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生贄の羊
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車のドアを開けると清涼感溢れる空気がたちまち入り込んで来る。
揃えた若竹の様な足を音も無く地に着けると少女は静かに車外に立った。
シーズンでもないのに避暑地の別荘に来るのは初めてで、青葉の茂った夏とは印象の違う今に幾らか新鮮さを覚える。
十六を迎えたばかりの彼女の長い黒髪が静かに風にそよげば日差しがそこではじけてキラキラとばら撒かれる。
名門ミッション系学校の制服から伸びる四肢はたおやかで品の良さを感じさせ、細い首の上には絵に描いたような卵型の頭が乗っていてやや幼い印象のぬぐえない流行りのイラストの様な整った目鼻が並んでいた。
美琴は一度深い息をした後、母の下車をエスコートしている父に黒目がちな瞳を向けた。
「お父さん、私頑張りますからね」
父はなぜか悲し気に微笑んだ後ああと答えた。
美琴の父は国内でもそこそこ大手の集積回路メーカーの社長だ。今日ここに来たのは商談の為だと言う。なぜ社長直々に、ましてや業務とは無関係な娘まで連れだってやってきたのか商売の事など全く知らない美琴には理解できなかったが、自分の後押しが今回の商談には不可欠なので手伝って欲しい言われれば従うよりない。
商談の場など出たことは無いが、自分の所為で失敗させるわけにはいかない。
学校の制服での参加は場違い感を感じるのだが、先方がそう指定したらしい……。
「美琴……」
下車した母がふわりと抱擁をして来る。それ程今回の商談は大切なのだろうか。
「大丈夫よお母さん。きっとお父さんの力になって見せます」
母親の体を放し、美琴は綺麗に微笑んだ。責任がずいとのしかかる感覚を覚えたが、ならば応えなくてはならないとも思えた。素人の自分が一体どんな力添えが出来るのか分からないが、素人の視点がものをいう事もあるのかもしれない。
一家は使い慣れた別荘の入り口に立った。管理人がすでにカギを開けており、商談相手は中で美琴達を待っている事になっている。
玄関に並んだ革靴を見れば先客が男性ばかりで六人だと分かった。
先に上がった父が、奥の洋間への扉の前で一度立ち止まる。幾らか肩が震えているのが見えて美琴は父が緊張しているのだと感じた。
「お父さん、大丈夫です。私、うまくやりますから」
父はどこか泣きそうな声でああと答え扉を開けた。いよいよだ。
三人が静かに入って行くとテーブルで談笑していたかなり歳の行った男達が一斉に視線を向けた。
彼らは誰もが美琴の父親よりも高齢で恰幅が良く、そして品の良さは感じなかった。
「ようやく来たね」
「お待たせしました……」
「おおお、可愛いねぇ。ミコトちゃんだっけ?おいでおいでおいで」
どことなく河馬を思わせる五十代の男が分厚い手をひらひらと動かした。
「制服、いいねぇ!しかもミッション系! 」
カマキリかヤモリの様な別の男も声を上げる。
思い描いていた空気とあまりにも違っていた為、美琴は戸惑って父を見た。
これが商談の雰囲気なのだろうか……。
「な~に恥ずかしがってる。こっちおいでおいでおいで」
太り過ぎの豚に似た男が立ち上がり、困惑している美琴の肩を抱くと皆が座るテーブルの方へ連れて行く。
異性に密着された経験が無かった美琴は思わず身を固くした。
「んーっヤバイ!すっごく良い匂い!甘酸っぱい! 」
豚男が美琴の耳に鼻をくっつけて匂いを嗅ぐ。背筋に悪寒が走り額に汗がにじんだ。嗅いだことも無い不快な匂いが漂ってくる。
「お父さん……? 」
助けを求める様に振り返る美琴に父は視線を合わせる事はしなかった。
「富田さん、抜け駆けはいけませんよ」
河馬男が言う。
「抜け駆けだなんて。連れて来ただけじゃないですか。がはははは」
聞いた事も無い品の無い笑い声だ。
「あ あの、商談を始めませんか……? 」
テーブルを囲む男達に恐々と声を掛けると彼らはにやけて笑った。
「可愛い声じゃないか」
「うちの孫より綺麗な声だ」
「どんな声で喘ぐか楽しみですな」
喘ぐ?何かがおかしい。
美琴は再び父に振り返った。
父は見た事も無い程苦渋の表情を浮かべていた。
「お母さん……」
助けを求める様に向いた母親は両手で口を押え、背を向けてしまった。
「お父さん!お母さんっ! 」
がっちりと肩を押さえられたまま美琴は叫んだ。
「君のお父さんの会社はね?倒産寸前なんだよ」
どこか育ち過ぎたナメクジを思わせる男が耳元で囁いた。
「株価が大暴落してね。風前の灯火さ」
「そんな…… 大体そんな大暴落を起こすような不祥事、出ていないはずです! 」
「投資家の気分など知らんさ、ただ事実としてそういう結果があるだけだ。我々もね、信用を失った企業と取引をするリスクは抱えたくないんでね、手を引こうと考えていたんだ。しかしね、あまりに彼が必死に頼んでくるし、これまでの実績も製品の質の高さも評価している。そこで社長がどれだけ会社を大切にできるか、何を犠牲にしても守る覚悟があるのか、つまり我々の信頼を得るにふさわしいかを改めて評価しなくてはならないという事さ」
美琴は耳を疑った。何を犠牲にしてもとはまさか。
「お父さん!本気なの?!仕事をもらう為に私を売るの?! 」
父は悲痛な面持ちで愛娘を見つめた。
「美琴、聞いてくれ。わが社には数多くの社員が務めている。そしてその数だけ家庭がある。彼らの生活を奪う訳にはいかないのだ」
短い言葉だったが美琴には彼の苦悩が伝わってきた。父が自分の立場や利益ではなく守るべき者たちの生活の為にこの決断をしたのだ。保身のつもりなら社長を退く事だって出来たはずだ。しかし、だからと言ってなぜ自分がそれに付き合わなくてはならないのか!
「放して下さい!こんな事許されません!警察を呼びます! 」
「困ったお嬢さんだ。もう商談は成立しているんだよ。今日から一週間、君は我々の自由にされる。それで何千人もが路頭に迷わず済むんだ。君は自分の所為で大勢の生活を奪っても良いっていうのかね」
自分の所為で?美琴が一体何をしたと言うのだ。
「お父さん!こんな事!主はお許しになりません! 」
「美琴」
父親は真っすぐ向いて言った。
「父たる神は主イエスを我々の為に差し出された。アブラハムもイサクを生贄にしようとした。ロトの一家も御使いを守るために娘を差し出した……。美琴、私も最も大切なものを多くの人を救うために差し出さなくてはならなかったんだ。これは我々家族に課せられた試練なのだ」
母が背を向けたまま体を震わせている。泣いているのだ。
話の展開が早過ぎる。美琴の心構えも何もあったものではない。父に生贄はお前だと言われた時イサクはこんな気持ちだったのだろうか。
普通ならば納得などできない話だった、だが従順に育てられた美琴は小さく唇を噛んだ後、微笑みさえ浮かべてこう答えた。
「わかりましたお父さん、私が主の愛となれるのなら喜んでこの身を捧げましょう」
下品な歓声が健気な声をかき消す中、美琴の父は娘と目を合わせる事はしなかった。
「ミコトちゃん、後は我々で楽しくやろう。ずっと女子校だったんだろ?おじさんが男の良さを教えてあげよう。運が良いよミコトちゃん。若い男なんかに初めてをやっちゃってたら自分勝手にされるばっかで全然良くなれないからね。だが私はそうじゃない。女の啼かせ方と言うものを良く知っている。一緒に気持ちよくなろうね」
生贄になる事を宣言したばかりであるのに耳元で囁かれるざらざらした声とその内容に美琴は激しい悪寒を感じた。
「おいおい富田さん、順番は守ってくださいよ?ちゃんと公平に決めたでしょ?あなたは三番目!処女頂くのは私ですからね」
まだ誰のものか覚えていない声のあまりに生々しい言葉は美琴の心臓を握り潰し、堪え難い嫌悪感は顔のみならず手足まで蒼白にさせた。
頭の中でどこかで聞いた覚えのある声が叫ぶ。
『た…… 助けて…… お父さん…… お母さん…… ! 』
誰にも届くはずの無い声を無視しながら見つめる先で今、両親は深々頭を下げた後扉に向かった。
『待って!待って!お父さん!お母さん! 』
再び誰かが叫ぶ。恐怖に凍てついた様な声が胃の奥をキリキリと締め上げるが誰も聞こえていない様だからきっと空耳なのだろう。
両親がその向こうに消え、無情に閉じる扉を見ると美琴はこれまで感じたこともない程の孤独と心細さに意識を失いかけた。
『待って待って待って待って待って! 』
頭の中に響く誰のものとも分からぬ半狂乱の声に操られるように美琴は豚男の腕をすり抜けたが、その刹那彼女の手は既にナメクジ男に掴まれていた。
「おおっと、逃げない約束でしょ?大人しくしようね。こんな若くて可愛い子にイイコト出来るのに逃がすわけないけどね?ほら、この肌なんて女房なんかと比較にならん。現役女子高生ってこんなに白くてすべすべなんだねぇ。大学生のデリヘルとか呼ぶけどさぁ、やっぱり全然違うねぇ」
「どれどれ?うわぁ…… 肌理、細かいねぇ……柔らかい…… あったかい……」
興奮からなのかじっとりと汗の滲んだ大きな手に両腕を撫でまわされ意図せず上がりそうになった悲鳴を美琴は噛み殺した。撫でられた箇所がまるで抗議するかの様に次々赤い斑点を浮かべて行く。
「うは。良い反応!初心だねぇ。パパ活でJK抱いた事あるけどこんな反応しなかったよ」
「ええ?JK抱いたんですか? 」
「まぁね。でもこの子ほど可愛くなかったしスタイルもそこそこかなぁ。ヤリ慣れているって言うかスレたとこあったからなぁ。だからこういう反応新鮮で良いよ」
男達の話など聞かず美琴は必死に意識を保とうとしていた。押しつぶされそうな嫌悪感と恐怖に呼吸する事さえ危うくなっていた。頭の中で教会で聞いた鐘の音が厳かさの欠片もなく狂ったように鳴り響いている。冷たくなった掌も足の裏もなぜか汗でびっしょりになっている。
何とかこの場を逃げ出さなくてはと誰かが告げる。でもそれはきっと間違いだ。自分は多くの人を救うお役目を与えられたのだから。
『放して!ああ!主よ!お救い下さい!この者達の悪しき企てから私をお隠し下さい! 』
誰かが叫んでいる。きっとそれは自分ではない。美琴はそう思った。そして哀れな彼女の為に掴まれていない方の手で十字を切った。
「信心深いとこも良いね!そういう穢れの無さはポイント高いよ」
「ミコトちゃぁん。神様もさぁ、みんなの為になりなさいっておっしゃったんでしょ?誰も損しないんだよ。お父さんは事業が上手く行って得、ミコトちゃんは経験豊富な我々に可愛がられて気持ちいい思いをして得、我々は現役女子高生とイイコト出来て得、みんなが得するんだよ。犠牲と思うから嫌なんだよ。これはミコトちゃんが皆に救いを与えるって事じゃない。凄い事でしょ? 」
「そうそう、怖いのは最初はみんな一緒、でもやってみると楽しいから。やって良かったって思うから。ミコトちゃんのお父さんもお母さんもしている事だよ」
美琴は目を閉じて強く祈った。
『主よ、この者達の罪を許し祝福をお与え下さい。私にお役目をお与え下さった事に感謝いたします。私は喜びのうちにそれを果たし、ご期待に添えて見せます。お慈悲を下さるのであれば今少しだけの勇気をお与え下さい』
目を開けた時、美琴は掴んでいるナメクジ男に思い切り頭をぶつけていた。やった事も無い行動に目の前で星がちらついたが気づけば入ってきたドアに走っていた。
──何て事!私は何をしているの?!これでは主のご意志に沿えなえい。多くの人を救う事が出来ない! ──
手をかけノブを回す事に成功し、勢いよく引いた所で少女は羽交い絞めにあってしまった。
「元気良いねぇ。そのくらい体力無いと私達全員を一週間相手にするなんて出来ないもんね」
なぜだろう、今聞いた言葉に目の前が真っ暗になる。
部屋の真ん中まで引きずられた美琴は劣情に滾った中高年達のギラギラした視線を一身に受け激しい吐き気を覚えた。
これまで異性と密接に関わる機会がほとんどなかった彼女にとって、恋愛対象になりえそうにないばかりか明らかに世代の違う初対面の者達にいきなりその様な感情を抱かれる事は想像だにしえなかった。
身勝手な性欲を向けられると言う事が極めて不快でおぞましく耐えがたい事なのだと初めて知った。
決して人を外見で判断したり嫌ったりした事が無い美琴が、今この瞬間自分を取り巻く罪深き者達についてははっきりと醜いと思えた。
だからこそ美琴は自分を責めた。この魂の乾いた者達を哀れに思わずに嫌悪した自分に眉をひそめた。
「失礼しました……。突然の事で気が動転していたようです……」
「そうかそうか~。大丈夫、怖くないよ。なるべく痛くないようにしてあげるからね」
河馬男が寄って来て美琴の頭を撫でた。
人に頭を撫でられて心に棘が生まれたのは初めてだ。そしてそのまま長い髪を持ち上げられ匂いを嗅がれる事に対しても美琴は強いストレスを感じなくてはならなかった。
「やばい、すっごい良い匂い。これ食べられそう」
嫌な感触が伝わって来た。何をされているのかは想像できたがそれを確認することは決してしたくなかった。
勝手に涙がこぼれた。
「ああ~。ミコトちゃん泣いちゃったじゃないですかー。いじめちゃだめですよー。彼女お嬢様なんですからー。いきなりそれは驚いちゃいますって! 」
「むしろ可愛い!むしろOKです! 」
男たちが勝手に盛り上がっている。良く分からないが喜ばれたのだろうか。
美琴は何とか涙を止めて必死に笑顔を作った。
「ほら、嬉しいって言ってるじゃん。なんだかんだで楽しんでいるんだよこの子は。今まで禁止されていたことが出来るって期待しているんだよね? 」
言いながら河馬男は美琴の尻に触れた。
スカートの上からでも浸透して来る不快感。邪な感情を伴ってされた行為だと思えばより一層で血が逆流するかの如き羞恥と犯罪の片棒をかつがされた様な罪悪感で再び涙がにじんだ。
「おお?震えてるの?可愛いねぇ。まさかお尻触られたの初めてかなぁ?ツンとしててこんなに弾力ある柔らかさ」
まさぐられたあげく掴まれた瞬間美琴は激しい悪心のそぶりを見せた。
豚男が怯んで拘束を緩めると彼女はそのまま突っ伏して胃の中身を吐き出した。二度、三度、彼女は床に向かって嘔吐した。
止める事が出来なかった。嫌悪感と屈辱と罪悪感が温室で育った美琴の受け止められる上限を上回っていた。そしてその結果今、彼女に人前で醜態を晒すと言うさらなる羞恥を与えた。
今や彼女は人間としての尊厳を奪われた気分になっていた。
人前で泣く事はあまりしてこなかったのにどうしても涙を止める事が出来なかった。
「うわー。美少女の嘔吐!なかなか見られるものじゃありませんな」
「君はそう言うのが好みかね。じゃぁ片づけを頼むよ」
「そりゃ無いですよ」
くだらないやり取りの間に美琴は椅子に座らされていた。
「大丈夫かい?車で来る間に乗り物酔いにでもなっていたのだろう。少し座っていると良い」
「はい。ご心配おかけします……」
美琴はしゃくりあげながら素直に頷いた。
「でもさ、その間手は空くよね、その華奢で柔らかい指でさ、おじさんの事気持ちよくしてくれると嬉しいな」
相手の言っている意味が理解できず美琴は困った表情を浮かべた。
「ああそうか、分からないかぁ。そうだよね、全部最初から最後まで教えてあげないとねぇ」
河馬男が美琴の前に立つ。
血の気が引いた。
俯き加減だった視線の先に男の下半身があった、そしてスラックスは不自然に盛り上がっていたのだ。
知識で知る事と目の当たりにする事は違う。絵空事ではなくこの男はそういう欲望を今自分に向けているのだ。
分かっていなかった訳ではない、ただここまであからさまな形で再確認させられた事にショックを受けた。これは現実なのだ。
「ベルト外して」
「えぇ? 」
「ミコトちゃんがベルト外してよ。おじさんの苦しがってるでしょ。可哀そうでしょ?自由にしてあげてよ」
始まるんだと思った瞬間これまでよりも分かりやすく体が震え始めた。
「早く」
歯をがちがち鳴らしながら言う事を聞こうとしない右腕を上げて行くと河馬男は苛立たし気に彼女の細い手首を掴み自分のバックルにあてた。
頭の中でだれかが悲鳴を上げている。首を大きく振っている。でもそんな事は今は関係ない。
美琴は思うようにならない指を何とか動かしてでっぷりと膨れ上がった腹の下の留め具をたどたどしくカチャカチャと外した。
「ボタンもね」
ボタン、スラックスのボタン。言われるがままに何度か失敗しながら美琴はそのボタンを外す。
刹那ずり下がるスラックスと露になる相手の下着姿。時同じくして美琴の瞳孔は一気に狭まり、視界はたちまち狭く暗くなった。
下着がショッキングだったのではない。先ほどとは比較にならない生々しい隆起が近距離で露呈されたのだ。
頭上で荒くなる吐息、鼻を突く匂い、これを機に明らかに変わる部屋の空気、何もかもが重い圧力を持って美琴を押しつぶした。
意図的だったのか無意識になのか河馬男の下半身が微かに美琴の顔に寄る。
触れた訳では無い、むしろ触れるには距離があり過ぎる、だがそれはまるで直接押し付けられたかの様な不快な体温を感じさせ、焼き鏝で顔を炙られるかの様にも感じた。
耳をつんざく悲鳴。
誰の声?こんな声聞いた事が無い。
魂が引き裂かれる様な心乱す絶叫。わが身がある事を呪う様な声。血の色が混ざった号泣
この声は…… 私だ。
「嫌ぁ!嫌っ!あああああ!!主よ!主よ!!お父さん!お母さん! 」
椅子から転がり落ち、這いずる様に出口に向かう。だがすぐに足を掴まれてしまった。
「嫌あぁぁぁ!!放して!!放して!!嫌!!助けて!主よ! 」
「ミコトちゃぁん。大人しくしないと。これはお父さんもお母さんも合意してるんだからさ」
河馬男が掴んだ足を引っ張り戻す。つややかな爪が床をひっかき指先から嫌な振動が伝わってくる。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 」
それでも必死に這おうとする美琴の両腕を他の男たちが捕まえた。
「あああああああ!!放して!!放して!!主よ!主よ!お救い下さい!!主よ!! 」
「ははははは、シュなんてのは居ない様だねぇミコトちゃん。おい、ひっくり返せ」
男達が手足を掴んだまま美琴を仰向けにさせる。
「やめて……下さい……。 やめて…… やめてやめてやめて!! 」
かぶりを振りたくる美琴などお構いなしに河馬男は跨ぐ様に上に乗った。
「へぇ、仰向けでこうか。けっこうおっぱいあるね。楽しめそう」
「カメラ用意良い? 」
「ああ待って下さい。ええと…… はい!撮ってます! 」
「じゃあ、愛し合う男女が最初にしなくちゃいけない事は?そう、キスだよねぇ? 」
「愛し合う男女って。良く言えますねぇ」
笑いが上がる。
何もかもが美琴にとって刃の様に突き刺さる。撮影?キス?この見知らぬ初老と?初めてが?純潔さえ?
「お願い…… やめてぇ! お願いですから…… 何でもしますから…… やめて下さい…… 」
子供の様に泣きじゃくりながら美琴は声を振り絞った。喉が痛くて涙が抑えられなくてまともな発声はできなかったが必死で訴えた。
「何でもするって…… 何でもしてもらうに決まってるでしょ」
河馬男の顔が迫る。
「誰か助けて!! 」
美琴は必死に顔をそむけた。
聞こえた声は耳にではなく頭の中にだった。
「いいよ?お姉ちゃん」
視界に入ったのは長いまつげに縁取られたぎょっとするほど大きな両眼だった。
灰色に見えるほどに白い肌、目とは反対に不釣り合いに小さな赤い唇。場にそぐわない血の様に赤いドレスが濡れたように光っている。
幼い少女はちょこんと屈みこんで美琴の顔を覗き込む様にしていた。
「いいよ?助けてあげる」
先ほどまで姿の無かった彼女の出現に美琴はさらに混乱した。
おかしいのはそれだけではない、自分を跨いでいる河馬男が覆いかぶさろうとする途中の不自然な体勢で止まっているのだ。
「これは…… 奇跡…… ? 」
辺りを見回せば他の男達も少女の存在に気付いた様子もないばかりか動きを止めているではないか。
「ああ…… 主よ!ありがとうございます!御使いを遣わして下さった事、心から感謝いたします! 」
美琴は十字を切ろうとしたが体は動かなかった。
「お姉ちゃんたらひどいなぁ。そいつらがしたんじゃないのに。今おじさん達をとどめてあげてるのはあたしなのになぁ」
「あなたが? 」
美琴が驚いた声を上げると少女はおよそ子供とは思えないゾクリとする様な妖艶な微笑みを浮かべ、取り出したレース付きのハンカチで美琴の涙をぬぐった。
「そうよ。今お姉ちゃんを助けているのはあたし。他の誰でもないわ」
「あなたは…… 誰なの……? 」
美琴の言葉に少女は口角を上げた。
「イーヴィス」
美琴が小さく繰り返すとビスクドールの様な容姿の少女は満足げに小さく二度頷いた。
「そうよ、イーヴィス」
美琴はイーヴィスと名乗った少女を眩しそうに見上げた。
「どうして助けてくれるの? 」
小さな少女はくすりと笑った後、下唇にそっと指先を添えて答えた。
「だって…… お姉ちゃんが必死に助けを求めてるのに誰も助けようとしないんだもん。そんなのって酷いわ。何でもするって言ってるのに……だからあたしが来たの。あたしは困っている人を放っておけないの。悪い大人は許さないわ!わかるでしょ?お姉ちゃんの味方なの」
味方、その言葉に美琴の涙は再び溢れた。
両親が扉を閉めてから緊張と孤独と嫌悪感の中に置き去りにされていた美琴にようやく理解者が現れたのだ。
「大変だったね、怖かったよねお姉ちゃん」
イーヴィスに頭を撫でられながら美琴はしゃくりあげた。胃の奥から安心感が湧き出して来る。河馬男に撫でられた時とは全く逆だ。
きっと彼女は心折れる寸前だった美琴を救うために神が遣わした天使に違いない。
「ああ、主よ…… 心より感謝致します……」
「もう、お姉ちゃんってばまた!これは あ た し がしてるの。言ったでしょ?誰も助けてくれなかった。だからあたしが来たのよ。だってお姉ちゃんは生贄だったのよ。お姉ちゃんと言う一人の人格を無視して物の様に捧げられたのよ。そんなのってないじゃない?あたしはそう言うの嫌いよ。むしろお姉ちゃんが今感謝をささげた相手はお姉ちゃんにこうなるように仕向けたって事なのよ」
反論できなかった。父もそう言っていたではないか。神は美琴を大勢を救うための生贄としての試練を与えた。そしてそれは神の見誤りだった。美琴に耐えられる様な事ではなかったのだ。
「でも…… きっと主は私達にわからないうちにあなたを救いの御手として使わして下さったのかも……」
美琴がそう漏らすとイーヴィスはそうと大きな瞳を伏目にした。
次の瞬間河馬男が美琴に覆いかぶさる。
汗の滲んだ大きな手が美琴の頬を押さえ顔を寄せてきた。
「きゃああああああぁぁぁっ!きゃああああああぁぁぁっ!ああああああぁぁぁ!! 」
自由にならない四肢を必死にばたつかせ、何とか逃れようとするがままならない。
首を振りたくり、全く効果の無い必死の抵抗をしながら美琴は絶叫にも似た悲鳴を上げ続けた。
泣きじゃくりながら動けないまま暴れ、しばらくした後ようやく相手が動かない事に気付いた。
「わかった?助けたのはあたし」
涙でぐしょぐしょになった顔を見下ろしながらイーヴィスは再びそう言った。
「こんな事って許されて良い事じゃないわ。口付けも体を重ねる事も愛し合う二人にしか許されない神聖な儀式よ。ましてや従順な心や優しさに付け入って欲望を満たそうだとか、商売にしようだとか、そんな事あってはならないわ。子供だってわかるわよ。そう思うでしょ? 」
人形の様な繊細な手が武骨な男の手をハンカチ越しにつまんで美琴の顔から引き剥がす。
「お姉ちゃんみたいな美人はこんな醜い化け物共の慰み者になっちゃダメ」
慰み者…… 生贄ですらなかったというのだろうか。
「このおじさん達が約束を守る保証はないでしょ?一度許してしまえば何度も何度も同じ事を持ちかけるわ。何度も何度も、何度も何度も何度もね」
「嫌……。 早く私を連れ出して……」
何もかもが現実味の無い現状の中、美琴はようやくそう告げた
幼い少女の小さい顔に不釣り合いな程に大きな両眼が真っすぐに美琴を映す。
引き込まれそうな錯覚を覚えながら美琴は必死に見つめ返した。
「もちろんよ。ただ、その為のお約束をしましょう」
美琴が怪訝そうな顔をすると相手はどこから出したのか見た事も無い様な質感の紙を見せた。
そこに並ぶ文字は初めて見るものであったが、使い慣れた言葉よりも明瞭に内容が理解できた。
「ここに名前を書いて欲しいの。そうしたらあたしは何でも叶えてあげる」
相手の正体がやっと理解できた。
幼い頃から神のしもべであろうとしてきた美琴の前に現れたのは天使などではなかった。
「そ それはできません…… それだけはできません…… 私は爪先から髪の毛先に至るまで、すべて主のものです」
イーヴィスは可憐に微笑んだ。
「お姉ちゃん素敵!あたし、信心深い人って大好きよ。そうよね。簡単に悪魔に魂を売るやつなんてろくなもんじゃないわ。うん、軽蔑しちゃう! 」
その後ででもねと彼女は美琴の頬にそっと触れながら続けた。
「そんなに心清くても見放されちゃったんじゃ気の毒よ。あたしだったら絶対見捨てないのにな。だってね?よく考えて?散々怖い思いをさせておいて、今、まさに、この瞬間、悪魔に狙われている従順なしもべを助けようともしないなんてちっとも愛を語る資格無いと思うわ。悪魔だってそんな事しない! 」
「主よ…… 試練を乗り越えられなかった哀れな羊をお赦し下さい……」
「何を言ってるのお姉ちゃん」
イーヴィスの何か引力を持つかの様な両目が間近に近づいた。
「赦してやるかどうかはお姉ちゃんでしょ。こんなひどい目に合わされた上にどうして謝らなくちゃいけないの?謝るのはお姉ちゃんじゃないわ。 ……神の方よ」
信者からすれば正気とは思えない発言に美琴は戦慄した。
神に落ち度があるだって?神に頭を下げろだって?!なんて事を言い出すのだ!
ほぼ反射的に美琴は祈りの言葉を紡いでいた。
「お姉ちゃん、現実を見て。今、お姉ちゃんはどういう状況? 」
閉じたままのまなじりから涙がこぼれる。
耐え難い凌辱を容認する神よりもイーヴィスの言葉の方が筋が通っている様に思える。自分に寄り添い痛みを理解しようとしてくれている様に思える。
本当に自分を大切に思ってくれているのはどちらなのだろう。少なくともイーヴィスは自分の声を聞きつけて助けに来てくれたではないか。そして簡単に悪魔に屈する事なく信仰を貫こうとしている自分に理解さえ示し賞賛してくれている。心底悪い悪魔では無いのではなかろうか。
だがそれとは裏腹に信仰を貫こうとする自分の声も聞こえる。どれほど耳障りが良くても悪魔の言葉に耳を傾けてはいけない。悪魔はあらゆる手段で神から人間を引き離そうとするのだから。
これから行われる事は耐え難い事だろう、美琴の心はもしかしたら壊れてしまうかもしれない。だがクリスチャンに課せられるのは寛容と忍耐。誘惑の最中にある今こそ信仰が試されるのではなかろうか。
目を閉じ祈りの言葉を繰り返す美琴の耳にイーヴィスはさら続けた。
「ねぇ、あたしの助けは要らないって事?このまま慰み者になる道を選びたいの?じゃぁそうしましょうか」
美琴はこれから繰り返されるであろう凌辱に対し必死で自分を鼓舞した。
悪魔の手を取ってはならない。どんな目に合おうと神のしもべであり続けなくては!
「私は…… 主の…… 」
美琴の言葉が終わらないうちに小さな指先がその額に触れた。
一瞬の事だった。
次の瞬間美琴は雷撃でも受けたかの様にのたうった。仰向けのまま激しくえずき、吐く物が無いものだから胃液をまき散らした。
血走った眼は恐怖に見開かれ、固定されたままの手足にも首筋にもはしかの様な斑紋が広がっていた。
何度も上がる言葉にならない絶叫は少女のそれとは程遠い動物の様なものだった。
「可哀そうなお姉ちゃん…… 今見せたのはね?これから本当にお姉ちゃんに行われる事よ。おじさん達はこういう事をお姉ちゃんにしようとしているの。わかる?神はこういう事をお姉ちゃんに望んでいるの」
獣の様に荒い息、鼻を衝く様々な悪臭。肌を這い回るじっとりとした両生類の様な感触。
授業に登場しなかった想像だにしえない忌まわしい行為の数々がおぞましいリアリティで次々脳内を駆け巡ったのだ。
「 ……主よ…… お赦し下さい… この様な目に合わせないで下さい…… 」
「だめよ。だって お姉ちゃんがこっちを選ぶんだもの。今から実際にこれを体験するのよ。一週間に渡ってね。相手は六人もいるのよ?寝る時間なんてないわ。ううん、その後もきっと何かにつけて呼び出される。何度も、何度も何度も何度も」
「嫌…… 嫌…… 嫌…… 」
かぶりを振る美咲に幼い少女は気の毒そうな顔を寄せて静かに言った。
「仕方のない事よ。神が、お姉ちゃんがそれを望むんだもの」
そして一度身を離すと遊ぶのに飽きた子供の様に言いながら背を向けた。
「さぁ、今から動かすわ。あたしは帰るわね」
「待って! 」
考えを巡らせる間もなく声が出ていた。
「待って!待ってちょうだい!待って!お願い! 」
背を向けたまま出来の良い人形の様な姿の少女は黙っていた。
「お願い!助けて! 」
「大丈夫よ、きっとすぐ慣れるわ。大人の人ってそういう事、大好きなんでしょ? 」
「お願いイーヴィス!嫌なの!あんなの人にして良い事じゃない……。高潔な生贄なんかじゃないわ!慰み者の意味が分かった……。助けて……」
血の様に赤いドレスが静かに翻る。
吸い込まれそうな大きな眼の中に自分の姿が映る。異様に小さな赤い唇がゆっくりと微笑むのを見て美琴は心から安堵した。
「いいわ。お約束をしましょう」
揃えた若竹の様な足を音も無く地に着けると少女は静かに車外に立った。
シーズンでもないのに避暑地の別荘に来るのは初めてで、青葉の茂った夏とは印象の違う今に幾らか新鮮さを覚える。
十六を迎えたばかりの彼女の長い黒髪が静かに風にそよげば日差しがそこではじけてキラキラとばら撒かれる。
名門ミッション系学校の制服から伸びる四肢はたおやかで品の良さを感じさせ、細い首の上には絵に描いたような卵型の頭が乗っていてやや幼い印象のぬぐえない流行りのイラストの様な整った目鼻が並んでいた。
美琴は一度深い息をした後、母の下車をエスコートしている父に黒目がちな瞳を向けた。
「お父さん、私頑張りますからね」
父はなぜか悲し気に微笑んだ後ああと答えた。
美琴の父は国内でもそこそこ大手の集積回路メーカーの社長だ。今日ここに来たのは商談の為だと言う。なぜ社長直々に、ましてや業務とは無関係な娘まで連れだってやってきたのか商売の事など全く知らない美琴には理解できなかったが、自分の後押しが今回の商談には不可欠なので手伝って欲しい言われれば従うよりない。
商談の場など出たことは無いが、自分の所為で失敗させるわけにはいかない。
学校の制服での参加は場違い感を感じるのだが、先方がそう指定したらしい……。
「美琴……」
下車した母がふわりと抱擁をして来る。それ程今回の商談は大切なのだろうか。
「大丈夫よお母さん。きっとお父さんの力になって見せます」
母親の体を放し、美琴は綺麗に微笑んだ。責任がずいとのしかかる感覚を覚えたが、ならば応えなくてはならないとも思えた。素人の自分が一体どんな力添えが出来るのか分からないが、素人の視点がものをいう事もあるのかもしれない。
一家は使い慣れた別荘の入り口に立った。管理人がすでにカギを開けており、商談相手は中で美琴達を待っている事になっている。
玄関に並んだ革靴を見れば先客が男性ばかりで六人だと分かった。
先に上がった父が、奥の洋間への扉の前で一度立ち止まる。幾らか肩が震えているのが見えて美琴は父が緊張しているのだと感じた。
「お父さん、大丈夫です。私、うまくやりますから」
父はどこか泣きそうな声でああと答え扉を開けた。いよいよだ。
三人が静かに入って行くとテーブルで談笑していたかなり歳の行った男達が一斉に視線を向けた。
彼らは誰もが美琴の父親よりも高齢で恰幅が良く、そして品の良さは感じなかった。
「ようやく来たね」
「お待たせしました……」
「おおお、可愛いねぇ。ミコトちゃんだっけ?おいでおいでおいで」
どことなく河馬を思わせる五十代の男が分厚い手をひらひらと動かした。
「制服、いいねぇ!しかもミッション系! 」
カマキリかヤモリの様な別の男も声を上げる。
思い描いていた空気とあまりにも違っていた為、美琴は戸惑って父を見た。
これが商談の雰囲気なのだろうか……。
「な~に恥ずかしがってる。こっちおいでおいでおいで」
太り過ぎの豚に似た男が立ち上がり、困惑している美琴の肩を抱くと皆が座るテーブルの方へ連れて行く。
異性に密着された経験が無かった美琴は思わず身を固くした。
「んーっヤバイ!すっごく良い匂い!甘酸っぱい! 」
豚男が美琴の耳に鼻をくっつけて匂いを嗅ぐ。背筋に悪寒が走り額に汗がにじんだ。嗅いだことも無い不快な匂いが漂ってくる。
「お父さん……? 」
助けを求める様に振り返る美琴に父は視線を合わせる事はしなかった。
「富田さん、抜け駆けはいけませんよ」
河馬男が言う。
「抜け駆けだなんて。連れて来ただけじゃないですか。がはははは」
聞いた事も無い品の無い笑い声だ。
「あ あの、商談を始めませんか……? 」
テーブルを囲む男達に恐々と声を掛けると彼らはにやけて笑った。
「可愛い声じゃないか」
「うちの孫より綺麗な声だ」
「どんな声で喘ぐか楽しみですな」
喘ぐ?何かがおかしい。
美琴は再び父に振り返った。
父は見た事も無い程苦渋の表情を浮かべていた。
「お母さん……」
助けを求める様に向いた母親は両手で口を押え、背を向けてしまった。
「お父さん!お母さんっ! 」
がっちりと肩を押さえられたまま美琴は叫んだ。
「君のお父さんの会社はね?倒産寸前なんだよ」
どこか育ち過ぎたナメクジを思わせる男が耳元で囁いた。
「株価が大暴落してね。風前の灯火さ」
「そんな…… 大体そんな大暴落を起こすような不祥事、出ていないはずです! 」
「投資家の気分など知らんさ、ただ事実としてそういう結果があるだけだ。我々もね、信用を失った企業と取引をするリスクは抱えたくないんでね、手を引こうと考えていたんだ。しかしね、あまりに彼が必死に頼んでくるし、これまでの実績も製品の質の高さも評価している。そこで社長がどれだけ会社を大切にできるか、何を犠牲にしても守る覚悟があるのか、つまり我々の信頼を得るにふさわしいかを改めて評価しなくてはならないという事さ」
美琴は耳を疑った。何を犠牲にしてもとはまさか。
「お父さん!本気なの?!仕事をもらう為に私を売るの?! 」
父は悲痛な面持ちで愛娘を見つめた。
「美琴、聞いてくれ。わが社には数多くの社員が務めている。そしてその数だけ家庭がある。彼らの生活を奪う訳にはいかないのだ」
短い言葉だったが美琴には彼の苦悩が伝わってきた。父が自分の立場や利益ではなく守るべき者たちの生活の為にこの決断をしたのだ。保身のつもりなら社長を退く事だって出来たはずだ。しかし、だからと言ってなぜ自分がそれに付き合わなくてはならないのか!
「放して下さい!こんな事許されません!警察を呼びます! 」
「困ったお嬢さんだ。もう商談は成立しているんだよ。今日から一週間、君は我々の自由にされる。それで何千人もが路頭に迷わず済むんだ。君は自分の所為で大勢の生活を奪っても良いっていうのかね」
自分の所為で?美琴が一体何をしたと言うのだ。
「お父さん!こんな事!主はお許しになりません! 」
「美琴」
父親は真っすぐ向いて言った。
「父たる神は主イエスを我々の為に差し出された。アブラハムもイサクを生贄にしようとした。ロトの一家も御使いを守るために娘を差し出した……。美琴、私も最も大切なものを多くの人を救うために差し出さなくてはならなかったんだ。これは我々家族に課せられた試練なのだ」
母が背を向けたまま体を震わせている。泣いているのだ。
話の展開が早過ぎる。美琴の心構えも何もあったものではない。父に生贄はお前だと言われた時イサクはこんな気持ちだったのだろうか。
普通ならば納得などできない話だった、だが従順に育てられた美琴は小さく唇を噛んだ後、微笑みさえ浮かべてこう答えた。
「わかりましたお父さん、私が主の愛となれるのなら喜んでこの身を捧げましょう」
下品な歓声が健気な声をかき消す中、美琴の父は娘と目を合わせる事はしなかった。
「ミコトちゃん、後は我々で楽しくやろう。ずっと女子校だったんだろ?おじさんが男の良さを教えてあげよう。運が良いよミコトちゃん。若い男なんかに初めてをやっちゃってたら自分勝手にされるばっかで全然良くなれないからね。だが私はそうじゃない。女の啼かせ方と言うものを良く知っている。一緒に気持ちよくなろうね」
生贄になる事を宣言したばかりであるのに耳元で囁かれるざらざらした声とその内容に美琴は激しい悪寒を感じた。
「おいおい富田さん、順番は守ってくださいよ?ちゃんと公平に決めたでしょ?あなたは三番目!処女頂くのは私ですからね」
まだ誰のものか覚えていない声のあまりに生々しい言葉は美琴の心臓を握り潰し、堪え難い嫌悪感は顔のみならず手足まで蒼白にさせた。
頭の中でどこかで聞いた覚えのある声が叫ぶ。
『た…… 助けて…… お父さん…… お母さん…… ! 』
誰にも届くはずの無い声を無視しながら見つめる先で今、両親は深々頭を下げた後扉に向かった。
『待って!待って!お父さん!お母さん! 』
再び誰かが叫ぶ。恐怖に凍てついた様な声が胃の奥をキリキリと締め上げるが誰も聞こえていない様だからきっと空耳なのだろう。
両親がその向こうに消え、無情に閉じる扉を見ると美琴はこれまで感じたこともない程の孤独と心細さに意識を失いかけた。
『待って待って待って待って待って! 』
頭の中に響く誰のものとも分からぬ半狂乱の声に操られるように美琴は豚男の腕をすり抜けたが、その刹那彼女の手は既にナメクジ男に掴まれていた。
「おおっと、逃げない約束でしょ?大人しくしようね。こんな若くて可愛い子にイイコト出来るのに逃がすわけないけどね?ほら、この肌なんて女房なんかと比較にならん。現役女子高生ってこんなに白くてすべすべなんだねぇ。大学生のデリヘルとか呼ぶけどさぁ、やっぱり全然違うねぇ」
「どれどれ?うわぁ…… 肌理、細かいねぇ……柔らかい…… あったかい……」
興奮からなのかじっとりと汗の滲んだ大きな手に両腕を撫でまわされ意図せず上がりそうになった悲鳴を美琴は噛み殺した。撫でられた箇所がまるで抗議するかの様に次々赤い斑点を浮かべて行く。
「うは。良い反応!初心だねぇ。パパ活でJK抱いた事あるけどこんな反応しなかったよ」
「ええ?JK抱いたんですか? 」
「まぁね。でもこの子ほど可愛くなかったしスタイルもそこそこかなぁ。ヤリ慣れているって言うかスレたとこあったからなぁ。だからこういう反応新鮮で良いよ」
男達の話など聞かず美琴は必死に意識を保とうとしていた。押しつぶされそうな嫌悪感と恐怖に呼吸する事さえ危うくなっていた。頭の中で教会で聞いた鐘の音が厳かさの欠片もなく狂ったように鳴り響いている。冷たくなった掌も足の裏もなぜか汗でびっしょりになっている。
何とかこの場を逃げ出さなくてはと誰かが告げる。でもそれはきっと間違いだ。自分は多くの人を救うお役目を与えられたのだから。
『放して!ああ!主よ!お救い下さい!この者達の悪しき企てから私をお隠し下さい! 』
誰かが叫んでいる。きっとそれは自分ではない。美琴はそう思った。そして哀れな彼女の為に掴まれていない方の手で十字を切った。
「信心深いとこも良いね!そういう穢れの無さはポイント高いよ」
「ミコトちゃぁん。神様もさぁ、みんなの為になりなさいっておっしゃったんでしょ?誰も損しないんだよ。お父さんは事業が上手く行って得、ミコトちゃんは経験豊富な我々に可愛がられて気持ちいい思いをして得、我々は現役女子高生とイイコト出来て得、みんなが得するんだよ。犠牲と思うから嫌なんだよ。これはミコトちゃんが皆に救いを与えるって事じゃない。凄い事でしょ? 」
「そうそう、怖いのは最初はみんな一緒、でもやってみると楽しいから。やって良かったって思うから。ミコトちゃんのお父さんもお母さんもしている事だよ」
美琴は目を閉じて強く祈った。
『主よ、この者達の罪を許し祝福をお与え下さい。私にお役目をお与え下さった事に感謝いたします。私は喜びのうちにそれを果たし、ご期待に添えて見せます。お慈悲を下さるのであれば今少しだけの勇気をお与え下さい』
目を開けた時、美琴は掴んでいるナメクジ男に思い切り頭をぶつけていた。やった事も無い行動に目の前で星がちらついたが気づけば入ってきたドアに走っていた。
──何て事!私は何をしているの?!これでは主のご意志に沿えなえい。多くの人を救う事が出来ない! ──
手をかけノブを回す事に成功し、勢いよく引いた所で少女は羽交い絞めにあってしまった。
「元気良いねぇ。そのくらい体力無いと私達全員を一週間相手にするなんて出来ないもんね」
なぜだろう、今聞いた言葉に目の前が真っ暗になる。
部屋の真ん中まで引きずられた美琴は劣情に滾った中高年達のギラギラした視線を一身に受け激しい吐き気を覚えた。
これまで異性と密接に関わる機会がほとんどなかった彼女にとって、恋愛対象になりえそうにないばかりか明らかに世代の違う初対面の者達にいきなりその様な感情を抱かれる事は想像だにしえなかった。
身勝手な性欲を向けられると言う事が極めて不快でおぞましく耐えがたい事なのだと初めて知った。
決して人を外見で判断したり嫌ったりした事が無い美琴が、今この瞬間自分を取り巻く罪深き者達についてははっきりと醜いと思えた。
だからこそ美琴は自分を責めた。この魂の乾いた者達を哀れに思わずに嫌悪した自分に眉をひそめた。
「失礼しました……。突然の事で気が動転していたようです……」
「そうかそうか~。大丈夫、怖くないよ。なるべく痛くないようにしてあげるからね」
河馬男が寄って来て美琴の頭を撫でた。
人に頭を撫でられて心に棘が生まれたのは初めてだ。そしてそのまま長い髪を持ち上げられ匂いを嗅がれる事に対しても美琴は強いストレスを感じなくてはならなかった。
「やばい、すっごい良い匂い。これ食べられそう」
嫌な感触が伝わって来た。何をされているのかは想像できたがそれを確認することは決してしたくなかった。
勝手に涙がこぼれた。
「ああ~。ミコトちゃん泣いちゃったじゃないですかー。いじめちゃだめですよー。彼女お嬢様なんですからー。いきなりそれは驚いちゃいますって! 」
「むしろ可愛い!むしろOKです! 」
男たちが勝手に盛り上がっている。良く分からないが喜ばれたのだろうか。
美琴は何とか涙を止めて必死に笑顔を作った。
「ほら、嬉しいって言ってるじゃん。なんだかんだで楽しんでいるんだよこの子は。今まで禁止されていたことが出来るって期待しているんだよね? 」
言いながら河馬男は美琴の尻に触れた。
スカートの上からでも浸透して来る不快感。邪な感情を伴ってされた行為だと思えばより一層で血が逆流するかの如き羞恥と犯罪の片棒をかつがされた様な罪悪感で再び涙がにじんだ。
「おお?震えてるの?可愛いねぇ。まさかお尻触られたの初めてかなぁ?ツンとしててこんなに弾力ある柔らかさ」
まさぐられたあげく掴まれた瞬間美琴は激しい悪心のそぶりを見せた。
豚男が怯んで拘束を緩めると彼女はそのまま突っ伏して胃の中身を吐き出した。二度、三度、彼女は床に向かって嘔吐した。
止める事が出来なかった。嫌悪感と屈辱と罪悪感が温室で育った美琴の受け止められる上限を上回っていた。そしてその結果今、彼女に人前で醜態を晒すと言うさらなる羞恥を与えた。
今や彼女は人間としての尊厳を奪われた気分になっていた。
人前で泣く事はあまりしてこなかったのにどうしても涙を止める事が出来なかった。
「うわー。美少女の嘔吐!なかなか見られるものじゃありませんな」
「君はそう言うのが好みかね。じゃぁ片づけを頼むよ」
「そりゃ無いですよ」
くだらないやり取りの間に美琴は椅子に座らされていた。
「大丈夫かい?車で来る間に乗り物酔いにでもなっていたのだろう。少し座っていると良い」
「はい。ご心配おかけします……」
美琴はしゃくりあげながら素直に頷いた。
「でもさ、その間手は空くよね、その華奢で柔らかい指でさ、おじさんの事気持ちよくしてくれると嬉しいな」
相手の言っている意味が理解できず美琴は困った表情を浮かべた。
「ああそうか、分からないかぁ。そうだよね、全部最初から最後まで教えてあげないとねぇ」
河馬男が美琴の前に立つ。
血の気が引いた。
俯き加減だった視線の先に男の下半身があった、そしてスラックスは不自然に盛り上がっていたのだ。
知識で知る事と目の当たりにする事は違う。絵空事ではなくこの男はそういう欲望を今自分に向けているのだ。
分かっていなかった訳ではない、ただここまであからさまな形で再確認させられた事にショックを受けた。これは現実なのだ。
「ベルト外して」
「えぇ? 」
「ミコトちゃんがベルト外してよ。おじさんの苦しがってるでしょ。可哀そうでしょ?自由にしてあげてよ」
始まるんだと思った瞬間これまでよりも分かりやすく体が震え始めた。
「早く」
歯をがちがち鳴らしながら言う事を聞こうとしない右腕を上げて行くと河馬男は苛立たし気に彼女の細い手首を掴み自分のバックルにあてた。
頭の中でだれかが悲鳴を上げている。首を大きく振っている。でもそんな事は今は関係ない。
美琴は思うようにならない指を何とか動かしてでっぷりと膨れ上がった腹の下の留め具をたどたどしくカチャカチャと外した。
「ボタンもね」
ボタン、スラックスのボタン。言われるがままに何度か失敗しながら美琴はそのボタンを外す。
刹那ずり下がるスラックスと露になる相手の下着姿。時同じくして美琴の瞳孔は一気に狭まり、視界はたちまち狭く暗くなった。
下着がショッキングだったのではない。先ほどとは比較にならない生々しい隆起が近距離で露呈されたのだ。
頭上で荒くなる吐息、鼻を突く匂い、これを機に明らかに変わる部屋の空気、何もかもが重い圧力を持って美琴を押しつぶした。
意図的だったのか無意識になのか河馬男の下半身が微かに美琴の顔に寄る。
触れた訳では無い、むしろ触れるには距離があり過ぎる、だがそれはまるで直接押し付けられたかの様な不快な体温を感じさせ、焼き鏝で顔を炙られるかの様にも感じた。
耳をつんざく悲鳴。
誰の声?こんな声聞いた事が無い。
魂が引き裂かれる様な心乱す絶叫。わが身がある事を呪う様な声。血の色が混ざった号泣
この声は…… 私だ。
「嫌ぁ!嫌っ!あああああ!!主よ!主よ!!お父さん!お母さん! 」
椅子から転がり落ち、這いずる様に出口に向かう。だがすぐに足を掴まれてしまった。
「嫌あぁぁぁ!!放して!!放して!!嫌!!助けて!主よ! 」
「ミコトちゃぁん。大人しくしないと。これはお父さんもお母さんも合意してるんだからさ」
河馬男が掴んだ足を引っ張り戻す。つややかな爪が床をひっかき指先から嫌な振動が伝わってくる。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 」
それでも必死に這おうとする美琴の両腕を他の男たちが捕まえた。
「あああああああ!!放して!!放して!!主よ!主よ!お救い下さい!!主よ!! 」
「ははははは、シュなんてのは居ない様だねぇミコトちゃん。おい、ひっくり返せ」
男達が手足を掴んだまま美琴を仰向けにさせる。
「やめて……下さい……。 やめて…… やめてやめてやめて!! 」
かぶりを振りたくる美琴などお構いなしに河馬男は跨ぐ様に上に乗った。
「へぇ、仰向けでこうか。けっこうおっぱいあるね。楽しめそう」
「カメラ用意良い? 」
「ああ待って下さい。ええと…… はい!撮ってます! 」
「じゃあ、愛し合う男女が最初にしなくちゃいけない事は?そう、キスだよねぇ? 」
「愛し合う男女って。良く言えますねぇ」
笑いが上がる。
何もかもが美琴にとって刃の様に突き刺さる。撮影?キス?この見知らぬ初老と?初めてが?純潔さえ?
「お願い…… やめてぇ! お願いですから…… 何でもしますから…… やめて下さい…… 」
子供の様に泣きじゃくりながら美琴は声を振り絞った。喉が痛くて涙が抑えられなくてまともな発声はできなかったが必死で訴えた。
「何でもするって…… 何でもしてもらうに決まってるでしょ」
河馬男の顔が迫る。
「誰か助けて!! 」
美琴は必死に顔をそむけた。
聞こえた声は耳にではなく頭の中にだった。
「いいよ?お姉ちゃん」
視界に入ったのは長いまつげに縁取られたぎょっとするほど大きな両眼だった。
灰色に見えるほどに白い肌、目とは反対に不釣り合いに小さな赤い唇。場にそぐわない血の様に赤いドレスが濡れたように光っている。
幼い少女はちょこんと屈みこんで美琴の顔を覗き込む様にしていた。
「いいよ?助けてあげる」
先ほどまで姿の無かった彼女の出現に美琴はさらに混乱した。
おかしいのはそれだけではない、自分を跨いでいる河馬男が覆いかぶさろうとする途中の不自然な体勢で止まっているのだ。
「これは…… 奇跡…… ? 」
辺りを見回せば他の男達も少女の存在に気付いた様子もないばかりか動きを止めているではないか。
「ああ…… 主よ!ありがとうございます!御使いを遣わして下さった事、心から感謝いたします! 」
美琴は十字を切ろうとしたが体は動かなかった。
「お姉ちゃんたらひどいなぁ。そいつらがしたんじゃないのに。今おじさん達をとどめてあげてるのはあたしなのになぁ」
「あなたが? 」
美琴が驚いた声を上げると少女はおよそ子供とは思えないゾクリとする様な妖艶な微笑みを浮かべ、取り出したレース付きのハンカチで美琴の涙をぬぐった。
「そうよ。今お姉ちゃんを助けているのはあたし。他の誰でもないわ」
「あなたは…… 誰なの……? 」
美琴の言葉に少女は口角を上げた。
「イーヴィス」
美琴が小さく繰り返すとビスクドールの様な容姿の少女は満足げに小さく二度頷いた。
「そうよ、イーヴィス」
美琴はイーヴィスと名乗った少女を眩しそうに見上げた。
「どうして助けてくれるの? 」
小さな少女はくすりと笑った後、下唇にそっと指先を添えて答えた。
「だって…… お姉ちゃんが必死に助けを求めてるのに誰も助けようとしないんだもん。そんなのって酷いわ。何でもするって言ってるのに……だからあたしが来たの。あたしは困っている人を放っておけないの。悪い大人は許さないわ!わかるでしょ?お姉ちゃんの味方なの」
味方、その言葉に美琴の涙は再び溢れた。
両親が扉を閉めてから緊張と孤独と嫌悪感の中に置き去りにされていた美琴にようやく理解者が現れたのだ。
「大変だったね、怖かったよねお姉ちゃん」
イーヴィスに頭を撫でられながら美琴はしゃくりあげた。胃の奥から安心感が湧き出して来る。河馬男に撫でられた時とは全く逆だ。
きっと彼女は心折れる寸前だった美琴を救うために神が遣わした天使に違いない。
「ああ、主よ…… 心より感謝致します……」
「もう、お姉ちゃんってばまた!これは あ た し がしてるの。言ったでしょ?誰も助けてくれなかった。だからあたしが来たのよ。だってお姉ちゃんは生贄だったのよ。お姉ちゃんと言う一人の人格を無視して物の様に捧げられたのよ。そんなのってないじゃない?あたしはそう言うの嫌いよ。むしろお姉ちゃんが今感謝をささげた相手はお姉ちゃんにこうなるように仕向けたって事なのよ」
反論できなかった。父もそう言っていたではないか。神は美琴を大勢を救うための生贄としての試練を与えた。そしてそれは神の見誤りだった。美琴に耐えられる様な事ではなかったのだ。
「でも…… きっと主は私達にわからないうちにあなたを救いの御手として使わして下さったのかも……」
美琴がそう漏らすとイーヴィスはそうと大きな瞳を伏目にした。
次の瞬間河馬男が美琴に覆いかぶさる。
汗の滲んだ大きな手が美琴の頬を押さえ顔を寄せてきた。
「きゃああああああぁぁぁっ!きゃああああああぁぁぁっ!ああああああぁぁぁ!! 」
自由にならない四肢を必死にばたつかせ、何とか逃れようとするがままならない。
首を振りたくり、全く効果の無い必死の抵抗をしながら美琴は絶叫にも似た悲鳴を上げ続けた。
泣きじゃくりながら動けないまま暴れ、しばらくした後ようやく相手が動かない事に気付いた。
「わかった?助けたのはあたし」
涙でぐしょぐしょになった顔を見下ろしながらイーヴィスは再びそう言った。
「こんな事って許されて良い事じゃないわ。口付けも体を重ねる事も愛し合う二人にしか許されない神聖な儀式よ。ましてや従順な心や優しさに付け入って欲望を満たそうだとか、商売にしようだとか、そんな事あってはならないわ。子供だってわかるわよ。そう思うでしょ? 」
人形の様な繊細な手が武骨な男の手をハンカチ越しにつまんで美琴の顔から引き剥がす。
「お姉ちゃんみたいな美人はこんな醜い化け物共の慰み者になっちゃダメ」
慰み者…… 生贄ですらなかったというのだろうか。
「このおじさん達が約束を守る保証はないでしょ?一度許してしまえば何度も何度も同じ事を持ちかけるわ。何度も何度も、何度も何度も何度もね」
「嫌……。 早く私を連れ出して……」
何もかもが現実味の無い現状の中、美琴はようやくそう告げた
幼い少女の小さい顔に不釣り合いな程に大きな両眼が真っすぐに美琴を映す。
引き込まれそうな錯覚を覚えながら美琴は必死に見つめ返した。
「もちろんよ。ただ、その為のお約束をしましょう」
美琴が怪訝そうな顔をすると相手はどこから出したのか見た事も無い様な質感の紙を見せた。
そこに並ぶ文字は初めて見るものであったが、使い慣れた言葉よりも明瞭に内容が理解できた。
「ここに名前を書いて欲しいの。そうしたらあたしは何でも叶えてあげる」
相手の正体がやっと理解できた。
幼い頃から神のしもべであろうとしてきた美琴の前に現れたのは天使などではなかった。
「そ それはできません…… それだけはできません…… 私は爪先から髪の毛先に至るまで、すべて主のものです」
イーヴィスは可憐に微笑んだ。
「お姉ちゃん素敵!あたし、信心深い人って大好きよ。そうよね。簡単に悪魔に魂を売るやつなんてろくなもんじゃないわ。うん、軽蔑しちゃう! 」
その後ででもねと彼女は美琴の頬にそっと触れながら続けた。
「そんなに心清くても見放されちゃったんじゃ気の毒よ。あたしだったら絶対見捨てないのにな。だってね?よく考えて?散々怖い思いをさせておいて、今、まさに、この瞬間、悪魔に狙われている従順なしもべを助けようともしないなんてちっとも愛を語る資格無いと思うわ。悪魔だってそんな事しない! 」
「主よ…… 試練を乗り越えられなかった哀れな羊をお赦し下さい……」
「何を言ってるのお姉ちゃん」
イーヴィスの何か引力を持つかの様な両目が間近に近づいた。
「赦してやるかどうかはお姉ちゃんでしょ。こんなひどい目に合わされた上にどうして謝らなくちゃいけないの?謝るのはお姉ちゃんじゃないわ。 ……神の方よ」
信者からすれば正気とは思えない発言に美琴は戦慄した。
神に落ち度があるだって?神に頭を下げろだって?!なんて事を言い出すのだ!
ほぼ反射的に美琴は祈りの言葉を紡いでいた。
「お姉ちゃん、現実を見て。今、お姉ちゃんはどういう状況? 」
閉じたままのまなじりから涙がこぼれる。
耐え難い凌辱を容認する神よりもイーヴィスの言葉の方が筋が通っている様に思える。自分に寄り添い痛みを理解しようとしてくれている様に思える。
本当に自分を大切に思ってくれているのはどちらなのだろう。少なくともイーヴィスは自分の声を聞きつけて助けに来てくれたではないか。そして簡単に悪魔に屈する事なく信仰を貫こうとしている自分に理解さえ示し賞賛してくれている。心底悪い悪魔では無いのではなかろうか。
だがそれとは裏腹に信仰を貫こうとする自分の声も聞こえる。どれほど耳障りが良くても悪魔の言葉に耳を傾けてはいけない。悪魔はあらゆる手段で神から人間を引き離そうとするのだから。
これから行われる事は耐え難い事だろう、美琴の心はもしかしたら壊れてしまうかもしれない。だがクリスチャンに課せられるのは寛容と忍耐。誘惑の最中にある今こそ信仰が試されるのではなかろうか。
目を閉じ祈りの言葉を繰り返す美琴の耳にイーヴィスはさら続けた。
「ねぇ、あたしの助けは要らないって事?このまま慰み者になる道を選びたいの?じゃぁそうしましょうか」
美琴はこれから繰り返されるであろう凌辱に対し必死で自分を鼓舞した。
悪魔の手を取ってはならない。どんな目に合おうと神のしもべであり続けなくては!
「私は…… 主の…… 」
美琴の言葉が終わらないうちに小さな指先がその額に触れた。
一瞬の事だった。
次の瞬間美琴は雷撃でも受けたかの様にのたうった。仰向けのまま激しくえずき、吐く物が無いものだから胃液をまき散らした。
血走った眼は恐怖に見開かれ、固定されたままの手足にも首筋にもはしかの様な斑紋が広がっていた。
何度も上がる言葉にならない絶叫は少女のそれとは程遠い動物の様なものだった。
「可哀そうなお姉ちゃん…… 今見せたのはね?これから本当にお姉ちゃんに行われる事よ。おじさん達はこういう事をお姉ちゃんにしようとしているの。わかる?神はこういう事をお姉ちゃんに望んでいるの」
獣の様に荒い息、鼻を衝く様々な悪臭。肌を這い回るじっとりとした両生類の様な感触。
授業に登場しなかった想像だにしえない忌まわしい行為の数々がおぞましいリアリティで次々脳内を駆け巡ったのだ。
「 ……主よ…… お赦し下さい… この様な目に合わせないで下さい…… 」
「だめよ。だって お姉ちゃんがこっちを選ぶんだもの。今から実際にこれを体験するのよ。一週間に渡ってね。相手は六人もいるのよ?寝る時間なんてないわ。ううん、その後もきっと何かにつけて呼び出される。何度も、何度も何度も何度も」
「嫌…… 嫌…… 嫌…… 」
かぶりを振る美咲に幼い少女は気の毒そうな顔を寄せて静かに言った。
「仕方のない事よ。神が、お姉ちゃんがそれを望むんだもの」
そして一度身を離すと遊ぶのに飽きた子供の様に言いながら背を向けた。
「さぁ、今から動かすわ。あたしは帰るわね」
「待って! 」
考えを巡らせる間もなく声が出ていた。
「待って!待ってちょうだい!待って!お願い! 」
背を向けたまま出来の良い人形の様な姿の少女は黙っていた。
「お願い!助けて! 」
「大丈夫よ、きっとすぐ慣れるわ。大人の人ってそういう事、大好きなんでしょ? 」
「お願いイーヴィス!嫌なの!あんなの人にして良い事じゃない……。高潔な生贄なんかじゃないわ!慰み者の意味が分かった……。助けて……」
血の様に赤いドレスが静かに翻る。
吸い込まれそうな大きな眼の中に自分の姿が映る。異様に小さな赤い唇がゆっくりと微笑むのを見て美琴は心から安堵した。
「いいわ。お約束をしましょう」
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※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
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