白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第七章「暁に至る時」

第百七十話 嫌悪

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 ガールム帝国を統べるのは皇帝、アベル・サルホニア・ジェーン・ルドルク・ロミトレスだ。
 齢十七、四年前に皇帝の座に着いた彼は、歴代皇帝を凌駕する天才であった。炎のように赤い短髪、ダイヤモンドのように美しい瞳。数々の女性を落としてきたその容貌は、神がバランスを考えて作ったようだ。
 百八十センチメートルの体が小さく感じられるほどのソファの上に、金色を基調とする服に皺が付くことなんて気にせず寝転がるように座る。
 ウェレール王国の『神人部隊』が帝国に訪れたとき、彼は宣戦布告であるかと思っていた。しかし、実際は異なり、要件は黒の魔女についてのことだった。

「どうするか⋯⋯お前はどう思う?」

 皇帝は隣に居た宰相、ピンク髪に赤目の、二十代前半ほどの女性、ミーファ・ラン・ヴェリオンに意見を訊く。彼女もまた、稀代の天才である皇帝を支えるだけあり、若いながらもかなり優れた人物である。

「平時であればいさ知らず、今は王国と睨み合うことは愚行であるかと。黒の魔女の伝承が真実であるならば⋯⋯失礼を承知で申し上げると、帝国のみで対処することは不可能だと考えるべきでしょう」

 ミーファはアベルに頭を下げる。先程の発言は帝国の軍事力を侮っていると捉えられることもあるからだ。しかし、アベルは彼女の言っていることが間違っているとは思っていない。
 黒の魔女──たった一夜にして大陸中央部の殆どの国を滅ぼしたとされる災厄の権化は、たかだか一つの国の力で討伐できるとは思えない。同じ魔女とされる青の魔女、レネが存在するウェレール王国と同盟を結ぶことは悪くない選択である。
 メリットは、黒の魔女及び黒の教団を最大戦力で迎撃できること。しかしデメリットは、ウェレール王国に貸しを作ること。そして何より、王国との同盟は、魔族と手を結ぶも同然であることだ。

「⋯⋯黒の魔女はアレオス・サンデリスより強いか?」

 もしアレオスが帝国と敵対したならどうなるか。
 たった一人の男が一国と敵対するなど愚の骨頂だ。だが、それはあくまでも普通の男の場合。アレオスという男は、帝国全軍を相手にしようと互角以上に立ち回るだろう。軍を仕掛けたならば、それら敵を突破しながら大将の首を取りに来るだろう。そんな男だ。

「私は戦士としての訓練を積んでいないため、そういうことは分かりかねます」

「そうか。そうだよな」

 戦士であるならば、相手の強さというものが大雑把ではあるが一目見ただけで把握できるらしい。しかしそうでない者には分からない。

「──私であれば、勝ちはなくとも負けもないでしょう」

 その時、部屋の扉が開かれる。入ってきたのは神父服を着た大男であり、丁度二人の話の話題に上がっていた人物だ。

「お久しぶりです、アベル・サルホニア・ジェーン・ルドルク・ロミトレス陛下」

「ああ、アレオス・サンデリス」

 アレオスは腰を曲げ、アベルに対して深く礼をする。

「それで⋯⋯勝ちも負けもない、というのは?」

「何、そのままの意味です。万全である私が、魔族を相手に地に伏せるなどありません。よしんば重症を負っていたとしても、相手にも重症を与えるでしょう」

「なるほど。⋯⋯では、お前は一人で黒の魔女を殺すことができる、と?」

「──少なくとも全力は尽くしましょう」

 できるとも、できないとも彼は言わなかった。
 アレオスが黒の魔女に怯えているということはない。しかし、彼でさえ「殺せる」とは断言できない。そして彼でさえそうならば、帝国全軍でも同じだろう。つまりは、

「⋯⋯ヴェリオン、翌日、ウェレール王国の使者たちを迎える準備をしろ」

「⋯⋯はっ」

 ガールム帝国は、ウェレール王国と同盟を結ぶべきだ。ここには自分たちの思想を持ち出せるほどの余裕がない。滅んでしまえば何もかもが無意味になるからだ。

「サンデリス神父、私の許可なしに王国の使者を攻撃するなよ。それが例え魔女であっても」

「勿論、弁えております。しかし⋯⋯敵対意識があるならば、すぐさま命令を」

 アレオスは首にかけている十字架の剣の柄を触りながら、そう言った。

 ◆◆◆

 翌日。太陽が頂上に来る直前の頃だった。
 王国から、帝国の返答を聞きにくるのはそろそろであるはずだ。しかし、

「来ない⋯⋯?」

 約束の時間は刻一刻と過ぎて行く。
 約束を破ったなど、まずあり得ない。この同盟は、勿論王国にも軽視できないだけのメリットがあるはずだ。

「⋯⋯何を考えて──」

 その時、何かが破壊されるような、崩壊したような轟音が帝国中に響いた。
 それに釣られて、その場にいた全ての人物が部屋にある窓から、原因を突き止めるべく帝国内を見渡すと、そこに見たのは、

「っ!? アレオ──」

 を見たことはない。だが、一目見ただけで分かった。
 アベルは、アレオスにの殺害命令を出そうとした。しかし、アレオスは彼の命令が出されるより先に、その十字架の剣を抜いていた。
 確かに、アレオスはアベルに「命令無しで使者を殺そうとするな」とは言っていた。だが、突然現れた魔物を、その命令に従い殺そうとしないなんてことはない。何せ、魔物は使者であるはずがないからだ。
 
「黒の魔女ッ!」

 アレオスは目を見開き、剣を強く握る。おそらく皇帝の護衛命令がなければ、今すぐにでも黒の魔女の元に走り出すだろう。

「なぜ⋯⋯」

 黒の魔女は帝国の民を殺しまわっている。だがそれが目的ではないようだ。ならば、ああも邪魔なものを退けるかのように殺すはずはない。

「っ⋯⋯アレオス・サンデリス神父、黒の魔女を相手にしろ。可能な限り、民の命を救え!」

 その言葉を待っていたと言わんばかりに、アレオスは窓を開けて外へ飛び出す。十二メートルもある高さは、彼からすれば階段と変わらない。平然と降り立ち、そして、

「──神の名の元に、魔族を滅す。それこそ我が使命」

 アレオスは右手に十字架の剣、左手にスティレットを持つ。それを構えもせず、堂々と黒の魔女に近づく。
 メーデアはアレオスに気が付き、振り向くと──影を伸ばす。
 音速を超えたそれは、常人ならば反応は難しいし、できたとしても対処できるわけではない。しかしアレオスは容易に影を切り裂いた。

「ウラァァァァァッ!」

 アレオスは雄叫びを上げ、メーデアに突っ走る。その様子は正に戦車だ。
 それを、メーデアは微笑いながら見る。「罠にかかった」と、アレオスを嘲るように。
 メーデアの『影の手』は本来、一方的な干渉が可能な能力だ。だから、それを斬ることはできない。影を斬るなんてできないのだ。
 彼の後ろに影が実体化する。それによってアレオスの首を握りしめ、捩じ斬るなり握り潰すなりすればよいだけだ。

「────」

 だが、次の瞬間、メーデアの首を十字架の剣が貫いていた。

「小賢しい真似を」

 アレオスは後ろからの不意打ちを躱したのだ。彼の感覚は異常なまでに鋭く、特に魔族のものに対しては『第六感』の如く発揮する。

「終われ」

 メーデアの頸部から頭頂部まで斬り上げ、頭部を真っ二つにしてやる。そして神聖属性が付与されたスティレットを神父服の内側から袖を通して左手に数本持ち、投げつける。
 家屋を磔台代わりに心臓を串刺し、メーデアをそこに固定する。

「⋯⋯⋯⋯」

 アレオスは目標を殺害したことで、皇帝に報告するために歩き出す。十字架の剣を鞘に戻したところだった。

「──っ!?」

 アレオスの足元に赤黒い魔法陣が展開された。予想外のことに彼は一瞬判断が遅れ、魔法をもろに食らってしまう。
 青と黒色の炎がアレオスの全身をメラメラと燃やし、更には炎以外の激痛──体が腐食することによるそれ──に襲われた。
 しかし、アレオスはその程度では死なない。火傷と腐食された体の部位は十字架の剣にかけられた魔法によって回復したからだ。

「治癒魔法、ですか」

 真っ二つになった顔は一つに引っ付き、流れていた血液は綺麗さっぱりなくなっている。服さえもそうであり、アレオスは最初から何もしていなかったように、メーデアは無傷そのものだ。

「顔面を引き裂いてくれましたし、烏合の衆とは異なり、あなたは片手間に殺せはしないでしょう⋯⋯」

 メーデアの瞳が黒く光った。アレオスはすぐさま周りを警戒したが、何も起こらなかった。とは言っても、警戒態勢は持続すべきだろう。

「なるほど、『聖神之加護』⋯⋯神を肯定しながらも、その支配から逃れるわけですか。滑稽ですね」

 信仰は神に平伏すことだ。しかし、狂信は神を受け入れながらも、神に平伏すこととは違う。狂信者の神の受け入れ方は、千差万別である。
 ──狂信者アレオスは神を、魔族を殺すための理由として信じている。でなければ、人間と魔族は何が違うのか。

「⋯⋯何が言いたいのです?」

「神は碌なものじゃない。アレらは傍観者であり、それ以上でもそれ以下でもありません。精々対価のある微々たる干渉がやっと。そんなものを肯定する? 信じる? そうしたところで⋯⋯大きく何かが変わるというのですか?」

 メーデアは影を展開する。一瞬、そこに『夜』が訪れたかと見間違うほどであった。

「神々にとって、全ては『確実』です。それはつまらない。⋯⋯だから私は『不確実性』を好みますし、それらから逸脱していることを望んでいます」

 メーデアが世界を消滅させるのは、そんなことは神が確定したことではないからだ。世界という概念存在は消滅しない。それこそが『確実性』であるのだ。
 だが一方、世界の終焉は誰かに阻止される可能性がある。つまりは『不確実性』である。

「あなたは『不確実性』を持つというのに『確実性』を選ぶ。だからこそ滑稽なのですよ。『確実性』を求めるのであれば、あなたは私を殺せないのですから」

 彼女の姿がその場から消え去る。そして、アレオスの目前に現れた。彼は彼女に、反射的に剣を振るうが、それが彼女の体を捉えることはない。つまりは躱された。
 メーデアは腕を右斜め下に振り落とす。すると、アレオスの右肩から左脇腹までを一直線に切り裂いた。
 
「あら? 真っ二つにしたと思ったのですがね。やはり私は魔女であるようです」

 アレオスは後ろに跳び、メーデアの手刀による傷を浅くした。もし、何もできなければ彼女と言葉通りになっただろう。
 傷は一秒も経たずに完治したが、彼らからすれば、完治までの時間は長い。
 治癒魔法の原理からすると、蘇生魔法でなければ、死に至ると治癒魔法は効力を発揮しない。

「〈世界を断つ刃ワールドブレイク〉」

 世界を断ちながら飛ぶ斬撃を、アレオスは防御は無駄だと悟り、回避した。そして地面を隆起させ瞬時にメーデアとの距離を詰めると、スティレットによる刺突を繰り出す、が、そこにメーデアは居ない。後方にステップしつつ、影を操る。
 『影の手』はアレオスの肩を粉砕し、彼の体は家屋に突っ込む。幸運にもそこには誰も居なかったから、死人は出なかった。
 
「祈ってみては? ただの傍観者共に。得られたとしても多少の力程度でしょうがね」

 『聖神之加護』⋯⋯効果は、神への純粋な信仰心が強ければ強いほど、あらゆる能力が向上するというもの。

「──私は、神の代理人」

 アレオスは瓦礫を退け、立ち上がる。全身に流れる血は膨大な量であり、常人ならば即死だろう。しかし、彼は死んでいなかった。
 傷が治る過程を、メーデアは何もせずただ眺めていた。

「──私は、魔族を滅する者」

 彼の両手には十字架の剣と、スティレットが握られてある。

「──私は、お前を、お前たちを殺す者」

 そしてそれらをメーデアに突きつけ、

「傍観者でなければならない神のため、私はその剣となろう。それが神の意志だ。お前は、排除しなければならない存在だ」

 スティレットを、メーデアに投擲する。
 メーデアはいとも簡単にそれを掴み獲った。神聖属性は然程痛まない。肉に刺されたならばともかく、触った程度ではそこまでだ。
 しかし、アレオスはそんな投擲でメーデアにダメージが与えられるとは思っていなかった。だから、

「──っ」

 スティレットは投擲されていた。
 メーデアの右手にスティレットが突き刺さって、神聖属性エネルギーが体内に流れることで痛みの痺れが全身を走る。
 一瞬だけメーデアの体が停止し、その隙をアレオスは逃さない。跳び掛かり、十字架の剣を薙ぎ払う。
 剣の鋼が太陽光に反射していたためか、一閃がメーデアの首を走ったように見えた。刀身には一滴の血液、肉、油も付着せず、彼女の首を刎ねる。
 首を飛ばされたメーデアの体は地面に倒れ──そうになるも、断面から伸ばされた影がそれを防ぎ、立ち上がる。
 落とした首は灰となり、風に吹かれて消えると、体の方に生えてくる。
 しかし再生する前に、アレオスは幾本ものスティレットを取り出し、投げつける。飛ばされるスティレットとほぼ同じ速度でアレオスもメーデアに肉薄した。
 巨大な紅色の水晶でできた槍がメーデアの足元から生成され、アレオスの首元を貫く。しかし彼は左腕を犠牲に防ぎ、十字架の剣でメーデアの心臓を刺突する。

「────」

 メーデアの体から力がなくなった。首の断面から伸ばされていた影も消え去り、アレオスの左腕を貫いていた結晶も砕ける。
 アレオスはメーデアの体を蹴り、離す。
 その紅色の水晶が侵食性を持つことを理解したアレオスは躊躇いなく腕を引き千切り、魔法の効果によって腕は再生していった。

「⋯⋯まだ生きているのですか」

 倒れていたメーデアの体が起き上がった。傷は当然ない。
 彼女は正真正銘の不滅存在だ。少なくとも首を落としたり、心臓を抉ったり、全身を細切れにした程度では死なない。

「言ったでしょう? 私を殺せるのは『不確実性』のみだと。その加護に頼っているようでは、私の首を刎ねることはできても命を奪うことはいつまでもできませんよ」

 メーデアを殺すには、普通に肉体を破壊するだけでは不可能だ。しかし、アレオスにはそれぐらいしかできない。

「いい加減飽きてきました。もっと必死になって、神の代理人ではないあなたとして私を殺しに来ては? 面倒なのですよ。そうでもしないとゆっくりと死んでいくだけですよ、人間」
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