10 / 17
第三章
1
しおりを挟む
そんなふうに、ときにどきどきと、ときにとろけるような幸福を味わいながら、ヒツジの日々は過ぎていきました。
農場にネコが来てから最初の冬が来ると、ネコはずっと長く夜の時間をヒツジ小屋で過ごしました。ネコはどうやら寒いのが苦手らしく、ヒツジ小屋はとてもあたたかかったからです。
凍てつくように寒い冬の夜は、とくべつ星がきれいだということをなつかしく思い返しながらも、ヒツジはネコというあたらしい星を見つけたおかげで、長い冬の夜をどこかふわふわとした気持ちで過ごすことができました。
しかしそんな折にも、ネコは思い出したように自分がいかに死にたいと思っているのかを話して聞かせ、ヒツジの心に黒い雪を積もらせました。
やがて長い冬を越し、短い春を見送ると、農場には訪れた初夏の景色が広がっていました。そのころになるとヒツジの毛はすっかりのびて、重くなっていました。
おじいさんはもっと早いうちに、ヒツジたちの毛を刈ってくれていましたが、新しい農場主の男は、イライラとヒツジたちを怒鳴りつけるだけで、一向に毛を刈ってくれる素振りも見せません。仲間のヒツジたちも、毛の重さで息苦しそうにしていて、いっそうのろのろと動きました。それでよけいに農場主を怒らせて、犬をけしかけられる有り様でした。
その晩も、いつものようにヒツジ小屋にやってきたネコは、どこか苦しげな寝息を立てて眠る仲間たちの毛に、なかばうもれるようにして立っているヒツジを見るなり、
「なんだか重そうねぇ。ずいぶんとしんどそうに見えるけど?」
と、あいさつもそこそこに言いました。
「そうだねぇ。いつもなら、たんぽぽが咲くころには毛を刈ってもらえたんだけどねぇ」
「たんぽぽなんか、とっくに咲いちゃっているわよ」
「あたらしい農場主さんは、毛の刈り方を知らないのかなぁ」
「さぁねぇ。それにしてもほんとうにすごい毛ねぇ。そんなに立派な毛は、街でもなかなかお目にかかったことがないわ」
「え? それはいいことなの?」
「そうね、好みってものはあるでしょうけど、わたしは好きよ」
ヒツジは舞い上がったようになりました。
「だいいち、そんなにすごい毛があれば、お昼寝のときにシーツなんかいらないじゃない」
ネコはまだ、犬がだめにしてしまったシーツのことを惜しがっていました。そのとき、ネコの目の前をなにか小さな虫が横切り、ネコはグレーがかったピンクの肉球を、すばやく虫にふりおろしました。しかし虫はそれより早く逃げてしまったので、ネコは何気ないふうをよそおいながら肉球を舐めはじめました。
「ほんとうにこの頃じゃ、つまらなくて仕方がないわ。あぁ、わたしもそんなふかふかのシーツでぐっすり眠れたら、この嫌な気分も癒されるでしょうに」
ネコは何気なく言いましたが、ヒツジはそのことばにハッとして、ネコを食い入るように見つめました。
「それじゃ、もしそうすることができれば、きみは憂鬱じゃなくなるのかい?」
「きっとそうなるにちがいないわね」
ネコは肉球の手入れを終えると、そのまま器用に体をねじり、自分の背中を小さな舌で舐めはじめました。
ヒツジは自分の心臓が期待でどきどきと高鳴るのを感じながら、注意深く、重ねてネコにたずねました。
「それじぁ、きみはもう死ななくて済むんだね?」
「え? あぁ、そうね」
ネコは毛繕いに忙しく、面倒くさそうな調子で、ヒツジをあしらうように言いました。
農場にネコが来てから最初の冬が来ると、ネコはずっと長く夜の時間をヒツジ小屋で過ごしました。ネコはどうやら寒いのが苦手らしく、ヒツジ小屋はとてもあたたかかったからです。
凍てつくように寒い冬の夜は、とくべつ星がきれいだということをなつかしく思い返しながらも、ヒツジはネコというあたらしい星を見つけたおかげで、長い冬の夜をどこかふわふわとした気持ちで過ごすことができました。
しかしそんな折にも、ネコは思い出したように自分がいかに死にたいと思っているのかを話して聞かせ、ヒツジの心に黒い雪を積もらせました。
やがて長い冬を越し、短い春を見送ると、農場には訪れた初夏の景色が広がっていました。そのころになるとヒツジの毛はすっかりのびて、重くなっていました。
おじいさんはもっと早いうちに、ヒツジたちの毛を刈ってくれていましたが、新しい農場主の男は、イライラとヒツジたちを怒鳴りつけるだけで、一向に毛を刈ってくれる素振りも見せません。仲間のヒツジたちも、毛の重さで息苦しそうにしていて、いっそうのろのろと動きました。それでよけいに農場主を怒らせて、犬をけしかけられる有り様でした。
その晩も、いつものようにヒツジ小屋にやってきたネコは、どこか苦しげな寝息を立てて眠る仲間たちの毛に、なかばうもれるようにして立っているヒツジを見るなり、
「なんだか重そうねぇ。ずいぶんとしんどそうに見えるけど?」
と、あいさつもそこそこに言いました。
「そうだねぇ。いつもなら、たんぽぽが咲くころには毛を刈ってもらえたんだけどねぇ」
「たんぽぽなんか、とっくに咲いちゃっているわよ」
「あたらしい農場主さんは、毛の刈り方を知らないのかなぁ」
「さぁねぇ。それにしてもほんとうにすごい毛ねぇ。そんなに立派な毛は、街でもなかなかお目にかかったことがないわ」
「え? それはいいことなの?」
「そうね、好みってものはあるでしょうけど、わたしは好きよ」
ヒツジは舞い上がったようになりました。
「だいいち、そんなにすごい毛があれば、お昼寝のときにシーツなんかいらないじゃない」
ネコはまだ、犬がだめにしてしまったシーツのことを惜しがっていました。そのとき、ネコの目の前をなにか小さな虫が横切り、ネコはグレーがかったピンクの肉球を、すばやく虫にふりおろしました。しかし虫はそれより早く逃げてしまったので、ネコは何気ないふうをよそおいながら肉球を舐めはじめました。
「ほんとうにこの頃じゃ、つまらなくて仕方がないわ。あぁ、わたしもそんなふかふかのシーツでぐっすり眠れたら、この嫌な気分も癒されるでしょうに」
ネコは何気なく言いましたが、ヒツジはそのことばにハッとして、ネコを食い入るように見つめました。
「それじゃ、もしそうすることができれば、きみは憂鬱じゃなくなるのかい?」
「きっとそうなるにちがいないわね」
ネコは肉球の手入れを終えると、そのまま器用に体をねじり、自分の背中を小さな舌で舐めはじめました。
ヒツジは自分の心臓が期待でどきどきと高鳴るのを感じながら、注意深く、重ねてネコにたずねました。
「それじぁ、きみはもう死ななくて済むんだね?」
「え? あぁ、そうね」
ネコは毛繕いに忙しく、面倒くさそうな調子で、ヒツジをあしらうように言いました。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
シャルル・ド・ラングとピエールのおはなし
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
ノルウェジアン・フォレスト・キャットのシャルル・ド・ラングはちょっと変わった猫です。人間のように二本足で歩き、タキシードを着てシルクハットを被り、猫目石のついたステッキまで持っています。
以前シャルル・ド・ラングが住んでいた世界では、動物たちはみな、二本足で立ち歩くのが普通なのでしたが……。
不思議な力で出会った者を助ける謎の猫、シャルル・ド・ラングのお話です。
眠れる森のうさぎ姫
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
白うさぎ王国のアヴェリン姫のもっぱらの悩みは、いつも眠たくて仕方がないことでした。王国一の名医に『眠い眠い病』だと言われたアヴェリン姫は、人間たちのお伽噺の「眠れる森の美女」の中に、自分の病の秘密が解き明かされているのではと思い、それを知るために危険を顧みず人間界へと足を踏み入れて行くのですが……。
デシデーリオ
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
田舎の領主の娘はその美貌ゆえに求婚者が絶えなかったが、欲深さのためにもっと条件のいい相手を探すのに余念がなかった。清貧を好む父親は、そんな娘の行く末を心配していたが、ある日娘の前に一匹のネズミが現れて「助けてくれた恩返しにネズミの国の王妃にしてあげよう」と申し出る……尽きる事のない人間の欲望──デシデーリオ──に惑わされた娘のお話。
ミシオン王子とハトになったヴォロンテーヌ
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
その昔、天の国と地上がまだ近かった頃、自ら人間へ生まれ変わることを望んだ一人の天使が、ある国の王子ミシオンとして転生する。
だが人間界に生まれ変わったミシオンは、普通の人間と同じように前世の記憶(天使だった頃の記憶)も志も忘れてしまう。
甘やかされ愚かに育ってしまったミシオンは、二十歳になった時、退屈しのぎに自らの国を見て回る旅に出ることにする。そこからミシオンの成長が始まっていく……。魂の成長と愛の物語。
フロイント
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
光の妖精が女王として統治する国・ラングリンドに住む美しい娘・アデライデは父と二人、つつましくも幸せに暮らしていた。そのアデライデに一目で心惹かれたのは、恐ろしい姿に強い異臭を放つ名前すら持たぬ魔物だった──心優しい異形の魔物と美しい人間の女性の純愛物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる