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第五章「魔を統べる王」
第百二十二話 ベット
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ギャンブル──セレディナとマサカズの戦いは、アセルムノの中央広場で行われることとなった。
ルールはマサカズが提示したものに以前変わりなく、セレディナはそれを了承済み。
攻撃されない、殺されることはない。だと言うのに、マサカズはセレディナに対して恐怖の念を抱いていた。生物的な強者への畏怖。もしくは本能的な生存意識。それがマサカズに警告音を鳴らしているのだ。そんなことはないと、理性で判断したとしても。
セレディナは刀身が真っ黒な刀を持っている。百センチメートルほどある刃はそこに夜闇を宿したようで、実体が取りづらい。
それはマサカズを傷つけるためではなく、あくまで自己防衛のための武器である。セレディナにとってはそれさえ必要ないかもしれないが、彼女の性格が慢心を許さなかったのだろう。
「⋯⋯厄介な相手だ、全く」
どこかの魔女と違って、油断も隙もあったものではない。
相手の慢心や油断を狙って、一気に殺しにかかるのがマサカズの強者との戦い方だ。そういう意味では、セレディナとは最悪なまでの相性である。
「厄介であって、不可能じゃなきゃいいんだけどな」
マサカズも剣を構える。セレディナのものとは異なり、光を反射する鋼の西洋剣だ。
マサカズは横目でセレディナではなく、また別の人物を見る。
黒のウエディングドレスの少女、ピンク髪の少年、あるいは少女がそこに居た。
どうやら『嫉妬』と『色欲』はこの戦いに乱入するわけではなさそうだ。流石は信用した魔王なだけはある、自分の部下をこの短時間で説得するとは。
『強欲』はまだ起きていないようで、その場には居なかった。
「お前から来るといい」
セレディナは手をこまねき、マサカズから始めるよう促す。「じゃ、遠慮なく」とマサカズは剣を握る力を強め、そして一気に加速する。
両者の距離はおよそ十五メートルほどあった。普通に走れば、距離を詰めるのに二秒ほど必要になるのだが、マサカズにとってそれは近距離である。
二秒どころか一秒──あるいはそれさえにも満たない極短時間で、マサカズは戦技を行使せずセレディナに肉薄し、ほぼ同時に横に剣を振るが、斬ったのは空だ。
分かっていたことである。初撃は簡単に躱されるものだ。大事なのは二撃目以降。
(一撃目で距離を詰め、二撃目、三撃目で体制を崩す)
マサカズから見て左側にセレディナは体を動かし回避していたので、右回しで後ろ蹴りを繰り出す。しかし右足の踵はセレディナの細い指のある綺麗な手の平に受け止められた。
「〈縮地〉」
マサカズの姿がその場から消え、セレディナの背後に再出現。彼女はそれを察知すると、気配が感じられた所からの攻撃に対し、黒刀による防御行為をするが、
「居な──いや!」
またもや背後に周り込んだマサカズは、今度こそ剣を構え、そして突いた。
刺突はセレディナの胴体を貫通し、血をぶちまける──ことはなかった。
「はっ! 吸血鬼らしいな!」
霧となった体を貫いたとして、それが攻撃になるはずがない。霧化するまでにはタイムラグがあるし、攻撃を見てからそうすることは不可能に近い。だが、相手が格下であるならば、見てから回避も可能ではある。
尤も、それでさえ非常に難しいのだが。
「危なかった。中々やるじゃないか」
セレディナは背中の部分が少し破れた黒いコートを見ながら、そう言った。しかしそこから血が流れていることはなく、本当に布一枚で攻撃を躱したのだろう。
「魔王にそう言われるとは思わなかった──ぜ!」
斬り上げ、蹴り、薙ぎ払い、斬り下げ、繰り返す。
マサカズの攻撃はセレディナの最低限度の回避運動によって無力化され続け、刻一刻と体力は減り続ける。
(時間⋯⋯そろそろ三分か)
戦闘開始から三分──詳しくは三分十四秒──が経過したが、最初の攻防以上、接戦できた試しはない。
まるで子供のように相手にされている。否、正しくそうなのだろう。セレディナにとってマサカズとは、年齢的な意味でも、技術的な意味でも、能力的な意味でも、子供だ。彼の剣術など児戯に等しいだろう。
(⋯⋯無意味な繰り返しだ。できないと思ったらすぐ切り替える、そうだろ?)
元より堅実な立ち回りなどできない。それができるのは実力差がそこまで大きくない場合のみだ。マサカズとセレディナの二者間においては、その場合でない。
「奇策が必要だな!」
マサカズにとって、それはただの英語だ。英語でただ喋っただけ。
魔法使いにとって、それは魔法言語だ。だが聞いたこともない魔法であり、魔法言語に精通しているのであればそれがどんな意味を持つか分かって、警戒しないだろう。
であれば、魔法は知っているが、魔法言語なんて全く分からない者ならどういう反応をするか。
「魔法!?」
セレディナはマサカズの周りを警戒する。多くの場合において、魔法陣は行使者の周辺に展開され、そこから攻撃魔法などが発生する。だから、セレディナのこの対応は間違っていない──それを誘導されていなければ。
「〈一閃〉──ッ!」
瞬間、マサカズの速度は指数関数的に上昇し、そして光速に匹敵するまでになった。
斬撃が目にも捉えられないスピードで繰り出され、それはセレディナの胸を斬り裂くだろう。
ミスディレクションからの渾身の一撃。致命傷にはならずとも、確実な攻撃となる。賭けの内容より、マサカズの勝利が決定した──はずだった。
「──あ?」
──剣を握っていた感覚が、肩から先の感覚がその時、全くなくなった。すなわち、それは、
「な⋯⋯」
マサカズの両腕が、世界から消滅したのだ。
「あああああああッ!」
血液が噴水みたいに、穴が空いたバケツから流れ出る水のように両肩から吹き出て、体温が凄まじい勢いで低下していっている。激痛は熱さとして認識され、マサカズは両肩を熱湯にでも漬けられたような錯覚に陥った。
熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い──そんな思考がループした体感時間が一体どれだけ長かったのかは分からない。だが現実では刹那であった。
「──」
セレディナは高貴だ。彼女であれば潔く負けを認め、きっと嫌々ながらもマサカズたちと協力したことだろう。
だから、マサカズの両腕を切り飛ばしたのはセレディナではなかった。
「マサカズ・クロイ⋯⋯私に、何をした!?」
それを行ったのは──『強欲』の魔人、フィルだった。
遅れてフィルを警護していた蝙蝠の羽を持った男女──おそらく吸血鬼──がその場に現れた。
「魔王様、お許しください。フィル様が目覚めたかと思えば、突然走り始めて⋯⋯我々ではフィル様を止めることができませんでした」
「何? ⋯⋯フィルは私が何とかする。お前たちはあの男の命を繋ぎ止めよ」
「はっ」
吸血鬼の従者たちはすぐさまマサカズに対して魔法的でない治療を行う。止血は問題なくされ、一先ず即死することはないだろう。あとは治癒魔法の使い手次第だ。
治癒魔法が使える『色欲』の魔人、カルテナに吸血鬼の従者たちは協力を仰ぐと、カルテナは了承しマサカズに治癒魔法を行使した。
「フィル、なぜ私とクロイの戦いを邪魔した? その答え次第では、私はお前と敵対しなければならない」
セレディナにとって、約束された戦いを邪魔されることは尊厳を汚されるも同然だった。
場合によってはフィルとの契約を力によって書き換え、従えることも考えたが、
「君は誰さ? 私は誰なのさ? ここは何処なのさ? でもこれだけは覚えているんだ。そこの男、マサカズ・クロイの記憶が原因で、私は──記憶を喪失したということが!」
セレディナは唖然とした。
確かにフィルは、何をしても可笑しくない。セレディナもフィルのふざけた行動に手を焼かされたことが全く無かったと言えば嘘になる。だが、冗談にしてもそれが冗談であることはよく分かっていた。
だからこそ、今のフィルが冗談を言っていないことが分かる。
「私の記憶にあるのは、私とそこの男の名前、今の状態に陥った理由──その男の記憶を見たということだけ。だから私は、ソイツから記憶を取り戻さなくちゃならないの」
フィルはマサカズの記憶を視た直後、気絶した。
フィルとマサカズとではあまりにも力の差があり過ぎる。だから、マサカズが故意的にフィルの記憶を奪ったとは考えづらい。
セレディナは現状を理解し、これからの方針について話す必要が出たと結論づけた。
「お前と私との関係は後で話すとしよう。だが二つだけ言っておきたいことがある」
「何?」
フィルの態度は従者のそれではない。しかしセレディナは今のフィルを責めることができず、許すべきだろう。何より、セレディナはそこまで彼女の態度に対して不満を抱いているわけではない。
「まず、お前のその記憶喪失の原因だが、クロイはそれを治す方法を持たない」
「⋯⋯それって」
つまり、フィルの記憶喪失は自発的、もしくは魔法的、能力的な方法でなくては治せないのだ。
魔法的な方法はフィルしかできないのだが、
「フィル、お前は先程どのようにしてクロイの両腕を切断した?」
「⋯⋯分からない。けど、何というか、体内にあるエネルギーをそのまま、水鉄砲みたいに飛ばした、んだと思う」
記憶とは知識。魔法とは知識がなくては使うことができない技術であるのだ。
今、フィルがやったことは、単に自身の魔力を操作し、それをウォーターカッターみたいに飛ばしただけである。
「じゃあもう一つ、今、何か聞こえないか? 私の声や風の音ではない、また別の音が」
以前、フィルはセレディナに自身の能力について話してくれたことがあった。
フィルの能力、『強欲の罪』は、自分の視界内と自分を見る者の感情を読み取り、改竄する力だ。
その性質上、フィルは能力を行使中、常に多くの感情が脳内に流れ込んでくる。これはオンオフしかできず、能力の影響範囲を設定することはできないらしい。
「いいや、聞こえない」
「⋯⋯そうか」
であれば、フィルの感情の改竄によるアセルムノの人々の掌握は今現在されていないことになる。能力が解除されたからと言って改竄がなかったことになるわけではない。だが傷が自然治癒するように──それより遥かに早く──恐怖が消え去るのも時間の問題だ。
「一先ず、私について来い。そこで現状の把握と、方針について話す」
◆◆◆
結論から話すなら、賭けはマサカズの勝利だった。
あの場面で、セレディナはマサカズの攻撃を避けられたとは思えなかったそうだ。「素晴らしい」と賞賛されたが、セレディナがその気になればマサカズくらい瞬殺されるだろうから、素直に受け取ることはできない。
「⋯⋯やっぱすげぇな」
マサカズは自分の両腕を見て、そう呟いた。
確かに覚えている、自身の両腕が切断されたことを。しかしこうして、目の前には腕が生えている。衣服は流石に治せなかったそうで、今、マサカズは現地の服──砂漠を快適に過ごせる服装を着ている。
「カルテナ、だったか。ありがとうな」
「⋯⋯ん」
ピンク色の髪は目を隠せるくらい長く、その合間から桃色の瞳が垣間見えた。彼、あるいは彼女が、マサカズの腕を治したのだと言う。
一度殺された相手だが、それは相手を嫌う理由にも、感謝しない理由にもならない。
「──待たせたな」
そこで、防衛要塞内の客室に、セレディナが入ってきた。
カルテナ、そしてレヴィは椅子から立ち上がるとセレディナに対して跪き、マサカズとフィルは座ったままだった。
「面を上げろ。座って良い」
言われるとカルテナとレヴィは再び椅子に座る。
「では早速だが、本題に入るとしよう」
セレディナは場を仕切り、話を始める。
「まず、フィルに関してだ。フィル、本当に何も覚えていないんだな?」
「うん。殆ど、ね」
フィルはマサカズの方を見て、そう言った。
既にマサカズが故意的にしたことではないとフィルは理解しているのだが、それでもやられたことには変わりない。
しかしながら原因はどちらかと言えばフィル側にあるので、マサカズは謝る気がないのだが。
「私も能力者だから分かるが、能力の行使にはやり方がある。おそらく──いや確実に、人々の抑圧は解除されただろう。人々が反旗を翻すのも時間の問題だ」
能力の行使には意識することが必要だし、本人にしか分からないようなやり方があるのだと言う。そしてそのやり方は手や足を動かすのとは似て非なるもので、本能ではなくあくまで記憶が知っている。
なのでやり方を思い出す、あるいは見つけ出すことで能力は行使できるようになるが、特に後者の場合時間が多く必要となるだろう。少なくとも今この瞬間から能力が使えるようになりました、はどんな天才でも無理というものだ。
「そこでマサカズ・クロイ、お前に頼みごとがある」
唐突に話を振られて、マサカズは困惑した。その話の流れでどうしてこっちに飛ぶのか──だが、少し考えればすぐ分かることだった。
「まさか⋯⋯俺にアセルムノの人たちを説得しろって?」
セレディナは無言だ。しかし、顔にはちゃんと答えが現れていた。
「マジで言ってるのかよ⋯⋯だがまあ、そうだよな」
現状を深く理解していて、かつ人間側なのはマサカズ一人だけだ。人々の説得は、彼以外では務まらないので、自ずとやらなければならないことになる。
「仕方ないな。やってやるよ」
「話が早くて助かる」
ともかく、議題の一つ目は終わった。残りもう一つの議題はズバリ、
「──魔王軍は、マサカズ・クロイ、お前たちの協力者となることを認めよう」
エストへの復讐の件と、対黒の教団について、だ。
「ええっとだな、黒の教団さえなんとかできれば、エストは煮るなり焼くなり呪うなりすれば良い。俺はそれ以上突っ込む気はないからな」
が、前者については今この瞬間に終了した。
「まあ、問題は黒の教団か」
ということで、両者間が知る黒の教団、もしくは黒の魔女についての情報を出し合うこととなったのだが、対策を練ることなんてできるはずがない情報量だった。
「私の顔を見せて即死させるくらいしか対策方法が思い浮かばないなんて、やっぱり黒の魔女は可笑しい」
七百年前の大陸中央部の国々を滅ぼしたのは、たった一夜のことらしい。それだけでも一杯一杯だと言うのに、六百年前には竜王国を単身で壊滅寸前まで追いやって、その上でエストの前任、ルトアという魔女との一騎打ちの末、ようやく封印できたなんて聞かされれば、マトモな対処法なんて『嫉妬の罪』で殺すしか思いつかないだろう。
しかも何がおかしいかと言うと、それでさえ黒の魔女を殺せるか確証が得られないということだ。
「『嫉妬の罪』は対象の生命維持機能を潰す力。だからそういうのがなければ意味をなさない能力ってわけか」
例えば寿命がなければ、例えば心臓がなければ、例えば脳がなければ、とにかく生命を維持する部分がなければ、必要ないなら、レヴィの『嫉妬の罪』は発動しないのだ。ほぼ全ての生物において、そんなことはないから実質的な即死効果であるだけである。アンデッドであっても、活動を維持する器官があるなら能力の対象となる。
黒の魔女は魔法があっても死が確定するような傷を負っても、それを再生させる。即ち擬似的な不死性であり、寿命があるかどうかも怪しい。
黒の魔女に関しては、対処法なんて考えられない。当たって砕けろの精神で対応するしかないだろう。
「で、次は黒の教団だが⋯⋯」
実態の掴めない奴らだが、その目的は判明している。
即ち、国を生贄とし、あの魔法を発動させ、マガなる人物を強化することにある。
であれば、手っ取り早い話、大虐殺を引き起こさなければ良い。
魔王軍はおそらくスペアとして用意されたのだろう。黒の教団幹部が殺害された場合、代わりにその国で大虐殺を行うために。
「特に警戒する必要はないな」
計画は簡単に潰せる。ならばそこまで警戒する必要もないだろう。大陸に散らばっているのであれば、集まるのに時間がかかるし、集まったら集まったでそこを叩けば良いだけなのだから。
そうして今後の方針について深く話し合っていれば、いつの間にかかなり時間が経過していた。
現在時刻は十六時だ。
マサカズはアセルムノの人々へ、魔王軍がもう敵対しないと説得するため、この街で一番高いところへ向かった。
ルールはマサカズが提示したものに以前変わりなく、セレディナはそれを了承済み。
攻撃されない、殺されることはない。だと言うのに、マサカズはセレディナに対して恐怖の念を抱いていた。生物的な強者への畏怖。もしくは本能的な生存意識。それがマサカズに警告音を鳴らしているのだ。そんなことはないと、理性で判断したとしても。
セレディナは刀身が真っ黒な刀を持っている。百センチメートルほどある刃はそこに夜闇を宿したようで、実体が取りづらい。
それはマサカズを傷つけるためではなく、あくまで自己防衛のための武器である。セレディナにとってはそれさえ必要ないかもしれないが、彼女の性格が慢心を許さなかったのだろう。
「⋯⋯厄介な相手だ、全く」
どこかの魔女と違って、油断も隙もあったものではない。
相手の慢心や油断を狙って、一気に殺しにかかるのがマサカズの強者との戦い方だ。そういう意味では、セレディナとは最悪なまでの相性である。
「厄介であって、不可能じゃなきゃいいんだけどな」
マサカズも剣を構える。セレディナのものとは異なり、光を反射する鋼の西洋剣だ。
マサカズは横目でセレディナではなく、また別の人物を見る。
黒のウエディングドレスの少女、ピンク髪の少年、あるいは少女がそこに居た。
どうやら『嫉妬』と『色欲』はこの戦いに乱入するわけではなさそうだ。流石は信用した魔王なだけはある、自分の部下をこの短時間で説得するとは。
『強欲』はまだ起きていないようで、その場には居なかった。
「お前から来るといい」
セレディナは手をこまねき、マサカズから始めるよう促す。「じゃ、遠慮なく」とマサカズは剣を握る力を強め、そして一気に加速する。
両者の距離はおよそ十五メートルほどあった。普通に走れば、距離を詰めるのに二秒ほど必要になるのだが、マサカズにとってそれは近距離である。
二秒どころか一秒──あるいはそれさえにも満たない極短時間で、マサカズは戦技を行使せずセレディナに肉薄し、ほぼ同時に横に剣を振るが、斬ったのは空だ。
分かっていたことである。初撃は簡単に躱されるものだ。大事なのは二撃目以降。
(一撃目で距離を詰め、二撃目、三撃目で体制を崩す)
マサカズから見て左側にセレディナは体を動かし回避していたので、右回しで後ろ蹴りを繰り出す。しかし右足の踵はセレディナの細い指のある綺麗な手の平に受け止められた。
「〈縮地〉」
マサカズの姿がその場から消え、セレディナの背後に再出現。彼女はそれを察知すると、気配が感じられた所からの攻撃に対し、黒刀による防御行為をするが、
「居な──いや!」
またもや背後に周り込んだマサカズは、今度こそ剣を構え、そして突いた。
刺突はセレディナの胴体を貫通し、血をぶちまける──ことはなかった。
「はっ! 吸血鬼らしいな!」
霧となった体を貫いたとして、それが攻撃になるはずがない。霧化するまでにはタイムラグがあるし、攻撃を見てからそうすることは不可能に近い。だが、相手が格下であるならば、見てから回避も可能ではある。
尤も、それでさえ非常に難しいのだが。
「危なかった。中々やるじゃないか」
セレディナは背中の部分が少し破れた黒いコートを見ながら、そう言った。しかしそこから血が流れていることはなく、本当に布一枚で攻撃を躱したのだろう。
「魔王にそう言われるとは思わなかった──ぜ!」
斬り上げ、蹴り、薙ぎ払い、斬り下げ、繰り返す。
マサカズの攻撃はセレディナの最低限度の回避運動によって無力化され続け、刻一刻と体力は減り続ける。
(時間⋯⋯そろそろ三分か)
戦闘開始から三分──詳しくは三分十四秒──が経過したが、最初の攻防以上、接戦できた試しはない。
まるで子供のように相手にされている。否、正しくそうなのだろう。セレディナにとってマサカズとは、年齢的な意味でも、技術的な意味でも、能力的な意味でも、子供だ。彼の剣術など児戯に等しいだろう。
(⋯⋯無意味な繰り返しだ。できないと思ったらすぐ切り替える、そうだろ?)
元より堅実な立ち回りなどできない。それができるのは実力差がそこまで大きくない場合のみだ。マサカズとセレディナの二者間においては、その場合でない。
「奇策が必要だな!」
マサカズにとって、それはただの英語だ。英語でただ喋っただけ。
魔法使いにとって、それは魔法言語だ。だが聞いたこともない魔法であり、魔法言語に精通しているのであればそれがどんな意味を持つか分かって、警戒しないだろう。
であれば、魔法は知っているが、魔法言語なんて全く分からない者ならどういう反応をするか。
「魔法!?」
セレディナはマサカズの周りを警戒する。多くの場合において、魔法陣は行使者の周辺に展開され、そこから攻撃魔法などが発生する。だから、セレディナのこの対応は間違っていない──それを誘導されていなければ。
「〈一閃〉──ッ!」
瞬間、マサカズの速度は指数関数的に上昇し、そして光速に匹敵するまでになった。
斬撃が目にも捉えられないスピードで繰り出され、それはセレディナの胸を斬り裂くだろう。
ミスディレクションからの渾身の一撃。致命傷にはならずとも、確実な攻撃となる。賭けの内容より、マサカズの勝利が決定した──はずだった。
「──あ?」
──剣を握っていた感覚が、肩から先の感覚がその時、全くなくなった。すなわち、それは、
「な⋯⋯」
マサカズの両腕が、世界から消滅したのだ。
「あああああああッ!」
血液が噴水みたいに、穴が空いたバケツから流れ出る水のように両肩から吹き出て、体温が凄まじい勢いで低下していっている。激痛は熱さとして認識され、マサカズは両肩を熱湯にでも漬けられたような錯覚に陥った。
熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い熱い痛い──そんな思考がループした体感時間が一体どれだけ長かったのかは分からない。だが現実では刹那であった。
「──」
セレディナは高貴だ。彼女であれば潔く負けを認め、きっと嫌々ながらもマサカズたちと協力したことだろう。
だから、マサカズの両腕を切り飛ばしたのはセレディナではなかった。
「マサカズ・クロイ⋯⋯私に、何をした!?」
それを行ったのは──『強欲』の魔人、フィルだった。
遅れてフィルを警護していた蝙蝠の羽を持った男女──おそらく吸血鬼──がその場に現れた。
「魔王様、お許しください。フィル様が目覚めたかと思えば、突然走り始めて⋯⋯我々ではフィル様を止めることができませんでした」
「何? ⋯⋯フィルは私が何とかする。お前たちはあの男の命を繋ぎ止めよ」
「はっ」
吸血鬼の従者たちはすぐさまマサカズに対して魔法的でない治療を行う。止血は問題なくされ、一先ず即死することはないだろう。あとは治癒魔法の使い手次第だ。
治癒魔法が使える『色欲』の魔人、カルテナに吸血鬼の従者たちは協力を仰ぐと、カルテナは了承しマサカズに治癒魔法を行使した。
「フィル、なぜ私とクロイの戦いを邪魔した? その答え次第では、私はお前と敵対しなければならない」
セレディナにとって、約束された戦いを邪魔されることは尊厳を汚されるも同然だった。
場合によってはフィルとの契約を力によって書き換え、従えることも考えたが、
「君は誰さ? 私は誰なのさ? ここは何処なのさ? でもこれだけは覚えているんだ。そこの男、マサカズ・クロイの記憶が原因で、私は──記憶を喪失したということが!」
セレディナは唖然とした。
確かにフィルは、何をしても可笑しくない。セレディナもフィルのふざけた行動に手を焼かされたことが全く無かったと言えば嘘になる。だが、冗談にしてもそれが冗談であることはよく分かっていた。
だからこそ、今のフィルが冗談を言っていないことが分かる。
「私の記憶にあるのは、私とそこの男の名前、今の状態に陥った理由──その男の記憶を見たということだけ。だから私は、ソイツから記憶を取り戻さなくちゃならないの」
フィルはマサカズの記憶を視た直後、気絶した。
フィルとマサカズとではあまりにも力の差があり過ぎる。だから、マサカズが故意的にフィルの記憶を奪ったとは考えづらい。
セレディナは現状を理解し、これからの方針について話す必要が出たと結論づけた。
「お前と私との関係は後で話すとしよう。だが二つだけ言っておきたいことがある」
「何?」
フィルの態度は従者のそれではない。しかしセレディナは今のフィルを責めることができず、許すべきだろう。何より、セレディナはそこまで彼女の態度に対して不満を抱いているわけではない。
「まず、お前のその記憶喪失の原因だが、クロイはそれを治す方法を持たない」
「⋯⋯それって」
つまり、フィルの記憶喪失は自発的、もしくは魔法的、能力的な方法でなくては治せないのだ。
魔法的な方法はフィルしかできないのだが、
「フィル、お前は先程どのようにしてクロイの両腕を切断した?」
「⋯⋯分からない。けど、何というか、体内にあるエネルギーをそのまま、水鉄砲みたいに飛ばした、んだと思う」
記憶とは知識。魔法とは知識がなくては使うことができない技術であるのだ。
今、フィルがやったことは、単に自身の魔力を操作し、それをウォーターカッターみたいに飛ばしただけである。
「じゃあもう一つ、今、何か聞こえないか? 私の声や風の音ではない、また別の音が」
以前、フィルはセレディナに自身の能力について話してくれたことがあった。
フィルの能力、『強欲の罪』は、自分の視界内と自分を見る者の感情を読み取り、改竄する力だ。
その性質上、フィルは能力を行使中、常に多くの感情が脳内に流れ込んでくる。これはオンオフしかできず、能力の影響範囲を設定することはできないらしい。
「いいや、聞こえない」
「⋯⋯そうか」
であれば、フィルの感情の改竄によるアセルムノの人々の掌握は今現在されていないことになる。能力が解除されたからと言って改竄がなかったことになるわけではない。だが傷が自然治癒するように──それより遥かに早く──恐怖が消え去るのも時間の問題だ。
「一先ず、私について来い。そこで現状の把握と、方針について話す」
◆◆◆
結論から話すなら、賭けはマサカズの勝利だった。
あの場面で、セレディナはマサカズの攻撃を避けられたとは思えなかったそうだ。「素晴らしい」と賞賛されたが、セレディナがその気になればマサカズくらい瞬殺されるだろうから、素直に受け取ることはできない。
「⋯⋯やっぱすげぇな」
マサカズは自分の両腕を見て、そう呟いた。
確かに覚えている、自身の両腕が切断されたことを。しかしこうして、目の前には腕が生えている。衣服は流石に治せなかったそうで、今、マサカズは現地の服──砂漠を快適に過ごせる服装を着ている。
「カルテナ、だったか。ありがとうな」
「⋯⋯ん」
ピンク色の髪は目を隠せるくらい長く、その合間から桃色の瞳が垣間見えた。彼、あるいは彼女が、マサカズの腕を治したのだと言う。
一度殺された相手だが、それは相手を嫌う理由にも、感謝しない理由にもならない。
「──待たせたな」
そこで、防衛要塞内の客室に、セレディナが入ってきた。
カルテナ、そしてレヴィは椅子から立ち上がるとセレディナに対して跪き、マサカズとフィルは座ったままだった。
「面を上げろ。座って良い」
言われるとカルテナとレヴィは再び椅子に座る。
「では早速だが、本題に入るとしよう」
セレディナは場を仕切り、話を始める。
「まず、フィルに関してだ。フィル、本当に何も覚えていないんだな?」
「うん。殆ど、ね」
フィルはマサカズの方を見て、そう言った。
既にマサカズが故意的にしたことではないとフィルは理解しているのだが、それでもやられたことには変わりない。
しかしながら原因はどちらかと言えばフィル側にあるので、マサカズは謝る気がないのだが。
「私も能力者だから分かるが、能力の行使にはやり方がある。おそらく──いや確実に、人々の抑圧は解除されただろう。人々が反旗を翻すのも時間の問題だ」
能力の行使には意識することが必要だし、本人にしか分からないようなやり方があるのだと言う。そしてそのやり方は手や足を動かすのとは似て非なるもので、本能ではなくあくまで記憶が知っている。
なのでやり方を思い出す、あるいは見つけ出すことで能力は行使できるようになるが、特に後者の場合時間が多く必要となるだろう。少なくとも今この瞬間から能力が使えるようになりました、はどんな天才でも無理というものだ。
「そこでマサカズ・クロイ、お前に頼みごとがある」
唐突に話を振られて、マサカズは困惑した。その話の流れでどうしてこっちに飛ぶのか──だが、少し考えればすぐ分かることだった。
「まさか⋯⋯俺にアセルムノの人たちを説得しろって?」
セレディナは無言だ。しかし、顔にはちゃんと答えが現れていた。
「マジで言ってるのかよ⋯⋯だがまあ、そうだよな」
現状を深く理解していて、かつ人間側なのはマサカズ一人だけだ。人々の説得は、彼以外では務まらないので、自ずとやらなければならないことになる。
「仕方ないな。やってやるよ」
「話が早くて助かる」
ともかく、議題の一つ目は終わった。残りもう一つの議題はズバリ、
「──魔王軍は、マサカズ・クロイ、お前たちの協力者となることを認めよう」
エストへの復讐の件と、対黒の教団について、だ。
「ええっとだな、黒の教団さえなんとかできれば、エストは煮るなり焼くなり呪うなりすれば良い。俺はそれ以上突っ込む気はないからな」
が、前者については今この瞬間に終了した。
「まあ、問題は黒の教団か」
ということで、両者間が知る黒の教団、もしくは黒の魔女についての情報を出し合うこととなったのだが、対策を練ることなんてできるはずがない情報量だった。
「私の顔を見せて即死させるくらいしか対策方法が思い浮かばないなんて、やっぱり黒の魔女は可笑しい」
七百年前の大陸中央部の国々を滅ぼしたのは、たった一夜のことらしい。それだけでも一杯一杯だと言うのに、六百年前には竜王国を単身で壊滅寸前まで追いやって、その上でエストの前任、ルトアという魔女との一騎打ちの末、ようやく封印できたなんて聞かされれば、マトモな対処法なんて『嫉妬の罪』で殺すしか思いつかないだろう。
しかも何がおかしいかと言うと、それでさえ黒の魔女を殺せるか確証が得られないということだ。
「『嫉妬の罪』は対象の生命維持機能を潰す力。だからそういうのがなければ意味をなさない能力ってわけか」
例えば寿命がなければ、例えば心臓がなければ、例えば脳がなければ、とにかく生命を維持する部分がなければ、必要ないなら、レヴィの『嫉妬の罪』は発動しないのだ。ほぼ全ての生物において、そんなことはないから実質的な即死効果であるだけである。アンデッドであっても、活動を維持する器官があるなら能力の対象となる。
黒の魔女は魔法があっても死が確定するような傷を負っても、それを再生させる。即ち擬似的な不死性であり、寿命があるかどうかも怪しい。
黒の魔女に関しては、対処法なんて考えられない。当たって砕けろの精神で対応するしかないだろう。
「で、次は黒の教団だが⋯⋯」
実態の掴めない奴らだが、その目的は判明している。
即ち、国を生贄とし、あの魔法を発動させ、マガなる人物を強化することにある。
であれば、手っ取り早い話、大虐殺を引き起こさなければ良い。
魔王軍はおそらくスペアとして用意されたのだろう。黒の教団幹部が殺害された場合、代わりにその国で大虐殺を行うために。
「特に警戒する必要はないな」
計画は簡単に潰せる。ならばそこまで警戒する必要もないだろう。大陸に散らばっているのであれば、集まるのに時間がかかるし、集まったら集まったでそこを叩けば良いだけなのだから。
そうして今後の方針について深く話し合っていれば、いつの間にかかなり時間が経過していた。
現在時刻は十六時だ。
マサカズはアセルムノの人々へ、魔王軍がもう敵対しないと説得するため、この街で一番高いところへ向かった。
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