悪魔と委員長

GreenWings

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 ベビーベッドに覆いかぶさるようにして世話をする母の姿を姉になったばかりの幼い娘が離れた所から小さな唇を噛んで見つめていた。

 いつもこうだ。ますみは眉を寄せ気味な表情でいた。
 その様子に気付いた母親ははたと手を止めてそちらに顔を向ける。

「どうしたのますみ? 」

「ますみ、かなたくんきらーい! 」

 口をへの字にして鼻の頭を赤くしている娘に菫は乳児のおむつを替えるのを途中で放り出して体ごとしっかり向き直った。
 そしてそのままの流れでゆっくりますみの前まで来ると彼女の視線に降りた。
 ますみがぷいっとそっぽを向く。
 菫はできうる限りやわらかく、そして不快を感じさせないギリギリまで強く娘を抱きしめた。

「ごめんなさいねますみ。お母さんが間違っていましたね」

「おかあさんはわるくないよ! 」

 ますみが慌てて顔を戻す。

「いいえ、これは全部お母さんのせい。ごめんなさいねますみ、大切な私のますみ。かなたが赤ちゃんだからって掛かり切りになって良い訳ありません。お母さんはかなたにそうするよりもっとますみに接するべきでした。寂しい思いをさせてしまいましたね」

 ますみは答えずに自分を抱く母の肩に顔をうずめた。安心する香りに満たされる。
 母親はそっとますみの頭を撫で、やがてゆっくり身を放した。そして娘の前髪をそっと優しくかきあげる。

「ますみはキスって知ってる? 」

「キス? 」

 小首をかしげるますみに母は優しげに頷いた。

「そう、とっても特別な事よ。軽々しくする様な事では決してないの。唇を優しく付ける事ですよ。ほっぺへのキスは親しみのキス、唇へのキスは誓いのキス、そして……」

 母親の唇はそっと娘の額に付けられ、しばらくそのままで居た。
 やおらますみの視界に戻ってきた母は穏やかな表情のまま真っ直ぐな視線でこう告げた。

「額のキスは大切のキスです。ますみ、あなたはお母さんにとって何よりも大切な存在。そんなあなたに寂しい思いをさせてごめんなさいね。でも忘れないで。あなたはお母さんにとって特別な存在」

 母の言葉は難しくてよくわからないがその思いは視線越しに伝わって来るようで幼いますみは額と胸の中に膨れ上がる熱を感じた。

「ますみはまだ二つなのにかなたの為にいっぱい我慢してくれましたね。お母さんはますみに甘えてしまいました。赦して下さい。悪いのはお母さんです。だからかなたの事は嫌わないで上げてね?あの子はね?お姉ちゃんの事が大好きなの。ますみからお母さんを取ってしまおうなんて思っていないのよ?ただまだ一人で何にも出来ないから、大人がいっぱい手伝ってあげなくてはいけないの」

 ますみは小首を傾げた。

「ますみのことがすきなの? 」

「ええそうです、いらっしゃい」

 抱き抱えられたますみがベビーベッドの所に来ると、おむつ交換を途中で放置されたままの赤子が手足をばたばたさせていた。
 母に抱かれたままそちらを見ると相手もじっと見つめ返してきた。

「ますみ、ちょっと手伝ってくれますか?お母さんはおむつをちゃんとするので終わるまでかなたのお話相手をしてくれたらお母さん助かります」

 ますみは母親と幼い弟の顔を交互に見た後いいよと答えた。

 母親に頭を撫でられた後、ますみはあまり好きでもない赤子の顔をじっと眺めた。頭の毛も生えそろっておらず、異様に赤い肌は人間と言うよりもなんだか別の生き物のように見える。大人達はこぞって可愛いとか言うが、むくむくしていてちっともそう見えない。
 母親の顔を見上げると彼女は信頼していますよと言う様な微笑みを返してくる。

 ますみは困った表情で赤子を見た。
 かなたが家に来た時、お姉ちゃんになったんだよと両親に言われ、さも喜ばしい様な事を言われたが、ますみにしてみたらそもそもその『お姉ちゃん』と言うものがなんだか分からない。どうすれば良いと言うのだ。

 ますみはベビーベッドの柵の間から手を伸ばしてみた。するとバタバタしていた赤子の手がその指先を掴んだ。思った以上の力にますみは驚く。

「かなた、良かったわね。お姉ちゃんが遊んでくれるって。優しいお姉ちゃんですね」

 再び母親の顔と赤子の顔を見比べるますみ。と、赤子と目があってしまった。
 思わずへの字口になり眉が微かによるますみだったが、相手は違った。
 口を大きく開けて目を無くして笑った。
 ますみの指先を握ったまま手足をバタバタさせ作業している母親を慌てさせた。

「ほらねますみ、ますみの事が大好きなんだわ」

「かなたくん、ますみのことがすきなの? 」

 ますみは柵の隙間から覗きこむ様に赤子に語りかける。
 赤子の微笑み返しは感情からくるものではなく反射だ。しかしますみはそんな事は知らないしどうでもいい事だった。小さな手が自分の指先をぎゅっと握って放さない、自分がこの何もできない存在にとってすがらなくてはならない存在なのだと訴えられているように思えた。

「ほら、お姉ちゃんの事大好きだって」

 母親の声にますみは表情を崩し、指先をゆすった。

「かなた、かなたー。いいこね…… 」

「良かったわねかなた、お姉ちゃんが遊んでくれて。ますみ、お手伝いしてくれてありがとう。もしますみが嫌でなかったらこれからも時々一緒にかなたのお世話手伝ってくれたらお母さんは嬉しいです」

 ますみは母親に顔を向けるとにっこりしながら頷いた。

「ますみはおねえちゃんだもの」

 それがますみの持ついちばん古い記憶。

 自分が母親にとって大切だと理解したますみは母親がいくらか弟にかかりきりになる事があっても嫉妬する事は無くなった。
 それどころか積極的に弟の世話や家事を手伝うようになった。
 自分に代わって弟の面倒を見ようとするますみを菫は惜しみなく愛した。それはそのままますみの弟への愛情にも変わった。
 それを受けたからなのか母親の言葉、『姉ちゃんが大好き』は本当になった。

 かなたは歩けるようになると母親ではなくますみの後ばかり付いて回った。
 ますみのやる事を何でも興味深そうに見ては真似をし、ますみが笑うと同じように笑い、不安そうな顔をしていれば同じ表情でぴったりとくっつき、何かの拍子に泣くような事があれば大声を上げて一緒になって泣いた。

 ますみのおかげで自分は随分助けられていると母はよく漏らし、反発する事もなくおねえちゃんおねえちゃんと慕うかなたはますみに姉としての自覚と喜びを感じさせる様になって行った。

 かなたは母親からますみに託された宝物なのだ。必ず守らなくてはならない。
 ますみは一度小さく弟の名を呼ぶと追手の気配を背に決意を新たにした。
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