ある羊と流れ星の物語

ねこうさぎしゃ

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第三章

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 ヒツジはほんとうにのろのろと歩いていましたが、どういうわけか、その晩のうちには、なつかしい農場に帰ってくることができました。仲間のヒツジたちや、初夏を彩る草花のにおいに、ヒツジは心からほっとしました。
 安心したとたん、ヒツジの体からはするするとこぼれ落ちるように力が抜け、大きな岩のような疲れがおおいかぶさってくるのを感じました。もう立っているのが精いっぱいでした。しかし、不思議と痛みはもう感じませんでした。自分の体を見てみると、おなかあたりの毛が、黒っぽく濡れたようになっているのが目に入りました。オオカミに噛まれたときに出た血で、染まってしまったのです。

ヒツジはネコのためのまっしろのシーツを、これでほんとうに作れなくなってしまったと思い、かなしくなりました。
 なんて言って謝ろうか……。ネコはまた機嫌をそこねてしまうだろうか……。そんなことをぼんやりと考えながら、ふらふらする足で地面をふんばるようにして立っていると、遠くから「まぁ」と叫ぶ声が聞こえてきました。かすむ目を夜の闇にこらしてみると、ネコがこちらに向かって駆けてくるのが見えました。
 跳ねるように駆けてくるネコのなめらかな毛は、月の光を反射するようにきらめき、ふたつの瞳は、ネコの動きにあわせ、星がまたたくようにきらっ、きらっ、と輝きます。
「あなた、この二日間も、いったいどこに行っていたの? 小屋の壁を壊したのもあなたでしょう? 家の人はカンカンよ」
 ヒツジに駆け寄ったネコは、そう言いながらヒツジのおなかのあたりにふと視線を落とし、その瞬間、あっと悲鳴のような叫び声をあげました。
「大変、あなた、血が出ているじゃないの! なんてこと、こんな姿になって……! このままじゃ、あなた死んでしまうわ!」
 ヒツジは自分が死んでしまうと言われたのを聞くと、奇妙なことに、安心感のようなものが自分の体をしずかに満たしていくのを感じました。
「……あぁ、そうなのか、ぼくは死ぬのか。死ぬって、ほんとうに不思議なものなんだなぁ。体から感覚がなくなって、考え事をしたくても、考え事のほうでぼくから遠くにはなれていくみたいだ。そうか、こうやって全部消えて、見えなくなってしまうのか……」
 ヒツジは、おじいさんもこうやって死んだのだろうかと思いました。もしかすると、ヒツジのお父さんやお母さんも、そうだったのかもしれません。
「ぼくが死んで見えなくなったら、そのあとぼくはどうなるの?」
 ヒツジはなんでもよく知っているネコなら、答えを知っているだろうと思ってたずねましたが、ネコは大きく目をひらいて、
「ばかなことを言っていないで、早くなんとかしなくちゃ。そうだわ、犬を起こすわ! そうすれば、犬が家の人を起こしてここに連れてきて、なんとかしてくれるはずよ」
 犬、と聞いてヒツジは小さく首をふりました。
「もう犬はごめんだよ」
 首をふったせいか、ヒツジの頭はくらくらと回ったようになり、足はこれまでになくがくがくと震え、なんとか体を支えていた最後の力も、とうとうヒツジの体からこぼれ落ちてしまいました。
 ヒツジはどうっと足から崩れるように、地面に倒れこみました。ネコがまた小さな悲鳴を上げました。倒れたヒツジのすぐそば近くまで寄って、身を寄せるようにして自分を見下ろしているネコを見上げて、ヒツジはすまなそうに言いました。
「きみにぼくの毛のシーツを作ってあげたかったんだけど、毛を刈ってくれる人も、仕立ててくれる人も、見つからなかったんだ。ごめん……」
 ヒツジのことばを聞いたネコは、驚いたように大きく目を見はり、ヒツジの顔をのぞきこみました。
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