白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第七章「暁に至る時」

第二百八十一話 殺欲と食欲

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 全部投げ出してでも殺したい。今まで抑えていた憎しみも、目にすれば爆発した。
 愚かな選択だったと思う。それに気づけたし、逃げることができた。
 それでも、できなかった。違う。正直に言えば、しなかった。

「殺す。殺す。殺す」

 ノーワの言動は冷静さを欠いた獣そのものだ。しかし行動は反するように冷静。黒いナイフを逆手に持ち、構え、相手の動きを見逃す気はないほど観察している。
 いつでも反応できるように準備している。カウンターを叩き込むことだって考えている。今までのどの戦いより冷静で、どんな状況より集中している。
 涎が垂れていることにも気付けないぐらい、相手の動きを見ていた。戦うことに意識を割いていた。

「────」

 対する蜘蛛はノーワを見つめるだけだ。喋られるだけの知能があるが、喋りはしないようであった。
 蜘蛛は両手に得物を持たない。代わりに四本の指先にある鋭利な爪が武器だ。傷を付ければそこから毒を注入することもできる。
 つまり、ノーワに爪による被弾は許されない。それを彼女は知っている。
 勿論、蜘蛛もそのことを理解している。爪による攻撃は警戒されており、そう簡単に通用しないだろう、と。だからこそ、取れる戦略もある。

「〈不落〉」

 ノーワが行使した戦技は、魔法で言うところの防御魔法に当たる。ただ、効果は自己強化系。鎧を纏うというより、相手の攻撃の威力を殺す効果。
 爪による攻撃と見せかけて、接近した蜘蛛は背中の脚で殴り掛かる。が、衝撃は殺された。
 〈不落〉にはデメリットが存在する。相手の攻撃を殺す代わりに、発動中は自らの攻撃も相手には届かない。石を殴れば手が痛いように、それも攻撃として認識されるからだ。
 勿論、戦技を解除すればもう一度詠唱する必要がある。この戦技は致命的な一撃を躱す手段として使うべきものであり、殺し合いの最中で強化系能力として使うようなものではない。
 ましてや同格との相手に使うにはリスクが大きい。なにせ、〈不落〉を行使することによる体力の消耗は、はっきり言って燃費が悪い。
 だが、初手の一撃を確実に防げる一手でもある。

「そこっ!」

 威力を消し去ったタイミングで戦技を解除。すぐさまカウンターで黒いナイフを薙ぐ。
 蜘蛛から透明な血が流れる。だが悲鳴はあげない。それよりもさらなる追撃を予測し、回避行動を取る。
 ノーワは正面から突っ込む。迎撃のため、蜘蛛はそれを捉えたが──次の瞬間、背後にノーワが周り込んだ。
 速い。速すぎる。ノーワは自分でも驚いた。そうだ。彼女はこの土壇場で成長した。あの兎人との戦いで、掴んだのだ。

「ねっ!」

 首を狙った一突き。ナイフを逆手に持ったことで、格段に力が込めやすくなった。
 それだけでは終わらない。刃を動かし傷を刳り、抜き取った後も滅多刺しにする。亜人、特に昆虫系は生命力が高い。人間では致命傷でも、亜人ではそうでないパターンは見飽きるほど見た。
 最後に頭に突き刺し、地面に叩きつける。

「⋯⋯⋯⋯」

 殺した。
 殺したのに、どうしてこんなにも悲しいのか。
 殺せばもっと清々すると思ってた。
 殺したけど、そんなことなかった。
 ただ、虚しいだけだ。

「⋯⋯父さん、母さん、皆」

 でも、仇は取った。それは事実だ。

「────」

 音と共にノーワは勢い良く跳び上がり、その場から離れた。
 蜘蛛は再び動き出したようだ。それにいち早く気が付けたからこそ死ななかった。もし少しでも遅れていれば、毒で死んていた。
 空振った蜘蛛の腕を見て、ノーワはそう思った。

「なぜ⋯⋯なぜ死んでいない!?」

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯っ。答えない、か」

 蜘蛛はゆらりゆらりと血を垂らしながら立ち上がる。体制を立て直す。

「⋯⋯いや。違う。お前、まさか⋯⋯」

 そこでようやく気がついたことがある。やけに殺した手応えがなかったのだ。そして今、確信した。
 血が止まっていない。再生していないのだ。致死量は既に超えている。なのに、動く。

「⋯⋯死んだ体アンデッドか!」

 肯定するように、蜘蛛は叫ぶ。理性の欠片もない、獣の咆哮が響く。カチカチという虫特有の音が混ざっていた。
 蜘蛛の亜人の血には毒が混ざっている。浴びただけですぐさま毒が回ることはないが、それでも一分も付着し続ければ壊死をはじめるだろう。
 が、ノーワの体には既に大量の血が付着している。蜘蛛の攻撃は回避できても、それから噴出する血まで避けることはできなかった。
 すぐにでも殺さなければ、ノーワはこのまま死ぬ。

「〈能力向上〉」

 何とか攻防を繰り広げながらも戦技を詠唱した。現状の打開策は、相手の毒が回る前に殺し切ること。
 そのためには博打を打たなければならないこと。
 一か八か、やるしかない。

「ぐっ!」

 蜘蛛は背中の脚で動いているから、人間を相手にしているのとは訳が違った。動きが読めない。基本的に人間体の両手の爪を振るってくるが、時々脚による攻撃も織り交ぜられている。

「っ!?」

 蜘蛛の蹴りがノーワを捉える。何とか腕で防御したが、衝撃を殺し切れずに吹き飛ばされ、城の壁に叩きつけられる。
 蜘蛛はそこに四本のうち二本で動き距離を詰め、残り二本を大きく振りかぶった。

「〈動作加速〉──」

 ナイフで脚をほぼ同時に弾く。
 この時を待っていた。大きく振りかぶったからこそ、胴体がガラ空きになるタイミング。弱点となる的が一番大きくなる瞬間。

「──〈重撃乱舞〉」

 雲から出でた僅かな月光が、漆黒のナイフの刀身に反射したからか、ノーワの斬撃は光の軌道を描いた。
 片手で発動させても戦技は十分な力を発揮し、蜘蛛の体を切り刻んで複数の大きな肉塊へと変えた。

「アンデッドと言えど、ここまですれば死ぬでしょ。今度こそ死して詫びろ、薄汚い殺戮者め」

 精一杯の罵声を死体に浴びせてから、ノーワは壁にもたれ掛かった。それから自分の体に付着した血を拭き取る。これで死ぬことはないが、帰ったら入念に洗わなければいけないだろう。完全に除去できたわけではないのだ。

「⋯⋯っと、皆を追いかけなくちゃ」

 ノーワは疲れた体に鞭を打って立ち上がり、ウーテマたちが走っていった道を追いかけて行く。

 ◆◆◆

 ウーテマ、アリサ、モーリッツ、アベラドの四人は騒がしくなった城の中を走り抜けていた。
 迫りくる黒の教団員たちの戦闘力は中々のもので、ウーテマたちでも簡単に始末できるような相手ではなかった。だからできるだけ接敵、戦闘を避け、逃げることを優先した。戦わなければならない時は、速攻で終わらせることを意識し、ウーテマ、アベラドは体力を、アリサ、モーリッツは魔力を惜しまずに使った。
 それでも敵の数は非常に多く、とうとう始末しきれずに囲まれてしまった。
 終いには、

「中々に逃げるのが上手いようだ」

 灰色のジャケットに黒いパンツを着た長身の男。黒の手袋には銀色に輝く糸が巻き付けられており、よく見れば空中を漂っている。
 アレは他と比べても格上の存在だ。雰囲気だけでそれを理解できた。

「おいどうするんだ、天才陛下」

 どんどんと口調が悪くなっていくウーテマだったが、状況が状況だから仕方がなかった。気にする余裕がないのだ。

「我なら何でもできると思うな。⋯⋯だが案はある」

 そんな不敬極まりない態度のウーテマにも眉を顰めることなくアベラドは対応していた。むしろその態度に関心さえ覚えていたくらいだ。

「案って?」

「見てからのお楽しみだ。魔法使いの二人、特に娘、お主らに命を託すぞ」

「はい?」「え?」

 返答を待つことはなく、アベラドは腰に携えていた魔剣を鞘から抜き取り、壁に向かって振るう。
 剣で岩を切り裂くなど夢物語であるように、所詮人間がそれをした所で剣を痛めるだけだ。しかし、その剣が全てを滅ぼす魔剣であるならば話は違う。
 無生物でさえ滅ぼす魔剣は、城の壁にド派手な大穴をあけた。二階とは言え城基準での二階だ。無論落ちれば、死なずとも大怪我では済まない。

「ほら、逃げ道が確保できた」

「⋯⋯イカれてるな、陛下」

 そうは言いつつもウーテマはこの案に乗ることにした。溜息を吐いてから、

「アリサ、風魔法で接地する直前に私たちの体を巻き上げろ。だが最悪、モーリッツだけでも無事に保護しろ」

 もう覚悟は決めている。躊躇いなく、四人は飛び降りようとした。
 しかし、黒の教団員がそれを許すはずがない。

「まだ自己紹介もしていないというのに、颯爽と退場とは、寂しいです、ねっ!」

 男はワイヤーを器用に扱い、逃げようとする四人の体を刻もうとした。
 けれども、瞬間、金属音が響いた。ワイヤーは鉄よりも硬い鉱物がいくつも混ざりあった合金製だ。大抵のモノは切り刻めるし、弾かれることもない。
 なのに、彼女はそれを実現した。

「ノーワさん!」

「まだ居たか」

 ナイフでワイヤーを弾く。捌ききれないものは篭手に巻き付けて無力化する。切り刻めないことに男は違和感を覚えたがそんなのは後回しだ。
 このままでは逃げ切られる。なんとかしなければ。

「全員、後を追いかけろ!」

 逃げられるのなら追えば良い。一旦は城の中から逃げ出されても構わない。
 黒の教団員の全員が、城から飛び出したアベラドたちを追いかけて飛び降りた。半数はまともに動けなくなるだろうが、もう半数は下敷きを得られるから生き残れるだろう。

「⋯⋯しかし、あの女⋯⋯」

 男のワイヤー裁きを見切り、弾いたり無力化したノーワを思い出す。

「⋯⋯最近、少しだけ強くなりつつある。だが成長にしてはあまりにも急激だ。⋯⋯そしてあの女の装備⋯⋯。信じられないが、まさか」

 男は状況を考察し、ある程度の当たりをつけた。
 自己の不自然な強化。ノーワの人間が持っているはずがない魔法防具の数々。そして唐突に現れた『死神』の存在。
 全て、繋がっているのではないか。彼はそう思った。しかしもしそうなら、ありえない仮定を建てなければならない。

「⋯⋯あくまでも想定。考えておく、に留めるべき」

 この状況が想定外そのものである男にとって、これ以上の不測の事態は避けたい。ならばこのあり得ないはずの想定もして然るべき。あるいは、この時点で撤退が最善かも知れない。
 が、一周回って好都合な状態でもあるのが今だ。このまま『死神』たちに公国を滅ぼしてもらうのを待っていても良い。

「でも、どこか引っかかる」

 男は目を細める。

「⋯⋯裏にいるかも知れない白の魔女を考えた時、あらゆる可能性が出てくる。本当に厄介だ」

「そうだね。私ってば本当に厄介だと思うよ、敵からしたら」

 突然後ろから声がしたかと思えば、全身に鳥肌が立つ圧倒的な力量差を感じた。
 振り返ると、そこには長い白髪の女が居た。正体はこの魔力で察しがつく。

「⋯⋯そうか。そうか! やはり、お前が居たか!」

「そう興奮しないでよ。黒の教団幹部、セフィラが一人、『栄光』のホド君?」

 男──ホドはすぐさま臨戦態勢を取る。しかし仕掛けない。こちらから仕掛ければ痛みさえ感じない反撃がありそうだからだ。

「白の魔女、エスト。何が目的でこんなことを起こした。⋯⋯いや、何より、黒の魔女様に何をした!」

「おや? どうしてキミがそんなことを知っているのかな?」

 今の態度で分かった。エストは黒の魔女に何かした。それがトリガーとなり、セフィラたちの強化が始まっているのだ。
 そんな遠回りな現象が発生したということは、黒の魔女はかなり追い込まれているのだろう。ホドはそれがありえないと思っていた。あの黒の魔女が追い詰められるなど、考えられなかったからだ。
 しかし、今目の前にその証拠が現れた。

「⋯⋯ふむふむ。ここは少し試すとしよう」

 エストの目が白く光る。
 ──だがホドは死ななかった。

「なるほどね。キミ、少し強くなっているようだね、この瞬間にも。それが不思議に思ったから、もしや黒の魔女に何かあったのではないかと考えた。なにせキミたちセフィラは黒の魔女の手によって今の力を手にしたから」

 エストはホドから読み取った情報を元に考察する。その間にも隙は、一見多くあったが実のところ全く無かった。

「そうそう。前ね、私がキミたちの記憶を読もうとしたら、それはできなかったんだ。黒の魔女による能力妨害があった。そして魔法で口を割らせようとしても、その時はキミたちは死ぬ。妨害できないなら自死を強制させるプログラムがあるんだろうね」

 でも、とエストは続ける。

「今はできた。なぜだと思う?」

 ホドは答えない。自らの主の欠点など、言えるはずがない。何より信じたくなかった。それが一番大きな理由だ。

「分からないのか、それとも答えたくないのか。⋯⋯何にせよ、答え合わせと行こう。⋯⋯正解はね、黒の魔女⋯⋯いや」

 エストは最高に美しく、最悪に性格が終わっていることを示す笑顔を浮かべる。

「メーデアは、キミたちに自分の命を預けないといけないくらい弱っている。意識こそ覚醒したけど力を失い、だからキミたちをある意味で保護していた力全て、キミたちの強化に回さないといけなくなったってことさ!」

 つまり、今のセフィラたちに与えられたモノは全て力だ。黒の魔女の保護はない。今ならばいくらでも情報を抜き取ることができるようになった、というわけだ。メーデアはそれを恐れて、なら少しでも強くして、エストから逃げられるようにしているということである。

「でも全部無意味。所詮、雑魚を少し強くしたくらいで私に叶うはずないから。笑えるね。そんな苦し紛れの駄策で、この私を止められると思える浅い頭に」

 ホドは徹底抗戦の構えをしているが、無意味だ。
 逃げることも、エストは許さないだろう。しかしそれでも逃げなくてはいけない。
 ホドはワイヤーでエストを捉えることはせず、空間に張り巡らす。人間が通れば切り刻まれる空間を作り上げた。
 そしてホドは全速力で逃げ出した。脇目もふらずに、敵に背中を見せつけて、逃げた。

「はい、残念」

 それでも逃げ切れない。転移魔法──それ以前に、肉体能力の時点で負けている。魔法も何もなしに、単純に追い付かれたのだ。

「さあ、ようやく捕まえた黒の教団の情報源君。全て洗いざらい話して貰うよ?」

 ホドは首を締め上げられ、段々と意識が朦朧となっていく。抗おうと殴ったり蹴ったりすることはできない。そもそも体を少しも動かせない。

「大丈夫、私は拷問しないから。ただ少し、記憶を読み取るだけだよ。あと、勿論殺さないよ。死んだら、メーデアに還元されちゃうじゃん? だから精神を殺してあげる。恐怖に染まった記憶を植え付けて、廃人にするのさ」

 その言葉を最後に、ホドの意識が完全に消え去った。
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