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第二章
その7
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ヤギたちを小屋の中に入れていると、いつものように穏やかな笑みをたたえたルーメンが、ゆっくりとした足取りで井戸の水を汲みにやって来るのが見えたので、王子はルーメンの手から桶を取って、代わりに水を汲みました。
「殿下、まことにありがとうございます。この年寄りに代わって、重い水を汲んでくれなさるお心遣いに感謝いたします」
「こんなことはなんでもありません」
「殿下はすっかりたくましゅうおなりになりましたのぅ。ヤギたちも、まことによく殿下に従っておる」
「いや、これはヤギたちと、何よりヴォロンテーヌのおかげです」
「ほぅ?」
ルーメンは興味深そうにミシオン王子の顔を見つめました。
「彼女がわたしの誤りに気付かせてくれなければ、わたしは今頃まだあの牧草地で、ヤギたちにいいようにあしらわれて愚かな姿をさらしていたことでしょう」
「ふぅむ、娘が殿下のお役に立てることがあったのでしたら、大変よかったことですじゃ」
ルーメンは心から嬉しそうな声でそう言いました。その声にはヴォロンテーヌへの愛情があふれていることが、ミシオン王子の耳にもよく聞き取れました。
王子はふと、王宮の父と母のことを思い出しました。不思議なことに、この村に来てから、両親を思い出すということはほとんどありませんでしたが、ルーメンとヴォロンテーヌが互いを如何に大切に想い合っているかということを目の当たりにして、自然と胸に自分の両親のことが去来したのでした。
「ヴォロンテーヌは自分の良き考えは、みなあなたに教わったものから育まれたと思って、あなたをとても尊敬しているようでした」
ミシオン王子は言いながら、両親が自分に何かを教えてくれたことがあるかどうかを考えていました。王子の両親も、王子をとても愛して大切に育ててくれたことは間違いありませんが、何かを教わったかと言うと、すぐにこれとは思い出せませんでした。
「殿下、娘がいったいなんと申したかは知りませんが、わしはあの子に特別なことを教えた覚えはありません」
「しかし、あなたがわたしに日々教授してくれる知恵は、確かにわたしを良い方向に導いてくれています」
「それとても、わしは特別なことを申し上げているつもりはありませなんだ。ごく自然な道理を申し上げているにすぎませぬ。もしそれで殿下が何か良きものをお感じになられているとすれば、それは殿下がもともとお持ちになっている良き資質が反応していなさるからでしょう。娘のこととて、それと同じですじゃ。娘を誉めてくださることは大変嬉しいことじゃが、それはそのままあの子が受け取るべき誉です。わしは何もあの子に教えたことなどはなく、ただあの子が自らの善性に沿って生きることを見守っているだけですじゃ」
ミシオン王子はルーメンの言葉に深く感じ入りながら、感慨深いため息を吐きました。
「あなた方はほんとうに強く結ばれた絆をお持ちなのですね。立ち入ったことを言うようですが、それはもしかすると奥方を、ヴォロンテーヌにとっては母になる人を、早くに亡くされたからでしょうか」
ところがルーメンは意外なことを言いました。
「あの子には確かにずいぶんと早くから母親がいませんが、わしは一度たりとも妻を亡くしたことはありません。何せ、妻がいたことなどないのですからの」
「え? それはいったいどういう意味です?」
「ヴォロンテーヌはわしの娘ですが、血のつながりがあるわけではないのですじゃ。あの子が五つの頃に、町の孤児院から引き取って来たのです」
ミシオン王子はその事実を知って、血のつながりがなくてもこんなにも互いを想いあえると言う事に深い感銘を受けました。
しかし今度は別の疑問が沸いてきました。ミシオン王子にしても、家の仕事の手伝いのために、孤児をもらうことがあるということを知っていましたが、普通そうした場合、自分が年老いた後に代わって仕事をしてもらうことを見越し、男の子をもらうことが多いと聞いていましたから、ルーメンが女の子であるヴォロンテーヌを引き取った理由が知りたくなりました。
「しかしそれでは、どうして男の子ではなく、ヴォロンテーヌを引き取ったのですか?」
するとルーメンは、今まさに沈まんとしている夕日を見つめながら、皺だらけの顔をほころばせて言いました。
「それはあの子がわしを呼んだからです。わしはそれに応えたのですじゃ」
ヴォロンテーヌが孤児だったと聞いて、ミシオン王子はますますヴォロンテーヌを尊く思いました。そしてまた、ヴォロンテーヌをほんとうの娘かそれ以上に大切に育てて来たであろうルーメンに対する尊敬の想いは、王子の中で更に高まるのでした。
「殿下、まことにありがとうございます。この年寄りに代わって、重い水を汲んでくれなさるお心遣いに感謝いたします」
「こんなことはなんでもありません」
「殿下はすっかりたくましゅうおなりになりましたのぅ。ヤギたちも、まことによく殿下に従っておる」
「いや、これはヤギたちと、何よりヴォロンテーヌのおかげです」
「ほぅ?」
ルーメンは興味深そうにミシオン王子の顔を見つめました。
「彼女がわたしの誤りに気付かせてくれなければ、わたしは今頃まだあの牧草地で、ヤギたちにいいようにあしらわれて愚かな姿をさらしていたことでしょう」
「ふぅむ、娘が殿下のお役に立てることがあったのでしたら、大変よかったことですじゃ」
ルーメンは心から嬉しそうな声でそう言いました。その声にはヴォロンテーヌへの愛情があふれていることが、ミシオン王子の耳にもよく聞き取れました。
王子はふと、王宮の父と母のことを思い出しました。不思議なことに、この村に来てから、両親を思い出すということはほとんどありませんでしたが、ルーメンとヴォロンテーヌが互いを如何に大切に想い合っているかということを目の当たりにして、自然と胸に自分の両親のことが去来したのでした。
「ヴォロンテーヌは自分の良き考えは、みなあなたに教わったものから育まれたと思って、あなたをとても尊敬しているようでした」
ミシオン王子は言いながら、両親が自分に何かを教えてくれたことがあるかどうかを考えていました。王子の両親も、王子をとても愛して大切に育ててくれたことは間違いありませんが、何かを教わったかと言うと、すぐにこれとは思い出せませんでした。
「殿下、娘がいったいなんと申したかは知りませんが、わしはあの子に特別なことを教えた覚えはありません」
「しかし、あなたがわたしに日々教授してくれる知恵は、確かにわたしを良い方向に導いてくれています」
「それとても、わしは特別なことを申し上げているつもりはありませなんだ。ごく自然な道理を申し上げているにすぎませぬ。もしそれで殿下が何か良きものをお感じになられているとすれば、それは殿下がもともとお持ちになっている良き資質が反応していなさるからでしょう。娘のこととて、それと同じですじゃ。娘を誉めてくださることは大変嬉しいことじゃが、それはそのままあの子が受け取るべき誉です。わしは何もあの子に教えたことなどはなく、ただあの子が自らの善性に沿って生きることを見守っているだけですじゃ」
ミシオン王子はルーメンの言葉に深く感じ入りながら、感慨深いため息を吐きました。
「あなた方はほんとうに強く結ばれた絆をお持ちなのですね。立ち入ったことを言うようですが、それはもしかすると奥方を、ヴォロンテーヌにとっては母になる人を、早くに亡くされたからでしょうか」
ところがルーメンは意外なことを言いました。
「あの子には確かにずいぶんと早くから母親がいませんが、わしは一度たりとも妻を亡くしたことはありません。何せ、妻がいたことなどないのですからの」
「え? それはいったいどういう意味です?」
「ヴォロンテーヌはわしの娘ですが、血のつながりがあるわけではないのですじゃ。あの子が五つの頃に、町の孤児院から引き取って来たのです」
ミシオン王子はその事実を知って、血のつながりがなくてもこんなにも互いを想いあえると言う事に深い感銘を受けました。
しかし今度は別の疑問が沸いてきました。ミシオン王子にしても、家の仕事の手伝いのために、孤児をもらうことがあるということを知っていましたが、普通そうした場合、自分が年老いた後に代わって仕事をしてもらうことを見越し、男の子をもらうことが多いと聞いていましたから、ルーメンが女の子であるヴォロンテーヌを引き取った理由が知りたくなりました。
「しかしそれでは、どうして男の子ではなく、ヴォロンテーヌを引き取ったのですか?」
するとルーメンは、今まさに沈まんとしている夕日を見つめながら、皺だらけの顔をほころばせて言いました。
「それはあの子がわしを呼んだからです。わしはそれに応えたのですじゃ」
ヴォロンテーヌが孤児だったと聞いて、ミシオン王子はますますヴォロンテーヌを尊く思いました。そしてまた、ヴォロンテーヌをほんとうの娘かそれ以上に大切に育てて来たであろうルーメンに対する尊敬の想いは、王子の中で更に高まるのでした。
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