白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第七章「暁に至る時」

第二百八十五話 死神の宣言

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「⋯⋯ここは」

 ノーワは目を覚した。ベッドに寝かされていたようで、視線の先には真っ白な天井があった。横を見れば半透明なカーテンがある。開かれた窓から吹き込む風によって、微かだが揺らめいていた。
 心地良い。ただただそう思った。それ以外考えなかった。
 しかしすぐに、無心は解かれた。ここはどこなのか。何があったのか。気になり始めたからだ。

「⋯⋯私の、部屋?」

 『ホルース』の都市部から少し離れた場所にある屋敷。とある権力者の別荘だったらしいが、その権力者は既にこの世には居ない。
 使える建物ということで魔女エストの住居として貸し出されたものである。
 エストの一時的な従者となったノーワも、この屋敷に住むことになっていた。この部屋は彼女の自室として与えられたものだ。

「何が⋯⋯あったの。あれから」

 ノーワの記憶はほぼなかった。あの『死神』によって全滅させられてからの記憶がない。
 ではなぜここに居るのか。そもそも、自分は生きているのか。これは死に際に見ている走馬灯のようなものではないかとさえ思えてくる。
 ただ、確かに感じる熱、空気、そして心臓の音。まやかしと思うにはあまりにも現実味がある。
 そんな時、部屋の扉が開かれる。そこからノーワの主、エストがトレイを持って入ってきた。片手で持っているというのに少しも揺れていない。歩き方が綺麗で、体幹が良いのだろう。よく見れば頭は少しも上下していなかった。
 起きているノーワを見て、エストはトレイをベッド近くのテーブルに起き、そしてベッドに座る。それができるくらいこの屋敷のベッドは広かった。

「おはよう。気分はどう?」

「エスト様⋯⋯。はい。何も問題はありません。それより、すみません。本来であればあなた様にさせるようなことではないのに」

 ノーワはトレイを見ながら言う。主ともあろう者が給仕を行うなどあってはならない。本来ならばノーワがすべきことだ。

「構わないよ。キミは重症だったしね。魔女と言えど、私は全ての魔法を完璧に使えるわけじゃない。キミを治すにしても疲労まで回復させることはできなかったんだ」

 ま、傷は完治させたから安心してね。とエストは言葉を付け足した。
 おそらくあの時受けた傷は、上位の神官でさえ完治させるのは難しい。いや、ほとんど致命傷で死亡に繋がるものだったはずだ。
 そんな傷を完治させる。口では難しくて完璧ではない言っているが、少なくとも並の魔法使いでは不可能なことだ。複数の種類の魔法を使えるだけでも珍しいのに。

「あ。エスト様、どうして私生きてるんです? 正直、今生きてるのが不思議なんですけど」

「キミは私の従者だからだよ。私は潜入はできないにしても、キミを守ることはできる。キミに渡したあのチョーカーあるでしょ?」

 ノーワは思い出す。スクロールやらを取り出せた魔法の装飾具のことを。

「あれね、いざという時⋯⋯キミの命の危険が訪れた時に、それを知らせる機能があったんだ。で、キミがピンチになった瞬間にテレポートしたってわけさ。もうバレてるんだから、派手に暴れられたよ」

「⋯⋯すみません。私がもっと上手くやっていれば、こんな事にはならなかった」

 チョーカーはあくまでも保険。彼女が出なければならなかったことは、エストの信頼を裏切るようなものだ。
 出発前、ルークとの対談での「失敗しない。この私が白の魔女という名に誓っても良い」という発言を思い出す。
 しかし、

「キミたちが大公を救出した後だからこそ、私が出られた。今回の作戦で一番活躍したのはキミだ。だから何も謝る必要はないよ」

 エストは隠密ができないだけで、あの状況下であれば全くの無問題。敵を滅ぼすことしか考えなくて良いから、現れることができた。逆に言えばあの状況を作り出せなければ、エストはノーワたちを助けに行けなかった。

「⋯⋯ありがとうございます」

 ノーワの選択は間違っていなかった。彼女はできる最善を尽くした。エストにそう言われて、肯定された。

「ところでエスト様、あれからどうなったんですか? ⋯⋯皆は?」

 次に気になったことと言えばウーテマたちのことだ。ノーワより先に攻撃された彼ら。その際に受けたダメージは致命傷にも成り得たと思われる。

「そうだったね。まだちゃんと説明していなかった。⋯⋯キミが一番気になっているあの四人のことだけど、生きているよ。私が『死神』と戦っている間、神官の人が命を繋いでくれたからね。でも傷は深くて、後遺症こそ無いけど⋯⋯キミが一番比較的軽症だった、と言えば分かるかな?」

 その比較的軽症であるノーワでさえこの状態だ。他はおそらく未だ目を覚していないのだろう。
 ノーワのこの予想も正しく、事実、最も早く目が覚めたのは彼女であった。

「あと、キミは二日眠っていた」

「二日!?」

「そう。今からこの二日間で起こったことを話すね。まあ時間が時間だから大したことは起こっていないんだけど」

 そう言ってエストは状況説明を続けた。
 まず、あの戦い以降『死神』の存在が確認されないようになった。これまでは毎日『死神』の目撃情報はあった。それが間近なのか遠目なのか、実害があるのかないのかは問わないにせよ、必ずだ。

「理由としてはいくつか考えられるけど、おそらく『死神』が何人も死んだからだろうね。既に私が三人殺してる。あとはもう殆どの都市が制圧完了したから」

「殆どの都市が⋯⋯ということは、現存するのは⋯⋯」

「この都市、『ウィンズ』含めて数カ所。まともな避難所として機能しているものなら、まさにここだけ。他の数カ所は連絡ができるだけで、壊滅とほぼ同義だね」

 他の都市にも生存者は居るが、亜人の奴隷か食料か。はたまた避難していたとしても少数で、まわりを化物に取り囲まれていて孤立状態。避難所とは言い難い。遭難のようなものだ。連絡が取れるのもたまたまその中に通信系魔法を使える者がいただけ。
 つまり、確認できていないだけで生存者は他にももっと多くいるかも知れない。唯一の機能している都市の『ウィンズ』がやらなければいけないことは山積みだ。

「同時にタイムリミットも分かった。猶予は残り六日」

「タイムリミット?」

「『死神』たちがこの『ウィンズ』を攻めてくるんだよ、一週間後にね」

 そう、本当にさりげなく、エストはとんでもないことを言った。だからノーワは絶句した。

「キミが眠っている二日間⋯⋯昨日の朝だね。その時に使者が現れた。国滅ぼしが可能な化物が使者として来たものだから、皆焦ってたよ」

 しかし応戦はしなかった。しっかりと手紙によって事前予告されていたからだ。

「内容はさっきも言った通りの宣戦予告。残りの『死神』全員で攻めてくるそうだ。姿を消したもう一つの理由は多分、力を蓄えるためだろうね」

「⋯⋯どうして予告などしたのでしょう」

 ノーワにはそこが疑問でならなかった。人間同士の殺し合いであればまだしも、『死神』が人間の定めたルールに倣う道理はない。
 違和感があった。

「鋭いね。私もそう思った。⋯⋯十中八九、この私を仕留めるためだ」

「え?」

「簡単な話さ。もし、この予告が無ければ私は『死神』を見つけ出して殺しに行こうとしていた。私だってこの屋敷で一日中寝てたわけじゃない。既に『死神』の隠れ家アジトには見当がついている。あと五ヶ所調べれば分かる程度には絞り込めているんだよ」

「えっ⋯⋯!?」

 そういえば、とノーワは思い出す。エストは基本的に自室から出てこなかった。そして夜中、ノーワがエストの部屋の前を偶々通った時でも明かりは付いていたし、魔法の稼働音が僅かに聞こえていた。眠っている時間はほぼないらしく、ノーワが眠っているエストを見た記憶はない。

「こればっかりは迂闊だったね。この予告の原因は、おそらく私だ。自分たちのアジトを見つけられた、とあっちが気づいたんだ」

「それで、こっちから襲撃するぞと宣言した。そうすることによって──エスト様がこの都市から無闇に出ていけないようにするために」

「そう。私の行動を縛るための宣言ってわけだね」

 『死神』が人間の定めたルールに倣う道理はない。そうだ。その通りだ。宣言した日時だって守るとは限らない。適当に言ったのかもしれない。だから今すぐに攻めてきても、日時を過ぎてから攻めてきても全くおかしくない。

「そして私がこのことに気づくのだって想定済みだろう。じゃないと行動を縛れないからね。勿論、私が目星をつけた拠点も既に蛻の殻。⋯⋯あっちには私並みの知恵者がいるってことだよ。ここまで読んでいるということは」

 エストがそう簡単に気づかれるような捜索をしていたとは思えない。きっと十分に対策をした上でのものだったはずだ。それこそ魔法、感覚的な方法では到底勘づけるはずがないほどに。
 それでも尚気づかれたと言うならば、理由は一つ。相手もそれを想定し、事前に対策していた。よってエストの言う様に、

「エスト様並みの知恵者⋯⋯そんなのが『死神』に居る⋯⋯」

 ただでさえ化物揃いの『死神』たちに、ヤバさの拍車が掛かった。
 エストの超人っぷりを間近で見てきたノーワだからこそ言える。彼女の何よりも強い所はその魔法能力ではない。頭脳だ。情報戦闘能力の高さだ。常に相手の一手先を読み、対策し、逃げ道を塞ぐ。
 だが相手には情報戦でエストに勝利する者が居た。そんなのは最悪の情報だった。

「それって──全然大したこと、ですよね」

 エストが言った「大したことは起きていない」。この言葉はまるで嘘だ。考え得る最悪が今、知らされたのだから。
 しかし、だ。しかしエストはこの言葉を訂正するつもりはなかった。

「大丈夫、私が勝つから」

 エストは笑う。純粋な笑顔だ。何の含みもない、ただただ、自身のある笑み。

「だって、私は白の魔女だからさ」

 そしてその言葉こそ、エストが勝つと確信させるものだった。

 ◆◆◆

 部屋の扉を叩いても、中から返事はしなかった。しかし男はそれでも扉を開き、中に入る。
 広い部屋の中央に、ぽつんと孤島のようにベッドが置かれていた。他の家具らしい家具はあまりない。ベッドの近くに椅子があるだけだ。
 男は椅子に腰を掛け、ベッドに眠る黒髪の少女の手を掴む。
 暖かい。体温を感じる。彼女は生きている。そう実感させるものだ。男はこれに安心を感じつつも、同時に後悔を覚えた。

「⋯⋯アリサ」

 男──ヴェルムは彼の娘の名前を呟く。その声には確かな苦痛が込められていた。
 ヴェルムは彼の判断でアリサを戦地に赴かせた。彼女もそれに賛成した。「誰かのためになるのならば」と。
 確かにあの判断に間違いはなかった。アリサは適任だった。一人の指揮者としては正しい選択だった。しかし、親としては間違っていたのかもしれない。

「⋯⋯すまない」

 あの運ばれた五人の中で最も重症だったのはアリサだった。彼女の体が他四人と比べて弱く、傷も酷かったのだ。モーリッツとエストの治癒魔法で命は守られていたが、疲労具合は深刻だった。
 何とか今は安定している。順調に行けば万全となるだろう。そう聞いたとき、ヴェルムは安心した。二人も家族を失うなんて彼には耐えきれない。

「⋯⋯⋯⋯」

 眠っているアリサの顔をヴェルムは撫でる。こんなふうにしたのは一体何年ぶりか。彼女が魔法学校に入学してからは互いに忙しく殆ど会えなかった。
 そんな時、扉を叩く音がした。ヴェルムは入室の許可を出すと、入ってきた相手に驚いた。
 すぐさま跪く。しかし相手は「良い」とだけ言った。ヴェルムは椅子から立ち上がったままだ。

「座れ。許す」

「はっ」

 ヴェルムは椅子ではなくベッドに座る。代わりにアベラドが椅子に座った。

「陛下、もう傷の方は大丈夫なのですか?」

 訪れた予想外の人物、大公、アベラドに対してヴェルムは彼の体調の安否を聞いた。アリサほどではないにしても、アベラドも重体だった。

「そんなわけなかろう。剣を振れば全身が悲鳴をあげるぞ。やってられん。だが、ただ歩くだけなら問題はない」

「左様ですか。しかし陛下、ご無理はなさらずに」

 少しだけ間が開く。アベラドは嫌そうな顔をして、

「⋯⋯やはり、お主は誤魔化せないか」

「はい。そもそも陛下は普通ならばまだ寝ていなければならない身。隠していようと、痛いものは痛いでしょう」

「一日剣を振らなければ、三日遅れたも同然。⋯⋯我に剣の稽古をつけた、誰でもない、お主の言葉だぞ」

「私は同時に言ったはずです。休養もまた修行、と」

 一日剣を振らなければ、の下りは、要はサボるなという話だ。休まずに毎日剣の鍛錬をしろと言うつもりではない。そして今のアベラドに必要なのは休養の方だ。

「そうだったか。⋯⋯何にせよ、我が⋯⋯いや」

 アベラドは笑う。普段の彼ならば絶対に人前で見せない表情だ。

。あの『死神』という存在が」

 ヴェルムの前ぐらいでしか見せない表情。感情。口調。それはアベラドが幼い頃から、彼から剣技を教わっていた関係性だからこそのものだ。

「あれは化物だ。⋯⋯俺も最強とは思わん。何にでも剣で勝てるとは到底思っていない。だが、しかし、だな。⋯⋯あそこまで手も足も出ないとは考えもしなかった。まるで敵わなかった」

 一国の長とは思えない弱音の数々。天才たるアベラドにはあるまじき発言だ。あるいは失望されてもおかしくない態度であるが、ヴェルムはそうは思わない。彼だって人間だ。完璧な存在ではない。

「剣を振らないと、不安が拭えない。少しでも強くならないと安心できない。俺の手なのに、思い出せば手の震えを止められなくなる」

 見ればアベラドの手は、小刻みに震えている。凍えているようだ。ここは寒くないというのに。体に刻まれているのだ、恐怖という冷たさが。

「⋯⋯すまない。変なことを口走ったようだ。お主の前だと、どうも自分を繕えないようだ」

「構いません。⋯⋯陛下はまだ子供です。強がる必要はありません」

「⋯⋯ふむ」

 やがてアベラドの手の震えが止んだ。

「⋯⋯ところで、どうしてここに? 私に話をしに来ただけとは思えませんが」

「感謝しにきたのだ、お主の娘、アリサにな」

 アベラドはアリサの方を一瞬見る。

「ありがとうございます」

「しかしどうやらまだ眠っているようだ。また今度来るとしよう。そうだな、アリサが目覚めれば『ありがとう』と伝えておいてくれ」

「わかりました。その御心遣いに感謝します」

「良い。人として当たり前のことだ」

 アベラドは椅子から立ち上がった。横に掛けていた護身用の剣を持ち上げ、腰に携える。

「他の三人の所に行ってくる。また何か用があればそれからにしてくれ」

 最後にそれだけ言って、アベラドは部屋を去った。
 しばらくヴェルムはアリサと過ごした。いつまでも居られるわけではなく、一時間後にはその場から立ち去った。また来ると、眠っているアリサに言い残して。
 廊下に出たヴェルムは一つのことを決心した。アベラドを見て、そして何よりアリサの事を想って。

「『死神』たちから彼らを守る。子供に任せきりではならない。それが俺の責任だ」
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