フロイント

ねこうさぎしゃ

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ラングリンド

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 言葉を失ってしばらくの間沈黙した後、アデライデはゆっくりと首を振りながら言った。
「そんな……、そんなことはしなくても構わないのです。──いいえ、寧ろそうしない方がいいのです。もしも父に会ってしまうようなことがあれば、わたしを憶えていない父を混乱させてしまうかもしれません。それに……」
 父に会いたいという思いは当然あった。しかし会ったところで、父にとって自分はもう見知らぬ他人でしかないのだ。娘と思って抱きしめてくれるわけでもない父と会ったところで、悲しみが増すだけだろう。それにたとえ自分の記憶を失くしてしまっているとはわかっていても、やはりなつかしい父を前にして平静でいられる自信もなかった。そうなれば、突然目の前で泣き出した見ず知らずの娘を、誰に対してもやさしく親切だった父が放っておくことなどできないだろう。もしもそんな事態にになって、父を当惑させてしまうことも忍びなかったが、それ以上に父を前にして泣く姿をフロイントに見せたくはなかった。フロイントの苦悩を深めてしまう可能性のあることを、進んでしたいとは思えなかった。
 しかしフロイントは、アデライデの瞳をじっと見つめて言った。
「遠くからそっと様子を窺うだけでいい。見るのが辛いなら、離れたところにいておまえは何も見なくてかまわない。ただ、俺は一目、どうしてもおまえの生まれ育った家を見なくてはならないような気がするのだ」
 そう言いながらも、フロイントはこんなことを口にする自分自身に対して驚きと躊躇いを感じていた。何故そんな風に思うのかもわからない。行ってどうなるということもないかもしれない。そんなことをすればアデライデに余計に辛い想いをさせることはあきらかだったし、自分自身としてもより深く罪の意識に苛まれることになるだろうとは容易に想像がついた。もしかすると、自分自身に罪の重さをはっきりと知らしめることによってアデライデとその父への贖罪の代わりとするために、あえてアデライデの父のいる家へ赴こうとしているのかもしれない。いずれにしても、そうすべきだと思うほんとうのところを理解することはできなかったが、どうあってもアデライデの家に行ってみなければならないという強い感覚だけがフロイントの心を占めていた。
 フロイントの真剣な、どこか懇願するような眼差しに見つめられ、アデライデは俯いた。内心には不安な想いが渦を巻いたままではあったが、フロイントがこれほどまでに望むならと頷くしかなかった。
 手を取り合って森の小径を行くにつれ、冷静でいようと努めるアデライデの胸はざわざわと騒がしい音を立てて激しく波打ちだした。家がすぐそこにあるという事実は父の姿を一目見たいという気持ちを高める反面、不安をも大きくした。
 自然と歩みの遅くなるアデライデの手を引く形で、ほんの少し前を行くフロイントの顔を見ようとするが、逞しい肩にさらさらと流れる黒髪の向こうに涼やかなカーブを描く顎の線が覗くばかりで、その表情を窺うことはできなかった。思わずフロイントの手を握る指に力を込めると、応えるようにやさしく握り返され、何故だかひどく切ない痛みを感じて胸が疼いた。
 あの館で暮らしていた時にも、フロイントはいつもアデライデのどんなに些細な様子の変化にも気がついて、アデライデの気持ちを読み取ろうとした。その深い洞察力と繊細な気遣いはアデライデにフロイントへの大きな信頼と安心を抱かせる一方、自分の反応いかんによってはフロイントをひどく傷つけ苦しめてしまうかもしれないという心配を生んだ。今こうして父のいる家に向かうことがほんとうに良いことなのだろうかという懸念が、アデライデの足の運びを更に重くしていた。
 とうとう色づき始めた木々の間に小さな木の家が見えた瞬間、アデライデの心臓は大きく鼓動を打った。それきり、足がすくんで動けなくなった
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