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第七章「暁に至る時」
第百八十一話 騙し討ち
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『大樹の森』のどこか。少なくとも普通にそこを歩いていたとしても見つけられないような、森の奥の奥の洞窟に二体の魔人が居た。
片方は長身の魔人だ。男にしては長く、黒のメッシュが入った深い青髪の所々には寝癖があったが、彼が最後に睡眠を取ったのは何年か前だ。
眠たそうな目は髪色と同じ青色で、生気をまるで感じない。
顔は整っているが病人のように白く、体もやせ細っており、見るからに不健康だったが、どういうわけか筋肉はついていた。
全身に黒色のタイツを着用していて、青と黒のチェック柄のロングケープ、そして似たデザインのズボンを穿いている。
もう片方は小さな魔人だった。十代前半ぐらいの少女のような外見で、華奢な体つきだ。長い銀髪は癖一つなく、絹のように上品だ。碧眼は両目とも濁っているようだったが、視力は十分にある。可愛らしい白を基調としたゴシックドレスは、そんな彼女の可憐な見た目をより引き立てていた。
「やアぁ~、ドメイ」
青髪の魔人、メレカリナはやってきたドメイに手を振る。
「その様子だトぉ~、もう準備できたのかナぁ~?」
「ああ。できたぜ」
準備とは、メレカリナたちに頼まれたことで、国民を集められるだけ集めるというものだ。その場でメレカリナたちはドメイを殺害し、全てのエルフを拘束する。勿論、誰かが逃げ出せばそれだけの被害も出る計画だ。
「さあ、行こう。さっさと終わらせるんだ」
ドメイは準備完了の意を伝えて、そこから動こうとする。しかし、メレカリナとイシレアはその場から動かない。
「⋯⋯何のつもりだ?」
「いやいヤぁ~、少しだけ話をしようかナぁ~、っテぇ~」
メレカリナは長い手を伸ばし、近くにあった椅子を二つ、手繰り寄せる。そこには机として丁度よい石があった。
「⋯⋯そんなことをしている暇はない」
「まあまアぁ~、あるんだヨぉ~」
話は聞かなそうだ。そう判断したドメイは溜息をつき、もう一人の魔人、イシレアに話しかけようとする。
「イシレア、お前からもさっさと──」
──その瞬間、ドメイの目の前で血が飛んだ。
メレカリナの鋭爪が、弾けとんだのだ。その結果しか分からないような攻防が、この刹那で行われたのだ。
割り込んできたのはアレオスだった。手に持っていたスティレットでドメイのメレカリナの一撃から守ったのだ。
「ふん。弱い」
アレオスはメレカリナの弾けていない方の腕を掴む。巨体が小枝のように軽々と投げられ、彼は洞窟の壁に叩きつけられた。壁にはヒビが入り、彼は口から血を吐いた。
アレオスは追撃としてメレカリナにスティレットを投擲、全て見事に刺さり、彼の命もあと僅かだろう。一瞬で全ては終わった。
見ると、イシレアの方も終わっていた。レイが彼女の首を切り飛ばしており、再生しても無駄だと悟ったのか彼女は首を現実改変によって再生させていなかった。あとはエストの〈虚空支配〉で殺せるか試すだけだ。
あまりにも呆気なく、決着はついた。
「外見て来たけど、破戒魔獣は居なかったよ」
万が一破戒魔獣が襲ってきたときの対応として、エストは周りを見ていたのだが、それらしき影はなかった。魔力も感じなかったから地中に隠れているということもなさそうだ。
「さーてと、イシレアちゃん? さっさと死のうか」
エストは〈虚空支配〉を行使し、イシレアを虚空に引きずり込むことには難なく成功した。そしてそこで「死ね」と命じると、イシレアは本当に容易に自殺した。彼女の不死性は能力によるものだから、能力を解除するだけで死ねるのだ。
虚空から戻ってきたエストは、今度はメレカリナの方に向かう。
「キミは放っておけばもう死ぬね。生憎、私には温情なんてないからそれは確実だ。でも、これから訊くことを全部話せば楽に殺してあげる。⋯⋯キミたちが知る黒の教団の情報について、全て話して? どこに本拠地があるの? 国々のどこに大魔法陣があるの? 今、幹部共は何をしてるの?」
しばらく経っても、メレカリナは何も答えない。否、答えられない。
エストたちは無意味だと悟り、メレカリナをここに放置して、一旦帝国へ戻ろうとしたときだった。彼は口を開く。しかし言葉にしたのは、先の質問への回答ではない。
「⋯⋯や、れ」
「────は?」
その言葉を最期に、メレカリナは完全に力尽きたようだった。
「⋯⋯まさか」
やれ──殺れ、とするならば、一体何がこれから起こるのだろうか。いや、そんなの深く考えずとも分かる。
──地響きが鳴り出した。だがそれは彼らから遠くのところで、だ。エストの優れた聴覚は、丁度音源がエルフの国、ローゼルク王国の中心であると判断した。
「チっ⋯⋯! やられた!」
イシレアが創り出した破戒魔獣をメレカリナも指示できるなど、考えもしなかった。だが、今は反省をしているような余裕はない。このままでは、ローゼルク王国は破戒魔獣によって殺戮の限りを尽くされるだろう。そして今この瞬間にも、被害は出ているだろう。
「皆、さっさと行くよ!」
エストは転移魔法を唱えた。
◆◆◆
国内は混乱に満ちていた。
突然現れた十体の巨大な化物は、無差別に国を襲った。迎撃に出た兵士たちの弓矢や魔法は痒くもないらしく、関係ないとエルフたちを襲う。
阿鼻叫喚の戦場──それは最早蹂躙の場だ。
何気ない日常が急に血で汚れる。殺意によって壊される。他愛もない世間話が交わされていた場所では、今や絶叫が交わされている。
「お母さん、お父さん⋯⋯」
空中を飛ぶ大蛇のような化物が放った光線によって家屋は薙ぎ払われ、その瓦礫が両親を失った少女のエルフに降り掛かる。少女は瓦礫に気づくこともなく、歩く。直後に潰れることは火を見るより明らかだった。
「────」
しかし、瓦礫は粉々になって、少女は潰れなかった。重力が瓦礫を外部から潰したのだ。それを行ったエストは、少女に歩み寄る。
「いい? 転移させたところにいる人に、エストという魔女に助けられた、と言ってね?」
返答を聞かず、エストは少女をウェレール王国のレネの屋敷に転移させる。あそこで自分の名を出せば──仮にそうせずとも、メイドたちはエルフたちを保護するだろう。これは混乱を事前に防ぐためにしていることだ。
「──さて」
エストは空中に浮かぶ破戒魔獣、モートルを見る。今回は初対面だが、彼女は既に何度も戦った相手だ。
周りを見れば、残り九体の破戒魔獣が居る。アレオス、レイ、ジュンの三人がそれぞれ相手にしているが、野放しの魔獣も何体か居る。
「あんまり長くは遊んでいられないね。少し荒いけど⋯⋯必要な損害として受け取ってもらおうかな」
モートルはエストに光線を放つ。超高熱のそれは、直撃していない周辺のものさえも融解させていた。直撃すれば、人間の体のエストなら簡単に蒸発するだろう。だが、
「相変わらず凄い威力だよ。でも、無駄だね。〈虚化〉」
虚無は全てを飲み込む。それを完全に相殺できるのは無限だけだ。即ち有限であるモートルの光線では、エストには掠り傷さえ与えられない。
「今度はこっちの番ね──」
視界内に存在する十体の破戒魔獣を対象に、重力を操る。
「這いつくばって」
エストは左腕を振り下ろすと、破戒魔獣たちが地面に落ちる、もしくは倒れ伏せ、その場から動かなくなった。抵抗されているのが彼女は左腕で感じるが、メーデアさえも逃れられない重力操作だ。破戒魔獣も同様で、エストならば押さえ込める。
「コア探しも面倒だし、手っ取り早く露出させようか」
エストは破戒魔獣たち全てに対して、魔法を行使する。
「〈時間転虚〉」
時間という概念を消去された生物はどうなるか。止まる? 消滅する? 逆行する? ──答えはそのどれでもない。
生物は時間という概念なしでは生きていられないし、形を保つことはできない。しかし、それは死ぬということとは異なる。
そう、体は崩壊する。
死ぬとは、生きるとは、時間の中に起こる事象だ。時間のない場所では、何もできない。それは死んでも、生きてもいない、存在してもいないし、していないこともない。
ただ、曖昧になる。何もかもが、曖昧に。観測できるが認知できなくなる。それは神に一番近くなるということでもあるが、一番遠くもある。
曖昧になっていく体はまるで崩壊するようだった。そしてもし、ここで時間を再び与えたなら?
曖昧になった体が戻るわけではない。崩壊したままで、曖昧さがなくなるだけだ。しかし、肉体はそれで正常だ。だから回復もしない。真の意味での崩壊ではないのだから。
「はい、無力化完了。魔法抵抗力が弱くて助かったよ」
正常な肉体だから、破戒魔獣たちは再生しない。あとは露出したコアに傷をつけて一部でも破壊するだけで魔獣たちは死滅する。
四人は作業のように破戒魔獣を殺していく。死体は二次災害を引き起こすので、燃やし尽くしている。
全ての破戒魔獣を処理したあと、エストはレイに話しかけた。
「大罪魔人殺したけど、能力獲得したよね?」
能力を自覚すれば、レイは以前の力を取り戻す。ハッとしたようにレイは能力を発動させた。彼の『虚飾の罪』は、視界内に存在するあらゆる非生命体を消滅させる能力だ。だから彼はその辺の石を対象にしたのだが⋯⋯消えなかった。
「どうして消えないのでしょうか⋯⋯」
レイの瞳は確かに光った。けれど、対象にしたはずの石は消えなかった。
「どうしたんだ?」
「ジュン、レイの能力が発動しないんだよ」
寄って来たジュンに、エストは現状を説明する。それを聞いた彼は、何かを察したのか顔を顰めた。
「⋯⋯気づかないのか?」
「え、何が?」
ジュンは前回の記憶をエストによって流し込まれていた。だからこそ、いち早くそれに気がついた。
「レイの能力は発動している。でも⋯⋯レイ、お前とエストが気づかないのも無理はないか⋯⋯」
「⋯⋯そんなことあるの?」
ジュンの口ぶりから、何が起こっているかエストも察した。
──能力は発動している。しかし、それは前回と同じではない能力だ。
「僕は今、能力の効果を軽減しているんだろうけど受けているんだ⋯⋯幻覚、幻聴だ」
ジュンは自分の指が時折血塗れになる幻覚を見ているし、それに伴う痛みも感じている。蝿の羽音も聞こえた、その傷口から。彼はそれがレイの能力によるものだと理解したから冷静であるが、もし気づけなければパニックに陥っていただろう。
「す、すみません!」
レイは急いで能力を解除した。すると、ジュンの幻覚、幻聴も同時に消え去る。
「⋯⋯有り得ない」
これはどちらの能力だ? 虚飾か? 憂鬱か? 虚飾なら、どうして消滅能力を獲得していない? 時間軸によって獲得する能力は変わる? ランダムである? いや、そんなことはない。干渉できない運命であるはずのこれに、そんなこと有り得ない。ならば、レイが今獲得した能力は──『憂鬱の罪』だ。
レイが前回、『虚飾の罪』の方を獲得したのは、そちらの方が適正値が高かったからだろう。しかしレイは、どちらも獲得できた。
即ち、これは──今回は、『憂鬱の罪』しか獲得できるチャンスがなかったという証明になる。つまり、イシレアは殺せていない。
「──偽物⋯⋯だとすれば⋯⋯」
考えてみればおかしな点があった。何故、メレカリナは、ドメイと話をしたがった? 理由は何だ? ⋯⋯気づいていた? ドメイの謀反に。そしてエストたちの存在に。だから、破戒魔獣を集めるための時間稼ぎに、あそこでドメイを呼び止めたということではないのか? 気付かないフリをして。
ならば話の筋は通る。あそこに居たイシレアは偽物。エストたちに、可能な限り偽の情報を与えるための、虚飾だったわけだ。
「遅れを取った、ってわけね」
破戒魔獣を始末するのに少しとはいえ時間を使った。
イシレアならば、もうそろそろ帝国に到着していて、そしてメーデアの封印体を奪取し始めていてもおかしくない。あれは現実を改変する。エストのような長距離転移やそれに準ずることができたっておかしくないのだ。
あの場にいるメンバーでイシレアとやり合えるものは居ない。今すぐにでも向かわなければならない。
エストは転移魔法を行使しようとしたが、
「エスト様!」
彼女は血反吐を吐いた。
ここ数日間でエストは何度も何度も、慣れない第十一階級魔法を行使している。第十一階級魔法は普通の魔法とは違って、認識しづらい負荷が強い。いくらエストと言えど、戦闘時はずっと魔力生産していることもあり、そろそろ脳に限界が来ているのだ。
「あー、不味いね⋯⋯今ので少し、意識が⋯⋯」
エストはこれ以上のは第十一階級魔法の行使は避けるべきだ。彼女自身、もうあと数度それを使えば気絶するような気がした。転移魔法も同じで、あの何度か長距離転移をするのが限界だろうか。
「⋯⋯行くよ」
レイ、ジュン、アレオスは頷き、それを確認してからエストは魔法を行使した。転移による脳への負荷は恐ろしく重く、気絶しそうだった。しかし、弱音入ってられない。
帝国へ到着したとき、エストの身体状態は過去最低クラスだった。
片方は長身の魔人だ。男にしては長く、黒のメッシュが入った深い青髪の所々には寝癖があったが、彼が最後に睡眠を取ったのは何年か前だ。
眠たそうな目は髪色と同じ青色で、生気をまるで感じない。
顔は整っているが病人のように白く、体もやせ細っており、見るからに不健康だったが、どういうわけか筋肉はついていた。
全身に黒色のタイツを着用していて、青と黒のチェック柄のロングケープ、そして似たデザインのズボンを穿いている。
もう片方は小さな魔人だった。十代前半ぐらいの少女のような外見で、華奢な体つきだ。長い銀髪は癖一つなく、絹のように上品だ。碧眼は両目とも濁っているようだったが、視力は十分にある。可愛らしい白を基調としたゴシックドレスは、そんな彼女の可憐な見た目をより引き立てていた。
「やアぁ~、ドメイ」
青髪の魔人、メレカリナはやってきたドメイに手を振る。
「その様子だトぉ~、もう準備できたのかナぁ~?」
「ああ。できたぜ」
準備とは、メレカリナたちに頼まれたことで、国民を集められるだけ集めるというものだ。その場でメレカリナたちはドメイを殺害し、全てのエルフを拘束する。勿論、誰かが逃げ出せばそれだけの被害も出る計画だ。
「さあ、行こう。さっさと終わらせるんだ」
ドメイは準備完了の意を伝えて、そこから動こうとする。しかし、メレカリナとイシレアはその場から動かない。
「⋯⋯何のつもりだ?」
「いやいヤぁ~、少しだけ話をしようかナぁ~、っテぇ~」
メレカリナは長い手を伸ばし、近くにあった椅子を二つ、手繰り寄せる。そこには机として丁度よい石があった。
「⋯⋯そんなことをしている暇はない」
「まあまアぁ~、あるんだヨぉ~」
話は聞かなそうだ。そう判断したドメイは溜息をつき、もう一人の魔人、イシレアに話しかけようとする。
「イシレア、お前からもさっさと──」
──その瞬間、ドメイの目の前で血が飛んだ。
メレカリナの鋭爪が、弾けとんだのだ。その結果しか分からないような攻防が、この刹那で行われたのだ。
割り込んできたのはアレオスだった。手に持っていたスティレットでドメイのメレカリナの一撃から守ったのだ。
「ふん。弱い」
アレオスはメレカリナの弾けていない方の腕を掴む。巨体が小枝のように軽々と投げられ、彼は洞窟の壁に叩きつけられた。壁にはヒビが入り、彼は口から血を吐いた。
アレオスは追撃としてメレカリナにスティレットを投擲、全て見事に刺さり、彼の命もあと僅かだろう。一瞬で全ては終わった。
見ると、イシレアの方も終わっていた。レイが彼女の首を切り飛ばしており、再生しても無駄だと悟ったのか彼女は首を現実改変によって再生させていなかった。あとはエストの〈虚空支配〉で殺せるか試すだけだ。
あまりにも呆気なく、決着はついた。
「外見て来たけど、破戒魔獣は居なかったよ」
万が一破戒魔獣が襲ってきたときの対応として、エストは周りを見ていたのだが、それらしき影はなかった。魔力も感じなかったから地中に隠れているということもなさそうだ。
「さーてと、イシレアちゃん? さっさと死のうか」
エストは〈虚空支配〉を行使し、イシレアを虚空に引きずり込むことには難なく成功した。そしてそこで「死ね」と命じると、イシレアは本当に容易に自殺した。彼女の不死性は能力によるものだから、能力を解除するだけで死ねるのだ。
虚空から戻ってきたエストは、今度はメレカリナの方に向かう。
「キミは放っておけばもう死ぬね。生憎、私には温情なんてないからそれは確実だ。でも、これから訊くことを全部話せば楽に殺してあげる。⋯⋯キミたちが知る黒の教団の情報について、全て話して? どこに本拠地があるの? 国々のどこに大魔法陣があるの? 今、幹部共は何をしてるの?」
しばらく経っても、メレカリナは何も答えない。否、答えられない。
エストたちは無意味だと悟り、メレカリナをここに放置して、一旦帝国へ戻ろうとしたときだった。彼は口を開く。しかし言葉にしたのは、先の質問への回答ではない。
「⋯⋯や、れ」
「────は?」
その言葉を最期に、メレカリナは完全に力尽きたようだった。
「⋯⋯まさか」
やれ──殺れ、とするならば、一体何がこれから起こるのだろうか。いや、そんなの深く考えずとも分かる。
──地響きが鳴り出した。だがそれは彼らから遠くのところで、だ。エストの優れた聴覚は、丁度音源がエルフの国、ローゼルク王国の中心であると判断した。
「チっ⋯⋯! やられた!」
イシレアが創り出した破戒魔獣をメレカリナも指示できるなど、考えもしなかった。だが、今は反省をしているような余裕はない。このままでは、ローゼルク王国は破戒魔獣によって殺戮の限りを尽くされるだろう。そして今この瞬間にも、被害は出ているだろう。
「皆、さっさと行くよ!」
エストは転移魔法を唱えた。
◆◆◆
国内は混乱に満ちていた。
突然現れた十体の巨大な化物は、無差別に国を襲った。迎撃に出た兵士たちの弓矢や魔法は痒くもないらしく、関係ないとエルフたちを襲う。
阿鼻叫喚の戦場──それは最早蹂躙の場だ。
何気ない日常が急に血で汚れる。殺意によって壊される。他愛もない世間話が交わされていた場所では、今や絶叫が交わされている。
「お母さん、お父さん⋯⋯」
空中を飛ぶ大蛇のような化物が放った光線によって家屋は薙ぎ払われ、その瓦礫が両親を失った少女のエルフに降り掛かる。少女は瓦礫に気づくこともなく、歩く。直後に潰れることは火を見るより明らかだった。
「────」
しかし、瓦礫は粉々になって、少女は潰れなかった。重力が瓦礫を外部から潰したのだ。それを行ったエストは、少女に歩み寄る。
「いい? 転移させたところにいる人に、エストという魔女に助けられた、と言ってね?」
返答を聞かず、エストは少女をウェレール王国のレネの屋敷に転移させる。あそこで自分の名を出せば──仮にそうせずとも、メイドたちはエルフたちを保護するだろう。これは混乱を事前に防ぐためにしていることだ。
「──さて」
エストは空中に浮かぶ破戒魔獣、モートルを見る。今回は初対面だが、彼女は既に何度も戦った相手だ。
周りを見れば、残り九体の破戒魔獣が居る。アレオス、レイ、ジュンの三人がそれぞれ相手にしているが、野放しの魔獣も何体か居る。
「あんまり長くは遊んでいられないね。少し荒いけど⋯⋯必要な損害として受け取ってもらおうかな」
モートルはエストに光線を放つ。超高熱のそれは、直撃していない周辺のものさえも融解させていた。直撃すれば、人間の体のエストなら簡単に蒸発するだろう。だが、
「相変わらず凄い威力だよ。でも、無駄だね。〈虚化〉」
虚無は全てを飲み込む。それを完全に相殺できるのは無限だけだ。即ち有限であるモートルの光線では、エストには掠り傷さえ与えられない。
「今度はこっちの番ね──」
視界内に存在する十体の破戒魔獣を対象に、重力を操る。
「這いつくばって」
エストは左腕を振り下ろすと、破戒魔獣たちが地面に落ちる、もしくは倒れ伏せ、その場から動かなくなった。抵抗されているのが彼女は左腕で感じるが、メーデアさえも逃れられない重力操作だ。破戒魔獣も同様で、エストならば押さえ込める。
「コア探しも面倒だし、手っ取り早く露出させようか」
エストは破戒魔獣たち全てに対して、魔法を行使する。
「〈時間転虚〉」
時間という概念を消去された生物はどうなるか。止まる? 消滅する? 逆行する? ──答えはそのどれでもない。
生物は時間という概念なしでは生きていられないし、形を保つことはできない。しかし、それは死ぬということとは異なる。
そう、体は崩壊する。
死ぬとは、生きるとは、時間の中に起こる事象だ。時間のない場所では、何もできない。それは死んでも、生きてもいない、存在してもいないし、していないこともない。
ただ、曖昧になる。何もかもが、曖昧に。観測できるが認知できなくなる。それは神に一番近くなるということでもあるが、一番遠くもある。
曖昧になっていく体はまるで崩壊するようだった。そしてもし、ここで時間を再び与えたなら?
曖昧になった体が戻るわけではない。崩壊したままで、曖昧さがなくなるだけだ。しかし、肉体はそれで正常だ。だから回復もしない。真の意味での崩壊ではないのだから。
「はい、無力化完了。魔法抵抗力が弱くて助かったよ」
正常な肉体だから、破戒魔獣たちは再生しない。あとは露出したコアに傷をつけて一部でも破壊するだけで魔獣たちは死滅する。
四人は作業のように破戒魔獣を殺していく。死体は二次災害を引き起こすので、燃やし尽くしている。
全ての破戒魔獣を処理したあと、エストはレイに話しかけた。
「大罪魔人殺したけど、能力獲得したよね?」
能力を自覚すれば、レイは以前の力を取り戻す。ハッとしたようにレイは能力を発動させた。彼の『虚飾の罪』は、視界内に存在するあらゆる非生命体を消滅させる能力だ。だから彼はその辺の石を対象にしたのだが⋯⋯消えなかった。
「どうして消えないのでしょうか⋯⋯」
レイの瞳は確かに光った。けれど、対象にしたはずの石は消えなかった。
「どうしたんだ?」
「ジュン、レイの能力が発動しないんだよ」
寄って来たジュンに、エストは現状を説明する。それを聞いた彼は、何かを察したのか顔を顰めた。
「⋯⋯気づかないのか?」
「え、何が?」
ジュンは前回の記憶をエストによって流し込まれていた。だからこそ、いち早くそれに気がついた。
「レイの能力は発動している。でも⋯⋯レイ、お前とエストが気づかないのも無理はないか⋯⋯」
「⋯⋯そんなことあるの?」
ジュンの口ぶりから、何が起こっているかエストも察した。
──能力は発動している。しかし、それは前回と同じではない能力だ。
「僕は今、能力の効果を軽減しているんだろうけど受けているんだ⋯⋯幻覚、幻聴だ」
ジュンは自分の指が時折血塗れになる幻覚を見ているし、それに伴う痛みも感じている。蝿の羽音も聞こえた、その傷口から。彼はそれがレイの能力によるものだと理解したから冷静であるが、もし気づけなければパニックに陥っていただろう。
「す、すみません!」
レイは急いで能力を解除した。すると、ジュンの幻覚、幻聴も同時に消え去る。
「⋯⋯有り得ない」
これはどちらの能力だ? 虚飾か? 憂鬱か? 虚飾なら、どうして消滅能力を獲得していない? 時間軸によって獲得する能力は変わる? ランダムである? いや、そんなことはない。干渉できない運命であるはずのこれに、そんなこと有り得ない。ならば、レイが今獲得した能力は──『憂鬱の罪』だ。
レイが前回、『虚飾の罪』の方を獲得したのは、そちらの方が適正値が高かったからだろう。しかしレイは、どちらも獲得できた。
即ち、これは──今回は、『憂鬱の罪』しか獲得できるチャンスがなかったという証明になる。つまり、イシレアは殺せていない。
「──偽物⋯⋯だとすれば⋯⋯」
考えてみればおかしな点があった。何故、メレカリナは、ドメイと話をしたがった? 理由は何だ? ⋯⋯気づいていた? ドメイの謀反に。そしてエストたちの存在に。だから、破戒魔獣を集めるための時間稼ぎに、あそこでドメイを呼び止めたということではないのか? 気付かないフリをして。
ならば話の筋は通る。あそこに居たイシレアは偽物。エストたちに、可能な限り偽の情報を与えるための、虚飾だったわけだ。
「遅れを取った、ってわけね」
破戒魔獣を始末するのに少しとはいえ時間を使った。
イシレアならば、もうそろそろ帝国に到着していて、そしてメーデアの封印体を奪取し始めていてもおかしくない。あれは現実を改変する。エストのような長距離転移やそれに準ずることができたっておかしくないのだ。
あの場にいるメンバーでイシレアとやり合えるものは居ない。今すぐにでも向かわなければならない。
エストは転移魔法を行使しようとしたが、
「エスト様!」
彼女は血反吐を吐いた。
ここ数日間でエストは何度も何度も、慣れない第十一階級魔法を行使している。第十一階級魔法は普通の魔法とは違って、認識しづらい負荷が強い。いくらエストと言えど、戦闘時はずっと魔力生産していることもあり、そろそろ脳に限界が来ているのだ。
「あー、不味いね⋯⋯今ので少し、意識が⋯⋯」
エストはこれ以上のは第十一階級魔法の行使は避けるべきだ。彼女自身、もうあと数度それを使えば気絶するような気がした。転移魔法も同じで、あの何度か長距離転移をするのが限界だろうか。
「⋯⋯行くよ」
レイ、ジュン、アレオスは頷き、それを確認してからエストは魔法を行使した。転移による脳への負荷は恐ろしく重く、気絶しそうだった。しかし、弱音入ってられない。
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年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。
ただの女友達だと彼は言う。
だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。
彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。
また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。
エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。
覆す事は出来ない。
溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。
そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。
初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。
だから愛する男の前で死を選ぶ。
永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。
矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
何を間違った?【完結済】
maruko
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