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ラングリンド
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「──確か光の祭典が催される辺りだったでしょうか、町の人々が、ミロンは気が変になってしまったと囁いていることに気がつきました。どうしてそんな風に言われるのだろうと疑問に思っていましたが、次第に人々が、自分の娘の存在を忘れるなんてどうかしてしまったに違いないと言って、そんな噂をしているらしいとわかりました。しかしわしは、それこそ町の人たちの方こそどうかしてしまったのではないかと驚いたものです。何せわしには娘などいたことがないのですから──。
けれど皆にわしには娘などいないといくら訴えても、まともに聞いてくれる者は一人もいないのです。あまつさえ、皆は突然いなくなった娘のことがショックで神経が参ったのだろうなどと囁き合って、意味ありげに目くばせをして、気の毒そうな憐れむような、何とも言えない目つきでわしを見るのです。そのせいでわしはどうにも落ち着かない妙な気分に襲われて、次第に町に行くことも避けるようになり、近頃では森のこの家にずっと一人こもっているのですが、それでも光の妖精女王陛下がお治めになっている国のこと、町の人々はどこまでも親切にわしを心配してくれるようで、早朝や夕暮れなどに、パンやチーズなどをそっと小屋の入口に置いて行ってくれるのです……。そうやって皆が心配してくれることは素直に有り難いとは思うのですが、しかしわしには確かに娘はいない……いないはずなのです……。
──けれど、そんな噂を囁かれ過ぎたせいでしょうか、わしはいつの頃からか、奇妙な夢を見るようになったのです……。それがいつも決まって同じ夢で……。その夢と言うのが、こう言おうとすることも憚られるようではありますが、その……娘さん、あなたの夢なのですよ……」
アデライデの背中が微かに震え、息を詰めたのがわかった。
フロイントは思いも寄らないミロンの言葉に大きく目を見開き、項垂れて一言一言を噛みしめるように話すミロンを見つめた。
「……だからついさっき、失礼にもあなたの顔をまじまじと見つめてしまったのです……あまりに驚いたものだから……。その、その夢というのがね、ほんとうに奇妙なくらいに鮮明で、悲しいくらいにいい夢でしてね……。見たこともないほど美しい娘さんが──それがあなたなのですが──わしに愛情のこもった青い瞳でやさしく笑いかけて、かいがいしく世話をしてくれるのです。夢の中のあなたがあんまり親切で、可愛らしくて、わしはあなたの名前が知りたいと思うのだが、いくら尋ねてもあなたはにこにこと笑うばかりで何も言わない……。だけど決まって最後に、それはもう見ているこちらが嬉しくなるくらいの晴れやかな綺麗な笑顔で、わしに『お父さん』と呼びかけるのです……。その声を聞くとわしはたまらなく愛おしい気持ちがあふれてきて、もう一度お父さんと呼んでほしいと願うのです……。だけど、いつもそこで目が覚める……。そしたらわしは無性に寂しいような、胸が掻きむしられるような、そんなひどい苦しみに襲われて、何もかもが手につかなくなってしまうのですよ……」
ミロンは言いながら、毎夜決まって見るその儚い夢がもたらす切ない寂しさを思い出し、たまらずに胸を押さえて深いため息を吐いた。
父の哀切なため息を背中に聞きながら、アデライデは声を殺して泣いた。悲しみが嵐のように湧き起こるのと同時に、父のために良かれと思って自分の記憶を消すことを願ったことが、かえって父を辛い目に遭わせていたのだという事実を知り、アデライデは後悔と苦しさに押し潰されそうな胸を抱えて泣き続けた。
フロイントは思わずアデライデの震える肩に手を置いたが、口を開くことはできなかった。
──いったいどんな言葉を掛けられると言うのだ……。俺に慰めの言葉を口にする資格などはない。この父と娘の苦しみは、すべて俺がもたらしたものなのだ……。
フロイントは血の気の失われた唇を強く噛んで立ち尽くしていたが、しかしその一方で、アデライデの父が娘の記憶を失いながらも、それでもアデライデのことを夢に見ていたということに激しく心を揺さぶられ、どこまでも暗く果てしのない荒れ狂った夜の海に、突然眩しい閃光が走るのを見たときのような驚異が腹の底を駆け巡るのを感じてもいた。
ミロンは弱々しい微笑を滲ませた声で、アデライデのほっそりと消え入りそうな背中に言った。
「見ず知らずのあなたに突然こんなことを言って申し訳ありません……。気味悪く思わせてしまったかもしれませんが、どうしても言わなくてはいけないという気がしたもので……。その、失礼を重ねるようですが、去られてしまう前に、どうかあなたの名前を教えてはくれませんか……?」
アデライデはぽろぽろと涙をこぼしながら、少しの間逡巡するように沈黙していたが、素早く涙を拭うと、ゆっくりと振り返った。縋るような目をして自分を見ている父に、アデライデはきりきりと絞られるような胸の痛みを押し隠し、小さく小首を傾げるようにして精いっぱいの微笑みを見せた。
「──アデライデです……。わたしの名前は、アデライデ──」
「アデライデ……?」
ミロンは自分の目の前で胸を打つほど悲しげに美しい微笑みを浮かべて立つ娘を見つめながら、教えられたその名を口の中で呟いた。その途端、ミロンは突然何かに弾かれたように大きく体を震わせて目を見開いた。ミロンの体中にその名を知っているという感覚が稲妻のように広がった。
けれど皆にわしには娘などいないといくら訴えても、まともに聞いてくれる者は一人もいないのです。あまつさえ、皆は突然いなくなった娘のことがショックで神経が参ったのだろうなどと囁き合って、意味ありげに目くばせをして、気の毒そうな憐れむような、何とも言えない目つきでわしを見るのです。そのせいでわしはどうにも落ち着かない妙な気分に襲われて、次第に町に行くことも避けるようになり、近頃では森のこの家にずっと一人こもっているのですが、それでも光の妖精女王陛下がお治めになっている国のこと、町の人々はどこまでも親切にわしを心配してくれるようで、早朝や夕暮れなどに、パンやチーズなどをそっと小屋の入口に置いて行ってくれるのです……。そうやって皆が心配してくれることは素直に有り難いとは思うのですが、しかしわしには確かに娘はいない……いないはずなのです……。
──けれど、そんな噂を囁かれ過ぎたせいでしょうか、わしはいつの頃からか、奇妙な夢を見るようになったのです……。それがいつも決まって同じ夢で……。その夢と言うのが、こう言おうとすることも憚られるようではありますが、その……娘さん、あなたの夢なのですよ……」
アデライデの背中が微かに震え、息を詰めたのがわかった。
フロイントは思いも寄らないミロンの言葉に大きく目を見開き、項垂れて一言一言を噛みしめるように話すミロンを見つめた。
「……だからついさっき、失礼にもあなたの顔をまじまじと見つめてしまったのです……あまりに驚いたものだから……。その、その夢というのがね、ほんとうに奇妙なくらいに鮮明で、悲しいくらいにいい夢でしてね……。見たこともないほど美しい娘さんが──それがあなたなのですが──わしに愛情のこもった青い瞳でやさしく笑いかけて、かいがいしく世話をしてくれるのです。夢の中のあなたがあんまり親切で、可愛らしくて、わしはあなたの名前が知りたいと思うのだが、いくら尋ねてもあなたはにこにこと笑うばかりで何も言わない……。だけど決まって最後に、それはもう見ているこちらが嬉しくなるくらいの晴れやかな綺麗な笑顔で、わしに『お父さん』と呼びかけるのです……。その声を聞くとわしはたまらなく愛おしい気持ちがあふれてきて、もう一度お父さんと呼んでほしいと願うのです……。だけど、いつもそこで目が覚める……。そしたらわしは無性に寂しいような、胸が掻きむしられるような、そんなひどい苦しみに襲われて、何もかもが手につかなくなってしまうのですよ……」
ミロンは言いながら、毎夜決まって見るその儚い夢がもたらす切ない寂しさを思い出し、たまらずに胸を押さえて深いため息を吐いた。
父の哀切なため息を背中に聞きながら、アデライデは声を殺して泣いた。悲しみが嵐のように湧き起こるのと同時に、父のために良かれと思って自分の記憶を消すことを願ったことが、かえって父を辛い目に遭わせていたのだという事実を知り、アデライデは後悔と苦しさに押し潰されそうな胸を抱えて泣き続けた。
フロイントは思わずアデライデの震える肩に手を置いたが、口を開くことはできなかった。
──いったいどんな言葉を掛けられると言うのだ……。俺に慰めの言葉を口にする資格などはない。この父と娘の苦しみは、すべて俺がもたらしたものなのだ……。
フロイントは血の気の失われた唇を強く噛んで立ち尽くしていたが、しかしその一方で、アデライデの父が娘の記憶を失いながらも、それでもアデライデのことを夢に見ていたということに激しく心を揺さぶられ、どこまでも暗く果てしのない荒れ狂った夜の海に、突然眩しい閃光が走るのを見たときのような驚異が腹の底を駆け巡るのを感じてもいた。
ミロンは弱々しい微笑を滲ませた声で、アデライデのほっそりと消え入りそうな背中に言った。
「見ず知らずのあなたに突然こんなことを言って申し訳ありません……。気味悪く思わせてしまったかもしれませんが、どうしても言わなくてはいけないという気がしたもので……。その、失礼を重ねるようですが、去られてしまう前に、どうかあなたの名前を教えてはくれませんか……?」
アデライデはぽろぽろと涙をこぼしながら、少しの間逡巡するように沈黙していたが、素早く涙を拭うと、ゆっくりと振り返った。縋るような目をして自分を見ている父に、アデライデはきりきりと絞られるような胸の痛みを押し隠し、小さく小首を傾げるようにして精いっぱいの微笑みを見せた。
「──アデライデです……。わたしの名前は、アデライデ──」
「アデライデ……?」
ミロンは自分の目の前で胸を打つほど悲しげに美しい微笑みを浮かべて立つ娘を見つめながら、教えられたその名を口の中で呟いた。その途端、ミロンは突然何かに弾かれたように大きく体を震わせて目を見開いた。ミロンの体中にその名を知っているという感覚が稲妻のように広がった。
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