9 / 17
第二章
3
しおりを挟む
「ねぇ、わたしが今日なにをしたと思う? 屋根裏で見つけたネズミをつかまえたまではいいのよ。そのあとが問題なの。ねぇ、なにをしたと思う?」
「さぁ、わからないよ」
ネコは深々と息を吐き出すと、
「話しかけたのよ。まるで親友にでもしゃべりかけるみたいにね」
そう言うと、ネコははげしくいらだったように、しっぽをしならせて干し草をぴしゃりと打ちました。
ヒツジには、ネズミに親しく話しかけることのなにがそんなにネコをいらだたせるのかがわかりませんでしたが、ネコをよけいに怒らせるようなことは言いたくなかったので、黙っていました。
「わたし、それでハッと気がついたのよ。もう限界なんだって」
ネコは息苦しそうに顔をゆがめました。
「でもね、わたしをこんなにまいらせているのは、それだけじゃないのよ。わたしの唯一の安息の時間だったお昼寝だって、この頃じゃちっともわたしをなぐさめてはくれないのよ」
ネコは気ぜわしく長いしっぽを振りながら、話をつづけました。
「まぁもちろん、お昼寝そのものというより、お昼寝のためのシーツのことなのだけどね。わたしのお気に入りだったシーツ……。街に住んでいたころ、特別に仕立ててもらったもので、ふかふかのまっしろでね。それはもう、シーツそのものがまるで夢みたいに素敵で心地よかったの」
ネコはうっとりと目を閉じて言いました。それから、やおら大きく目を見ひらくと、
「なのに、犬がそのシーツを盗んでかくしてしまったのよ。奥さんが見つけてくれたけど、地面に掘った穴のなかに隠していたものだから、シーツは泥だらけのうえに、犬のいやなにおいまでしみついて、おまけにあの犬ったら、あの素敵なシーツをめちゃめちゃに噛んで、ひきさいてしまっていたのよ」
「きみのシーツをそんなにしてしまうなんて、悪い犬だなぁ」
ヒツジは、自分たちに向かってはげしく吠えたてる犬を思い出し、ぶるりと体を震わせながら言いました。
「それは気の毒だったね」
「おかげでわたしは最近、ちっとも眠れないの。眠れないって、こんなにつらくて、みじめなものなのね。ね、あんたもこんなにかなしい想いをしているの?」
「どうだろうなぁ……。いや、ぼくはそんなにかなしくないよ」
ほんとうに、ヒツジはかなしくもつらくもありませんでした。この頃では眠りというものを、すっかり忘れてしまっていました。まるで最初から、そんなものなどなかったかのようにさえ思うのです。
ヒツジはいつでもさえざえと広がるしずかな気持ちでいました。そのしずけさの前では、不思議に肉体の疲れなども感じないのです。そしてそれはまだ氷がはる前の冬の夜の湖のように、ヒツジの世界にかなしみやつらさといったものが入り込む余地をあたえませんでした。
眠りがどういうものだったかを思い出そうとしても、真昼の月のように不可思議な感覚をもたらすだけで、かえってヒツジの神経を目覚めさせるのです。
「それに、毎晩こうしてきみが来てくれるもの。ぼくはむしろ、眠らずにいることを楽しんでいるよ。だってそのおかげで、きみとこんなふうにおしゃべりができるんだから」
「ふぅん。それじゃあなたは、言ってみれば、わたしになぐさめられているってわけね」
ネコはどこか冷ややかな調子で言いました。
「わたしにはもう、なんのなぐさめもないわ。ここに来てからというもの、ほんとうに生きているってことを楽しんだためしがないわ」
ヒツジはすっかり心配になり、なんとかしてネコの心をなぐさめられないかと考えました。
こういうときに、不用意な言動をすると、ネコがますます機嫌を悪くすることも知っていました。都会派のひとたちのように、気のきいたことを言う自信もありません。それで、ヒツジは控えめに、けれども正直に自分の気持ちを言うことにしました。
「だけど、死ぬのはよくないと思うよ。きみがそんなことをしたら、ぼくは二度ときみを見ることができなくなってしまう。ぼくには、そんなことはたえられそうにないよ」
すると、ネコは怒ることもせず、ヒツジをまじまじと見つめました。それから、とてもしなやかな動きで干し草の上に寝そべって、
「あなたって、ほんとうにおばかさんね」
と、ひどくやさしいゆっくりした口調で言いました。それを聞くと、ヒツジのからだは、くるくると巻かれた毛の先から順に全身がゆるんで、ときほぐされていくような感じになって、思わずそっと小さく息を吐きました。それはおじいさんに撫でられたときよりも、もっと心地よく、ずっと強烈な感覚でした。
「さぁ、わからないよ」
ネコは深々と息を吐き出すと、
「話しかけたのよ。まるで親友にでもしゃべりかけるみたいにね」
そう言うと、ネコははげしくいらだったように、しっぽをしならせて干し草をぴしゃりと打ちました。
ヒツジには、ネズミに親しく話しかけることのなにがそんなにネコをいらだたせるのかがわかりませんでしたが、ネコをよけいに怒らせるようなことは言いたくなかったので、黙っていました。
「わたし、それでハッと気がついたのよ。もう限界なんだって」
ネコは息苦しそうに顔をゆがめました。
「でもね、わたしをこんなにまいらせているのは、それだけじゃないのよ。わたしの唯一の安息の時間だったお昼寝だって、この頃じゃちっともわたしをなぐさめてはくれないのよ」
ネコは気ぜわしく長いしっぽを振りながら、話をつづけました。
「まぁもちろん、お昼寝そのものというより、お昼寝のためのシーツのことなのだけどね。わたしのお気に入りだったシーツ……。街に住んでいたころ、特別に仕立ててもらったもので、ふかふかのまっしろでね。それはもう、シーツそのものがまるで夢みたいに素敵で心地よかったの」
ネコはうっとりと目を閉じて言いました。それから、やおら大きく目を見ひらくと、
「なのに、犬がそのシーツを盗んでかくしてしまったのよ。奥さんが見つけてくれたけど、地面に掘った穴のなかに隠していたものだから、シーツは泥だらけのうえに、犬のいやなにおいまでしみついて、おまけにあの犬ったら、あの素敵なシーツをめちゃめちゃに噛んで、ひきさいてしまっていたのよ」
「きみのシーツをそんなにしてしまうなんて、悪い犬だなぁ」
ヒツジは、自分たちに向かってはげしく吠えたてる犬を思い出し、ぶるりと体を震わせながら言いました。
「それは気の毒だったね」
「おかげでわたしは最近、ちっとも眠れないの。眠れないって、こんなにつらくて、みじめなものなのね。ね、あんたもこんなにかなしい想いをしているの?」
「どうだろうなぁ……。いや、ぼくはそんなにかなしくないよ」
ほんとうに、ヒツジはかなしくもつらくもありませんでした。この頃では眠りというものを、すっかり忘れてしまっていました。まるで最初から、そんなものなどなかったかのようにさえ思うのです。
ヒツジはいつでもさえざえと広がるしずかな気持ちでいました。そのしずけさの前では、不思議に肉体の疲れなども感じないのです。そしてそれはまだ氷がはる前の冬の夜の湖のように、ヒツジの世界にかなしみやつらさといったものが入り込む余地をあたえませんでした。
眠りがどういうものだったかを思い出そうとしても、真昼の月のように不可思議な感覚をもたらすだけで、かえってヒツジの神経を目覚めさせるのです。
「それに、毎晩こうしてきみが来てくれるもの。ぼくはむしろ、眠らずにいることを楽しんでいるよ。だってそのおかげで、きみとこんなふうにおしゃべりができるんだから」
「ふぅん。それじゃあなたは、言ってみれば、わたしになぐさめられているってわけね」
ネコはどこか冷ややかな調子で言いました。
「わたしにはもう、なんのなぐさめもないわ。ここに来てからというもの、ほんとうに生きているってことを楽しんだためしがないわ」
ヒツジはすっかり心配になり、なんとかしてネコの心をなぐさめられないかと考えました。
こういうときに、不用意な言動をすると、ネコがますます機嫌を悪くすることも知っていました。都会派のひとたちのように、気のきいたことを言う自信もありません。それで、ヒツジは控えめに、けれども正直に自分の気持ちを言うことにしました。
「だけど、死ぬのはよくないと思うよ。きみがそんなことをしたら、ぼくは二度ときみを見ることができなくなってしまう。ぼくには、そんなことはたえられそうにないよ」
すると、ネコは怒ることもせず、ヒツジをまじまじと見つめました。それから、とてもしなやかな動きで干し草の上に寝そべって、
「あなたって、ほんとうにおばかさんね」
と、ひどくやさしいゆっくりした口調で言いました。それを聞くと、ヒツジのからだは、くるくると巻かれた毛の先から順に全身がゆるんで、ときほぐされていくような感じになって、思わずそっと小さく息を吐きました。それはおじいさんに撫でられたときよりも、もっと心地よく、ずっと強烈な感覚でした。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
シャルル・ド・ラングとピエールのおはなし
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
ノルウェジアン・フォレスト・キャットのシャルル・ド・ラングはちょっと変わった猫です。人間のように二本足で歩き、タキシードを着てシルクハットを被り、猫目石のついたステッキまで持っています。
以前シャルル・ド・ラングが住んでいた世界では、動物たちはみな、二本足で立ち歩くのが普通なのでしたが……。
不思議な力で出会った者を助ける謎の猫、シャルル・ド・ラングのお話です。
眠れる森のうさぎ姫
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
白うさぎ王国のアヴェリン姫のもっぱらの悩みは、いつも眠たくて仕方がないことでした。王国一の名医に『眠い眠い病』だと言われたアヴェリン姫は、人間たちのお伽噺の「眠れる森の美女」の中に、自分の病の秘密が解き明かされているのではと思い、それを知るために危険を顧みず人間界へと足を踏み入れて行くのですが……。
デシデーリオ
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
田舎の領主の娘はその美貌ゆえに求婚者が絶えなかったが、欲深さのためにもっと条件のいい相手を探すのに余念がなかった。清貧を好む父親は、そんな娘の行く末を心配していたが、ある日娘の前に一匹のネズミが現れて「助けてくれた恩返しにネズミの国の王妃にしてあげよう」と申し出る……尽きる事のない人間の欲望──デシデーリオ──に惑わされた娘のお話。
フロイント
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
光の妖精が女王として統治する国・ラングリンドに住む美しい娘・アデライデは父と二人、つつましくも幸せに暮らしていた。そのアデライデに一目で心惹かれたのは、恐ろしい姿に強い異臭を放つ名前すら持たぬ魔物だった──心優しい異形の魔物と美しい人間の女性の純愛物語。
ミシオン王子とハトになったヴォロンテーヌ
ねこうさぎしゃ
児童書・童話
その昔、天の国と地上がまだ近かった頃、自ら人間へ生まれ変わることを望んだ一人の天使が、ある国の王子ミシオンとして転生する。
だが人間界に生まれ変わったミシオンは、普通の人間と同じように前世の記憶(天使だった頃の記憶)も志も忘れてしまう。
甘やかされ愚かに育ってしまったミシオンは、二十歳になった時、退屈しのぎに自らの国を見て回る旅に出ることにする。そこからミシオンの成長が始まっていく……。魂の成長と愛の物語。
ヒョイラレ
如月芳美
児童書・童話
中学に入って関東デビューを果たした俺は、急いで帰宅しようとして階段で足を滑らせる。
階段から落下した俺が目を覚ますと、しましまのモフモフになっている!
しかも生きて歩いてる『俺』を目の当たりにすることに。
その『俺』はとんでもなく困り果てていて……。
どうやら転生した奴が俺の体を使ってる!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる