フロイント

ねこうさぎしゃ

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四つめの願い

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 フロイントは正体を現したその魔物に 吃驚きっきょうした。
「おまえは、バルトローク……!」
 それは、魔物の世界において公爵の位を持つ上級魔だった。バルトロークは聞く者の心臓を凍りつかせる冷たい声で、
「無礼者、『 公爵様ロード』と呼べ」
 言いながら、鋭く尖る爪の生えた片手を天に突き上げた。攻撃を予期したフロイントはアデライデに危険が及ぶことを避けようと、咄嗟に床を蹴ってその場を離れた。フロイントが動いたのとほぼ同時に、バルトロークの片手が地面に向かって振り下ろされる。瞬間、凄まじい いかづちが館の天井を突き破り、フロイントを直撃した。
 焼けただれたフロイントの体がすぐ目の前で床に崩れ落ちるのを見たアデライデは悲鳴を上げた。
「フロイント──!」
 倒れ伏したフロイントに駆け寄ろうとしたが、それよりも早く、バルトロークの指に命じられた黒い竜巻が、フロイントの焦げた体をのみ込んだ。
「フロイント……っ!」
 半狂乱になって竜巻の中に飛び込もうとしたアデライデを、嵐のような速さで飛んできたバルトロークが捕まえた。
「はなして……っ。フロイント、フロイント──!」
 身をよじって逃れようとするアデライデを面白そうに眺めていたバルトロークは、片手でアデライデの腰を抱き上げた。アデライデが悲鳴を上げるのを聞くとバルトロークは背筋を凍らす声で忍び笑い、猛烈な風を呼ぶとアデライデもろとも姿を消した。
 バルトロークがアデライデを連れ去ってしまうと、フロイントの体をのみ込んだ黒い竜巻は、一層勢いを増して凶暴な旋回を始めた。が、館の外、夜空に浮かんでいた満月から放たれたひときわ明るく強い光が窓を突き抜けて入って来ると、竜巻は恐れをなしたようにその勢いを弱めた。竜巻はその腹にフロイントを飲み込んだまま、眩い月の光に追い詰められる形で壁際まで後退していたが、やがて光に捕らえられると、獣の断末魔の叫びを思わす轟音を残して四方に散った。
 竜巻から解放されたフロイントの体が、勢いよく床の上に落ちた。その衝撃で、気を失っていたフロイントはうっすらと目を開けた。しかし視界はぼやけ、体には力が入らず、指の一本すら動かせないまま自分の肉の焼け焦げた臭いを嗅いだ。
 無残に荒らされた室内からバルトロークの気配は消えていたが、アデライデの姿もないことに気がついた。フロイントはアデライデがバルトロークに奪われたことを覚ると、声にならない呻きを漏らした。その途端、フロイントの口からはどろりとした黒い血が吐き出された。
 フロイントはバルトロークが 変化へんげしていたとも知らず、鳥の足に食いこんでいた罠を外そうとしたときのことを思い出した。全身を貫き肉を焼いた雷は、あのとき同様フロイントの内臓を激しく損傷させていた。しかし今度はあのときよりももっと強烈で、はっきりと殺意を込めた雷にやられたのだ。上位の魔物が明確な意図を込めて放った術をまともに受ければ、下位の魔物が助かる見込みはほぼない。
 ましてバルトロークは数多いる上級魔の中でも、魔力の強大さと残忍さにおいてその名を轟かせている魔物だった。
 フロイントは自分の愚かさを呪った。バルトロークは好色を常とする魔物たちの中でも群を抜いて 放埓ほうらつに耽る魔物だ。目をつけた獲物は女であろうと男であろうと必ず手に入れる。どこでアデライデの存在を知ったのかはわからないが、バルトロークはもうずいぶんと早い段階からアデライデに狙いを定めていたに違いない。
 フロイントは激しい後悔に苛まれた。もっと早くに気がつくべきだったのだ。確かに強大な魔力を誇るバルトロークの変化の魔術を見破ることが難しいのは事実だ。だが鳥から漂う妖気にただならぬ邪悪さを嗅ぎ取っていたことも確かだった。
 少し考えてみればわかるはずだったのに、アデライデとの日々に舞い上がり、冷静さと慎重さを失った結果、いとも易々とアデライデを奪われ、自分の命も消えようとしている。
 フロイントは苦悶のうめき声を上げ、暗い赤に濁った目を絶望と共に閉じた。

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