる。で、魔族の特徴としてあるのが『契約』という概念だ」
例えば代表的なのが魔人だ。魔人は『契約』を結ぶことにより、主従関係を作り、内容を履行する。
ただこれは魔人特有のものではなく、魔族特有のもの。即ち、魔女にも同じことができる。
問題は、『契約』はあくまで相互の承諾があって初めて成り立つものだ。そこに解釈違いがあれば『契約』は不適切な働きをすることもあったりと、中々面倒なものだ。
何より『契約』を一旦結べば、それを無闇矢鱈に無視したり、違反したりすることはできない。偽装でもしなければ、魔女であっても同じことが言える。
「俺はその『契約』を利用した。イザベリアを墳墓から連れ出す際、彼女と『契約』したんだ」
ただ、逆に言えば、結べさえすれば、どんな内容でも絶対性が働くということ。相互の同意があり、かつ、それが理論上可能であれば、なんでもできる。
「イザベリアが死亡した際、あらゆる魔法能力を俺に譲渡するってな」
そういうことだ。今のマサカズには、イザベリアの魔法能力の全てが譲渡されている。そこには魔法適正──魔法に耐えられる肉体強度も含まれている。
「俺の魔法能力は失われたわけじゃない。使えなくなっただけ。器が壊れたからな。だが、その器に当たるものがあるなら⋯⋯」
「今のあなたは、イザベリアの魔法能力が、本来のあなたの魔法能力に上乗せされている状態ということですか」
だが、そうなると疑問が湧いてくる。
イザベリアの魔法に耐えられる器は、あくまでもイザベリアの魔法能力に限られる。マサカズの魔法能力にも耐えられるのか、という点だ。
また、何より、そのような滅茶苦茶な『契約』が結べるのかという点もある。マサカズと同じような考えを持った者が過去に居なかったわけがない。勿論、メーデアだって考えた。
結果として分かったことは、永続的な譲渡は不可能であるということ。
「まあ、ここまでなら開示したところで大した『縛り』にはならない。ほぼ誤差みたいなもんだ。ここからが本題。⋯⋯この『契約』を結ぶにあたり、俺は条件を付け加えた」
でなければ、マサカズでも『契約』は結べなかった。イザベリアの死という条件でさえ足りなかった。ならば、あとやれる事は二つだけある。
「──まさか、あなた」
「そのまさかだ、黒の魔女」
メーデアはマサカズへ、少しだけ恐怖した。その狂気的な目を見てしまった。
「前回は俺の魔法能力を贄としたが、それじゃあ足りなかったようだ。⋯⋯だったら、それより大きなものを代償にすれば良い」
それはきっと、最も単純で、しかし最も強大な代償だった。
「五分という時間制限に加え──俺は、俺の全てを差し出したのさ。黒の魔女、お前を殺すためにな」
『契約』を結ぶ際に交わした条件全ての履行が確認され、その力は完全に発揮される。
時間制限のカウントダウンが始まる。
これより五分以内に──決着することが確定した。
エスト有利の形勢は一気に逆転し、メーデア優勢となる。
エストはメーデアの反転移魔法を解析し、解除。新たに術式を組まれるまでは転移による回避運動が可能だ。
指定、演算、魔法操作の繰り返し。メーデアの伝播する破滅を回避しつつ、攻められる隙を探す。
(今っ!)
煙幕の魔法をメーデア中心に展開。転移魔法も同時に行使。メーデアの背後から無音でエストが迫る。その左手に展開するのは、接触系黒魔法〈偏執病〉を、第十一階級の要素を組み込み改良したものだ。
「無駄です」
しかし、メーデアは超人的な反射神経でエストに影を突き刺す。真っ赤な血が飛び散った──が、
「──偽も」
既にメーデアは術中に嵌っている。
「〈灰燼懐廃〉」
天から降り注ぐ光の柱が、一瞬だけ現れた。次の瞬間には、純然たる破壊エネルギーが放出されるのみ。
本来であれば王都全域を消し飛ばしても可笑しくないほどの火力を引き出せる魔法だが、エストの総魔力量や周囲への影響を考え、出力はロアの六割に留め、更に白魔法による次元閉鎖を行うことで被害を最小限にした。
「⋯⋯能力と魔法の同時行使。それでも削りきれる。流石はロアの魔法だね」
エストは第二プランを実行に移した。
彼女は魔法で煙を掻き消し、全身に火傷を負ったメーデアを見て言った。
今の彼女は意識を失い、気絶している。都市を一つ更地にするような魔法を、不意打ちで受けて、原型を保っていることに動揺した。
だが、これでメーデアの再生力を再び封じられる。
「〈魔滅の力〉」
メーデアに解析された術式を組み直し、更に複雑化させた。少なくともこの戦闘中に解析が終了することはないだろう。
ただ、これはサブプランの布石に過ぎない。少しでも時間を稼ぐための手段に過ぎない。
エストはメーデアを殺す──いや、消滅させる方法を新たに獲得できると確信していた。時間が、あるいは別の要素がそれを促してくれるはずだ。
「────」
瞬間、影が辺り一帯に引き伸ばされた。
これはメーデアの意思によるものではない。無意識でもなく、おそらくは能力による自動防御システム。彼女が意識を取り戻すまでの時間稼ぎだ。
滅茶苦茶に影が振り回される。規則性がなく、標的もないため、動きが予測できない。
エストの反射神経は優れているが限度はある。メーデアの影の最高速度は、音を置き去りにするほどだ。
回避に集中しなければ直撃は不可避。当然、避けようとすればカウンターは考えられない。
(虚空に引きずり込みたかったけど⋯⋯無理ね、これ。範囲外)
エストはメーデアから距離を取らざるを得なかった。このまま見ているだけしかできないようだ。
やがてメーデアは自己治癒を終わらせ、反撃が始まろうとした。
その時だった。エストが思わず振り向いてしまうほどの魔力反応が生じた。
彼女の目線の先に居たのは、魔法陣を展開し、詠唱している黒髪の少女だった。
「──赫き侵食。永久に続け、その身を蝕め、そして生命を冒涜せよ。〈赫水晶〉」
メーデアに一直線に、赫の水晶が飛来する。彼女に第十階級以下の魔法は通用しない。にも関わらず、それを使う理由。
「おっと、危ないですね」
メーデアは『瘴気』を纏わせた影で水晶を受け止めた。
「第十一階級化。油断して食らっていたら、一貫の終わりでしたよ」
「ちっ⋯⋯今ので死ねば良かったのに」
ミカロナを討ち、イザベリアがエストを助けに来た。
破滅の能力があるとは言え、二対一はメーデアにとって厳しい。防戦に回りつつ、きっかけを作って一人落とさなければいけない。
が、エストの能力により、完璧な連携が取られる。その厄介さは身を以て知っている。まず間違いなく、死なないことを最優先に動かれるだろう。人数不利となるようなリスクは犯さないはずだ。
「なら少し、無茶しますか」
どちらにせよ、メーデアは人数不利を覆さなければならない。体力を消耗することにはなるが、やらなければいけないと判断した。
魔力を練り、効率を上げ、詠唱する。
「〈処刑〉」
メーデアがこの魔法を使うときは、持続時間を一秒以内に留めている。理由は単純明快で、制御が難しく、脳への負荷が大きいからだ。しかし彼女は無理して、この魔法を維持した。するとどうなるか。
範囲内を切り刻むこの魔法の対処方は二つ。一つは防御すること。もう一つは範囲外に逃れること。
エストとイザベリアは、一瞬だけ迷いがあったが逃げることを選択した。
「何を⋯⋯」
狙っているのか。人数不利な状況での遠距離戦は、確かに近距離戦よりは戦いやすいだろう。しかし、メーデアのように即死攻撃があり、かつ、耐久力もあるのなら、近距離で一人を無理矢理殺してしまった方が良い。
ましてや近距離戦ではメーデアに分があり、遠距離戦だとほぼ互角だ。ますます遠距離戦を仕掛ける意味がなくなる。
「何かしてくる。周りを警戒して」
「分かってるよ。でも⋯⋯」
魔力反応、なし。気配も感じない。そしてメーデアはそこに立っているだけ。
何もしていない。それが余計に怖い。一体何が狙いなのか。
「──混濁し、生まれるは純黒」
詠唱が聞こえた。メーデアの能力ならば、ここまでして時間を稼ぐ必要はないはずだ。
そうだった。それが、メーデアの緻密な計算の元の策でなければ。
嫌な予感を覚えたエストとイザベリアは、即座にメーデアに魔法を放つ。だが、魔法に命中したメーデアは、真っ黒な粉となり離散する。あれは偽物だった。
「打ち付けよ、染め上げよ、そして絶望を報せよ──」
メーデアは二人の死角を、既に取っていた。〈処刑〉をフェイクに、詠唱をするための時間を作ったのだ。
それを見たエスト、イザベリアは、メーデアが何をしようとしているかを理解した。だから、何としてでも対抗しなくてはならなかった。
三人、それぞれ第十一階級魔法陣を、同時に展開する。
「──〈純粋なる黒〉」
「──〈虚空支配〉」
「──〈形成〉」
地面が、空が、黒に染まる。まるで黒のクレヨンで塗り潰されたみたいに。
黒はみるみると辺りを食らって行く。対象としないのは生命のみ。それ以外の全てを、黒で潰していく。
侵食は視界内全てに届いた。そこで終わっているかもしれないし、あるいは、今も広がり続けているかもしれない。
閉じない空間支配魔法か? そうだとも言える。
だが、正しく言うのであれば、それは黒魔法の極地だ。
「⋯⋯まっずい⋯⋯」
エストたちが今生きていられるのは、即座にカウンターで行使した第十一階級魔法があったからだ。もし少しでも反応に遅れていたり、判断を誤っていたりすれば、ここで死んでいた。蘇生もできずに、終わっていただろう。
であれば、その即死攻撃を避けられたのは幸運だったか? 否。死ななかっただけだ。これは、メーデアの策略のうちだ。
「⋯⋯エスト、助けに来て早々で悪いけど、私もう無理かも」
黒に染め上げられた世界は元の色を取り戻した。メーデアの第十一階級魔法は解除されたのだ。
しかし、
「あの魔法を防いだのですよね。⋯⋯魔法、使えますか?」
その代償はあまりにも大きすぎた。
ただでさえコストが大きい空間支配系魔法。魔力消費もそうだが、それ以上に脳への負荷が大きいのである。ましてや別の同系統魔法を塗り潰すためにそれを行使したのである。いくらエストやイザベリアでも、問題なく対処できようはずがなかった。
メーデア含め、今、三人の魔女は、魔法を司る脳回路が焼き切れている。
「そうですとも。ええ、勿論ですとも。私は下手な策は考えませんでした。最初から、魔法戦をするつもりはありませんでしたよ」
メーデアはこれを狙っていた。
魔法主体の二人と、能力や肉弾戦でも戦えるメーデア。ならば、自分も魔法が使えなくなったとしても、相手の魔法が潰せるのならリターンの方が大きい。
(エストは多少、近接戦でも戦える。すぐには殺せない⋯⋯。でも、イザベリアはミカロナ相手にかなり消耗している様子ね。魔法がなければ雑魚同然)
メーデアが狙うのは必然、イザベリアだ。それを分かっていてエストがカバーに入るも、能力を重ねがけしたメーデア相手にスピードで上回れなかった。
「速っ!?」
エストを過ぎ去り、メーデアはイザベリアの前に立つ。その時点で蹴りの予備動作は完了していた。残るは、対象をぶちのめすのみ。
「っう!」
そこで、血を流したのはメーデアの方だった。
「私の役目はこれで終わり。あとは頼んだよ」
同時、イザベリアが持っていた魔法杖が砕け散る。演算も魔力消費も、全てを肩代わりさせたからだ。しかし元より長くはなかった。判断は間違っていない。
連戦に次ぐ連戦で、まだ魔力は残っていても短期間に使い過ぎた。もう限界が来ていたイザベリアは、完全に意識を失う。思わぬ反撃があったものの、今度こそ殺せる。が、それより先に対処すべきことがメーデアにはあった。
「らぁっ!」
エストが背後からメーデアを襲う。その手に持つのは黒刀だった。気絶したセレディナから拝借しておいたもの。猛烈な魔毒が何か役に立つかと期待していたが、思わぬ所で活用することになった。幸いにも、魔法が封じられていても、魔法により収納したものは取り出せたのである。
「速いですね。しかしそれだけ」
しかし、斬撃はメーデアには届かなかった。イザベリアの反撃による傷は浅く、致命傷にはならない。片目を潰せたが、大した影響はなさそうだった。
影が黒刀を掴んでいる。セレディナならば簡単に手放し、新たに作っただろう。だが、エストには同じことができない。
メーデア相手に得物もなしに戦うことは避けたい。エストは肉弾戦は不得意な方だ。そも、筋力でメーデアに勝てる気がしない。
「パワーは足りない。テクニックも、私の方が上。得意のスピードも、私と互角か多少勝る程度でしょう?」
黒刀は呆気なく取られ、破壊される。影はより増えて、より伸ばされる。
「あなたは既に詰みの状況にあるのですよ」
今度は影がエストの首を締め上げる。必死の抵抗も虚しく抑えられた。触れられない影なのに、あっちからは触れられる。そんな理不尽な暴力によって、エストは意識を失う。
今のエストは魔法が使えない。蘇生も無理だ。即ち、それは、
「ご機嫌よう、白の魔女、エスト──」
──エストはその時、死を目前にした。
◆◆◆
動かないエストを、メーデアは優しく降ろした。光を失った灰白色の目を見て、彼女はおそらく初めて、勝利を嬉しく思った。
「さて」
メーデアの焼き切れた魔力回路は今、復活した。今度はそれを焼き切らない程度に加減して、〈純粋なる黒〉を再発動する。
範囲内に居たあらゆる生命を破壊した。この魔法の効果はいくつかあるが、最も強い権能は、範囲内における無制限かつ必中化された能力、魔法、戦技、加護の行使だ。
つまり、この領域にいる限り、対象は〈破滅〉によって即座に死ぬ。
これによって、メーデアはイザベリア含めた敵の全てを破滅させた。この魔法の最大範囲は王都全域に渡るからだ。
「⋯⋯ふふふふ」
メーデアは勝利を噛み締める。勝つことがこんなにも嬉しく、こんなにも愉快だとは思わなかった。
「──おや?」
だが、そんな興奮の頂点に居たメーデアに、水を差す者が居た。
「⋯⋯マサカズ・クロイ」
殺したと思っていた。けれど、殺せていなかったようだ。おそらくは『死に戻り』によって広範囲即死攻撃を知り、避けたのだろう。その方法は分からないが、とにかく、彼であれはそれぐらいできそうだ。
「なんで死んで⋯⋯あー、いや、なんで避けられた、か。なんでだと思う?」
「どうでも良いです。あなたを殺せばそれで済む話でしょう?」
「オーケー、なら身を以て教えてやる。今、俺は二つの意味ですこぶる機嫌が悪いんだ」
マサカズは剣を構えた。転移者にはあまりにも不格好なほどの力を秘めた、神器級の武器だ。そんなもので斬られれば、再生力を失っているメーデアには致命傷となる。
しかしながら、当たらなければ問題ない。マサカズは先の戦いで魔法が使えなくなっている。魔力系にも支障を来しているはずだ。即ち、前回のように、不測の事態は起こらない。
目の前の彼は、転移者としての、貧弱な人間だ。そんな人間に何ができる?
「機嫌が悪い? だから何ですか? 所詮は人間。『死に戻り』がいくらできようと、私とあなたの間にある力の差は埋められるはずがありませんよ」
「だろうな。勝てないさ、転移者の俺なら。過去が証明している。⋯⋯だが」
マサカズは──魔法陣を展開した。
理解が追いつかないままのメーデアに対して、マサカズは一瞬で距離を詰める。速い。メーデアより、エストより、スピードだけで言えばアレオスに匹敵する。いや、あるいは、超えているのかもしれない。
「っ!?」
メーデアはマサカズの剣戟に反応し、影で防御した。しかし、そのあまりのパワーに耐えられず、斬られることはなかったが吹き飛ばされる。
飛ばされた先で、メーデアは仰向けになっていた。全身が痺れている。あの聖剣の神聖属性を受けたのだろう。だが、
「問題⋯⋯なし」
立ち上がる。そして、ゆっくりと歩いて来ているマサカズを睨みつけた。
「⋯⋯なぜ、どうして、そう思うだろうな。俺が、転移者の俺がこんなに強いわけない。何かあるんだろう、ってな」
「『縛り』ですね。先程の肉体強化系魔法には発動条件が設定されていました。⋯⋯それが魔法を使えることも含む条件であるのならば、今の今まであなたが使わなかった理由にも納得いきます」
『縛り』は厳しければ厳しいほど、大きな利益が得られる。マサカズは本来魔法が使えない身で、かつ、肉体も魔法には耐えられない。
それでも魔法を使えるようにする『縛り』となると、条件の厳しさは常軌を逸しているだろう。
「近からず遠からず、ってとこだな。まあ分からないに決まってる」
「⋯⋯⋯⋯」
「教えてやるよ。それが肉体強化魔法の強化条件だからな」
マサカズは内に隠そうともしない憎悪や怒りを見せながら、そう言い捨て、メーデアに対して、なぜ魔法が使えるようになったかの情報開示を始めた。
「魔女ってのは種族分類としては魔族に当たる。で、魔族の特徴としてあるのが『契約』という概念だ」
例えば代表的なのが魔人だ。魔人は『契約』を結ぶことにより、主従関係を作り、内容を履行する。
ただこれは魔人特有のものではなく、魔族特有のもの。即ち、魔女にも同じことができる。
問題は、『契約』はあくまで相互の承諾があって初めて成り立つものだ。そこに解釈違いがあれば『契約』は不適切な働きをすることもあったりと、中々面倒なものだ。
何より『契約』を一旦結べば、それを無闇矢鱈に無視したり、違反したりすることはできない。偽装でもしなければ、魔女であっても同じことが言える。
「俺はその『契約』を利用した。イザベリアを墳墓から連れ出す際、彼女と『契約』したんだ」
ただ、逆に言えば、結べさえすれば、どんな内容でも絶対性が働くということ。相互の同意があり、かつ、それが理論上可能であれば、なんでもできる。
「イザベリアが死亡した際、あらゆる魔法能力を俺に譲渡するってな」
そういうことだ。今のマサカズには、イザベリアの魔法能力の全てが譲渡されている。そこには魔法適正──魔法に耐えられる肉体強度も含まれている。
「俺の魔法能力は失われたわけじゃない。使えなくなっただけ。器が壊れたからな。だが、その器に当たるものがあるなら⋯⋯」
「今のあなたは、イザベリアの魔法能力が、本来のあなたの魔法能力に上乗せされている状態ということですか」
だが、そうなると疑問が湧いてくる。
イザベリアの魔法に耐えられる器は、あくまでもイザベリアの魔法能力に限られる。マサカズの魔法能力にも耐えられるのか、という点だ。
また、何より、そのような滅茶苦茶な『契約』が結べるのかという点もある。マサカズと同じような考えを持った者が過去に居なかったわけがない。勿論、メーデアだって考えた。
結果として分かったことは、永続的な譲渡は不可能であるということ。
「まあ、ここまでなら開示したところで大した『縛り』にはならない。ほぼ誤差みたいなもんだ。ここからが本題。⋯⋯この『契約』を結ぶにあたり、俺は条件を付け加えた」
でなければ、マサカズでも『契約』は結べなかった。イザベリアの死という条件でさえ足りなかった。ならば、あとやれる事は二つだけある。
「──まさか、あなた」
「そのまさかだ、黒の魔女」
メーデアはマサカズへ、少しだけ恐怖した。その狂気的な目を見てしまった。
「前回は俺の魔法能力を贄としたが、それじゃあ足りなかったようだ。⋯⋯だったら、それより大きなものを代償にすれば良い」
それはきっと、最も単純で、しかし最も強大な代償だった。
「五分という時間制限に加え──俺は、俺の全てを差し出したのさ。黒の魔女、お前を殺すためにな」
『契約』を結ぶ際に交わした条件全ての履行が確認され、その力は完全に発揮される。
時間制限のカウントダウンが始まる。
これより五分以内に──決着することが確定した。
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