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第七章「暁に至る時」
第二百七十一話 後味
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『ホルース』では色々と問題が山積みだ。中でも特に大きな問題は食料である。こんな状況で食料の生産なんかできるわけがなかった。
エルティア公国襲撃からおよそ半月が経過した。食料は都市の奪還によって確保しようとしていたが、敵には亜人もいた。亜人たちの食性は様々であるものの、人間が食べられるものを食べられない亜人は数少ない。だから奪還した都市にある食料は非常に少なかった。
その割には人数はどんどんと増えていく。亜人では食人種が珍しくない。おそらく、彼らは亜人の食料として生かされていた人間である。無論、人間らしい扱いは受けていなかった。
このように、人は増えるのに食料は増えない。相対的には減っていると言える状態だった。
ゆえに、幾度もの貴族会議の末に、とうとう亜人の拠点を襲撃することになった。
今回襲撃するのはアゼンベルダン丘陵にある亜人たちの拠点だ。
亜人が人間の都市を拠点にすることはあるが、亜人の全員が人間と同じスケールの建物に住めるわけではない。
例えば、主にこの丘陵に住むのはオーガやトロールと言った体の大きな者たちだ。彼らは食人もするがどちらかと言えば人間と同じ雑食性だ。人間が食べられるものも多くあると既に先遣隊が確認している。
後は本隊が襲撃し、食料を奪取するだけだ。他にも目的はあり、その一つが亜人の捕虜の確保だ。できるだけ立場の高い亜人が良い。と言うのも、未だにヴァレンタイン大公の居場所が判明していないのである。
勿論、亜人たち──『死神』たちは大公の失踪とは関係ないかもしれない。寧ろそちらの方が可能性は高いだろう。黒の教団がこの件に関与している方面で捜索すべきだ。しかし、聞かないわけにはいかないのである。
「門を破壊せよ!」
『ホルース』から出立し、到着したのは日が落ちる数時間前だった。幸いにも天候は晴天で、まだまだ亜人に有利な闇の中ではなかった。が、すぐにでも拠点を制圧しなければ途端に不利となる。
アゼンベルダン丘陵の亜人の拠点は円状の石壁に囲まれている。侵攻開始前にはこんなものはなかったはずだから、半月、もしくはそれと少しの間でこれを作ったということなのだろう。到底人間には不可能な芸当だが、亜人の力ならば可能らしい。
この拠点の東西南北には門がそれぞれあった。
今回は西門を攻めている。全門を制圧できるほどの人員が居なくて、四つの中で最も攻略が容易であると判断されたのが西門だったのである。
他の門にも監視要員として人を待機させているが、戦闘は避けるように命じられていた。そこから逃げる、もしくは裏取りをしてくる亜人を補足、警戒するのが彼らの任務だ。
「投石来るぞ!」
亜人たちも人間の進軍を観測している。人間たちが到着した時点で戦闘の準備は整っており、外壁上には多くの迎撃兵が存在した。
高所からの投石は落下エネルギーが関係して威力が増す。ただでさえ高台は戦いにおいて有利だ。人間は亜人より肉体能力や魔法能力が劣っており、一対一では人間の敗北の可能性が非常に高い。
身体能力有利、位置有利のどちらも掌握されている。
だが、そんなのは百も承知。亜人相手に無策で殴り合いをする愚かな人間はいない。
「魔法部隊! ──って!」
合図が出た。射程距離内。狙いは目の前。事前に連絡があった通りに事は進んでいる。
『ホルース』に現存する全ての魔法使いを招集したこの軍による、魔法の爆撃。それは大砲に相当する破壊力を持つ。
赤魔法第二階級〈火炎〉。同じく第三階級〈火球〉、〈雷撃〉が幾つも放たれる。
魔法が直撃し、壁上の亜人たちは焼き殺された。黒焦げの死体となり、呼吸ができず、出血量に耐えられずに死亡する。
しかし第二第三の亜人が現れるだろう。魔法部隊による魔法攻撃も無限にできるわけではない。だから、この間に距離を詰める。まずはその位置有利を足元から崩すのだ。
「うおおおおおお!」
人間たちは石壁に突撃する。雄叫びを上げ、剣を掲げる。魔法による制圧効果が功を奏し、全く無防備の彼らを迎撃する術は、亜人になかった。
壁の元に辿り着く。そこは門だ。石ではなく木製で、閉ざされているとはいえ破壊は可能。
まずは〈雷撃〉による門付近の亜人の撃滅。複数人による魔法撃の結果、少なくない数の悲鳴が聞こえた。攻撃を三度ほど繰り返して悲鳴が聞こえなくなったタイミングで、ようやく突入だ。
門を破壊する方法、もしくは門を破壊せずに突破する方法はいくつかある。そしてここで選ばれたのは破城槌による手段だった。
六人ほどの人間が破城槌を担ぎ、門に向かって垂直に打ち付ける。一度で破壊できるほどやわではなかったから何度も行う。
バキっ、という音ともに木が砕ける。少しでも穴が空けば、あとはそこから広げるだけだ。
しかし、槌の先端を持つ人間が一人倒れた。
「弓兵だ!」
魔法には射程距離がある。弓にも射程距離は存在するが、どちらかと言えば弓の方が有効射程は長い。少なくとも普通の魔法使いが相手であればそうだ。
亜人たちは〈雷撃〉を警戒して距離を取り、弓を構えて門が破られるのを待っていた、ということだろう。門が破壊されればそこから弓で射抜くだけ。
けれども門を破らないことには何も始まらない。人間たちは必死になって門をこじ開ける。
開いた。何人か死んで時間がかかったが、ここからようやく戦いが始まる。
相手は人間より遥かに強い化物だ。数では上回っていても力では拮抗、あるいは負けているだろう。なら、頭で勝つしかない。
門を突破する二つの方法。一つは破城槌による門の破壊。そしてもう一つは、
「って!」
空中からの爆撃。炎が人間を避けて的確に亜人を焼き尽くす。
〈飛行〉を使える魔法使いによる制空権の確保及び地上への支援攻撃。巻き込まれる可能性もなくはないが、〈飛行〉を使える魔法使いがそんなミスをすることはない。
オーガは力が強いだけで殺すことはできる。トロールは厄介な再生力を有するが、火傷などは治せない。他の亜人も対処可能。
空を飛ぶ亜人も少数で、制空権の確保は容易だった。この作戦は拠点に侵入できた時点で勝ちが確定するものだ。後はただ魔物を殺すだけである。
その、ハズだった。
「聞け人間! ここには捕虜として人間が何人も閉じ込められている! これ以上進むというのなら捕虜を殺す!」
トロールは知性ある亜人だ。流暢な言葉で人間たちに脅し文句を叩きつけた。それだけなら耳を傾けることもなく戦いを続行しただろう。だが子供の人質を見せつけられれば違う。
人間たちに動揺が走る。戦いを続ければ脅迫も無意味になるから亜人も手を止め、互いに距離を取った。
「戦士長、どうしますか」
この戦いに赴いていたヴェルムも同じく手を止めていた。
彼に話しかけたのは副隊長、クルーゾだ。彼は目では亜人の方を見ている。
トロールが片手で足を持ち、ぐったりとしているのは確かに人間の少年だ。この寒い中全裸で、目に生気がなく、力がまるで入っておらず、抗うことを全くしていないが今は生きている。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯私は、亜人の言うことを飲むべきでないと考えます」
それが正しいのだろう。彼の言うことはいつも間違っていない。最善である。
なぜ、今になって捕虜を殺すと脅したのか。
亜人たちは自分の力を驕る傾向にある。だからこの戦いにも勝てると思っていた? 違う。それなら門が破られ、制空権が取られた時点で取るべき選択だ。そこまで馬鹿なわけでもないはずである。
であれば、これは最終手段であり、そう簡単に取ることのできないものだった、というわけだ。
「捕虜は何人もいる! 全員殺してやるぞ!」
ああ、これで確定だ。これは嘘だ。捕虜は少ない。人間の殆どは肉になっている。新鮮な肉を好む亜人は居るが、保存できるのであればわざわざ生かす必要はない。脱走する可能性のある食料なんて扱いづらいだけだ。
つまり、彼らの捕虜はほぼ居ない。おそらく最近補給され、まだ保存がされていないもの。もしくは一部の踊り食いが好きな奴用なのだろう。
そもそも肉類だけしか食べないわけではない。適当に置いておくだけでよい食料が大半。絶対数も少ないのだ。
「戦士長! エインシス戦士長! 数少ない捕虜を助けるメリットはありません。指示を! 奴らの言葉を無視し、殺せという指示を!」
クルーゾは頭の回るヴェルムの腹心だ。だが、ヴェルムには譲れないものがある。
「⋯⋯俺には娘が居る」
「⋯⋯はい」
「年は十五。四年の学校に行けば魔法の研究者として活躍するだろう」
「⋯⋯そうですね」
「そうだ。子供には未来がある。俺たち大人、それも寿命まであと二十年程度もない年寄りと違ってな」
「⋯⋯⋯⋯。戦士長!」
「すまない。クルーゾ。お前の言っていることはいつも正しい。今だってそうだろう。捕虜の命より、あの都市の人たちの食べ物の方が重要。結果的に助かる命があまりにも違う。分かっている。だが⋯⋯これだけは、譲れない」
「戦士長⋯⋯。⋯⋯仕方ないですね」
「え?」
「分かりましたよ、エインシス戦士長。⋯⋯捕虜を救う、ですね。具体的な方法については何とか考えます。ですが時間はないでしょう。少数で助けるしかない。⋯⋯死ぬかもしれませんよ?」
自分たちが逃げれば捕虜の命の保証などない。しかし戦っても同じだ。よって取れる手段は一つ。逃げるのを遅らせるために話をして時間を稼ぎ、その間に捕虜を助ける。
はっきりいって成功率は低いし、危険度も高い。やるだけ損になる可能性は高いだろう。しかし、
「未来ある子供を助けるためならば、構わない」
クルーゾは笑う。それでこそ公国最強の戦士だ、と。
覚悟は決めた。あとは為すだけ。ヴェルムと一緒に捕虜を救助するメンバーを決めて、交渉のためにクルーゾが出ないといけない。
もしかすれば殺されるかもしれない。それでもやるしかない。
──その瞬間だった。
「〈闇無孔〉」
亜人たちが全て闇の中に落ちていった。足が沼にはまったように動けず、呑み込まれ、引きづられるように消えた。呆気なかった。
闇の孔はすぐさま閉じて、残ったのは人間たちと捕虜にする予定の亜人数十名──恐慌状態で身動きが取れない──以外には非生命のみだ。
「っ!」
ヴェルムは突然現れた気配の方に体を向ける。そこには魔女、エストが立っていた。彼女の左手の先から白の光が消え去る。
エストはこの作戦に参加していない。どうしてここにいるのか疑問だ。でも今はそれを聞く気はなかった。
「⋯⋯なぜ! なぜ殺した!」
あの魔法が亜人だけでなく捕虜も殺したと理解できた。それは間違っていない。では、なぜエストは彼らを殺したのか。
「なぜ? ⋯⋯無意味なことをしようとしたからだよ、キミたちがね。だからこうして私が代わりにやってあげた」
エストは何も悔やむ様子無く、謝る気もなく、冷酷に言った。捕虜を助ける意味はないと。
「ああ⋯⋯もしかして助けられると思ってたの? 馬鹿だね。キミたちじゃ無理だよ。あの見せしめだって、あと数時間で死ぬぐらい衰弱していた。あれは食料じゃなくて、玩具だよ。残っている生きた人間もそのうち死ぬぐらい弱っていた。だから殺した」
「なっ⋯⋯」
ヴェルムはエストの言葉に絶句した。助けるのは困難。仮に助けてもすぐに死んでいた。その、事実に。
「⋯⋯その言い方、まるでお前なら助けられるような言い方ですね?」
クルーゾはエストの発言の違和感を指摘する。そして彼女は何気なく答えた。
「うん。人間を助けて、治療できた。亜人を殺せたよ。それが?」
「それが⋯⋯って⋯⋯。なぜしなかったのです?」
「人間数人の未来よりが私の魔力の方が価値がある。私の魔力は公国の全人類を助けられるんだよ?」
「⋯⋯っ!」
「それだけ? じゃあ今度はこっちから」
エストは歩いてクルーゾに近づく。近づきながら喋る。
「命の価値を見極めてね。助ける必要のない命はあるんだよ。私ほどじゃなくても、ヴェルム・エインシスや君の命の価値は何千人の平民の命より高いはずでしょ? ⋯⋯命に冷酷くなれ」
エストはそれだけ言って後ろを向いた。「あ、そうそう」と何か思い出したかのように言って、彼女は顔だけでまた振り向く。
「こうやって助けるのは今回だけだよ。次からは後つけないから、やるなら安心して自殺できるね!」
ニッコリ笑った。純粋な笑顔だった。皮肉も何もないかのように思えたが、きっとそこには邪悪な感情が込められているはずだ。
そうでなくてはならない。あれには人の死を憐れむ感情なんかない。
「クソが⋯⋯どうすれば」
ヴェルムはエストが去った後、呟いた。クルーゾはそれが聞こえていたが何も言えなかった。
彼らにはやるせない気持ちだけが残された。最悪な気持ちだ。当初の目的は達成できたというのに。全く、嬉しくなかった。
「どうすれば⋯⋯良かった。無かったのか? 俺たちには人を助ける方法が⋯⋯」
どれだけ崇高な目的であっても、力のないそれはただの戯言だ。
ヴェルム・エインシスには力がなかった。それだけが、この悲劇の理由である。彼はそれを知っているが、認められなかった。
「世界は酷だね~」
後ろの『戯言』を聞いて、エストはそう呟いた。
エルティア公国襲撃からおよそ半月が経過した。食料は都市の奪還によって確保しようとしていたが、敵には亜人もいた。亜人たちの食性は様々であるものの、人間が食べられるものを食べられない亜人は数少ない。だから奪還した都市にある食料は非常に少なかった。
その割には人数はどんどんと増えていく。亜人では食人種が珍しくない。おそらく、彼らは亜人の食料として生かされていた人間である。無論、人間らしい扱いは受けていなかった。
このように、人は増えるのに食料は増えない。相対的には減っていると言える状態だった。
ゆえに、幾度もの貴族会議の末に、とうとう亜人の拠点を襲撃することになった。
今回襲撃するのはアゼンベルダン丘陵にある亜人たちの拠点だ。
亜人が人間の都市を拠点にすることはあるが、亜人の全員が人間と同じスケールの建物に住めるわけではない。
例えば、主にこの丘陵に住むのはオーガやトロールと言った体の大きな者たちだ。彼らは食人もするがどちらかと言えば人間と同じ雑食性だ。人間が食べられるものも多くあると既に先遣隊が確認している。
後は本隊が襲撃し、食料を奪取するだけだ。他にも目的はあり、その一つが亜人の捕虜の確保だ。できるだけ立場の高い亜人が良い。と言うのも、未だにヴァレンタイン大公の居場所が判明していないのである。
勿論、亜人たち──『死神』たちは大公の失踪とは関係ないかもしれない。寧ろそちらの方が可能性は高いだろう。黒の教団がこの件に関与している方面で捜索すべきだ。しかし、聞かないわけにはいかないのである。
「門を破壊せよ!」
『ホルース』から出立し、到着したのは日が落ちる数時間前だった。幸いにも天候は晴天で、まだまだ亜人に有利な闇の中ではなかった。が、すぐにでも拠点を制圧しなければ途端に不利となる。
アゼンベルダン丘陵の亜人の拠点は円状の石壁に囲まれている。侵攻開始前にはこんなものはなかったはずだから、半月、もしくはそれと少しの間でこれを作ったということなのだろう。到底人間には不可能な芸当だが、亜人の力ならば可能らしい。
この拠点の東西南北には門がそれぞれあった。
今回は西門を攻めている。全門を制圧できるほどの人員が居なくて、四つの中で最も攻略が容易であると判断されたのが西門だったのである。
他の門にも監視要員として人を待機させているが、戦闘は避けるように命じられていた。そこから逃げる、もしくは裏取りをしてくる亜人を補足、警戒するのが彼らの任務だ。
「投石来るぞ!」
亜人たちも人間の進軍を観測している。人間たちが到着した時点で戦闘の準備は整っており、外壁上には多くの迎撃兵が存在した。
高所からの投石は落下エネルギーが関係して威力が増す。ただでさえ高台は戦いにおいて有利だ。人間は亜人より肉体能力や魔法能力が劣っており、一対一では人間の敗北の可能性が非常に高い。
身体能力有利、位置有利のどちらも掌握されている。
だが、そんなのは百も承知。亜人相手に無策で殴り合いをする愚かな人間はいない。
「魔法部隊! ──って!」
合図が出た。射程距離内。狙いは目の前。事前に連絡があった通りに事は進んでいる。
『ホルース』に現存する全ての魔法使いを招集したこの軍による、魔法の爆撃。それは大砲に相当する破壊力を持つ。
赤魔法第二階級〈火炎〉。同じく第三階級〈火球〉、〈雷撃〉が幾つも放たれる。
魔法が直撃し、壁上の亜人たちは焼き殺された。黒焦げの死体となり、呼吸ができず、出血量に耐えられずに死亡する。
しかし第二第三の亜人が現れるだろう。魔法部隊による魔法攻撃も無限にできるわけではない。だから、この間に距離を詰める。まずはその位置有利を足元から崩すのだ。
「うおおおおおお!」
人間たちは石壁に突撃する。雄叫びを上げ、剣を掲げる。魔法による制圧効果が功を奏し、全く無防備の彼らを迎撃する術は、亜人になかった。
壁の元に辿り着く。そこは門だ。石ではなく木製で、閉ざされているとはいえ破壊は可能。
まずは〈雷撃〉による門付近の亜人の撃滅。複数人による魔法撃の結果、少なくない数の悲鳴が聞こえた。攻撃を三度ほど繰り返して悲鳴が聞こえなくなったタイミングで、ようやく突入だ。
門を破壊する方法、もしくは門を破壊せずに突破する方法はいくつかある。そしてここで選ばれたのは破城槌による手段だった。
六人ほどの人間が破城槌を担ぎ、門に向かって垂直に打ち付ける。一度で破壊できるほどやわではなかったから何度も行う。
バキっ、という音ともに木が砕ける。少しでも穴が空けば、あとはそこから広げるだけだ。
しかし、槌の先端を持つ人間が一人倒れた。
「弓兵だ!」
魔法には射程距離がある。弓にも射程距離は存在するが、どちらかと言えば弓の方が有効射程は長い。少なくとも普通の魔法使いが相手であればそうだ。
亜人たちは〈雷撃〉を警戒して距離を取り、弓を構えて門が破られるのを待っていた、ということだろう。門が破壊されればそこから弓で射抜くだけ。
けれども門を破らないことには何も始まらない。人間たちは必死になって門をこじ開ける。
開いた。何人か死んで時間がかかったが、ここからようやく戦いが始まる。
相手は人間より遥かに強い化物だ。数では上回っていても力では拮抗、あるいは負けているだろう。なら、頭で勝つしかない。
門を突破する二つの方法。一つは破城槌による門の破壊。そしてもう一つは、
「って!」
空中からの爆撃。炎が人間を避けて的確に亜人を焼き尽くす。
〈飛行〉を使える魔法使いによる制空権の確保及び地上への支援攻撃。巻き込まれる可能性もなくはないが、〈飛行〉を使える魔法使いがそんなミスをすることはない。
オーガは力が強いだけで殺すことはできる。トロールは厄介な再生力を有するが、火傷などは治せない。他の亜人も対処可能。
空を飛ぶ亜人も少数で、制空権の確保は容易だった。この作戦は拠点に侵入できた時点で勝ちが確定するものだ。後はただ魔物を殺すだけである。
その、ハズだった。
「聞け人間! ここには捕虜として人間が何人も閉じ込められている! これ以上進むというのなら捕虜を殺す!」
トロールは知性ある亜人だ。流暢な言葉で人間たちに脅し文句を叩きつけた。それだけなら耳を傾けることもなく戦いを続行しただろう。だが子供の人質を見せつけられれば違う。
人間たちに動揺が走る。戦いを続ければ脅迫も無意味になるから亜人も手を止め、互いに距離を取った。
「戦士長、どうしますか」
この戦いに赴いていたヴェルムも同じく手を止めていた。
彼に話しかけたのは副隊長、クルーゾだ。彼は目では亜人の方を見ている。
トロールが片手で足を持ち、ぐったりとしているのは確かに人間の少年だ。この寒い中全裸で、目に生気がなく、力がまるで入っておらず、抗うことを全くしていないが今は生きている。
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯私は、亜人の言うことを飲むべきでないと考えます」
それが正しいのだろう。彼の言うことはいつも間違っていない。最善である。
なぜ、今になって捕虜を殺すと脅したのか。
亜人たちは自分の力を驕る傾向にある。だからこの戦いにも勝てると思っていた? 違う。それなら門が破られ、制空権が取られた時点で取るべき選択だ。そこまで馬鹿なわけでもないはずである。
であれば、これは最終手段であり、そう簡単に取ることのできないものだった、というわけだ。
「捕虜は何人もいる! 全員殺してやるぞ!」
ああ、これで確定だ。これは嘘だ。捕虜は少ない。人間の殆どは肉になっている。新鮮な肉を好む亜人は居るが、保存できるのであればわざわざ生かす必要はない。脱走する可能性のある食料なんて扱いづらいだけだ。
つまり、彼らの捕虜はほぼ居ない。おそらく最近補給され、まだ保存がされていないもの。もしくは一部の踊り食いが好きな奴用なのだろう。
そもそも肉類だけしか食べないわけではない。適当に置いておくだけでよい食料が大半。絶対数も少ないのだ。
「戦士長! エインシス戦士長! 数少ない捕虜を助けるメリットはありません。指示を! 奴らの言葉を無視し、殺せという指示を!」
クルーゾは頭の回るヴェルムの腹心だ。だが、ヴェルムには譲れないものがある。
「⋯⋯俺には娘が居る」
「⋯⋯はい」
「年は十五。四年の学校に行けば魔法の研究者として活躍するだろう」
「⋯⋯そうですね」
「そうだ。子供には未来がある。俺たち大人、それも寿命まであと二十年程度もない年寄りと違ってな」
「⋯⋯⋯⋯。戦士長!」
「すまない。クルーゾ。お前の言っていることはいつも正しい。今だってそうだろう。捕虜の命より、あの都市の人たちの食べ物の方が重要。結果的に助かる命があまりにも違う。分かっている。だが⋯⋯これだけは、譲れない」
「戦士長⋯⋯。⋯⋯仕方ないですね」
「え?」
「分かりましたよ、エインシス戦士長。⋯⋯捕虜を救う、ですね。具体的な方法については何とか考えます。ですが時間はないでしょう。少数で助けるしかない。⋯⋯死ぬかもしれませんよ?」
自分たちが逃げれば捕虜の命の保証などない。しかし戦っても同じだ。よって取れる手段は一つ。逃げるのを遅らせるために話をして時間を稼ぎ、その間に捕虜を助ける。
はっきりいって成功率は低いし、危険度も高い。やるだけ損になる可能性は高いだろう。しかし、
「未来ある子供を助けるためならば、構わない」
クルーゾは笑う。それでこそ公国最強の戦士だ、と。
覚悟は決めた。あとは為すだけ。ヴェルムと一緒に捕虜を救助するメンバーを決めて、交渉のためにクルーゾが出ないといけない。
もしかすれば殺されるかもしれない。それでもやるしかない。
──その瞬間だった。
「〈闇無孔〉」
亜人たちが全て闇の中に落ちていった。足が沼にはまったように動けず、呑み込まれ、引きづられるように消えた。呆気なかった。
闇の孔はすぐさま閉じて、残ったのは人間たちと捕虜にする予定の亜人数十名──恐慌状態で身動きが取れない──以外には非生命のみだ。
「っ!」
ヴェルムは突然現れた気配の方に体を向ける。そこには魔女、エストが立っていた。彼女の左手の先から白の光が消え去る。
エストはこの作戦に参加していない。どうしてここにいるのか疑問だ。でも今はそれを聞く気はなかった。
「⋯⋯なぜ! なぜ殺した!」
あの魔法が亜人だけでなく捕虜も殺したと理解できた。それは間違っていない。では、なぜエストは彼らを殺したのか。
「なぜ? ⋯⋯無意味なことをしようとしたからだよ、キミたちがね。だからこうして私が代わりにやってあげた」
エストは何も悔やむ様子無く、謝る気もなく、冷酷に言った。捕虜を助ける意味はないと。
「ああ⋯⋯もしかして助けられると思ってたの? 馬鹿だね。キミたちじゃ無理だよ。あの見せしめだって、あと数時間で死ぬぐらい衰弱していた。あれは食料じゃなくて、玩具だよ。残っている生きた人間もそのうち死ぬぐらい弱っていた。だから殺した」
「なっ⋯⋯」
ヴェルムはエストの言葉に絶句した。助けるのは困難。仮に助けてもすぐに死んでいた。その、事実に。
「⋯⋯その言い方、まるでお前なら助けられるような言い方ですね?」
クルーゾはエストの発言の違和感を指摘する。そして彼女は何気なく答えた。
「うん。人間を助けて、治療できた。亜人を殺せたよ。それが?」
「それが⋯⋯って⋯⋯。なぜしなかったのです?」
「人間数人の未来よりが私の魔力の方が価値がある。私の魔力は公国の全人類を助けられるんだよ?」
「⋯⋯っ!」
「それだけ? じゃあ今度はこっちから」
エストは歩いてクルーゾに近づく。近づきながら喋る。
「命の価値を見極めてね。助ける必要のない命はあるんだよ。私ほどじゃなくても、ヴェルム・エインシスや君の命の価値は何千人の平民の命より高いはずでしょ? ⋯⋯命に冷酷くなれ」
エストはそれだけ言って後ろを向いた。「あ、そうそう」と何か思い出したかのように言って、彼女は顔だけでまた振り向く。
「こうやって助けるのは今回だけだよ。次からは後つけないから、やるなら安心して自殺できるね!」
ニッコリ笑った。純粋な笑顔だった。皮肉も何もないかのように思えたが、きっとそこには邪悪な感情が込められているはずだ。
そうでなくてはならない。あれには人の死を憐れむ感情なんかない。
「クソが⋯⋯どうすれば」
ヴェルムはエストが去った後、呟いた。クルーゾはそれが聞こえていたが何も言えなかった。
彼らにはやるせない気持ちだけが残された。最悪な気持ちだ。当初の目的は達成できたというのに。全く、嬉しくなかった。
「どうすれば⋯⋯良かった。無かったのか? 俺たちには人を助ける方法が⋯⋯」
どれだけ崇高な目的であっても、力のないそれはただの戯言だ。
ヴェルム・エインシスには力がなかった。それだけが、この悲劇の理由である。彼はそれを知っているが、認められなかった。
「世界は酷だね~」
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これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
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椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』
やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
夫も子どもも――そして、皇妃の地位。
最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。
けれど、そこからが問題だ。
皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。
そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど……
皇帝一家を倒した大魔女。
大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!?
※表紙は作成者様からお借りしてます。
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