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第七章「暁に至る時」
第百九十六話 師弟の再会
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──長い、長い夢を見ていた気がする。
(眠っていた? ⋯⋯この我が?)
丸めていた体を伸ばし、彼は口を大きく開き、欠伸をする。普通であれば涙が眼球を覆うはずだが、眼球がない彼にそれは起きない。
『ふわぁ⋯⋯どれぐらい眠っていたんだろうか?』
口を動かすことなく彼は声を発する。心の中で十分だというのに言葉を話すのは、それを忘れないため。人であってもドラゴンであっても、使わないものはすぐに忘れる。
今日も今日とて彼はただ待っていた。彼の主、もしくは墳墓への侵入者を。待っている、いつまでも。いつまででも。
侵入者は滅多に来ない。高頻度であっても百年に一回ほどだ。しかし彼に正常な時間感覚はなく、一年はぼーっとしていたら過ぎるようなものだが、ここに辿り着く者との戦いは数分であっても、長い時間を過ごしているような感覚になる。
『⋯⋯ん?』
そんな時、もしくはある日、彼は久しく彼の親友と出会った。
彼の親友と最後にあったのは数百年も前のことだが、彼にとっては少し前のことのように感じられた。
「イリシル、気がついた?」
真っ黒な髪に、真っ赤な瞳。喪服に全身を包み、肌の露出が殆ど無い少女がイリシルの目の前に現れた。
イリシルの親友、イザベリアは、突然そんなことを聞いてきた。気がついたとは一体なんの事であるのか、さっぱり分かりはしない。
『何のことだ?』
「⋯⋯あなたやっぱり弱くなってるね」
変なことを聞いてきたかとも思えば、次には罵倒が飛んできた。理不尽極まりないが、イザベリアはイリシルを貶めたいわけではないらしく、でなければこうも失望した目は向けられないはずだ。
『失礼だな』
「事実よ。⋯⋯まあ、端的に言うと、世界がループしたのよ、ついさっきね」
この子供は何を言っているのだろうか。世界のループなど馬鹿馬鹿しい話があるだなんて頭がおかしい──なんて、イリシルは言えなかった。イザベリアはこんな嘘は言わない。彼女が口にするものは、彼女の考えと事実だけだ。あとは下らなく、しかし笑える嘘だけ。
「勿論、私の能力じゃない。でもそれに限りなく近いもの⋯⋯いや、全く同一のものかな」
イザベリアは前回の記憶を持っている。ああ、覚えている。エストのこと、そして、記憶を失い、人が変わってしまった彼らの師匠──マサカズのことも。
「世界はループした。少なくとも私には一回しか観測できなかったけど、前回、私は墳墓から出た。⋯⋯ねぇ、イリシル。私はこれまで、心のどこかで師匠を待っていたんだと思う。でも、事態は急変した。だから、お願い。私をここから出して」
墳墓は元よりイザベリアを守るためのもの。そして外部をイザベリアから守るためのものでもある。彼女の死は下手をすれば千年以上の年月を巻き戻すきっかけとなり、死に戻りしないという事自体を彼女は制御できないし、そしてそれは彼女が完璧な不死であるということでもある。彼女にとっての寿命は、リセットへのカウントダウンのようなものだ。
そして何より、彼女の肉体は強固なクリスタルによって護られている。開放の方法は二つだけで、一つは魂の波長が合う相手の魂に入り込むこと。もう一つはクリスタルを破壊し、イザベリアの魂をそこに移すこと。後者に関しては不可逆的なものである。
『駄目だ。もし汝が死んだのなら、どうなるのだ。製法を知る者は今、ここに居ないクリスタルを破壊すれば、世界はループし続けることになるぞ』
「そんなもの、私が何とかして造る。それに、私が居ないと世界はまたループするかもしれないんだよ!」
イザベリアは叫んだ。それほど必死ということだ。イリシルもそれは怖いことだ。だが、それは許可できない。イザベリアが死ぬ可能性が少しでもあるならば。あるいは彼女の魂のみを他の人体に移せたなら良かったかもしれない。けれど、ここに魂の波長が合うものは居ない。
『しかし⋯⋯』
「っ⋯⋯」
イザベリアの精神体は魂がなければ顕現できないが、魂は器がなければ存在できない。墳墓は彼女の器であり、故に墳墓内では精神体が顕現できるが、墳墓から出ていけばできなくなる。つまりイザベリアが単身で墳墓内に出るには、彼女の本体を目覚めさせる必要かあるのだが、イザベリアは自分で自分の肉体を開放することができない。そういう魔法が組み込まれているのだ。
「⋯⋯分かった」
そして先に折れたのはイザベリアだった。その言葉を最後に、彼女の姿は霧のように消え去った。
◆◆◆
世界のループの発覚から二週間が経過した。イザベリアは何もすることが許されず、ただ魔女たちの記憶を見ていただけだった。
「⋯⋯緑と黄の記憶に介入できない」
『魔女化の儀式』によって、イザベリアは六色魔女の記憶を見ることができる。しかし、今、緑と黄色の記憶のみ見ることができなかった。おそらくメーデアによって記憶閲覧が妨害されているのだろう。どうやってそれに気がついたのかはわからないが、この調子だと魔女の力の徴収もできないかもしれない。する気もあまりないが。
「もどかしいなぁ⋯⋯」
ただ見ているだけしかできないのは何より苦しいことだ。エストに手を差し伸べることができないのが何より辛く、もどかしい。
そんなことを、第四階層のプライベートルームでずっと思っているときだった。
「イザベリア」
突然、部屋の扉が開かれた。そして彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。イリシルは基本的にこの階層に降りてこないし、その声は彼のものでなかった。しかし、知らない声ではなく、
「────」
イザベリアは振り返ると、そこには、
「⋯⋯久しぶり、だな」
黒髪の少年。そして見知った相手。前回、記憶を失っていたはずの彼。
──イザベリアの師匠、マサカズがそこに居た。
「ごめんな。約束守れなくて。⋯⋯本当に、本当に⋯⋯ごめんな、イザベリア」
イザベリアは状況が飲み込めていなかった。なぜマサカズは今回、記憶を取り戻した? そしてどうやってここに来た?
「⋯⋯師匠」
ああ、彼はイザベリアの師匠だ。偽物でもなければ、幻覚でもない。正真正銘、彼自身だ。
けれど、
「⋯⋯何で、今更。遅いよ。何で、何で私を今まで忘れていたの! 千年! 千年よ! 私が過ごした年月。イリシルがあなたを待った年月。どれだけ待たせたと思ってるの!?」
イザベリアはマサカズに対して、失望していた。彼は自分を置いていったわけではなかった。が、それでも救われなかったのは事実だ。彼はイザベリアに救ってやると言った。なのに、彼は何もしなかった。できなかった。殺してさえも、くれなかった。
「あなたは私を置いていった。捨てた。それで今更謝られたって、許せないよ。昔のあなたでも無理だったのに、今のあなたになんかできやしない。⋯⋯私のことなんて忘れていて欲しかった」
マサカズは何も言えなかった。反論の余地などなかったから。
「前回、あなたが記憶を失っていると知ったとき、絶望したよ。最悪な気持ちになった。だけど、心のどこかでは嬉しかった。踏ん切りがついたと思ったから。もう、私はこうして、永久に自由のない状態で生き続けるしかないと悟ったから。諦められたから」
イザベリアの瞳には涙が浮かばなかった。彼女は感情的になることができたが、涙は流せなかった。もう彼女の涙は枯れていたからだ。そして何より、彼女には怒りの感情があったから。
「でも⋯⋯世界はループし、あなたは私の目の前に現れた。⋯⋯私は諦められなくなった。期待しているんだよ。師匠ならどうにかできるかもって。それが何より嫌だ。期待させておいて、落されるのは嫌なんだよ。私は私自身でさえも殺せない。黒の魔女はあるいは可能かもしれないけど、奴が私を滅ぼすとしたら世界ごと。そんなことできない」
イザベリアは思っていること全部を吐き出した。怒鳴り散らした。それをマサカズは何も言わずに聞いていた。そして、彼女が全てを言い終わったとき、
「⋯⋯君がエストを愛したのは、彼女なら君を救えるからか?」
「⋯⋯⋯⋯」
「自覚はなかったかもしれないな。⋯⋯でも、間違いじゃない。⋯⋯ああ、そうだ。エストには、君を救える可能性がある」
イザベリアを救える方法はたった一つ。彼女に不老不死の魔法を行使すること。そうすることで世界はループはしなくなる。
「俺がエストに〈不老不死〉を教えればできるかもしれない。今の所彼女は白系統と赤系統の第十一階級魔法しか使えないようだったが、おそらくでも何でもなく、確実に、全ての系統の魔法が使えるようになるのは時間の問題だ。それが何年、何十年後の話であるかは分からないが⋯⋯ともかく、俺には分かる」
昔の魔法使いとしての勘が、創造主としての知識が、エストは全ての系統への完全な適性を持っていると言っている。少なくとも今すぐには使えないにしても、将来的には行使できるようになる。
「⋯⋯イザベリア、俺がここに来たのは、君を救うためじゃない」
「⋯⋯え」
マサカズはイザベリアに目線を合わせるため、しゃがむ。
「今の俺は、魔法なんか使えやしない。何もできない。俺がここに来たのは──イザベリア、君に救ってほしいからだ」
ここでイザベリアを救ってやるなんて、カッコイイ事言えなかった。彼は目的達成のためによく嘘をついたし、それに悪気も感じていなかったが、イザベリアにはその嘘がつけなかった。
例え嘘でも、イザベリアはその言葉で喜んでくれただろう。マサカズを許してくれただろう。口では拒絶を言っているが、彼女のマサカズへの尊敬や好意は薄れていない。きっと彼女は、嘘と知っていてそれを信じた。期待したくないと言いつつも。だがそれは、彼女の心に更に傷をつけるようなものだ。
「俺に手を貸してくれ。今度は君が、俺を救ってくれ。魔法が使えない俺の代わりに、魔法を使ってくれ」
──マサカズはイザベリアをここから開放するつもりだ。
「俺も君も、エストが必要だ。皆が必要だ。だからそのために、俺と一緒にここを出よう。⋯⋯始祖の魔女の墳墓は、もう要らないんだ」
マサカズはイザベリアを救えない。しかし、イザベリアはマサカズを救うことができる。マサカズはイザベリアの期待を裏切ってしまった。だが、イザベリアはマサカズの期待に応えることができる。
かつてマサカズがイザベリアを救ったように、今度は彼女が彼を救う番だ、と、師匠は言ったのだ。
「⋯⋯師匠」
「⋯⋯ああ」
イザベリアは決心した。いや、認めたのかもしれない。
「やっぱり、私はあなたのことを嫌いになれないよ。⋯⋯そういうところ大好き」
「──ああ。俺もお前のことが大切だ」
マサカズはイザベリアを抱きしめた。本当の意味で、今度はようやく再会できたのだ。もう、記憶を失っていない。彼には千五百年前の記憶が存在する。色褪せてなんかいない、あのときの記憶が。
「師匠、泣いてるの?」
「っ、な、泣いてんなんかいない。これは⋯⋯ちょっと目にゴミが入っただけだ」
勿論嘘だ。震えている声を聞けば、彼が泣いていることなんて丸分かりだった。
思えば、イザベリアは師匠が泣いている姿を見たことがなかった。見てみたいという気持ちもあったが、彼女はその気持ちを抑えた。そっとしておくべきだろう。
「⋯⋯ごめんな。ありがとう」
「うん。⋯⋯また、よろしくね」
◆◆◆
「イリシルーっ!」
「我が主ぃーっ!」
つい先程はイザベリアと仲直りするために一旦保留にしたマサカズとイリシルの再会を、今行った。イリシルは人間形態になってマサカズと抱き合い、そして手を掴んで回った。マサカズが。
「大きくなったなぁー! そんなになるまで会えなかってごめんなぁ。イリシル」
「いいぞ主! 我はきっといつか会えるとずっと思ってたからな! あ、でも少し長かったから願いを聞いて欲しい」
さり気なく待たせすぎだとイリシルは──無意識だったが──言った。その何気ない言葉にマサカズの罪悪感は刺激された。
「何だ? 俺にできることなら何でも言ってくれ」
「我の背中に乗って一緒に飛び回りたいのだ」
「そんなことでいいのか? 勿論だ!」
わーい、わーいとイリシルはマサカズを振り回し歓喜している。それを傍目で見ていたイザベリアは溜め息をつき、そしてマサカズが連れてきた亜人のグレイに話しかけられた。
「マサカズは凄い人だね。君やあのドラゴンの師匠だなんて」
先程あったばかりだが、結構馴れ馴れしくグレイはイザベリアに話し掛けた。それが不愉快なことはないが、少しだけ怖かった。
「まあね。私たちが今ここにいるのは師匠がいたから。今でこそ師匠は弱いけど、昔は私より──少し弱い程度だったんだよ?」
「へ、へぇ⋯⋯」
イザベリアはマサカズを師匠だとは認めているが、それでも自分の単純な力なら昔のマサカズより弱いと認めていないし事実だ。でも本気の殺し合いをしたなら勝てないような気もする。それはマサカズの姑息さと、創造主の特権とも言える圧倒的な知識量に負けるからだ。でもイザベリアは師匠より強いと思ってる。そこだけは譲らない。
「⋯⋯あっ」
イリシルはあまりにも歓喜したようで、勢い余って手が滑り、マサカズの体は壁に叩きつけられた。そして骨が折れた。
「主ぃーっ!?」
「全く⋯⋯」
放っておけば死ぬような傷だったから、イザベリアはマサカズに治癒魔法を行使したが、イリシルはそれで安心せず、マサカズの元に駆け寄る。そして体を揺らし、必死になって声を掛ける。
イザベリアはマサカズの傷は治したが、痛みは止めなかった。
「イザベリア⋯⋯もしかしてまだ怒ってる?」
「⋯⋯全然。私との再会には師匠笑わなくて、イリシルには満面の笑みを見せていることに嫉妬なんか一切してないから」
「君との再会に笑顔で臨めるほど俺は屑じゃないぜ!?」
「冗談よ」
まあそんなこんながあり、感動の再会を済ませたマサカズはイザベリアたちに今の状況について話した。
イザベリアは現状にある程度の理解を持っていたが、イリシルはまるで信じられないといった表情を浮かべていた。それを聞いていたグレイも同様で、彼にしては珍しく困惑の表情を浮かべていた。
「⋯⋯つまり、俺たちはこれから黒の教団を正面から潰すことになるな」
エストからの連絡が、墳墓に来る前にあり、それによると世界終焉魔法陣の破壊は順調らしい。だからあとはメーデア本人と黒の教団を真っ向から潰すだけである。が、それが何だかんだで一番難しい。
「俺たちの集合予定は今日から一週間後だが⋯⋯イザベリア曰く、イリシル、お前力が弱くなっているらしいな?」
「うっ⋯⋯」
イリシルはイザベリアとほぼ同等の力を有していたはずだ。しかし彼はループを察知できない。『逸脱者』だからといってマサカズの『死に戻り』を察知できるわけではないが、違和感さえも覚えないのはつまりそういうことだ。
「ついでにグレイの鍛錬も兼ねて、あと俺もそうだな。うん。まあ⋯⋯一週間でできるだけ強くなる。それからウェレール王国でエストたちと合流し、そして──黒の教団に全面戦争を仕掛ける」
「分かった」「了解したぞ、主よ」「はーい」
三人の返事を聞いたマサカズは立ち上がる。
「よし! じゃあ早速取り掛かるぞ!」
イザベリアが用意した超広大な空間で、四人はそれぞれ修行を始めた。食べ物なんかは魔法で用意したりして、一週間という時間を最大限に活用した。
──そうして一週間後、彼らは『封魔核』から開放されたイザベリアの転移魔法によってウェレール王国に転移した。
(眠っていた? ⋯⋯この我が?)
丸めていた体を伸ばし、彼は口を大きく開き、欠伸をする。普通であれば涙が眼球を覆うはずだが、眼球がない彼にそれは起きない。
『ふわぁ⋯⋯どれぐらい眠っていたんだろうか?』
口を動かすことなく彼は声を発する。心の中で十分だというのに言葉を話すのは、それを忘れないため。人であってもドラゴンであっても、使わないものはすぐに忘れる。
今日も今日とて彼はただ待っていた。彼の主、もしくは墳墓への侵入者を。待っている、いつまでも。いつまででも。
侵入者は滅多に来ない。高頻度であっても百年に一回ほどだ。しかし彼に正常な時間感覚はなく、一年はぼーっとしていたら過ぎるようなものだが、ここに辿り着く者との戦いは数分であっても、長い時間を過ごしているような感覚になる。
『⋯⋯ん?』
そんな時、もしくはある日、彼は久しく彼の親友と出会った。
彼の親友と最後にあったのは数百年も前のことだが、彼にとっては少し前のことのように感じられた。
「イリシル、気がついた?」
真っ黒な髪に、真っ赤な瞳。喪服に全身を包み、肌の露出が殆ど無い少女がイリシルの目の前に現れた。
イリシルの親友、イザベリアは、突然そんなことを聞いてきた。気がついたとは一体なんの事であるのか、さっぱり分かりはしない。
『何のことだ?』
「⋯⋯あなたやっぱり弱くなってるね」
変なことを聞いてきたかとも思えば、次には罵倒が飛んできた。理不尽極まりないが、イザベリアはイリシルを貶めたいわけではないらしく、でなければこうも失望した目は向けられないはずだ。
『失礼だな』
「事実よ。⋯⋯まあ、端的に言うと、世界がループしたのよ、ついさっきね」
この子供は何を言っているのだろうか。世界のループなど馬鹿馬鹿しい話があるだなんて頭がおかしい──なんて、イリシルは言えなかった。イザベリアはこんな嘘は言わない。彼女が口にするものは、彼女の考えと事実だけだ。あとは下らなく、しかし笑える嘘だけ。
「勿論、私の能力じゃない。でもそれに限りなく近いもの⋯⋯いや、全く同一のものかな」
イザベリアは前回の記憶を持っている。ああ、覚えている。エストのこと、そして、記憶を失い、人が変わってしまった彼らの師匠──マサカズのことも。
「世界はループした。少なくとも私には一回しか観測できなかったけど、前回、私は墳墓から出た。⋯⋯ねぇ、イリシル。私はこれまで、心のどこかで師匠を待っていたんだと思う。でも、事態は急変した。だから、お願い。私をここから出して」
墳墓は元よりイザベリアを守るためのもの。そして外部をイザベリアから守るためのものでもある。彼女の死は下手をすれば千年以上の年月を巻き戻すきっかけとなり、死に戻りしないという事自体を彼女は制御できないし、そしてそれは彼女が完璧な不死であるということでもある。彼女にとっての寿命は、リセットへのカウントダウンのようなものだ。
そして何より、彼女の肉体は強固なクリスタルによって護られている。開放の方法は二つだけで、一つは魂の波長が合う相手の魂に入り込むこと。もう一つはクリスタルを破壊し、イザベリアの魂をそこに移すこと。後者に関しては不可逆的なものである。
『駄目だ。もし汝が死んだのなら、どうなるのだ。製法を知る者は今、ここに居ないクリスタルを破壊すれば、世界はループし続けることになるぞ』
「そんなもの、私が何とかして造る。それに、私が居ないと世界はまたループするかもしれないんだよ!」
イザベリアは叫んだ。それほど必死ということだ。イリシルもそれは怖いことだ。だが、それは許可できない。イザベリアが死ぬ可能性が少しでもあるならば。あるいは彼女の魂のみを他の人体に移せたなら良かったかもしれない。けれど、ここに魂の波長が合うものは居ない。
『しかし⋯⋯』
「っ⋯⋯」
イザベリアの精神体は魂がなければ顕現できないが、魂は器がなければ存在できない。墳墓は彼女の器であり、故に墳墓内では精神体が顕現できるが、墳墓から出ていけばできなくなる。つまりイザベリアが単身で墳墓内に出るには、彼女の本体を目覚めさせる必要かあるのだが、イザベリアは自分で自分の肉体を開放することができない。そういう魔法が組み込まれているのだ。
「⋯⋯分かった」
そして先に折れたのはイザベリアだった。その言葉を最後に、彼女の姿は霧のように消え去った。
◆◆◆
世界のループの発覚から二週間が経過した。イザベリアは何もすることが許されず、ただ魔女たちの記憶を見ていただけだった。
「⋯⋯緑と黄の記憶に介入できない」
『魔女化の儀式』によって、イザベリアは六色魔女の記憶を見ることができる。しかし、今、緑と黄色の記憶のみ見ることができなかった。おそらくメーデアによって記憶閲覧が妨害されているのだろう。どうやってそれに気がついたのかはわからないが、この調子だと魔女の力の徴収もできないかもしれない。する気もあまりないが。
「もどかしいなぁ⋯⋯」
ただ見ているだけしかできないのは何より苦しいことだ。エストに手を差し伸べることができないのが何より辛く、もどかしい。
そんなことを、第四階層のプライベートルームでずっと思っているときだった。
「イザベリア」
突然、部屋の扉が開かれた。そして彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。イリシルは基本的にこの階層に降りてこないし、その声は彼のものでなかった。しかし、知らない声ではなく、
「────」
イザベリアは振り返ると、そこには、
「⋯⋯久しぶり、だな」
黒髪の少年。そして見知った相手。前回、記憶を失っていたはずの彼。
──イザベリアの師匠、マサカズがそこに居た。
「ごめんな。約束守れなくて。⋯⋯本当に、本当に⋯⋯ごめんな、イザベリア」
イザベリアは状況が飲み込めていなかった。なぜマサカズは今回、記憶を取り戻した? そしてどうやってここに来た?
「⋯⋯師匠」
ああ、彼はイザベリアの師匠だ。偽物でもなければ、幻覚でもない。正真正銘、彼自身だ。
けれど、
「⋯⋯何で、今更。遅いよ。何で、何で私を今まで忘れていたの! 千年! 千年よ! 私が過ごした年月。イリシルがあなたを待った年月。どれだけ待たせたと思ってるの!?」
イザベリアはマサカズに対して、失望していた。彼は自分を置いていったわけではなかった。が、それでも救われなかったのは事実だ。彼はイザベリアに救ってやると言った。なのに、彼は何もしなかった。できなかった。殺してさえも、くれなかった。
「あなたは私を置いていった。捨てた。それで今更謝られたって、許せないよ。昔のあなたでも無理だったのに、今のあなたになんかできやしない。⋯⋯私のことなんて忘れていて欲しかった」
マサカズは何も言えなかった。反論の余地などなかったから。
「前回、あなたが記憶を失っていると知ったとき、絶望したよ。最悪な気持ちになった。だけど、心のどこかでは嬉しかった。踏ん切りがついたと思ったから。もう、私はこうして、永久に自由のない状態で生き続けるしかないと悟ったから。諦められたから」
イザベリアの瞳には涙が浮かばなかった。彼女は感情的になることができたが、涙は流せなかった。もう彼女の涙は枯れていたからだ。そして何より、彼女には怒りの感情があったから。
「でも⋯⋯世界はループし、あなたは私の目の前に現れた。⋯⋯私は諦められなくなった。期待しているんだよ。師匠ならどうにかできるかもって。それが何より嫌だ。期待させておいて、落されるのは嫌なんだよ。私は私自身でさえも殺せない。黒の魔女はあるいは可能かもしれないけど、奴が私を滅ぼすとしたら世界ごと。そんなことできない」
イザベリアは思っていること全部を吐き出した。怒鳴り散らした。それをマサカズは何も言わずに聞いていた。そして、彼女が全てを言い終わったとき、
「⋯⋯君がエストを愛したのは、彼女なら君を救えるからか?」
「⋯⋯⋯⋯」
「自覚はなかったかもしれないな。⋯⋯でも、間違いじゃない。⋯⋯ああ、そうだ。エストには、君を救える可能性がある」
イザベリアを救える方法はたった一つ。彼女に不老不死の魔法を行使すること。そうすることで世界はループはしなくなる。
「俺がエストに〈不老不死〉を教えればできるかもしれない。今の所彼女は白系統と赤系統の第十一階級魔法しか使えないようだったが、おそらくでも何でもなく、確実に、全ての系統の魔法が使えるようになるのは時間の問題だ。それが何年、何十年後の話であるかは分からないが⋯⋯ともかく、俺には分かる」
昔の魔法使いとしての勘が、創造主としての知識が、エストは全ての系統への完全な適性を持っていると言っている。少なくとも今すぐには使えないにしても、将来的には行使できるようになる。
「⋯⋯イザベリア、俺がここに来たのは、君を救うためじゃない」
「⋯⋯え」
マサカズはイザベリアに目線を合わせるため、しゃがむ。
「今の俺は、魔法なんか使えやしない。何もできない。俺がここに来たのは──イザベリア、君に救ってほしいからだ」
ここでイザベリアを救ってやるなんて、カッコイイ事言えなかった。彼は目的達成のためによく嘘をついたし、それに悪気も感じていなかったが、イザベリアにはその嘘がつけなかった。
例え嘘でも、イザベリアはその言葉で喜んでくれただろう。マサカズを許してくれただろう。口では拒絶を言っているが、彼女のマサカズへの尊敬や好意は薄れていない。きっと彼女は、嘘と知っていてそれを信じた。期待したくないと言いつつも。だがそれは、彼女の心に更に傷をつけるようなものだ。
「俺に手を貸してくれ。今度は君が、俺を救ってくれ。魔法が使えない俺の代わりに、魔法を使ってくれ」
──マサカズはイザベリアをここから開放するつもりだ。
「俺も君も、エストが必要だ。皆が必要だ。だからそのために、俺と一緒にここを出よう。⋯⋯始祖の魔女の墳墓は、もう要らないんだ」
マサカズはイザベリアを救えない。しかし、イザベリアはマサカズを救うことができる。マサカズはイザベリアの期待を裏切ってしまった。だが、イザベリアはマサカズの期待に応えることができる。
かつてマサカズがイザベリアを救ったように、今度は彼女が彼を救う番だ、と、師匠は言ったのだ。
「⋯⋯師匠」
「⋯⋯ああ」
イザベリアは決心した。いや、認めたのかもしれない。
「やっぱり、私はあなたのことを嫌いになれないよ。⋯⋯そういうところ大好き」
「──ああ。俺もお前のことが大切だ」
マサカズはイザベリアを抱きしめた。本当の意味で、今度はようやく再会できたのだ。もう、記憶を失っていない。彼には千五百年前の記憶が存在する。色褪せてなんかいない、あのときの記憶が。
「師匠、泣いてるの?」
「っ、な、泣いてんなんかいない。これは⋯⋯ちょっと目にゴミが入っただけだ」
勿論嘘だ。震えている声を聞けば、彼が泣いていることなんて丸分かりだった。
思えば、イザベリアは師匠が泣いている姿を見たことがなかった。見てみたいという気持ちもあったが、彼女はその気持ちを抑えた。そっとしておくべきだろう。
「⋯⋯ごめんな。ありがとう」
「うん。⋯⋯また、よろしくね」
◆◆◆
「イリシルーっ!」
「我が主ぃーっ!」
つい先程はイザベリアと仲直りするために一旦保留にしたマサカズとイリシルの再会を、今行った。イリシルは人間形態になってマサカズと抱き合い、そして手を掴んで回った。マサカズが。
「大きくなったなぁー! そんなになるまで会えなかってごめんなぁ。イリシル」
「いいぞ主! 我はきっといつか会えるとずっと思ってたからな! あ、でも少し長かったから願いを聞いて欲しい」
さり気なく待たせすぎだとイリシルは──無意識だったが──言った。その何気ない言葉にマサカズの罪悪感は刺激された。
「何だ? 俺にできることなら何でも言ってくれ」
「我の背中に乗って一緒に飛び回りたいのだ」
「そんなことでいいのか? 勿論だ!」
わーい、わーいとイリシルはマサカズを振り回し歓喜している。それを傍目で見ていたイザベリアは溜め息をつき、そしてマサカズが連れてきた亜人のグレイに話しかけられた。
「マサカズは凄い人だね。君やあのドラゴンの師匠だなんて」
先程あったばかりだが、結構馴れ馴れしくグレイはイザベリアに話し掛けた。それが不愉快なことはないが、少しだけ怖かった。
「まあね。私たちが今ここにいるのは師匠がいたから。今でこそ師匠は弱いけど、昔は私より──少し弱い程度だったんだよ?」
「へ、へぇ⋯⋯」
イザベリアはマサカズを師匠だとは認めているが、それでも自分の単純な力なら昔のマサカズより弱いと認めていないし事実だ。でも本気の殺し合いをしたなら勝てないような気もする。それはマサカズの姑息さと、創造主の特権とも言える圧倒的な知識量に負けるからだ。でもイザベリアは師匠より強いと思ってる。そこだけは譲らない。
「⋯⋯あっ」
イリシルはあまりにも歓喜したようで、勢い余って手が滑り、マサカズの体は壁に叩きつけられた。そして骨が折れた。
「主ぃーっ!?」
「全く⋯⋯」
放っておけば死ぬような傷だったから、イザベリアはマサカズに治癒魔法を行使したが、イリシルはそれで安心せず、マサカズの元に駆け寄る。そして体を揺らし、必死になって声を掛ける。
イザベリアはマサカズの傷は治したが、痛みは止めなかった。
「イザベリア⋯⋯もしかしてまだ怒ってる?」
「⋯⋯全然。私との再会には師匠笑わなくて、イリシルには満面の笑みを見せていることに嫉妬なんか一切してないから」
「君との再会に笑顔で臨めるほど俺は屑じゃないぜ!?」
「冗談よ」
まあそんなこんながあり、感動の再会を済ませたマサカズはイザベリアたちに今の状況について話した。
イザベリアは現状にある程度の理解を持っていたが、イリシルはまるで信じられないといった表情を浮かべていた。それを聞いていたグレイも同様で、彼にしては珍しく困惑の表情を浮かべていた。
「⋯⋯つまり、俺たちはこれから黒の教団を正面から潰すことになるな」
エストからの連絡が、墳墓に来る前にあり、それによると世界終焉魔法陣の破壊は順調らしい。だからあとはメーデア本人と黒の教団を真っ向から潰すだけである。が、それが何だかんだで一番難しい。
「俺たちの集合予定は今日から一週間後だが⋯⋯イザベリア曰く、イリシル、お前力が弱くなっているらしいな?」
「うっ⋯⋯」
イリシルはイザベリアとほぼ同等の力を有していたはずだ。しかし彼はループを察知できない。『逸脱者』だからといってマサカズの『死に戻り』を察知できるわけではないが、違和感さえも覚えないのはつまりそういうことだ。
「ついでにグレイの鍛錬も兼ねて、あと俺もそうだな。うん。まあ⋯⋯一週間でできるだけ強くなる。それからウェレール王国でエストたちと合流し、そして──黒の教団に全面戦争を仕掛ける」
「分かった」「了解したぞ、主よ」「はーい」
三人の返事を聞いたマサカズは立ち上がる。
「よし! じゃあ早速取り掛かるぞ!」
イザベリアが用意した超広大な空間で、四人はそれぞれ修行を始めた。食べ物なんかは魔法で用意したりして、一週間という時間を最大限に活用した。
──そうして一週間後、彼らは『封魔核』から開放されたイザベリアの転移魔法によってウェレール王国に転移した。
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けれど目が覚めた私は、過去に戻っていた!
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長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
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