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第七章「暁に至る時」
第二百二十八話 死を学ぶ者
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ミカロナの動きは段々とアレオスに適応していっている。『第六感』は事前に危機を察知する権能であるためだ。
アレオスの猛攻は無意味に帰す。全て致命傷に繋がることが、ミカロナにとっては寧ろ好都合に働いたのだ。彼女は痛みや苦痛を望むが、死は何よりも嫌うからである。
「あれ? 君、もう疲れたのかい?」
逆。アレオスの動きはより洗練され、より早く、より強くなっている。全然疲れてなどいない。しかし、結果はそうだと言われても文句はつけられないほど劣勢であった。
「チッ⋯⋯」
舌打ちしたのは現状打破の手段を持っていないからではない。このタイミングでそれを使わなければならないと判断したからこそだった。
アレオスはまだ本気を出していない。もっと速く、もっと重く剣を振ることができる。しかししないのには理由がある。
(ここで全力を出せば、その後、確実に意識が朦朧とする。それでもミカロナを殺せるとは限らない)
ミカロナの魔法能力や戦闘技術は大して高くない。否、比較対象がエストなだけで、彼女の魔法が痒くもないわけではない。直撃すれば、魔法武器がないと一撃死もありえる。
ただ、その回避能力が何より厄介なのだ。そしてこれは、アレオスの強さが、誰でもない彼の足枷になってしまっている。
だからミカロナに勝つ方法は二つ。回避できない攻撃で即死させるか、体力を全て削りきり、回避行動が取れなくなってから殺すか。だが、後者は期待すべきではない。自分の限界は自分が一番良く知っているはずなのである。
(しかし⋯⋯現状維持は何よりも愚かな選択だ)
アレオスはミカロナから一気に距離を取った。普通、魔法使いから離れることは悪手も悪手だ。が、ことアレオスにおいてはその限りではない。ミカロナもそのことに気が付き、それから『第六感』が囁いた、危険だと。
「は──」
瞬きをすれば距離を詰められ、いつの間にか殺されていることはある。だから彼女らの戦いでは瞬き一つにも気を配り、無意識ではなく意識的に行うものだ。したがって、ミカロナは今、瞬きなんてしていないと誓える。
(この僕が見えもせず、反応もできなかった。何が起こったのかを理解できても、体がそれに追いつけなかった⋯⋯っ)
先程までは、知覚→判断→行動が間に合った。しかし今は、知覚までしか間に合わない。行動までのタイムラグの間に、アレオスは動いているのである。
故に、ミカロナは胸を十字架で貫かれ、心臓を的確に潰された。
「ッ!」
更に剣ごとミカロナの体を吹き飛ばし、壁に叩きつける。十字架には神聖属性が付与されており、擬似的な魔族の封印効果を持つためだ。
懐からスティレットを八本取り出す。
「URAAAAAAAAAAAAAA!」
そして、アレオスはそれをミカロナに投げつけた。何度も何度も、もう刺せる所がなくなるまで投げ続けた。
それからゆっくりと歩いて、全身くまなくスティレットが突き刺さったミカロナに近づき、無抵抗な彼女の頭を片手で潰し、脊髄ごと引き抜いた。
「⋯⋯服を少し汚してしまったな」
戦技もましてや魔法も何も使っていないが、この短時間でも全力を出すことは非常に体へ負荷をかけることになる。まだ想定していたより早く終わったから、過呼吸にもならなかったが。
「さて、帝国に帰らねば」
脳を完全に破壊し、スティレットの神聖属性によってミカロナの体の三割以上は蒸発している。これならば蘇生魔法は効果を発揮しない。ミカロナが復活することはないと、アレオスは確信した。
彼は死体に背を向けて歩き出す。癖となった手袋の口を引く行為をした。
窓から入ってきた月明かりが、彼を横から照らした。その影は青白い部屋の床に投じられ、そして気がついた──その影が、二人分であることに。
「────!」
声にならない叫び声。何を言っているか分からない。だが、それは確実に狂気であろう。
──人間のシルエットを得ただけの肉塊のようなものが、アレオスを背後から襲った。それが伸ばした触手のような腕の先には十字架を模した氷の剣が巻かれている。
間一髪の所でアレオスはそれの攻撃を防いだが、違和感を覚えた。殺意がないのだ。これで殺そうとする、明確な意思が全く無い。まるで無機質。機械でも相手にしているような感覚。
「⋯⋯そうか。いや、正しくそうなのか」
それは肉塊であり、血が通っていて、命の暖かさがある。だがそれは生きていないし、感情や理性を持っていない。人造人間ではなく、人工知能──所詮は模倣しかできない怪物がそれの正体だ。
しかしながら、それは段々と感情を取り戻していく。
「あはっ。アハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
狂喜乱舞とはまさにこのこと。シルエットではなく外見そのものが人となった彼女が真っ先に行った事とは、理性を捻り潰したような感情の爆発だ。
「僕はここまで滅多刺しされて、脊髄を抜き取られて死ぬのは初めてだよ。ねぇ知ってる? 死ぬ寸前までの感覚は全て完璧に感じられるんだ。麻痺なんてしない。苦痛から解き放たれるのは死の後だけなのさ。そして僕たち魔女は、その生命力が常人よりある。だから、脊髄が断ち切れる直前までの感覚は全部覚えているんだよ」
生きたまま心臓が潰され、生きたまま致死量の血を流し、生きたまま全身に刃物を突き立てられ、生きたまま脊髄を引っこ抜かれる。それは健常者を容易く狂人に落とすであろう所業であり、死が救済となってしまうものでもある。
だがしかし、苦痛を求めるミカロナにとって、それは素晴らしきインスピレーションだ。
「こんな残酷な死に方はしたことがない。苦痛にはこんなものがあるのね。ああ、何と言う⋯⋯何と言う感覚? 苦しくて痛くて冷たくて怖くて気持ち悪くて、最高だよ! 死の感覚。蘇生されるからこそ、直接見れず、一回や二回では理解できない、知ることのできない苦痛の境地に一歩近づけた!」
ミカロナの『欲望』とは何か。それはありとあらゆる苦痛を誰かに与えてその反応を見ることであり、ありとあらゆる苦痛を味わうことでもある。その根幹とは何か。『欲望』がそうなった理由とは何か。
最も純粋な『欲望』の原始的理由、未知故に。そして、
「死の漠然とした不快感に触れられた。ありがとう、アレオス・サンデリス」
死という概念の解明と理解。それがミカロナの欲の根源である。
「狂人、化物め」
アレオスの常識では、ミカロナは確実に死亡したはずだった。しかし現実はどうだ。彼女は何事もなかったかのようにそこに居るではないか。
「君は今恐怖しているね。そうでもなければ、そこまで心臓の鼓動が早くなることはない」
ミカロナの能力は無条件に感覚を共鳴することができる。そしてそこで得た情報を、彼女の感覚で処理することも。
彼女はアレオスの感情を、感覚の情報から読み取った。それは大して高度な技術が必要なわけではない。
「どうしてだろうか? 多分、僕が生き返ったからだろうね。そうでしょ?」
アレオスは答えないが、かと言って攻撃に移れない。それを許されない雰囲気が、緊張感が場を支配していた。その大元は話し続ける。
「普通、蘇生魔法の発動条件は、対象の体が七割以上あることさ。六割以下だと発動もしない。だから、君は僕を殺したと思ったし、その判断は間違っちゃいなかった」
でも、とミカロナは付け足す。
「僕は緑の魔女だよ? そんな普通の事が、魔女たちに通じると思ったのかい?」
ミカロナは蘇生魔法の負の要素を、自身の魔法行使能力で打ち消すことができる。それは高い緑魔法への適正と、常人離れした魔法陣の構築技術があるからこそ行える常識外の能力。負の要素の軽減──そして最早、完全撤廃。
「君が死を僕に教えてくれた。理解しきれなかったけど、分かったことはあった。それを元にして、僕は蘇生魔法を進化させられたのさ」
生とは死があるからこその概念だ。では蘇生魔法も死があるからこそ存在し、死の概念がはっきりしたものであるほど蘇生魔法も高難易度の魔法となる。
「死とは即ち生きるということ。死なくして生は語れない。ならば、蘇生魔法の負の要素の正体は何か? ⋯⋯簡単な話さ。蘇生とは死を拒むということであり、生を拒むということでもある。それを何とかするために、わざわざ負の要素を組み込まないといけない。死にたくないと思うから、生を拒絶するのさ。七割ってのは、ほぼ全ての生物の最低基準でしかない」
魔法とは数学的な論理の元にある学問だが、同時に哲学的な要素も含む。それは一種の思い込みではあるが、そもそも魔法とは現実を捻じ曲げる技術であり、これは物理法則には当てはまらないものである、魔法学には物理学の土台が必要だが、物理学は魔法学の知識を切り離し考えなくてはならないと言われるように。
「つまりお前は⋯⋯魔法の常識を破った、ということか」
「いいや、違うね。魔法の可能性を突き止めたのさ」
死を拒むことが生を拒むことであるのならば、死を理解することは生を理解することである。死と生の境界が曖昧になったとき、蘇生魔法は最大限発揮される。
「僕は死を理解しきれていないけど、分かってきている。僕は体がなくとも、生命の根源である魂と魔力さえあれば生き返られるだろうね」
ミカロナの不死性に磨きがかかった。それでも、アレオスは負けただなんて思わない。であれば、魔力を消滅させれば良いだけなのだから。
「向かってくるか。〈破砕氷撃〉」
氷塊が空中に生成されて、かなりのスピードでアレオスに複数、飛んでくる。だが今更、それを斬り落とすことなんて容易だ。故に、彼はそれを避けようとした。『第六感』は何も、ミカロナにのみ許された能力ではないのだ。
「ははっ! 判断は良い。けど──駄目だね」
ミカロナは冷淡に答えた。直後、躱して真横を通り抜けるはずだった氷塊が、そこで砕け散った。弾けた氷の破片は鉄の強度を持ち、そんなものが直撃すれば普通の人間であれば全身がズタズタに切り裂かれるだろう。
「⋯⋯小癪な真似を」
勿論、普通の人間ではないアレオスには無数の切り傷を負った程度で、それが致命傷になることはなかった。その傷も魔法の効果で回復していき、すぐに傷はなくなった。
「流石はサンデリス神父。そんな程度じゃ大傷を負わせることもできないね。しかも、その武器とは相性も悪い⋯⋯さあ、次、僕が狙うのは何でしょーか? 分かるかい?」
ミカロナは姿勢を低くした。瞬間、アレオスの目の前に現れる。明らかにスピードが増しているが、それを目で追えられた彼には関係のない話だ。
彼女はその長い足を真上に上げる。足先はアレオスの身長より高い位置にあり、それから彼の頭を蹴ったのだ。
しかし、見切ってアレオスは容易く掴む。
「蹴りはそんなに便利なものではないですよ」
「乙女の足を掴むなんて、悪い神父様だこと」
ミカロナの靴に仕込まれた魔法陣が起動。詠唱を済ませていたそれは即ち即時発動ということであり、展開の予備動作を必要としない。
簡単に人の腕を吹き飛ばす威力の爆発が生じた。それによりミカロナの足もグチャグチャに弾け飛んだ。太腿から先が丸々なくなる、自爆である。
「割と高い靴なんだけどね。導魔率が高い素材だけで作ったものだからさ」
太腿から先が植物が成長でもするように生えていく。筋肉の繊維一本一本が伸びていき、絡まり合い、血が作られ、造形され、そして完治するまでにかかった時間はほんの数秒程度だ。
「⋯⋯お前たちが同じ人間であったことが信じ難い」
爆炎の中から銀色に輝く刃物が四本、ミカロナに投擲されるが、それは空気中の水分が氷結し、できた壁によって防がれた。
「〈極冷気の氷針〉」
煙をかき消す勢いで何かが創造されたが、そこには何もないように見えた。仕方のないことだ。何せ、それはあまりにも細いのだから。月明かりが反射して、それの存在をようやく知覚できた。
「⋯⋯僕の背後を取ったのは君が初めてだね」
ミカロナの頭が吹き飛ぶ。スティレットが突き刺さり、首の骨が折れて、頭だけが空を舞った。
そして頭がなくなった体は順当に倒れたが、倒れるまでの間に頭が生成される。勿論、ベレー帽はなくなっている。
「最早、生き物かさえ分からないほどしぶといですね」
体制を崩しているミカロナにスティレットを幾本も突き刺し、アレオスはもう一度首を刎ねようとした。が、
「何度も処刑される気はないよ」
ミカロナの濁ったような片目だけが光った。
「っ!?」
その異常事態と直感の警報に従い、アレオスは追撃を諦め、防御に入った。それをミカロナは嗤う。
「正解さ。存分に守りに入ると良い。⋯⋯尤も、無意味だろうけど」
能力向上時、能力者の瞳は光る。そして光る瞳は常に両目であり、今のミカロナのように片目だけが光ることはない。
ではそれは何か。能力なのだろうか。⋯⋯答えは否であり、かつ是だ。
「君にはありがとうとしか言えないね。僕は本当に恵まれている。君に会えたこと、死を語る魔女に会えたこと、そして僕を追い詰めてくれたこの世界に生まれたこと」
片目だけが光る能力行使とは、言わば不完全の能力行使。限定的な能力行使。勿論、ミカロナはあえてそうした。
「今は完成していない。でも、魔法を併用すれば限界まで近づけられる──僕の、能力の覚醒にっ!」
アレオスの猛攻は無意味に帰す。全て致命傷に繋がることが、ミカロナにとっては寧ろ好都合に働いたのだ。彼女は痛みや苦痛を望むが、死は何よりも嫌うからである。
「あれ? 君、もう疲れたのかい?」
逆。アレオスの動きはより洗練され、より早く、より強くなっている。全然疲れてなどいない。しかし、結果はそうだと言われても文句はつけられないほど劣勢であった。
「チッ⋯⋯」
舌打ちしたのは現状打破の手段を持っていないからではない。このタイミングでそれを使わなければならないと判断したからこそだった。
アレオスはまだ本気を出していない。もっと速く、もっと重く剣を振ることができる。しかししないのには理由がある。
(ここで全力を出せば、その後、確実に意識が朦朧とする。それでもミカロナを殺せるとは限らない)
ミカロナの魔法能力や戦闘技術は大して高くない。否、比較対象がエストなだけで、彼女の魔法が痒くもないわけではない。直撃すれば、魔法武器がないと一撃死もありえる。
ただ、その回避能力が何より厄介なのだ。そしてこれは、アレオスの強さが、誰でもない彼の足枷になってしまっている。
だからミカロナに勝つ方法は二つ。回避できない攻撃で即死させるか、体力を全て削りきり、回避行動が取れなくなってから殺すか。だが、後者は期待すべきではない。自分の限界は自分が一番良く知っているはずなのである。
(しかし⋯⋯現状維持は何よりも愚かな選択だ)
アレオスはミカロナから一気に距離を取った。普通、魔法使いから離れることは悪手も悪手だ。が、ことアレオスにおいてはその限りではない。ミカロナもそのことに気が付き、それから『第六感』が囁いた、危険だと。
「は──」
瞬きをすれば距離を詰められ、いつの間にか殺されていることはある。だから彼女らの戦いでは瞬き一つにも気を配り、無意識ではなく意識的に行うものだ。したがって、ミカロナは今、瞬きなんてしていないと誓える。
(この僕が見えもせず、反応もできなかった。何が起こったのかを理解できても、体がそれに追いつけなかった⋯⋯っ)
先程までは、知覚→判断→行動が間に合った。しかし今は、知覚までしか間に合わない。行動までのタイムラグの間に、アレオスは動いているのである。
故に、ミカロナは胸を十字架で貫かれ、心臓を的確に潰された。
「ッ!」
更に剣ごとミカロナの体を吹き飛ばし、壁に叩きつける。十字架には神聖属性が付与されており、擬似的な魔族の封印効果を持つためだ。
懐からスティレットを八本取り出す。
「URAAAAAAAAAAAAAA!」
そして、アレオスはそれをミカロナに投げつけた。何度も何度も、もう刺せる所がなくなるまで投げ続けた。
それからゆっくりと歩いて、全身くまなくスティレットが突き刺さったミカロナに近づき、無抵抗な彼女の頭を片手で潰し、脊髄ごと引き抜いた。
「⋯⋯服を少し汚してしまったな」
戦技もましてや魔法も何も使っていないが、この短時間でも全力を出すことは非常に体へ負荷をかけることになる。まだ想定していたより早く終わったから、過呼吸にもならなかったが。
「さて、帝国に帰らねば」
脳を完全に破壊し、スティレットの神聖属性によってミカロナの体の三割以上は蒸発している。これならば蘇生魔法は効果を発揮しない。ミカロナが復活することはないと、アレオスは確信した。
彼は死体に背を向けて歩き出す。癖となった手袋の口を引く行為をした。
窓から入ってきた月明かりが、彼を横から照らした。その影は青白い部屋の床に投じられ、そして気がついた──その影が、二人分であることに。
「────!」
声にならない叫び声。何を言っているか分からない。だが、それは確実に狂気であろう。
──人間のシルエットを得ただけの肉塊のようなものが、アレオスを背後から襲った。それが伸ばした触手のような腕の先には十字架を模した氷の剣が巻かれている。
間一髪の所でアレオスはそれの攻撃を防いだが、違和感を覚えた。殺意がないのだ。これで殺そうとする、明確な意思が全く無い。まるで無機質。機械でも相手にしているような感覚。
「⋯⋯そうか。いや、正しくそうなのか」
それは肉塊であり、血が通っていて、命の暖かさがある。だがそれは生きていないし、感情や理性を持っていない。人造人間ではなく、人工知能──所詮は模倣しかできない怪物がそれの正体だ。
しかしながら、それは段々と感情を取り戻していく。
「あはっ。アハハハハハハハハハハハハハハハッ!」
狂喜乱舞とはまさにこのこと。シルエットではなく外見そのものが人となった彼女が真っ先に行った事とは、理性を捻り潰したような感情の爆発だ。
「僕はここまで滅多刺しされて、脊髄を抜き取られて死ぬのは初めてだよ。ねぇ知ってる? 死ぬ寸前までの感覚は全て完璧に感じられるんだ。麻痺なんてしない。苦痛から解き放たれるのは死の後だけなのさ。そして僕たち魔女は、その生命力が常人よりある。だから、脊髄が断ち切れる直前までの感覚は全部覚えているんだよ」
生きたまま心臓が潰され、生きたまま致死量の血を流し、生きたまま全身に刃物を突き立てられ、生きたまま脊髄を引っこ抜かれる。それは健常者を容易く狂人に落とすであろう所業であり、死が救済となってしまうものでもある。
だがしかし、苦痛を求めるミカロナにとって、それは素晴らしきインスピレーションだ。
「こんな残酷な死に方はしたことがない。苦痛にはこんなものがあるのね。ああ、何と言う⋯⋯何と言う感覚? 苦しくて痛くて冷たくて怖くて気持ち悪くて、最高だよ! 死の感覚。蘇生されるからこそ、直接見れず、一回や二回では理解できない、知ることのできない苦痛の境地に一歩近づけた!」
ミカロナの『欲望』とは何か。それはありとあらゆる苦痛を誰かに与えてその反応を見ることであり、ありとあらゆる苦痛を味わうことでもある。その根幹とは何か。『欲望』がそうなった理由とは何か。
最も純粋な『欲望』の原始的理由、未知故に。そして、
「死の漠然とした不快感に触れられた。ありがとう、アレオス・サンデリス」
死という概念の解明と理解。それがミカロナの欲の根源である。
「狂人、化物め」
アレオスの常識では、ミカロナは確実に死亡したはずだった。しかし現実はどうだ。彼女は何事もなかったかのようにそこに居るではないか。
「君は今恐怖しているね。そうでもなければ、そこまで心臓の鼓動が早くなることはない」
ミカロナの能力は無条件に感覚を共鳴することができる。そしてそこで得た情報を、彼女の感覚で処理することも。
彼女はアレオスの感情を、感覚の情報から読み取った。それは大して高度な技術が必要なわけではない。
「どうしてだろうか? 多分、僕が生き返ったからだろうね。そうでしょ?」
アレオスは答えないが、かと言って攻撃に移れない。それを許されない雰囲気が、緊張感が場を支配していた。その大元は話し続ける。
「普通、蘇生魔法の発動条件は、対象の体が七割以上あることさ。六割以下だと発動もしない。だから、君は僕を殺したと思ったし、その判断は間違っちゃいなかった」
でも、とミカロナは付け足す。
「僕は緑の魔女だよ? そんな普通の事が、魔女たちに通じると思ったのかい?」
ミカロナは蘇生魔法の負の要素を、自身の魔法行使能力で打ち消すことができる。それは高い緑魔法への適正と、常人離れした魔法陣の構築技術があるからこそ行える常識外の能力。負の要素の軽減──そして最早、完全撤廃。
「君が死を僕に教えてくれた。理解しきれなかったけど、分かったことはあった。それを元にして、僕は蘇生魔法を進化させられたのさ」
生とは死があるからこその概念だ。では蘇生魔法も死があるからこそ存在し、死の概念がはっきりしたものであるほど蘇生魔法も高難易度の魔法となる。
「死とは即ち生きるということ。死なくして生は語れない。ならば、蘇生魔法の負の要素の正体は何か? ⋯⋯簡単な話さ。蘇生とは死を拒むということであり、生を拒むということでもある。それを何とかするために、わざわざ負の要素を組み込まないといけない。死にたくないと思うから、生を拒絶するのさ。七割ってのは、ほぼ全ての生物の最低基準でしかない」
魔法とは数学的な論理の元にある学問だが、同時に哲学的な要素も含む。それは一種の思い込みではあるが、そもそも魔法とは現実を捻じ曲げる技術であり、これは物理法則には当てはまらないものである、魔法学には物理学の土台が必要だが、物理学は魔法学の知識を切り離し考えなくてはならないと言われるように。
「つまりお前は⋯⋯魔法の常識を破った、ということか」
「いいや、違うね。魔法の可能性を突き止めたのさ」
死を拒むことが生を拒むことであるのならば、死を理解することは生を理解することである。死と生の境界が曖昧になったとき、蘇生魔法は最大限発揮される。
「僕は死を理解しきれていないけど、分かってきている。僕は体がなくとも、生命の根源である魂と魔力さえあれば生き返られるだろうね」
ミカロナの不死性に磨きがかかった。それでも、アレオスは負けただなんて思わない。であれば、魔力を消滅させれば良いだけなのだから。
「向かってくるか。〈破砕氷撃〉」
氷塊が空中に生成されて、かなりのスピードでアレオスに複数、飛んでくる。だが今更、それを斬り落とすことなんて容易だ。故に、彼はそれを避けようとした。『第六感』は何も、ミカロナにのみ許された能力ではないのだ。
「ははっ! 判断は良い。けど──駄目だね」
ミカロナは冷淡に答えた。直後、躱して真横を通り抜けるはずだった氷塊が、そこで砕け散った。弾けた氷の破片は鉄の強度を持ち、そんなものが直撃すれば普通の人間であれば全身がズタズタに切り裂かれるだろう。
「⋯⋯小癪な真似を」
勿論、普通の人間ではないアレオスには無数の切り傷を負った程度で、それが致命傷になることはなかった。その傷も魔法の効果で回復していき、すぐに傷はなくなった。
「流石はサンデリス神父。そんな程度じゃ大傷を負わせることもできないね。しかも、その武器とは相性も悪い⋯⋯さあ、次、僕が狙うのは何でしょーか? 分かるかい?」
ミカロナは姿勢を低くした。瞬間、アレオスの目の前に現れる。明らかにスピードが増しているが、それを目で追えられた彼には関係のない話だ。
彼女はその長い足を真上に上げる。足先はアレオスの身長より高い位置にあり、それから彼の頭を蹴ったのだ。
しかし、見切ってアレオスは容易く掴む。
「蹴りはそんなに便利なものではないですよ」
「乙女の足を掴むなんて、悪い神父様だこと」
ミカロナの靴に仕込まれた魔法陣が起動。詠唱を済ませていたそれは即ち即時発動ということであり、展開の予備動作を必要としない。
簡単に人の腕を吹き飛ばす威力の爆発が生じた。それによりミカロナの足もグチャグチャに弾け飛んだ。太腿から先が丸々なくなる、自爆である。
「割と高い靴なんだけどね。導魔率が高い素材だけで作ったものだからさ」
太腿から先が植物が成長でもするように生えていく。筋肉の繊維一本一本が伸びていき、絡まり合い、血が作られ、造形され、そして完治するまでにかかった時間はほんの数秒程度だ。
「⋯⋯お前たちが同じ人間であったことが信じ難い」
爆炎の中から銀色に輝く刃物が四本、ミカロナに投擲されるが、それは空気中の水分が氷結し、できた壁によって防がれた。
「〈極冷気の氷針〉」
煙をかき消す勢いで何かが創造されたが、そこには何もないように見えた。仕方のないことだ。何せ、それはあまりにも細いのだから。月明かりが反射して、それの存在をようやく知覚できた。
「⋯⋯僕の背後を取ったのは君が初めてだね」
ミカロナの頭が吹き飛ぶ。スティレットが突き刺さり、首の骨が折れて、頭だけが空を舞った。
そして頭がなくなった体は順当に倒れたが、倒れるまでの間に頭が生成される。勿論、ベレー帽はなくなっている。
「最早、生き物かさえ分からないほどしぶといですね」
体制を崩しているミカロナにスティレットを幾本も突き刺し、アレオスはもう一度首を刎ねようとした。が、
「何度も処刑される気はないよ」
ミカロナの濁ったような片目だけが光った。
「っ!?」
その異常事態と直感の警報に従い、アレオスは追撃を諦め、防御に入った。それをミカロナは嗤う。
「正解さ。存分に守りに入ると良い。⋯⋯尤も、無意味だろうけど」
能力向上時、能力者の瞳は光る。そして光る瞳は常に両目であり、今のミカロナのように片目だけが光ることはない。
ではそれは何か。能力なのだろうか。⋯⋯答えは否であり、かつ是だ。
「君にはありがとうとしか言えないね。僕は本当に恵まれている。君に会えたこと、死を語る魔女に会えたこと、そして僕を追い詰めてくれたこの世界に生まれたこと」
片目だけが光る能力行使とは、言わば不完全の能力行使。限定的な能力行使。勿論、ミカロナはあえてそうした。
「今は完成していない。でも、魔法を併用すれば限界まで近づけられる──僕の、能力の覚醒にっ!」
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2024年10月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
1ページの文字数は少な目です。
約4500文字程度の番外編です。
バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`)
ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑)
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
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やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
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椿蛍
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※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
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