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明かりをつけるとくまなく磨き上げれられた床や壁がきらりと光る。一昨日自分がしたんだと思い出す。
そしてそこに彼女が入るだけで白基調で声が響くあたりがなぜかどこかミニチュアの教会の様にも思えてかなたはやや身を正した。
父の潔白を証明する証言を約束してくれた美咲に家の前まで送り届けられた後、ますみはおかしなことをかなたに頼んだのだ。
「かなた、お願いがあります。かなたの手で姉の腕を洗ってくれませんか」
神妙な面持ちの姉の言葉に意図がわからないままもその場で承諾し、彼女を浴室に連れて来たのだ。
バスチェアに背筋をぴっと伸ばして座っているもますみの顔は曇り、ややうつむいている。それに気づかぬ振りをしつつかなたは薬用石鹸を海綿で泡立てる。
「かなた、許して下さい。あなたの手本にならなくてはいけないのに、姉は醜い心を持ってしまいました」
姉の言う醜い心なんて一般からしてみたら大した事ではないだろうとかなたは思った。
「何があったか知らないけど、俺が聞いて良い事なら後で聞くよ。さぁ袖をまくって」
弟の言葉にますみは一度さらにうつむいたまま泣きそうな顔になり、袖に手をかけたがすぐに腕を出すことはしなかった。
「お姉ちゃん、どうかしたの? 」
その言葉でまるで罪を告白する様な、かなたがかつて見たこともない程弱気な顔でようやくますみは袖をまくった。
良く知る繊手はいつもの心を洗う様な白さではなく、手首から腕の中程までにかけて性質の悪い虫にでも刺されたかの様に真っ赤になっており皮膚が擦り剝けて所々まだらになっていた上、おぞましくもその中にあってさらにくっきりと赤黒い手形が残っていた。
想像だにしなかったものを目の当たりにしたかなたは呼吸を忘れ、言葉を失い、姉の顔を見るのにしばらくかかってしまった。
「軽蔑されても反論できません……。姉は…… お義祖父さんに掴まれた事を…… けがらわしいと思ってしまいました……」
ますみの瞳が濡れてきたのでかなたは慌てて視線を腕に戻した。
「これは姉の醜さそのものです」
きっとますみには襲われた時に掴まれた感覚が残ってしまっていたのだろう、焼き付く程の恐怖や嫌悪感だったに違いない。その感覚を流し去ろうとして必死になって洗ったのだろう。何度も何度も、どんなに繰り返しても汚れている気がして強迫観念の様に繰り返してしまったのだろう、
そしてその行為をしてる間ずっと、さらに今も、姉は義祖父に掴まれた事を嫌悪している事実に強い自責の念を感じているのだ。人を差別し侮辱しているとして。
手本にならなくてはと思っている相手にその姿をさらすのはどれほどのストレスになっているのだろう。
どんな人に対しても決して否定的な態度をとらない姉がここまで追い詰められた等と考えるとかなたは胸の中に黒く激しい炎が渦巻くのを感じた。
その姉が自分に助けを求めたのだ。
「お姉ちゃんは醜くなんかないよ。それに、汚れてもいない」
かなたはますみの手を、そしてもう片方の手で海綿を取り上げた。
「何度洗っても…… 何度洗っても…… 」
「聖水、俺、教会で聖水貰ってこようか?清めてくれるかもしれない」
ますみは首を振った。
「それには及びません。かなた、あなたが洗ってくれたらすっかり綺麗になる気がします。どうか……お願いします」
「わかった」
姉の手を取ると、かなたは海綿をそっと乗せた。
「痛くない? 」
「大丈夫です。強くお願いします」
かなたは首を振った。
「俺はお姉ちゃんを傷つけないよ。汚れだけ落とす。強くするんじゃなくてね、丁寧に洗うよ。俺に任せて」
慎重に海綿で細い腕を撫でながらかなたは涙をこらえていた。
いつも周りを安心させる太陽の様なますみの震えが伝わってきていて戸惑うが、こんな時こそ自分が支えるべきなんだと強く思えた。
こんな心理状態で美咲を励ましていたなんてと思うとかなたはさらに胸を痛めた。もしかしたら美咲への励ましはますみ自身へも行われていたのだろうか。
かなたがますみの腕を洗い始めると彼女は何も言わなくなった。
痛みが生まれないようにかつ姉の心の澱が取り除かれる様に、かなたは丁寧にできうる限りの真心を込めて事に当たった。
静かな音が長く続いた後、やおらかなたは小さな声で話し始めた。
「俺はね?お姉ちゃん、お姉ちゃんは一度に色々あって疲れているんだと思うな、バスの事故とか、お父さんの逮捕とか、だから色々勘違いしていると思うんだ。お姉ちゃんがお義祖父さんを嫌悪しているなんて俺は思わないんだよ」
そちらを見なくてもますみの顔が若干上がるのが腕越しに伝わる。
「お姉ちゃんが嫌ったのはね、お義祖父さんじゃなくてお義祖父さんがしようとした行為だと思うんだ。だからお姉ちゃんの嫌悪が向いているのはお義祖父さんじゃないんだよ。ほら言うじゃん、罪を憎んで人を憎まずって、あれは裏を返せば罪は憎むべきって事なんだと思うよ。何でもかんでも受け入れる必要はないんだ、悪い事まで受け入れていたら世界中は悪事だらけになっちゃうからね。悪い事やしてはいけない事に対しては断固として嫌悪感を示して良いと思うな。それにほら、お姉ちゃんは自分がお義祖父さんを嫌っていると勘違いして罪の意識持っているでしょ?それはお義祖父さんの事嫌いたくないって事だよ。お姉ちゃんは差別なんかしていないし嫌ってもいない。俺が保証するよ」
浴室内で少しだけ反響する小さな声がますみの胸に静かにしみ込んだ。
「かなた……」
こらえきれなかった。
義祖父が死んだ時、確かに自分でもそう思った、だがそれは自分を誤魔化すための詭弁ではなかったのかと、そう思えてならなかった。だが、弟は、第三者の視点からかなたは肯定してくれた、
気付けば空いている方の手が顔に延び、涙を隠そうとしていた。
弟の前では弱さを見せてはいけないと思っていたのに勝手に体が震えてしまう。二度目だ、また自分はかなたに救われたのだ。
こぼれた涙が落ちれば弟は間違いなく自分が泣いていることに気づくだろう、そう思った時だった。
「一度流すね」
かなたは蛇口に向き、シャワーから大量の水が噴き出した。
頭上から容赦なく降りかかるそれにますみもかなたも瞬く間にずぶ濡れになる。
「わーっ!上にあった!お姉ちゃんごめん! 」
慌てた様子で立ち上がるかなたにますみはさらに涙を流した。
どうして先にシャワーを持たなかったの?どうして蛇口を閉めずにシャワーを取ろうとするの?弟の優しさに胸が詰まった。
「わーっ!つめてー!お姉ちゃん大丈夫?ごめんね、風邪ひかないでね。ったく俺ってバカだなぁ……」
「ウフフフ……」
「今あったかくするからね。あちっ! 」
「かなた……」
「ちょっと待っててね、うんよし。これでいい」
「かなた、ありがとう」
「まだ途中だよ」
かなたがようやく振り返る。
「ああ、もう流れてるし、当然か。じゃ、もう一回洗うね」
「はい。お願いします。ただかなた、もし嫌でなければですが」
「嫌な事なんてあるもんか、何をしたらいい? 」
ますみは弟と目を合わせて言った。
「海綿は要りません。かなたの手で洗って下さい。一度だけそうしてくれたらすっかり綺麗になる気がします」
「それはいいけど…… 俺の手ってがさがさだよ?このところ鉄棒ばっかりやってるから……。痛いかもしれないよ? 」
「かなたの手が良いのです。他のものはいりません」
わかったと答えるとかなたは姉の望む通り自分のてのひらで出来うる限り優しく華奢な腕を撫でるように洗った。
「俺にとってはねお姉ちゃん、お姉ちゃんはいつだって俺の誇りなんだ。強いとか弱いとかそんなことは関係ない、西野ますみがお姉ちゃんで俺はとっても誇らしいんだ。ただね?思うんだ」
かなたは顔をあげてますみをまっすぐ見つめた。
「お姉ちゃんはさ、もう少し嫌なことは嫌とか言って良いし、泣きたい時は泣いても良いからね。たまには弟を頼っても良いと思うよ。俺にもかっこいい思いさせてよね」
胸に熱を感じながらますみはええと微笑んだ。
「かなたはかっこいいですよ。今だってほら、姉の前に跪いてその手を取る様子なんて王子様の様ではありませんか」
「な! 」
かなたは頬に熱を感じたがすぐざま反撃する。
「じゃぁお姉ちゃんはお姫様だね」
「ううっ……」
「お姉ちゃん知ってる?手の甲への口づけは尊敬のキスなんだって」
弟の顔が手に近づく。
「ななな…… かなた! 」
すると直前で弟はいたずらっぽい表情で顔をあげた。
「あ 姉をからかうのですか! 」
ごめんごめんと笑った後かなたは続けた。
「キスがどんなに大切なのかはもう教わっているよ。それにからかったわけじゃない。俺はお姉ちゃんを尊敬しているんだ。そんな尊敬するお姉ちゃんにお願いがあります」
弟の突然の申し出にますみはやや面食らいながらも意識して冷静な顔をして見せ身を正した。
「かなたには姉のわがままを聞いてもらいました、言ってみて下さい」
するとかなたは小さく肩を縮めた後普段した事もない癖にやや上目遣いでいかにもお願いといった姿勢で両手を合わせる。
「馬鹿にされちゃうかもしれないけどさ、俺、こう見えて色々あってね?心細いんだ。お姉ちゃんが嫌じゃなかったらさ、その……なんて言うか……。一緒に寝ても良いかな……。できれば今日だけじゃなくってしばらく……。俺が落ち着くまで……。甘えんぼすぎるかな……」
言葉が出てこない。
「お願いします……」
かなたが祈りのポーズで顔を伏せる。
この子は……。声なき声が漏れるのと同時に再びぽろぽろと涙があふれた。
心配しているのだ。かなたはますみの心の傷を心配して添い寝を買って出てくれているのだ。姉を立てるために自分が心細い振りをして。
気づけば弟を抱きしめていた。
ああ、なんて優しい子。夜が恐ろしいと感じ始めていた自分にはこんなに頼もしい守り手がいる。仮におぞましい夢を見て目覚めてしまったとして、最も信頼する相手のぬくもりと寝息がそばにあったのならどれほど心強いだろう。
「かなた、かなた……」
「お姉ちゃん、甘えさせてくれる? 」
しばらくまともな言葉も出せずそのままでいたますみだったがようやく体を放して弟の顔を見た。
「そんなに姉に甘えたいのであれば条件があります」
「飲むよ。何? 」
「眠りにつくまで、姉の手を離さない事です」
「俺は甘えん坊だからね。朝まで離すもんか」
自分を甘えさせてくれる弟に、ますみはびしょ濡れのまま頬ずりを繰り返した。
そしてそこに彼女が入るだけで白基調で声が響くあたりがなぜかどこかミニチュアの教会の様にも思えてかなたはやや身を正した。
父の潔白を証明する証言を約束してくれた美咲に家の前まで送り届けられた後、ますみはおかしなことをかなたに頼んだのだ。
「かなた、お願いがあります。かなたの手で姉の腕を洗ってくれませんか」
神妙な面持ちの姉の言葉に意図がわからないままもその場で承諾し、彼女を浴室に連れて来たのだ。
バスチェアに背筋をぴっと伸ばして座っているもますみの顔は曇り、ややうつむいている。それに気づかぬ振りをしつつかなたは薬用石鹸を海綿で泡立てる。
「かなた、許して下さい。あなたの手本にならなくてはいけないのに、姉は醜い心を持ってしまいました」
姉の言う醜い心なんて一般からしてみたら大した事ではないだろうとかなたは思った。
「何があったか知らないけど、俺が聞いて良い事なら後で聞くよ。さぁ袖をまくって」
弟の言葉にますみは一度さらにうつむいたまま泣きそうな顔になり、袖に手をかけたがすぐに腕を出すことはしなかった。
「お姉ちゃん、どうかしたの? 」
その言葉でまるで罪を告白する様な、かなたがかつて見たこともない程弱気な顔でようやくますみは袖をまくった。
良く知る繊手はいつもの心を洗う様な白さではなく、手首から腕の中程までにかけて性質の悪い虫にでも刺されたかの様に真っ赤になっており皮膚が擦り剝けて所々まだらになっていた上、おぞましくもその中にあってさらにくっきりと赤黒い手形が残っていた。
想像だにしなかったものを目の当たりにしたかなたは呼吸を忘れ、言葉を失い、姉の顔を見るのにしばらくかかってしまった。
「軽蔑されても反論できません……。姉は…… お義祖父さんに掴まれた事を…… けがらわしいと思ってしまいました……」
ますみの瞳が濡れてきたのでかなたは慌てて視線を腕に戻した。
「これは姉の醜さそのものです」
きっとますみには襲われた時に掴まれた感覚が残ってしまっていたのだろう、焼き付く程の恐怖や嫌悪感だったに違いない。その感覚を流し去ろうとして必死になって洗ったのだろう。何度も何度も、どんなに繰り返しても汚れている気がして強迫観念の様に繰り返してしまったのだろう、
そしてその行為をしてる間ずっと、さらに今も、姉は義祖父に掴まれた事を嫌悪している事実に強い自責の念を感じているのだ。人を差別し侮辱しているとして。
手本にならなくてはと思っている相手にその姿をさらすのはどれほどのストレスになっているのだろう。
どんな人に対しても決して否定的な態度をとらない姉がここまで追い詰められた等と考えるとかなたは胸の中に黒く激しい炎が渦巻くのを感じた。
その姉が自分に助けを求めたのだ。
「お姉ちゃんは醜くなんかないよ。それに、汚れてもいない」
かなたはますみの手を、そしてもう片方の手で海綿を取り上げた。
「何度洗っても…… 何度洗っても…… 」
「聖水、俺、教会で聖水貰ってこようか?清めてくれるかもしれない」
ますみは首を振った。
「それには及びません。かなた、あなたが洗ってくれたらすっかり綺麗になる気がします。どうか……お願いします」
「わかった」
姉の手を取ると、かなたは海綿をそっと乗せた。
「痛くない? 」
「大丈夫です。強くお願いします」
かなたは首を振った。
「俺はお姉ちゃんを傷つけないよ。汚れだけ落とす。強くするんじゃなくてね、丁寧に洗うよ。俺に任せて」
慎重に海綿で細い腕を撫でながらかなたは涙をこらえていた。
いつも周りを安心させる太陽の様なますみの震えが伝わってきていて戸惑うが、こんな時こそ自分が支えるべきなんだと強く思えた。
こんな心理状態で美咲を励ましていたなんてと思うとかなたはさらに胸を痛めた。もしかしたら美咲への励ましはますみ自身へも行われていたのだろうか。
かなたがますみの腕を洗い始めると彼女は何も言わなくなった。
痛みが生まれないようにかつ姉の心の澱が取り除かれる様に、かなたは丁寧にできうる限りの真心を込めて事に当たった。
静かな音が長く続いた後、やおらかなたは小さな声で話し始めた。
「俺はね?お姉ちゃん、お姉ちゃんは一度に色々あって疲れているんだと思うな、バスの事故とか、お父さんの逮捕とか、だから色々勘違いしていると思うんだ。お姉ちゃんがお義祖父さんを嫌悪しているなんて俺は思わないんだよ」
そちらを見なくてもますみの顔が若干上がるのが腕越しに伝わる。
「お姉ちゃんが嫌ったのはね、お義祖父さんじゃなくてお義祖父さんがしようとした行為だと思うんだ。だからお姉ちゃんの嫌悪が向いているのはお義祖父さんじゃないんだよ。ほら言うじゃん、罪を憎んで人を憎まずって、あれは裏を返せば罪は憎むべきって事なんだと思うよ。何でもかんでも受け入れる必要はないんだ、悪い事まで受け入れていたら世界中は悪事だらけになっちゃうからね。悪い事やしてはいけない事に対しては断固として嫌悪感を示して良いと思うな。それにほら、お姉ちゃんは自分がお義祖父さんを嫌っていると勘違いして罪の意識持っているでしょ?それはお義祖父さんの事嫌いたくないって事だよ。お姉ちゃんは差別なんかしていないし嫌ってもいない。俺が保証するよ」
浴室内で少しだけ反響する小さな声がますみの胸に静かにしみ込んだ。
「かなた……」
こらえきれなかった。
義祖父が死んだ時、確かに自分でもそう思った、だがそれは自分を誤魔化すための詭弁ではなかったのかと、そう思えてならなかった。だが、弟は、第三者の視点からかなたは肯定してくれた、
気付けば空いている方の手が顔に延び、涙を隠そうとしていた。
弟の前では弱さを見せてはいけないと思っていたのに勝手に体が震えてしまう。二度目だ、また自分はかなたに救われたのだ。
こぼれた涙が落ちれば弟は間違いなく自分が泣いていることに気づくだろう、そう思った時だった。
「一度流すね」
かなたは蛇口に向き、シャワーから大量の水が噴き出した。
頭上から容赦なく降りかかるそれにますみもかなたも瞬く間にずぶ濡れになる。
「わーっ!上にあった!お姉ちゃんごめん! 」
慌てた様子で立ち上がるかなたにますみはさらに涙を流した。
どうして先にシャワーを持たなかったの?どうして蛇口を閉めずにシャワーを取ろうとするの?弟の優しさに胸が詰まった。
「わーっ!つめてー!お姉ちゃん大丈夫?ごめんね、風邪ひかないでね。ったく俺ってバカだなぁ……」
「ウフフフ……」
「今あったかくするからね。あちっ! 」
「かなた……」
「ちょっと待っててね、うんよし。これでいい」
「かなた、ありがとう」
「まだ途中だよ」
かなたがようやく振り返る。
「ああ、もう流れてるし、当然か。じゃ、もう一回洗うね」
「はい。お願いします。ただかなた、もし嫌でなければですが」
「嫌な事なんてあるもんか、何をしたらいい? 」
ますみは弟と目を合わせて言った。
「海綿は要りません。かなたの手で洗って下さい。一度だけそうしてくれたらすっかり綺麗になる気がします」
「それはいいけど…… 俺の手ってがさがさだよ?このところ鉄棒ばっかりやってるから……。痛いかもしれないよ? 」
「かなたの手が良いのです。他のものはいりません」
わかったと答えるとかなたは姉の望む通り自分のてのひらで出来うる限り優しく華奢な腕を撫でるように洗った。
「俺にとってはねお姉ちゃん、お姉ちゃんはいつだって俺の誇りなんだ。強いとか弱いとかそんなことは関係ない、西野ますみがお姉ちゃんで俺はとっても誇らしいんだ。ただね?思うんだ」
かなたは顔をあげてますみをまっすぐ見つめた。
「お姉ちゃんはさ、もう少し嫌なことは嫌とか言って良いし、泣きたい時は泣いても良いからね。たまには弟を頼っても良いと思うよ。俺にもかっこいい思いさせてよね」
胸に熱を感じながらますみはええと微笑んだ。
「かなたはかっこいいですよ。今だってほら、姉の前に跪いてその手を取る様子なんて王子様の様ではありませんか」
「な! 」
かなたは頬に熱を感じたがすぐざま反撃する。
「じゃぁお姉ちゃんはお姫様だね」
「ううっ……」
「お姉ちゃん知ってる?手の甲への口づけは尊敬のキスなんだって」
弟の顔が手に近づく。
「ななな…… かなた! 」
すると直前で弟はいたずらっぽい表情で顔をあげた。
「あ 姉をからかうのですか! 」
ごめんごめんと笑った後かなたは続けた。
「キスがどんなに大切なのかはもう教わっているよ。それにからかったわけじゃない。俺はお姉ちゃんを尊敬しているんだ。そんな尊敬するお姉ちゃんにお願いがあります」
弟の突然の申し出にますみはやや面食らいながらも意識して冷静な顔をして見せ身を正した。
「かなたには姉のわがままを聞いてもらいました、言ってみて下さい」
するとかなたは小さく肩を縮めた後普段した事もない癖にやや上目遣いでいかにもお願いといった姿勢で両手を合わせる。
「馬鹿にされちゃうかもしれないけどさ、俺、こう見えて色々あってね?心細いんだ。お姉ちゃんが嫌じゃなかったらさ、その……なんて言うか……。一緒に寝ても良いかな……。できれば今日だけじゃなくってしばらく……。俺が落ち着くまで……。甘えんぼすぎるかな……」
言葉が出てこない。
「お願いします……」
かなたが祈りのポーズで顔を伏せる。
この子は……。声なき声が漏れるのと同時に再びぽろぽろと涙があふれた。
心配しているのだ。かなたはますみの心の傷を心配して添い寝を買って出てくれているのだ。姉を立てるために自分が心細い振りをして。
気づけば弟を抱きしめていた。
ああ、なんて優しい子。夜が恐ろしいと感じ始めていた自分にはこんなに頼もしい守り手がいる。仮におぞましい夢を見て目覚めてしまったとして、最も信頼する相手のぬくもりと寝息がそばにあったのならどれほど心強いだろう。
「かなた、かなた……」
「お姉ちゃん、甘えさせてくれる? 」
しばらくまともな言葉も出せずそのままでいたますみだったがようやく体を放して弟の顔を見た。
「そんなに姉に甘えたいのであれば条件があります」
「飲むよ。何? 」
「眠りにつくまで、姉の手を離さない事です」
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