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第四章
その3
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アビティオ大臣はミシオン王子の様子に、突如として理由のわからないおそれが沸き上がるのを感じ、一瞬激しく狼狽しましたが、気持ちを奮い起こして王子に槍を振り下ろしました。
「わたしに愛などいらぬ! 愛がなんの役に立つ!? 愛は人を愚かにするものでしかない!」
「それは真に愛に向き合おうとしないからだ! アビティオよ、おまえにはおまえを心から慕う女性がいるであろう。その人にきちんと向き合えば、おまえは自分自身ばかりか、彼女をも救うことができるのだぞ!」
「まさかマリス王女のことを言っているのか?」
アビティオ大臣は哄笑《こうしょう》しました。
「わたしがあの女に向き合うだと? あの女を救うだと!? あの父親にそっくりな、傲慢で我が儘な女をか!? 馬鹿馬鹿しい! 王女である以外には何の利用価値もない女を、なぜわたしが救ってやる必要があると言うのだ! わたしが玉座に着いたあかつきには、あのような下劣な女、父親共々真っ先に殺してくれる!」
アビティオ大臣はそう吐き捨てると、馬ごとミシオン王子に体当たりをしたので王子は激しくよろめき、まだ体勢を立て直しきれずにいる王子に大臣の槍が迫りました。ミシオン王子は槍を受け止められそうになく、王子は一瞬身構えた後、覚悟を決めました。
「ミシオン王子!」
自分の名を大声で呼ぶリーデルの声に、ミシオン王子は馬の手綱をひいて体をなんとか起こそうとする間の一瞬に、素早く声のした方に視線を向けました。すると、リーデルが一度に三人の敵兵を相手にしていながら、必死の形相で何とか王子の元に駆けつけようとしているのが目に入りました。
ミシオン王子は我が身の絶体絶命の危機に瀕した今このときにも不思議と恐怖はなく、ただ愛だけが自分の心に燃えているのを感じながら、思わずリーデルに感謝の微笑みを送りました。それを見たリーデルは一瞬にしてミシオン王子の心の内をさとり、泣き出しそうに顔をゆがめ、それでも敵兵たちを振り払って王子の元に行こうとしながら、もう一度王子の名を叫びました。
「ミシオン王子……!」
しかしそのとき、アビティオ大臣側の兵士が恐怖に満ちた声で叫ぶのが聞こえました。
「な、なんだ、あれは……!?」
その叫び声と同時に頭上を大きな影が覆い、ミシオン王子はハッとして空を見上げました。アビティオ大臣も思わず背後を振り返りました。
すると、空の彼方から稲妻のような素早さで、ヴォロンテーヌが一直線に舞い降りて来るのが見えました。
「ヴォロンテーヌ!」
ヴォロンテーヌの無事な姿を目にし、喜びに駆られて叫んだ王子は、すぐにヴォロンテーヌの後ろに、もう一羽、やはり白く美しい別のハトが続いていることに気がつきました。しかし驚くべきことに、そのハトは鷹や鷲よりもはるかに大きく、そのハトが上空で翼を広げるたびに、太陽が遮られ、地上には巨大な影が落ちるほどでした。
そのハトは、驚いて空を見上げている兵士たちのすぐ真上まで来ると、大きくひとつ、力強い羽ばたきをしました。その瞬間、凄まじい嵐が吹き荒れ、ミシオン王子の兵士たち以外はすべて、アビティオ大臣も含めて皆地面になぎ倒されてしまいました。ミシオン王子はその間に素早く体を立て直し、驚きと感謝をもってその白いハトの威厳に満ちた姿を見上げました。
恐れをなしたアビティオ大臣側の兵士たちは、すっかり戦意を失って逃げまどい、それを見たリーデルが仲間の兵士たちに大声で叫びました。
「直ちに取り押さえろ!」
ミシオン王子の兵士たちはわっと声を上げて一斉に飛び掛かり、アビティオ大臣の兵士たちを取り押さえました。
その喧噪の中、アビティオ大臣は落馬した際に落とした槍を素早く拾って立ち上がると、再び馬に乗ろうとしました。しかしそのとき、ミシオン王子の剣の切っ先が、アビティオ大臣の喉元に突き付けられました。
「アビティオ、諦めよ」
大臣は悔しさで血のにじむほど唇を噛みしめてミシオン王子を睨みつけていましたが、やがてがっくりと地面に膝を着きました。
戦場はミシオン王子の率いる兵士たちの歓声で割れんばかりになりました。
ミシオン王子はアビティオ大臣に自害させないよう、自分の兵に言って素早く大臣を拘束させました。アビティオ大臣はまるで抜け殻のようになった虚ろな目で地面に膝を着いたまま、ミシオン王子の兵が自分に縄をかけるに任せていましたが、ふと王子を見上げると、その生気の抜けた目と同様に力のない声で、
「ミシオン王子……。いったい何があった? 何がおまえをそのように変えさせたのだ。おまえはいったい、何者なのだ……?」
ミシオン王子は哀れみに満ちた瞳で大臣を見下ろし、静かな声で言いました。
「わたしは何者でもない。ただ己に目覚めただけだ。善き人たちとの出会いがわたしを変えたのだ。アビティオよ、おまえも真の己に気付くのだ」
アビティオ大臣はそれを聞くと、ゆっくりとまぶたを閉じて俯きました。
ミシオン王子は大臣を自分の野営地に連れて行かせ、大臣が幕の中に入ったのを見届けると急いで空を見上げましたが、そこにはもうヴォロンテーヌの姿も、あの大きなハトの姿もありませんでした。
それから城のバルコニーの方を見ましたが、ヒュブリス国王は既におらず、ミシオン王子はリーデルと共にただちに城の中に駆け込んで行きました。
「わたしに愛などいらぬ! 愛がなんの役に立つ!? 愛は人を愚かにするものでしかない!」
「それは真に愛に向き合おうとしないからだ! アビティオよ、おまえにはおまえを心から慕う女性がいるであろう。その人にきちんと向き合えば、おまえは自分自身ばかりか、彼女をも救うことができるのだぞ!」
「まさかマリス王女のことを言っているのか?」
アビティオ大臣は哄笑《こうしょう》しました。
「わたしがあの女に向き合うだと? あの女を救うだと!? あの父親にそっくりな、傲慢で我が儘な女をか!? 馬鹿馬鹿しい! 王女である以外には何の利用価値もない女を、なぜわたしが救ってやる必要があると言うのだ! わたしが玉座に着いたあかつきには、あのような下劣な女、父親共々真っ先に殺してくれる!」
アビティオ大臣はそう吐き捨てると、馬ごとミシオン王子に体当たりをしたので王子は激しくよろめき、まだ体勢を立て直しきれずにいる王子に大臣の槍が迫りました。ミシオン王子は槍を受け止められそうになく、王子は一瞬身構えた後、覚悟を決めました。
「ミシオン王子!」
自分の名を大声で呼ぶリーデルの声に、ミシオン王子は馬の手綱をひいて体をなんとか起こそうとする間の一瞬に、素早く声のした方に視線を向けました。すると、リーデルが一度に三人の敵兵を相手にしていながら、必死の形相で何とか王子の元に駆けつけようとしているのが目に入りました。
ミシオン王子は我が身の絶体絶命の危機に瀕した今このときにも不思議と恐怖はなく、ただ愛だけが自分の心に燃えているのを感じながら、思わずリーデルに感謝の微笑みを送りました。それを見たリーデルは一瞬にしてミシオン王子の心の内をさとり、泣き出しそうに顔をゆがめ、それでも敵兵たちを振り払って王子の元に行こうとしながら、もう一度王子の名を叫びました。
「ミシオン王子……!」
しかしそのとき、アビティオ大臣側の兵士が恐怖に満ちた声で叫ぶのが聞こえました。
「な、なんだ、あれは……!?」
その叫び声と同時に頭上を大きな影が覆い、ミシオン王子はハッとして空を見上げました。アビティオ大臣も思わず背後を振り返りました。
すると、空の彼方から稲妻のような素早さで、ヴォロンテーヌが一直線に舞い降りて来るのが見えました。
「ヴォロンテーヌ!」
ヴォロンテーヌの無事な姿を目にし、喜びに駆られて叫んだ王子は、すぐにヴォロンテーヌの後ろに、もう一羽、やはり白く美しい別のハトが続いていることに気がつきました。しかし驚くべきことに、そのハトは鷹や鷲よりもはるかに大きく、そのハトが上空で翼を広げるたびに、太陽が遮られ、地上には巨大な影が落ちるほどでした。
そのハトは、驚いて空を見上げている兵士たちのすぐ真上まで来ると、大きくひとつ、力強い羽ばたきをしました。その瞬間、凄まじい嵐が吹き荒れ、ミシオン王子の兵士たち以外はすべて、アビティオ大臣も含めて皆地面になぎ倒されてしまいました。ミシオン王子はその間に素早く体を立て直し、驚きと感謝をもってその白いハトの威厳に満ちた姿を見上げました。
恐れをなしたアビティオ大臣側の兵士たちは、すっかり戦意を失って逃げまどい、それを見たリーデルが仲間の兵士たちに大声で叫びました。
「直ちに取り押さえろ!」
ミシオン王子の兵士たちはわっと声を上げて一斉に飛び掛かり、アビティオ大臣の兵士たちを取り押さえました。
その喧噪の中、アビティオ大臣は落馬した際に落とした槍を素早く拾って立ち上がると、再び馬に乗ろうとしました。しかしそのとき、ミシオン王子の剣の切っ先が、アビティオ大臣の喉元に突き付けられました。
「アビティオ、諦めよ」
大臣は悔しさで血のにじむほど唇を噛みしめてミシオン王子を睨みつけていましたが、やがてがっくりと地面に膝を着きました。
戦場はミシオン王子の率いる兵士たちの歓声で割れんばかりになりました。
ミシオン王子はアビティオ大臣に自害させないよう、自分の兵に言って素早く大臣を拘束させました。アビティオ大臣はまるで抜け殻のようになった虚ろな目で地面に膝を着いたまま、ミシオン王子の兵が自分に縄をかけるに任せていましたが、ふと王子を見上げると、その生気の抜けた目と同様に力のない声で、
「ミシオン王子……。いったい何があった? 何がおまえをそのように変えさせたのだ。おまえはいったい、何者なのだ……?」
ミシオン王子は哀れみに満ちた瞳で大臣を見下ろし、静かな声で言いました。
「わたしは何者でもない。ただ己に目覚めただけだ。善き人たちとの出会いがわたしを変えたのだ。アビティオよ、おまえも真の己に気付くのだ」
アビティオ大臣はそれを聞くと、ゆっくりとまぶたを閉じて俯きました。
ミシオン王子は大臣を自分の野営地に連れて行かせ、大臣が幕の中に入ったのを見届けると急いで空を見上げましたが、そこにはもうヴォロンテーヌの姿も、あの大きなハトの姿もありませんでした。
それから城のバルコニーの方を見ましたが、ヒュブリス国王は既におらず、ミシオン王子はリーデルと共にただちに城の中に駆け込んで行きました。
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