33 / 48
幕間
しおりを挟む
老人は二階の自室からこの山中にある田舎町の様子を眺めていた。
「ジジイ、次の要求は何だ」
漆黒のマントを羽織った姿は首から上が烏の頭になっていた。
「悪魔さん、あなたは長年よく仕えてくれた。おかげでこの何もなかった貧しい町が自給自足できるようになったばかりでなく、行商人も頻繁に足を寄せてくれる様になった。ありがとう」
「礼の必要はない、これは契約の結果だ」
「いや言わせておくれ、あんたが居なかったらこんな暮らしはここには来なかったろう。おかげでわしは友人の曾孫の顔まで見る事が出来た」
この男は事あるごとに礼を言う。対価は支払われているのだからその必要は無いと考える悪魔はそれが不思議でならなかった。
「お前は会った時から躊躇無く俺と契約したな」
老人は微笑んだ。
「わしは神父ではない、ただの町長だ。相手が悪魔かどうかなんぞ関係無い。わしがするのはここに住む者の暮らしを良くする事に努める事だ。町の者が神様と良いお付き合いする為の仕事は範囲外さ」
「神を恐れないのかお前は」
罰は当たるだろうなと笑った後老人は続けた。
「ちょっと前にルター(宗教改革の中心人物)さんて人が教会に物言いをつけてから、宗教に対する考え方が色々変わったり分かれたりしている。大きな帆船が世界中を走り回る様になって新大陸の発見やら科学というものの考え方が変わったり技術の進歩も目覚ましい。きっとこれからはもっとすごい事になるだろう。我々人間はもう少ししたら神様のお恵みを頂かなくても自立するようになるかもしれん」
悪魔は怪訝そうに老人を見た。悪魔と契約する者はたいてい己の欲や願望にしか興味が無いからだ。
「悪魔さん、今このヨーロッパがどうなっているか知っているかね、銀が入って来なくなって景気が低迷、度重なる天候不順で凶作続き、大勢人が亡くなっている。そんな心の闇が魔女狩りなんてのも大流行させてさえいる。人々が信仰を失ったからなんて言う者もいるがわしはそうは思わない。信仰を捨てる事だって神は我々に許しておられるからね。まぁ、世間様は大変な事になっているがこの町はそうではない。悪魔さんがこのやせた土地を肥沃にし、強い作物を与えてくれたからだ。充分な暮らしが確保できているから誰かを貶めようなんて思う者は居なくなった。人が酷い事をするのは生活が満たされないからだとわしは思う。あんたは町の救いだよ」
老人の話を聞いた後、悪魔は彼に顔を寄せた。
「このちんけな町の長でお前は満足なのか?もっとでかい街、なんなら国の王になろうとか思わないのか」
老人は首を振った。
「わしはそんな器ではないよ。見えている範囲に幸せがあれば良い。そうだな、次の契約は住人が望む限りこの町が侵略されないようにして欲しい」
「良かろう」
取り出した契約書に老人が署名すると悪魔はぱちんと指を鳴らした。
「悪魔さん、あんたの力は絶大だ。あんたが言うように本当に人を王様にしたり金持ちにしたり出来るだろう、それが最後の心配でね」
老人は立ち上がると棚に置いてあった小さなガラス瓶を持ってきた。
「美しいだろ?とても良い物らしい。この中に入って欲しい」
「何だと? 」
悪魔は意を計りかねた。
「悪魔さん、あんたは凄い。だがあんたはその力を魂と引き換えに簡単に提供してしまう。わしの心配はそれが悪人に渡る事なのだ。だからどうか、この瓶の中に封じられて善人だけが開封できるようにして欲しい。そしてもしその者が感じの良い人物だったなら契約云々とは別に助けになってあげておくれ」
老人の魂を回収するのは老人魂の所有権を完全に手に入れた後でしか不可能だ。
だがもし悪魔が回収する前に死なれて天の国にでも迷い込まれてしまってはもう決して手が届かなくなってしまう。
この老人の最後の願いで魂は完全に悪魔の物になるがその時は既に封印された後になるのだ。
「おいジジイ、封じ込まれたらな、解放された時一回だけ無償で願いを叶えなくてはならんのだぞ。俺にとっては損でしかない」
「ああ、無理強いは出来んな。いつ解放されるともわからん……。それでも悪魔さん、こんなに町を良くしてくれたあんたに悪事は働いてもらいたくないんだよ」
自分は善意でやった訳では無い、契約の下対価として働いただけだ。この老人は出会った時からいつもこんな風にずれていた。
「まぁ、質の低い魂をあさるより神が泣いて悔しがる様な奴に出会う方が俺は効率が良いがな。だがな、そいつの助けになってくれってのは飲めないぞ。俺が悪魔である以上はな」
契約書を突き付けてきた悪魔に老人は深々と頭を下げた。
「エス・レフェス、あんたは良い悪魔だ」
「悪魔に良いも悪いもあるか! ……エスレフェス?なんだそれは」
老人は悪魔を愛おしそうに見つめて答えた。
「飢饉で亡くなった赤子に、わしの子に贈るはずだった名前だ」
「ジジイ、次の要求は何だ」
漆黒のマントを羽織った姿は首から上が烏の頭になっていた。
「悪魔さん、あなたは長年よく仕えてくれた。おかげでこの何もなかった貧しい町が自給自足できるようになったばかりでなく、行商人も頻繁に足を寄せてくれる様になった。ありがとう」
「礼の必要はない、これは契約の結果だ」
「いや言わせておくれ、あんたが居なかったらこんな暮らしはここには来なかったろう。おかげでわしは友人の曾孫の顔まで見る事が出来た」
この男は事あるごとに礼を言う。対価は支払われているのだからその必要は無いと考える悪魔はそれが不思議でならなかった。
「お前は会った時から躊躇無く俺と契約したな」
老人は微笑んだ。
「わしは神父ではない、ただの町長だ。相手が悪魔かどうかなんぞ関係無い。わしがするのはここに住む者の暮らしを良くする事に努める事だ。町の者が神様と良いお付き合いする為の仕事は範囲外さ」
「神を恐れないのかお前は」
罰は当たるだろうなと笑った後老人は続けた。
「ちょっと前にルター(宗教改革の中心人物)さんて人が教会に物言いをつけてから、宗教に対する考え方が色々変わったり分かれたりしている。大きな帆船が世界中を走り回る様になって新大陸の発見やら科学というものの考え方が変わったり技術の進歩も目覚ましい。きっとこれからはもっとすごい事になるだろう。我々人間はもう少ししたら神様のお恵みを頂かなくても自立するようになるかもしれん」
悪魔は怪訝そうに老人を見た。悪魔と契約する者はたいてい己の欲や願望にしか興味が無いからだ。
「悪魔さん、今このヨーロッパがどうなっているか知っているかね、銀が入って来なくなって景気が低迷、度重なる天候不順で凶作続き、大勢人が亡くなっている。そんな心の闇が魔女狩りなんてのも大流行させてさえいる。人々が信仰を失ったからなんて言う者もいるがわしはそうは思わない。信仰を捨てる事だって神は我々に許しておられるからね。まぁ、世間様は大変な事になっているがこの町はそうではない。悪魔さんがこのやせた土地を肥沃にし、強い作物を与えてくれたからだ。充分な暮らしが確保できているから誰かを貶めようなんて思う者は居なくなった。人が酷い事をするのは生活が満たされないからだとわしは思う。あんたは町の救いだよ」
老人の話を聞いた後、悪魔は彼に顔を寄せた。
「このちんけな町の長でお前は満足なのか?もっとでかい街、なんなら国の王になろうとか思わないのか」
老人は首を振った。
「わしはそんな器ではないよ。見えている範囲に幸せがあれば良い。そうだな、次の契約は住人が望む限りこの町が侵略されないようにして欲しい」
「良かろう」
取り出した契約書に老人が署名すると悪魔はぱちんと指を鳴らした。
「悪魔さん、あんたの力は絶大だ。あんたが言うように本当に人を王様にしたり金持ちにしたり出来るだろう、それが最後の心配でね」
老人は立ち上がると棚に置いてあった小さなガラス瓶を持ってきた。
「美しいだろ?とても良い物らしい。この中に入って欲しい」
「何だと? 」
悪魔は意を計りかねた。
「悪魔さん、あんたは凄い。だがあんたはその力を魂と引き換えに簡単に提供してしまう。わしの心配はそれが悪人に渡る事なのだ。だからどうか、この瓶の中に封じられて善人だけが開封できるようにして欲しい。そしてもしその者が感じの良い人物だったなら契約云々とは別に助けになってあげておくれ」
老人の魂を回収するのは老人魂の所有権を完全に手に入れた後でしか不可能だ。
だがもし悪魔が回収する前に死なれて天の国にでも迷い込まれてしまってはもう決して手が届かなくなってしまう。
この老人の最後の願いで魂は完全に悪魔の物になるがその時は既に封印された後になるのだ。
「おいジジイ、封じ込まれたらな、解放された時一回だけ無償で願いを叶えなくてはならんのだぞ。俺にとっては損でしかない」
「ああ、無理強いは出来んな。いつ解放されるともわからん……。それでも悪魔さん、こんなに町を良くしてくれたあんたに悪事は働いてもらいたくないんだよ」
自分は善意でやった訳では無い、契約の下対価として働いただけだ。この老人は出会った時からいつもこんな風にずれていた。
「まぁ、質の低い魂をあさるより神が泣いて悔しがる様な奴に出会う方が俺は効率が良いがな。だがな、そいつの助けになってくれってのは飲めないぞ。俺が悪魔である以上はな」
契約書を突き付けてきた悪魔に老人は深々と頭を下げた。
「エス・レフェス、あんたは良い悪魔だ」
「悪魔に良いも悪いもあるか! ……エスレフェス?なんだそれは」
老人は悪魔を愛おしそうに見つめて答えた。
「飢饉で亡くなった赤子に、わしの子に贈るはずだった名前だ」
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
天之琉華譚 唐紅のザンカ
ナクアル
キャラ文芸
由緒正しい四神家の出身でありながら、落ちこぼれである天笠弥咲。
道楽でやっている古物商店の店先で倒れていた浪人から一宿一飯のお礼だと“曰く付きの古書”を押し付けられる。
しかしそれを機に周辺で不審死が相次ぎ、天笠弥咲は知らぬ存ぜぬを決め込んでいたが、不思議な出来事により自身の大切な妹が拷問を受けていると聞き殺人犯を捜索し始める。
その矢先、偶然出くわした殺人現場で極彩色の着物を身に着け、唐紅色の髪をした天女が吐き捨てる。「お前のその瞳は凄く汚い色だな?」そんな失礼極まりない第一声が天笠弥咲と奴隷少女ザンカの出会いだった。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
図書準備室のシキガミさま
山岸マロニィ
青春
港町の丘の上の女子高の、図書準備室の本棚の奥。
隠された秘密の小部屋に、シキガミさまはいる――
転入生の石見雪乃は、図書館通学を選んだ。
宇宙飛行士の母に振り回されて疲れ果て、誰にも関わりたくないから。
けれど、図書準備室でシキガミさまと出会ってしまい……
──呼び出した人に「おかえりください」と言われなければ、シキガミさまは消えてしまう──
シキガミさまの儀式が行われた三十三年前に何があったのか。
そのヒントは、コピー本のリレー小説にあった。
探る雪乃の先にあったのは、忘れられない出会いと、彼女を見守る温かい眼差し。
礼拝堂の鐘が街に響く時、ほんとうの心を思い出す。
【不定期更新】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる