白の魔女の世界救済譚

月乃彰

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第五章「魔を統べる王」

第百二十話 ■■の記憶

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 私は『強欲』の魔人だ。私はありとあらゆる欲の権化であるのだ。『強欲』であるからこそ、その結果を受け入れなければならない。
 欲は時としてその身を滅ぼすことがある。私も生まれて数百年、その間に一度も敗北がなかったわけではない。何度もあるわけではないが、決して少なくない数、負けたことがある。
 その敗北の原因の殆どは、私の『強欲』さ故なのだ。
 
 私はこの生まれつきの不自由さが昔から──死にたいと思うほど──嫌いだった。
 魔人は『魔の空間』と呼ばれるその場所で生涯の殆どを過ごす。
 『魔の空間』とは言ってしまえば地獄だ。景色も紫色の草木もないような枯れ果てた大地と、明るいんだか暗いんだか分からない空、空気は重々しく、静寂は全て悲鳴と轟音で掻き消される。
 私は魔人として生まれたこと、その地獄を呪った。
 魔人は召喚されることで、外の世界に行くことができる。逆に言えばそれ以外の方法では外の世界に行くことはできなかった。
 多くの魔人は外の世界を望んでいた。だから、日々ここでは己を研鑽するため、あるいは他の魔人を消し去るため戦いが止まなかった。そうすれば、強くなれば、他が減れば、召喚される確率は高くなかったから。
 もしこんな世界を創り出した者がいるなら、きっと私はそいつを憎んだだろう。
 私は生まれたときからずっと一人だった。孤独で、弱くて、でも自由が欲しかった。
 多分、一番惨めだったのはその時だ。臆病なのに、何もしないくせに、覚悟なんてないのに、自由を欲した。
 それがいけなかった。
 ある日、私は突如として召喚された。今思えばそんな召喚、断るべきだったのだ。召喚は強制ではないのだから。
 しかし愚かな私はその時、召喚を受諾したのだ。なぜ、弱い自分を召喚するのかなんて考えずに。
 弱い魔人とは、大抵が女や子供の姿であった。魔人には性別がないが、肉体の性別は決められる。それが直結で精神的な性別になるわけではないが、ともかくとして男や女といった外見はあったし、構造も人間に近い者が多い。
 『魔の空間』では、全てが精神体であるが、召喚された場合、魔人たちは受肉することになる。受肉はそれ専用の生贄が必要なわけではなく、魔力によって肉体を創造するのだ。『魔の空間』でも受肉はできないことはないが、あそこに実体は適さない。
 私は弱かったから、普通の女の人間くらいの体しか作れなかった。
 ──そこからは最悪だ。
 魔人の多くが召喚される理由は、戦力のため。だから召喚されるのは強き魔人だ。ではなぜ、その時の弱い私を召喚しようとする人物がいたのか。そんなの、少し考えれば分かることだった。
 男は、私の体を欲していた。ただそんな理由だ。犯すから、抵抗されないために、わざわざ弱い魔人を召喚したのだ。
 自由という餌に釣られ、私は襲われた、人間に。何もできず、私はそうなされるがままだった。
 そして気づいたのだ、ようやく。世界は弱肉強食であり、自由は他者の不自由の下に成り立つと。
 私は嫌だった、不自由であることが。私は嫌いだった、弱いことが。
 それが、始まりだった。
 まず、手始めに私を犯すために召喚した男を殺した。方法は至ってシンプルだ。私の体内にあった魔力を毎日毎日流し込み、ゆっくりと毒のようにして、魔力許容量を超えさせることによる殺害。そんなことをするものだから、私の魔力量はかなり増えた。
 本来、契約者を殺すことは契約違反となり、その世界で死ねば『魔の空間』に戻されることなく消滅する。しかしあの男はまともに契約しなかったから、契約違反は起きなかった。
 そして私は人間を装い、何年かその街で暮らしていた。言葉も分からなかったし、体も魔力によって創造したものだから、成長しないので怪しまれることもあった。しかし私は何とか周りの人間の目を欺き、外の世界で生きていった。
 そこで、出会ったのだ、あの御方と。
 金色の髪に、真紅の瞳、全身を黒に赤のアクセントが入ったドレスを着た女性。口から垣間見えるのは、明らかに人間的でない牙。
 私は一目で分かった。彼女は吸血鬼であり──魔王、ツェリスカであると。

 ◆◆◆

「⋯⋯あなた、魔人ね?」

 街から少し離れた山の麓。そこにある小さな家の目の前には、金髪の女性が立っていた。
 少女は彼女に自身の正体を言い当てられたことで動揺するが、すぐさま臨戦態勢を取る。
 同じく目の前の女性の正体を知る少女──銀髪の魔人は、有無を言わさず体内の魔力を練り、魔法を詠唱する。

「〈風刃ウィンドブレード〉」

 風の刃が魔王ツェリスカを襲うが、ツェリスカはそれを片手で簡単に打ち消す。純粋な魔力のみで、魔法を消したのだ。

「っ⋯⋯!」

 今の魔法は銀髪の魔人が使える最大威力の魔法だ。それをこうも簡単に消されると、勝算は微塵もないと証明される。
 すぐさま逃げる判断をつけると、銀髪の魔人は風魔法の応用で飛ぼうとするが、それより速くツェリスカが彼女の背後に現れる。
 今のは魔法や戦技などではない純粋な身体能力だ。逃げることさえ不可能だと少女は絶望した。

「そう怖がらないで。私はあなたを傷つけたりしないから」

 ツェリスカは両手を小さく挙げ、少女を殺す気はないと示す。それは真意であるような気がした──根拠はないが。
 
「⋯⋯どうして」

「単純な理由よ。あなたは私に挑んだ、それだけ」

 もっとよく分からなくなった。
 挑むことと勝利することは違う。寧ろ、勝てないと勘付きながらも無駄に相手に挑むことは、愚かではないのか。
 不確実的な挑戦など、ましてや負けることが決まっているような挑戦など、打算的な思考の持ち主ではない。
 
「それでも、あなたは私に挑んだ。あなたは私に怯えていたけれど、命乞いをせずに戦った」

 ツェリスカは少女に手を差し伸べる。

「魔人、あなた、私の下に来ない?」

 ◆◆◆

「⋯⋯は?」

 マサカズに対して〈記憶閲覧ビューメモリー〉を行使したフィルは、次の瞬間、顔が真っ青になった。
 そして頭を抱え、地面に座り込む。一目で分かるくらい、彼女は怯えていた。

「何これ。これが、死? 死は無ではない? 死はこんな感触なの? 何これ、何これ、何これ⋯⋯」

 怯え、混乱している。死の記憶を正常者が見たときとしては、正しい反応だ。そう、マサカズは理解し、フィルに対して少し同情した。

「⋯⋯っ!」

 そして更に、フィルは──倒れた。

「え⋯⋯」

 わけが分からない。なぜ、今になってフィルは倒れた? いくら何でも不自然すぎる。

「⋯⋯何がなんだかわからないが、とにかくこれはチャンスだ。今のうちに魔法陣を」

 マサカズは元々の目的であった魔法陣の破損を行おうとする。精密機械に傷を入れれば動かなくなるように、それは外傷によって簡単に効果を失う。
 もう少しで破壊できる──その時だった。

「──やれやれ。中々来ないと思って来てみれば、こんなことになっていたとは」

 巻物が消滅する現象は、それが法則を超えたものであることを示している。白色の炎のようなものは熱を帯びていないらしく、それを持っていたセレディナは熱がる様子を見せなかった。

「聞こう、マサカズ・クロイ。お前はここで何をした?」

 ──言い逃れ出来ない。
 フィルが気絶したことについては、まだ何とかなる。殆ど自滅したようなものなのだ。真実を話せば、それが理由で殺されることはない。
 だが、ここに居ることは、マサカズがセレディナに敵対的であるという証明。もしセレディナが魔法に関して無知であるならば言い訳できるが、この世界に長く住まう者が、使えずとも魔法を知らないはずがない。

「⋯⋯俺は⋯⋯この魔法陣を潰そうとした」

 言い訳は見苦しい。セレディナはそういうことを嫌う傾向にある。だから、まだ話し合いの余地があるこっちを選択すべきだった。せざるを得なかった。

「なんの為に?」

「⋯⋯この魔法陣が、良くないものだからだ。俺は魔法に関して無知ではない。本業ほどではないが、それがどんな影響を及ぼすかは知っているつもりなんだ」

 マサカズは魔法に関して無知だし、この魔法陣が具体的にどんなものであるかなんて知るはずがない。逆説的に良くないものであると判断はついたが、初見では不可能だろう。
 
「ならばその影響について話してもらおうか」

 考えろ。どう話せば不自然ないかを。
 セレディナの目的、この魔法陣の存在意義、そして今持っているはずの知識。

「おそらく、この魔法陣は黒の魔女が設置したものだ。俺たちはここで黒の教団幹部を撃破した。黒の教団が何もなしにこの国を裏から支配するとは思えない。何かしらの行動原理があるはずだ。俺はまた別の地下空間で、とある文書を見た。暗号化されていたが、それを読み解くとそこには〈魂の螺旋ソウルスパイラル〉とあった」

 話している間にも頭を回転させ、文を作り、焦らず冷静を装ってそれを口にしていく。

「黒の教団の指令書と思しきそれに、魔法の名前があった。その魔法は普通の魔法じゃない可能性が高い。そして、ここにお前たちが来たことも偶然にしてはできすぎているし、その力も一国を支配するにしてはあまりにも強大すぎる。ここまで分かればあとは簡単だ」

 『死に戻り』を明かさないためにも、マサカズには知っている理由が必要だった。フィルがそうであるように、セレディナもマサカズの『死に戻り』に気がつく、あるいはそうでなくとも違和感を覚えるはずだ。その些細な不信感が、後になって大きな影響となる。カオス理論から導き出された、バタフライ・エフェクトを知るマサカズだからこそ懸念すべき点を今、解消した。

「魔王軍は、黒の教団と繋がっている。そして目的は、お前たち一人だけなら到底できない、しかし数人いればできる全国民の完璧な虐殺と⋯⋯エストの殺害。だったなら、この戦力にも納得がいく。魔法陣はその大虐殺を経て発動する魔法だろうな。こんな巨大な魔法、それくらいの生贄が、魔力がなくては発動するはずがない」

「⋯⋯お前のそれは、仮説からなる推論だ。それが本当にあっていると思うのか?」

 仮定に仮定を重ねると、そのうちのどれか一つが崩壊するだけで他の全ても同様となるから、すべきでない論法だ。しかし、マサカズはそれが仮定でないことを知っている。

「ああ、とは断言できない。科学者は断言しないだろ? そうでないこと、例外は何にでもあるからだ。だが、こうは言う⋯⋯そうである可能性が高い、と。俺はそれだけの理由で動く男だ」

「⋯⋯そうだ。私はこの国の民を全員抹殺することが目的だ。黒の魔女と協力しているのも事実だが、その魔法については知らなかった。⋯⋯お前の推論が正しいならば、虐殺に説明がつく」

 セレディナは「だが」と言葉を続け、マサカズに対して質問を投げかける。

「それをなぜ話した? まさか、私がそれで大虐殺を止めないと思ったのか?」

 話が通じるとはいえ、セレディナからしてみれば虫と変わりないのが人間だ。羽音が五月蝿いように、人間の泣き声などその程度。根本的な価値観が違うからこそ理解できないが、そこで躓いている時点で人間は人間なのだ。
 ちょっと不明瞭だからって、人間の大虐殺を止めるほどセレディナは大虐殺に対して興味を持っているわけではない。

「それこそ、まさか、のことだろう。その程度の理由で、お前が人間如きに慈悲をかけるとは思えない」

「⋯⋯人間如き、ね。まあ何であれ、目的はなんだ?」

 マサカズの発言に少し引っかかったセレディナだったが、話を本題に戻す。
 マサカズはその質問に対して、息を吸った、覚悟を決めるように。
 これまでのループでは、マサカズは魔王軍に入って内部から壊そうと奔走した。しかし結果は惨敗。おそらくこの国に居る大罪魔人最弱であると思われる『色欲』でさえ殺すに至らなかったし、その後酷い目に遭った。更にセレディナは、仲間を売ったようなものであったマサカズを信用しておらず、殺すことさえ厭わないし、極力使いたがらないが精神支配の力も持っている。それを使われれば一瞬で終わる。
 つまるところ、マサカズには魔王軍を内部から瓦解させることは不可能である。いずれマサカズのスパイはバレてしまって、始末されることとなるだろう。
 だったら、その方法以外を試す他無い。できないならやり方を変えるのだ。振り出しに戻ることになるが、それは進歩するということでもある。
 何度ループする事になるかはわからない。もしかすれば内側から破滅させていくことが正解かもしれない。だが、そんなのは──語弊があるが──時間が解決してくれる。
 
「魔王、セレディナ。俺と」

 マサカズは剣先をセレディナの顔に突きつける。鋼に反射したマサカズの顔には、決意の顔が映っていた。

「──賭けをしよう」
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