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第七章「暁に至る時」
第二百九十八話 偽りの英雄
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『死神』との決戦は、エストの勝利によって終わった。だから『死神』たちはこの世から消えた。エスト曰く、死亡した後に死体は消え去ったらしい。
誰も彼女の言い分を疑わなかった。彼女のボロボロな姿と、壮絶な戦いの跡が物語っていたのだ──化物はこの世から消え去った、と。
だがその被害は尋常ではない。その戦いに参加した者の殆どが死亡した。生き残ったのは運が良かっただけに過ぎなかった。
「⋯⋯⋯⋯」
ノーワは運が良かった側の人間だ。彼女は『死神』の一人、セレナによって精神支配されたが、殺されることなく生き残った。
「アリサちゃん、ウーテマ、モーリッツ⋯⋯」
そんなノーワは、今、墓場にいた。あれから数日。まともな墓は建てられず、簡易的なものでしかないが、そこには確かに彼らの遺体が埋められている。
周りには戦死者のものが無数にある。地面に名前が書かれた石を突き刺しただけの、本当に簡素なもの。それでも、そこらに供えられた花などは、死者を適当に葬ったわけではないと示すようだった。
風が吹く。冷たかった、嫌なほど。
本当に短い間だった。でも、彼らとは親友に成れた。だからこそ、ノーワは悲しかった。もう彼らとは二度と会えないから。
全員、死亡していた。
「⋯⋯ああ。私はもっと強くならないと」
ノーワが強ければ、彼らは死ななかった。全てエストに任せずにいられた。
いくら強くてもエストは一人だ。一人でできることは限られるから、死亡者が大量に出てしまったのだ。
「ノーワ、ここに居たのね」
後ろから聞こえる聞き慣れた美声。沈みきった感情を、一瞬で浮き上がらせる声。ノーワにとっての心の拠り所の声。
彼女が崇拝する魔女、エストだ。
「エスト様⋯⋯すみません。すぐに戻ります。でも、もうしばらくここで⋯⋯」
エストの身辺の世話もノーワがやっている。その仕事をせず、彼女は墓場に来ていた。当然叱られるべきだがエストは優しくて、そんなことはしなかった。
その優しさにノーワは甘えている。
「──私なら彼らを生き返らせられるよ」
「⋯⋯今、なんと」
エストはノーワを連れ戻しに来たと思っていたが、違っていた。要件は別にあり、それはノーワにとって信じ難いものだった。
「私は白の魔女だけど、他の魔法が使えないわけじゃない。緑の魔女ほどでないにしても、他人の蘇生ぐらいできる。数日間放置しただけの遺体なら問題ないよ」
蘇生魔法が使える。ならなんで今まで言わなかったのか。
しかし、ノーワはすぐさま気がついた。エストがそれを隠していた理由に。
「⋯⋯エスト様はお優しいですね。でも、そんなことをすれば」
「⋯⋯⋯⋯うん。きっと、私は何ヶ月もこの国に滞在しないといけなくなるし、これからも迷惑がかかるだろうね。それほど、人は死を受け入れたくないものだから」
蘇生魔法が使えるとなれば、エストに蘇生して貰いたいと願う人が多く出るはずだ。誰かを蘇生すれば、別の誰かも蘇生しないといけなくなる。特別扱いなどできない。もしそんなことをすれば、エストは逆恨みされたっておかしくない。
「⋯⋯大丈夫です。彼らを生き返らせる必要はありません。エスト様にご迷惑をかけることなど、できない、です」
「⋯⋯ごめんね。私は人の為に自分を犠牲にできない魔女なんだ。⋯⋯きっと、レネなら迷わず⋯⋯」
エストが言いかけた言葉。彼女の言った『レネ』とは青の魔女の名前であるとノーワは知っている。
あの女神とまで呼ばれた王国の英雄ならば、人々の蘇生を行ったと、エストは言ったのだ。
「エスト様は英雄です。かの王国の女神に劣らないほどの。私たち公国は、滅びの道を辿るしかなかったにも関わらず、今こうして現存しています。それ以上、望むのは⋯⋯」
ノーワはエストを責めるつもりはない。ノーワの気持ちは本当だ。エストに迷惑をかけてまで、自分の友を生き返らせようなど考えられない。
「『欲望』が過ぎますから」
「⋯⋯そう。⋯⋯ありがとう、ノーワ」
沈黙が続く。会話ができるような雰囲気ではなかった。しばらく墓の前で佇んていたが、いつまでもそうしていることはなかった。
やがて沈黙には終わりが来る。
「⋯⋯うぅ」
ウーテマ、モーリッツ、アリサ。三人とノーワには友情などなかった。しかし、彼らは共に視線を潜り抜けた仲であり、命を預けられる相手であり、確かな仲間だった。
仲間の死を経験したことがなかったノーワには、その喪失感はこれまでに経験のなかったことである。
「あああ⋯⋯あぁ⋯⋯」
目から溢れる涙。抑えられない嗚咽。悲しみの感情に歯止めがかからない。
膝から崩れ落ち、両手で目を擦り、叫ぶまではいかずとも声を上げる。
エストはただそれを背後から見ていた。──自分でも驚くくらい、何も思わなかった。ノーワを泣かせているのは、こんなにも傷心させているのは、そもそもこんな戦いを起こした張本人はエスト自身である。なのに、罪悪感の一つも覚えなかった。
(⋯⋯そうだよ。私は英雄じゃない。この国にとって⋯⋯)
全ては公国を利用する為だ。
(私に英雄は似合わない。全部、私の『欲望』のためだ。でも⋯⋯私はキミたちの、そして、世界の救世主となろう)
世界を救う。それがエストの目的に伴い、達成されるものだ。彼女の目的の成就は救世主となることに繋がる。
「ノーワ、泣き止んで」
それを聞いたノーワは何とかして自分の感情を沈めていった。長くない時間が過ぎて、彼女はようやく落ち着いた。
「⋯⋯⋯⋯。はい。すみません。お見苦しいところを見せてしまいました」
落ち着いたと言っても、まだまだ声には震えがある。エストがこの場から去れば、また泣き出すだろう。しかしそれで良い。
これはエストの自己満足だ。
「ノーワ、私はこれで目的に進める」
エストがこの国を救う理由を、ノーワは覚えている。彼女の目的は黒の魔女の殺害だ。黒の魔女との戦いに力を貸せというのがエストへの公国を救って貰った対価だ。
「キミたちにはまだまだ多くのものを失ってもらう。こればかりは私でもどうしようもない。できる限り失う量は少なくすると誓うけど⋯⋯」
エストは未だ立ち上がる気力がないノーワと目線を合わせるためにしゃがみ込む。
「必ず黒の魔女を殺す。だから今度は⋯⋯私を助けて欲しい」
エストはノーワに手を差し伸べる。ノーワはその手を取った。
「エスト様⋯⋯」
ああ、そうだ。結局の所、まだ泣いているような暇はなかった。
この世界は黒の魔女によって終わらせられる危険を孕んでいるのだ。もしそうなれば、ノーワはこうして失うことを悲しむことすらできなくなる。彼女の大切な人たちが生きていたという証さえ、全て等しく消し去られるだろう。
そんなことはあってはならない。
「⋯⋯エスト様、必ずです。必ず、もう二度と、これと同じことは起こって欲しくないです。だから、エスト様、黒の魔女を殺してください。そして、生きて帰ってください」
『死神』と黒の魔女は別件だろう。だが似たことではある。それ以上のことである。
ノーワは泣きながら願う。エストは微笑み、答える。
「うん。約束する」
◆◆◆
「──そういうわけで、キミたちに要求するね」
ルークの屋敷の会議室に集められた有権者たち。彼らにエストが言ったことは黒の教団の本拠地と、そこを攻め入る日時。
兵士を確保し、移動するのには厳しいが可能な期間があり、無理難題ではない。
「分かった。その要求をのもう」
そして代表者、アベラドは即答する。他の有権者たちも既に納得済みだ。これに力を貸さなければ、世界ごと自分たちが滅ぼされるのだ。首を縦に振る他ない。
会議とは名ばかり、エストとの約束の履行はすぐさま終わり、解散する。だがエストとアベラドは最後まで残っていた。
やがて誰も居なくなった時、まずはエストが口を開いた。
「キミの推測通りだよ。全ては私の計画さ。『死神』なんて最初から居なかった。彼らは私の友達で、今も生きてる。まあ、彼らは邪悪じゃない。無意味な人殺しはもうしないね」
そしてエストは自らの罪を全て洗いざらい吐き出した。
これに公国民は怒るはずだ。先の要求も却下し、エストに責任を追求する権利がある。
「全く凄いね。誰にも気づかれないと思ってた。まあ、あの副長は気づきかけてたけど、まさか確信されるとはね」
エストは確かに天才だし、やることなすことすべて完璧に近い。だが、頭脳という面において彼女に匹敵する人物が全くいないわけではない。
アベラドはその数少ない人物の一人だ。エストが殺しておきたい相手ではあったものの、彼の人望と能力は他に替え難かった。
「化物め」
アベラドは考えていた、エストの存在を知った時から、『死神』の騒動の黒幕は彼女ではないかと。そして『死神』についての情報を知れば、それは確信となっていた。
エストの要求内容。不自然な『死神』の存在。そして何より、『死神』が侵攻した都市の位置。
「⋯⋯『死神』たちが襲撃した場所は、国を落とすためには非効率過ぎた。だが、誰も逃さず、恐怖を与えるには最も効果的な攻め方だ。圧倒的な軍事力だからこそ為せる技。⋯⋯『死神』が本気でこの国を滅ぼすつもりはないと気づいたのはその時だ」
首都を襲撃し、大多数を殺す。首都から他の都市への通行は容易であり、侵攻がしやすい。
続いて主要な他国への道を潰していく。その際に陸路から避難しようとする人間の虐殺。これによって逃げることは無駄だと理解させる。
『ホルース』が残されたのも意図的である。ルークという優秀な人物がいるからこそ、そこに人が集まる。そうなれば、逃げることができないと悟った生存者はそこに集まり逃げようともしなくなるだろう。
「全部、お主の計画か」
「いや? 私は情報を渡してただけ。まあこれはどうでも良い」
エストはアベラドに近づく。その左手には魔法陣が展開されていた。
「で? 私をここに留まるように言ったのも、私が黒幕だと考えていたから。そして今、キミの推測は証明された。どうするの? このことを誰かに言う?」
否、そんなことはできない。エストはそれが分かっていて、わざとこうやって聞いているのだ。
「⋯⋯悪魔め。どこまで残酷になれば気が済む?」
「私は魔女だよ。最初から残酷になったつもりはない。私はこうすることが最善だと思ったから、こうしたまで」
アベラドの眉間に皺が寄る。
「⋯⋯できたよ、最初から誰も傷つけずにキミたちを従えることなんて。しなかったのはただ単に、後ろから刺されることが嫌だったからだ。痛いしね。あと、恐怖で縛り付けるより恩義で従えた方が何倍も使えるでしょ?」
魔族に罪悪感はない。残酷なこともない。罪の意識もなく、それが悪いことだとさえ思っていない。
そもそも、生物としての価値観が全く異なる。だからアベラドは不愉快に思うのだ。
「聞きたいことはそれだけ?」
このことを公表するメリットはない。精々、アベラドの気が晴れるくらいだ。
エストの言っていることは間違っていない。恐怖よりも恩義で動く方が良いに決まっている。黒の魔女が復活し、世界に危機が訪れていることも紛れもない真実だ。これに協力することを断る理由は一切ない。
何よりも、エストはこの国を滅ぼせる。もしエストが悪者だと言っても、今度は妥協策として脅しを食らうだけだ。何も根本的な解決にはならない。
現状は両陣営にとって有益な契約となっている。これを一個人の感情で破綻させるに相応しいわけがない。
「⋯⋯ああ。⋯⋯この両足の傷を治してくれたことに免じて、何も、これ以上は言わない」
「そう。なら良かった」
エストはアベラドに背を向けて歩き出す。コツコツと、足音を鳴らしながら、頭を全く上下させずに、部屋から出ていこうとする。
そんな彼女にアベラドは声をかけた。
「だが、誓え。エルティア公国をこんな目に遭わせたんだ。その対価として、絶対にこの世界を救え。白の魔女、エスト」
エストはアベラドに振り返る。窓から差す逆光が、白髪を輝かせていた。美の結晶とでも言うべき姿に、アベラドは訴えた。怒りを必死に抑えて。
「──偽りの英雄。それでも世界の救世主となれ」
エストは笑みを零し、返した。
「ふふふ。⋯⋯アベラド・マテュー・ハイゼンベルク・ヴァレンタイン大公陛下、それが貴方の『願い』であれば。必ずや、成し遂げてみせましょう」
全く忠誠心や敬意のない返事をして、去っていくエスト。
アベラドはただただそれを見て思う。
「⋯⋯この世界はあの魔女に託された。⋯⋯物語に出てくるような英雄は、都合よく居ないな」
✻あとがき
これにて第七章、終っ了っ!
プロット段階では五十話程度で終わると思っていたものがなんと百三十七話となりました。どうしてこうなった⋯⋯?
まあ何にせよ、ようやく、ようやく最終章になります。初期構想では第六章に当たるものが第八章となりました。
長かった⋯⋯が、これでラストスパート。何もなければ今年中に終わるはずです。おそらく。きっと。そう願いましょう。
それでは最終章をお楽しみにしていてください!
誰も彼女の言い分を疑わなかった。彼女のボロボロな姿と、壮絶な戦いの跡が物語っていたのだ──化物はこの世から消え去った、と。
だがその被害は尋常ではない。その戦いに参加した者の殆どが死亡した。生き残ったのは運が良かっただけに過ぎなかった。
「⋯⋯⋯⋯」
ノーワは運が良かった側の人間だ。彼女は『死神』の一人、セレナによって精神支配されたが、殺されることなく生き残った。
「アリサちゃん、ウーテマ、モーリッツ⋯⋯」
そんなノーワは、今、墓場にいた。あれから数日。まともな墓は建てられず、簡易的なものでしかないが、そこには確かに彼らの遺体が埋められている。
周りには戦死者のものが無数にある。地面に名前が書かれた石を突き刺しただけの、本当に簡素なもの。それでも、そこらに供えられた花などは、死者を適当に葬ったわけではないと示すようだった。
風が吹く。冷たかった、嫌なほど。
本当に短い間だった。でも、彼らとは親友に成れた。だからこそ、ノーワは悲しかった。もう彼らとは二度と会えないから。
全員、死亡していた。
「⋯⋯ああ。私はもっと強くならないと」
ノーワが強ければ、彼らは死ななかった。全てエストに任せずにいられた。
いくら強くてもエストは一人だ。一人でできることは限られるから、死亡者が大量に出てしまったのだ。
「ノーワ、ここに居たのね」
後ろから聞こえる聞き慣れた美声。沈みきった感情を、一瞬で浮き上がらせる声。ノーワにとっての心の拠り所の声。
彼女が崇拝する魔女、エストだ。
「エスト様⋯⋯すみません。すぐに戻ります。でも、もうしばらくここで⋯⋯」
エストの身辺の世話もノーワがやっている。その仕事をせず、彼女は墓場に来ていた。当然叱られるべきだがエストは優しくて、そんなことはしなかった。
その優しさにノーワは甘えている。
「──私なら彼らを生き返らせられるよ」
「⋯⋯今、なんと」
エストはノーワを連れ戻しに来たと思っていたが、違っていた。要件は別にあり、それはノーワにとって信じ難いものだった。
「私は白の魔女だけど、他の魔法が使えないわけじゃない。緑の魔女ほどでないにしても、他人の蘇生ぐらいできる。数日間放置しただけの遺体なら問題ないよ」
蘇生魔法が使える。ならなんで今まで言わなかったのか。
しかし、ノーワはすぐさま気がついた。エストがそれを隠していた理由に。
「⋯⋯エスト様はお優しいですね。でも、そんなことをすれば」
「⋯⋯⋯⋯うん。きっと、私は何ヶ月もこの国に滞在しないといけなくなるし、これからも迷惑がかかるだろうね。それほど、人は死を受け入れたくないものだから」
蘇生魔法が使えるとなれば、エストに蘇生して貰いたいと願う人が多く出るはずだ。誰かを蘇生すれば、別の誰かも蘇生しないといけなくなる。特別扱いなどできない。もしそんなことをすれば、エストは逆恨みされたっておかしくない。
「⋯⋯大丈夫です。彼らを生き返らせる必要はありません。エスト様にご迷惑をかけることなど、できない、です」
「⋯⋯ごめんね。私は人の為に自分を犠牲にできない魔女なんだ。⋯⋯きっと、レネなら迷わず⋯⋯」
エストが言いかけた言葉。彼女の言った『レネ』とは青の魔女の名前であるとノーワは知っている。
あの女神とまで呼ばれた王国の英雄ならば、人々の蘇生を行ったと、エストは言ったのだ。
「エスト様は英雄です。かの王国の女神に劣らないほどの。私たち公国は、滅びの道を辿るしかなかったにも関わらず、今こうして現存しています。それ以上、望むのは⋯⋯」
ノーワはエストを責めるつもりはない。ノーワの気持ちは本当だ。エストに迷惑をかけてまで、自分の友を生き返らせようなど考えられない。
「『欲望』が過ぎますから」
「⋯⋯そう。⋯⋯ありがとう、ノーワ」
沈黙が続く。会話ができるような雰囲気ではなかった。しばらく墓の前で佇んていたが、いつまでもそうしていることはなかった。
やがて沈黙には終わりが来る。
「⋯⋯うぅ」
ウーテマ、モーリッツ、アリサ。三人とノーワには友情などなかった。しかし、彼らは共に視線を潜り抜けた仲であり、命を預けられる相手であり、確かな仲間だった。
仲間の死を経験したことがなかったノーワには、その喪失感はこれまでに経験のなかったことである。
「あああ⋯⋯あぁ⋯⋯」
目から溢れる涙。抑えられない嗚咽。悲しみの感情に歯止めがかからない。
膝から崩れ落ち、両手で目を擦り、叫ぶまではいかずとも声を上げる。
エストはただそれを背後から見ていた。──自分でも驚くくらい、何も思わなかった。ノーワを泣かせているのは、こんなにも傷心させているのは、そもそもこんな戦いを起こした張本人はエスト自身である。なのに、罪悪感の一つも覚えなかった。
(⋯⋯そうだよ。私は英雄じゃない。この国にとって⋯⋯)
全ては公国を利用する為だ。
(私に英雄は似合わない。全部、私の『欲望』のためだ。でも⋯⋯私はキミたちの、そして、世界の救世主となろう)
世界を救う。それがエストの目的に伴い、達成されるものだ。彼女の目的の成就は救世主となることに繋がる。
「ノーワ、泣き止んで」
それを聞いたノーワは何とかして自分の感情を沈めていった。長くない時間が過ぎて、彼女はようやく落ち着いた。
「⋯⋯⋯⋯。はい。すみません。お見苦しいところを見せてしまいました」
落ち着いたと言っても、まだまだ声には震えがある。エストがこの場から去れば、また泣き出すだろう。しかしそれで良い。
これはエストの自己満足だ。
「ノーワ、私はこれで目的に進める」
エストがこの国を救う理由を、ノーワは覚えている。彼女の目的は黒の魔女の殺害だ。黒の魔女との戦いに力を貸せというのがエストへの公国を救って貰った対価だ。
「キミたちにはまだまだ多くのものを失ってもらう。こればかりは私でもどうしようもない。できる限り失う量は少なくすると誓うけど⋯⋯」
エストは未だ立ち上がる気力がないノーワと目線を合わせるためにしゃがみ込む。
「必ず黒の魔女を殺す。だから今度は⋯⋯私を助けて欲しい」
エストはノーワに手を差し伸べる。ノーワはその手を取った。
「エスト様⋯⋯」
ああ、そうだ。結局の所、まだ泣いているような暇はなかった。
この世界は黒の魔女によって終わらせられる危険を孕んでいるのだ。もしそうなれば、ノーワはこうして失うことを悲しむことすらできなくなる。彼女の大切な人たちが生きていたという証さえ、全て等しく消し去られるだろう。
そんなことはあってはならない。
「⋯⋯エスト様、必ずです。必ず、もう二度と、これと同じことは起こって欲しくないです。だから、エスト様、黒の魔女を殺してください。そして、生きて帰ってください」
『死神』と黒の魔女は別件だろう。だが似たことではある。それ以上のことである。
ノーワは泣きながら願う。エストは微笑み、答える。
「うん。約束する」
◆◆◆
「──そういうわけで、キミたちに要求するね」
ルークの屋敷の会議室に集められた有権者たち。彼らにエストが言ったことは黒の教団の本拠地と、そこを攻め入る日時。
兵士を確保し、移動するのには厳しいが可能な期間があり、無理難題ではない。
「分かった。その要求をのもう」
そして代表者、アベラドは即答する。他の有権者たちも既に納得済みだ。これに力を貸さなければ、世界ごと自分たちが滅ぼされるのだ。首を縦に振る他ない。
会議とは名ばかり、エストとの約束の履行はすぐさま終わり、解散する。だがエストとアベラドは最後まで残っていた。
やがて誰も居なくなった時、まずはエストが口を開いた。
「キミの推測通りだよ。全ては私の計画さ。『死神』なんて最初から居なかった。彼らは私の友達で、今も生きてる。まあ、彼らは邪悪じゃない。無意味な人殺しはもうしないね」
そしてエストは自らの罪を全て洗いざらい吐き出した。
これに公国民は怒るはずだ。先の要求も却下し、エストに責任を追求する権利がある。
「全く凄いね。誰にも気づかれないと思ってた。まあ、あの副長は気づきかけてたけど、まさか確信されるとはね」
エストは確かに天才だし、やることなすことすべて完璧に近い。だが、頭脳という面において彼女に匹敵する人物が全くいないわけではない。
アベラドはその数少ない人物の一人だ。エストが殺しておきたい相手ではあったものの、彼の人望と能力は他に替え難かった。
「化物め」
アベラドは考えていた、エストの存在を知った時から、『死神』の騒動の黒幕は彼女ではないかと。そして『死神』についての情報を知れば、それは確信となっていた。
エストの要求内容。不自然な『死神』の存在。そして何より、『死神』が侵攻した都市の位置。
「⋯⋯『死神』たちが襲撃した場所は、国を落とすためには非効率過ぎた。だが、誰も逃さず、恐怖を与えるには最も効果的な攻め方だ。圧倒的な軍事力だからこそ為せる技。⋯⋯『死神』が本気でこの国を滅ぼすつもりはないと気づいたのはその時だ」
首都を襲撃し、大多数を殺す。首都から他の都市への通行は容易であり、侵攻がしやすい。
続いて主要な他国への道を潰していく。その際に陸路から避難しようとする人間の虐殺。これによって逃げることは無駄だと理解させる。
『ホルース』が残されたのも意図的である。ルークという優秀な人物がいるからこそ、そこに人が集まる。そうなれば、逃げることができないと悟った生存者はそこに集まり逃げようともしなくなるだろう。
「全部、お主の計画か」
「いや? 私は情報を渡してただけ。まあこれはどうでも良い」
エストはアベラドに近づく。その左手には魔法陣が展開されていた。
「で? 私をここに留まるように言ったのも、私が黒幕だと考えていたから。そして今、キミの推測は証明された。どうするの? このことを誰かに言う?」
否、そんなことはできない。エストはそれが分かっていて、わざとこうやって聞いているのだ。
「⋯⋯悪魔め。どこまで残酷になれば気が済む?」
「私は魔女だよ。最初から残酷になったつもりはない。私はこうすることが最善だと思ったから、こうしたまで」
アベラドの眉間に皺が寄る。
「⋯⋯できたよ、最初から誰も傷つけずにキミたちを従えることなんて。しなかったのはただ単に、後ろから刺されることが嫌だったからだ。痛いしね。あと、恐怖で縛り付けるより恩義で従えた方が何倍も使えるでしょ?」
魔族に罪悪感はない。残酷なこともない。罪の意識もなく、それが悪いことだとさえ思っていない。
そもそも、生物としての価値観が全く異なる。だからアベラドは不愉快に思うのだ。
「聞きたいことはそれだけ?」
このことを公表するメリットはない。精々、アベラドの気が晴れるくらいだ。
エストの言っていることは間違っていない。恐怖よりも恩義で動く方が良いに決まっている。黒の魔女が復活し、世界に危機が訪れていることも紛れもない真実だ。これに協力することを断る理由は一切ない。
何よりも、エストはこの国を滅ぼせる。もしエストが悪者だと言っても、今度は妥協策として脅しを食らうだけだ。何も根本的な解決にはならない。
現状は両陣営にとって有益な契約となっている。これを一個人の感情で破綻させるに相応しいわけがない。
「⋯⋯ああ。⋯⋯この両足の傷を治してくれたことに免じて、何も、これ以上は言わない」
「そう。なら良かった」
エストはアベラドに背を向けて歩き出す。コツコツと、足音を鳴らしながら、頭を全く上下させずに、部屋から出ていこうとする。
そんな彼女にアベラドは声をかけた。
「だが、誓え。エルティア公国をこんな目に遭わせたんだ。その対価として、絶対にこの世界を救え。白の魔女、エスト」
エストはアベラドに振り返る。窓から差す逆光が、白髪を輝かせていた。美の結晶とでも言うべき姿に、アベラドは訴えた。怒りを必死に抑えて。
「──偽りの英雄。それでも世界の救世主となれ」
エストは笑みを零し、返した。
「ふふふ。⋯⋯アベラド・マテュー・ハイゼンベルク・ヴァレンタイン大公陛下、それが貴方の『願い』であれば。必ずや、成し遂げてみせましょう」
全く忠誠心や敬意のない返事をして、去っていくエスト。
アベラドはただただそれを見て思う。
「⋯⋯この世界はあの魔女に託された。⋯⋯物語に出てくるような英雄は、都合よく居ないな」
✻あとがき
これにて第七章、終っ了っ!
プロット段階では五十話程度で終わると思っていたものがなんと百三十七話となりました。どうしてこうなった⋯⋯?
まあ何にせよ、ようやく、ようやく最終章になります。初期構想では第六章に当たるものが第八章となりました。
長かった⋯⋯が、これでラストスパート。何もなければ今年中に終わるはずです。おそらく。きっと。そう願いましょう。
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やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。
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