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飛びはじめた最初は怖くてたまりませんでしたが、初めて見る庭園の外の世界に圧倒され、つぼみ姫はすぐに恐怖を忘れました。庭園のいちばん奥に植わっているときには知りませんでしたが、大きく立派なお城が庭園のすぐそばにありました。お城のまわりには可愛らしい家々が立ち並び、学校に向かう人間のこどもたちや畑で土を耕す男女、通りに座っておしゃべりに興じる老人たちが見えました。こんなにたくさんの人間がいるなんて、考えたこともありませんでした。さらに飛んでいくと、美しい川や大きな木々の茂る森が眼下に広がり、そこで群れ遊ぶ鳥たちや獣の姿も見えました。何もかもドニおじいさんが言っていた通りでしたが、実際に見た景色は、つぼみ姫が想像していたものよりも、はるかに輝いているように見えました。
やがて森の奥まったところに、小さな小屋が見えました。いつかつぼみ姫が暮らしたいと思っていた、ドニおじいさんの小屋でした。
ツグミは空から下りていくと、小屋の周囲をひとまわりしました。静かに息をする大きな木々に囲まれた小屋のまわりでは、小さな野の草花が、その可憐な花びらや茎をツグミの翼が起こした風に揺らしながら、じっとつぼみ姫を見上げていました。
ツグミは窓の隙間を見つけると、つぼみ姫の体が引っかかったりしないよう慎重に家の中へと入りました。すると、固い木のベッドの上に、まるで静かに眠っているようなドニおじいさんと、その胸の上で体をまるめて目を閉じているシュシュの姿が目に入りました。ツグミはつぼみ姫をドニおじいさんの枕元にゆっくりとおろしました。
気配に気づいて、シュシュが薄くまぶたを開けて、つぼみ姫を見ました。その目を見たとたん、このシュシュの命の花もまた、枯れかけているのだということがわかって、つぼみ姫の胸は激しくつかれたようになりました。
シュシュはひどく疲れた様子で、またすぐにまぶたを閉じてしまいました。
「ぼくはおじいさんの死んだことを森じゅうに知らせて、お弔いの準備をしてきます」
ツグミはそう言うとこらえきれないように目を伏せて、再び窓の隙間から外へと出て行き、悲しげな地鳴きの声を上げながら、森の奥へと飛んでいきました。
つぼみ姫はドニおじいさんの顔を見つめました。その顔は穏やかで、今にも目を開けてにっこりと笑いながら、しわがれた声でいつものように「つぼみ姫」とやさしく名前を呼んでくれそうに思えました。
「ドニおじいさん、ほんとうに死んでしまったの……?」
つぼみ姫は小さな声でドニおじいさんに向かって言いました。けれどつぼみ姫はそう言いながら、死というものがほんとうにはわかりませんでした。こうして、つぼみ姫の言葉にも返事をせず、目を閉じて横たわったままのドニおじいさんの顔をまじまじと眺めても、あの庭園のベンチで気持ちよさそうに眠っていた姿と、なんらの違いもありはしないように見えるのでした。
ドニおじいさんの胸の上で、シュシュが苦しげに息をつきました。その様子があまりに辛そうで、つぼみ姫は茎を折り曲げてシュシュに身を寄せようとしました。けれど、どうしたわけか体はぎこちない鈍い動きしかできず、全身がミシミシときしむようでした。見ると、根っこの先は干からびて、茎は薄い茶色に変わりはじめていました。
あぁ、わたし死ぬんだわ……。
つぼみ姫は花たちやツグミが、根っこを掘り起こしてドニおじいさんの小屋に行ったりしたら、つぼみ姫は枯れて死んでしまうだろうと言っていたことを思い出しました。
つぼみ姫は、自分が死んでしまうことは悲しくも怖くもありませんでした。ただ大好きなドニおじいさんやシュシュに身を寄せられないことが、ひたすらにつぼみ姫を寂しくさせました。
シュシュの息はもうほとんど消えかけていました。つぼみ姫は不自由な体をなんとか動かして、シュシュの顔につぼみの先端を近づけました。するとつぼみ姫の香りを嗅いだシュシュが、すぅっと大きく息を吸いました。苦しそうだった呼吸は規則正しい寝息のようになり、穏やかな夢を見るような表情に変わりました。
つぼみ姫は、自分の香りがシュシュの苦しさを取り除けたことが嬉しくてたまりませんでした。
そのときになって、つぼみ姫は自分がずっと咲くことを願っていたのは、ただ誰かを喜ばせ、何かの役に立ちたいためだったのだということに気がつきました。けっして自分の値打ちなんかのためではありませんでした。こうやって香りが役に立つのなら、ずっとつぼみのままでも構わないことだったのです。
やがて森の奥まったところに、小さな小屋が見えました。いつかつぼみ姫が暮らしたいと思っていた、ドニおじいさんの小屋でした。
ツグミは空から下りていくと、小屋の周囲をひとまわりしました。静かに息をする大きな木々に囲まれた小屋のまわりでは、小さな野の草花が、その可憐な花びらや茎をツグミの翼が起こした風に揺らしながら、じっとつぼみ姫を見上げていました。
ツグミは窓の隙間を見つけると、つぼみ姫の体が引っかかったりしないよう慎重に家の中へと入りました。すると、固い木のベッドの上に、まるで静かに眠っているようなドニおじいさんと、その胸の上で体をまるめて目を閉じているシュシュの姿が目に入りました。ツグミはつぼみ姫をドニおじいさんの枕元にゆっくりとおろしました。
気配に気づいて、シュシュが薄くまぶたを開けて、つぼみ姫を見ました。その目を見たとたん、このシュシュの命の花もまた、枯れかけているのだということがわかって、つぼみ姫の胸は激しくつかれたようになりました。
シュシュはひどく疲れた様子で、またすぐにまぶたを閉じてしまいました。
「ぼくはおじいさんの死んだことを森じゅうに知らせて、お弔いの準備をしてきます」
ツグミはそう言うとこらえきれないように目を伏せて、再び窓の隙間から外へと出て行き、悲しげな地鳴きの声を上げながら、森の奥へと飛んでいきました。
つぼみ姫はドニおじいさんの顔を見つめました。その顔は穏やかで、今にも目を開けてにっこりと笑いながら、しわがれた声でいつものように「つぼみ姫」とやさしく名前を呼んでくれそうに思えました。
「ドニおじいさん、ほんとうに死んでしまったの……?」
つぼみ姫は小さな声でドニおじいさんに向かって言いました。けれどつぼみ姫はそう言いながら、死というものがほんとうにはわかりませんでした。こうして、つぼみ姫の言葉にも返事をせず、目を閉じて横たわったままのドニおじいさんの顔をまじまじと眺めても、あの庭園のベンチで気持ちよさそうに眠っていた姿と、なんらの違いもありはしないように見えるのでした。
ドニおじいさんの胸の上で、シュシュが苦しげに息をつきました。その様子があまりに辛そうで、つぼみ姫は茎を折り曲げてシュシュに身を寄せようとしました。けれど、どうしたわけか体はぎこちない鈍い動きしかできず、全身がミシミシときしむようでした。見ると、根っこの先は干からびて、茎は薄い茶色に変わりはじめていました。
あぁ、わたし死ぬんだわ……。
つぼみ姫は花たちやツグミが、根っこを掘り起こしてドニおじいさんの小屋に行ったりしたら、つぼみ姫は枯れて死んでしまうだろうと言っていたことを思い出しました。
つぼみ姫は、自分が死んでしまうことは悲しくも怖くもありませんでした。ただ大好きなドニおじいさんやシュシュに身を寄せられないことが、ひたすらにつぼみ姫を寂しくさせました。
シュシュの息はもうほとんど消えかけていました。つぼみ姫は不自由な体をなんとか動かして、シュシュの顔につぼみの先端を近づけました。するとつぼみ姫の香りを嗅いだシュシュが、すぅっと大きく息を吸いました。苦しそうだった呼吸は規則正しい寝息のようになり、穏やかな夢を見るような表情に変わりました。
つぼみ姫は、自分の香りがシュシュの苦しさを取り除けたことが嬉しくてたまりませんでした。
そのときになって、つぼみ姫は自分がずっと咲くことを願っていたのは、ただ誰かを喜ばせ、何かの役に立ちたいためだったのだということに気がつきました。けっして自分の値打ちなんかのためではありませんでした。こうやって香りが役に立つのなら、ずっとつぼみのままでも構わないことだったのです。
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