フロイント

ねこうさぎしゃ

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四つめの願い

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 アデライデはじっと息をつめて自分を見つめるフロイントの赤い瞳から、激しい炎がすっかり消え去っているのを見ると、ほっと安堵の吐息を漏らした。安堵した後で、フロイントがいつものように深い思いを表す目で自分を見つめてくれる喜びに心を湧き立たせた。だがすぐに目を伏せて、静かな口調で呟くように言った。
「謝らなければいけないのはわたしなのでしょう。無自覚のうちにあなたにそんな風に思わせてしまったのだから……。身に覚えがないというのは言い訳にはなりません。あなたがわたしの振る舞いでそう感じてしまったのは事実なのですもの……」
「いいや、そうではないのだ……俺はただ……」
 フロイントは自分のすぐそばで、長いまつげを憂い顔に伏せているアデライデを見つめた。激しい感情から解き放たれたフロイントは、アデライデとの間に壁をつくっていたのは妄想にとらわれた自分自身だったということに気がついていた。あの鳥の一件以来、何度も話し合いたいというそぶりを見せていたアデライデを一方的に拒否していたのは自分なのだ。
「アデライデ、ほんとうにすまなかった……。まるで俺の目は何ものかによって塞がれていたような気さえする……。この数日、俺はおまえと向き合うどころか、見ようともしていなかった……」
 沼鏡に映し出されていたアデライデは、フロイントの歪んだ思い込みが見せた虚像でしかなかった。フロイントはアデライデの青く澄んだ湖のような瞳に、無垢な光が清冽な水のごとく輝いているのを見て、強く胸を打たれる思いだった。
「……あぁ、そうだ、俺は知っていたはずなのに。おまえの目が、こんなにも美しいことを……」
 アデライデの白い頬を涙が伝い落ちた。フロイントは無意識のうちにその涙を拭おうとし、はっと我に返ると吸い寄せられるように出した手を慌てて手を引っ込めた。自分が取ろうとした行動に狼狽した。アデライデの指に滲んだ赤い血が脳裏をよぎり、フロイントは目を伏せた。
 アデライデは何も言わなかった。ただ館を取り巻く風と暖炉で燃える炎の音だけが聞こえていた。
 フロイントは一抹の気まずさを隠そうと、思い切って目を上げ、アデライデに言った。
「──アデライデ、今宵は新月だ。おまえの四つ目の願いを叶えよう」
 アデライデはフロイントをまっすぐに見つめた。その瞳にはただひとつの想いだけが宿っていた。
「わたしの四つ目の願いは──」
 フロイントはアデライデの唇がゆっくりと動いて行くのを目で追った。
「──あなたと踊れるように、あなたの体中を覆う固い毛を、柔らかに変えてほしいのです……」
 フロイントはアデライデの美しい唇から、自分を一心に見つめる青く澄んだ瞳に視線を移した。耳で聞いたアデライデの声を、自分の頭で意味のある言葉として理解するまでには時間がかかった。しかしその言葉を頭の中で何度も繰り返すうちに、フロイントの体じゅうを熱い血が勢いよく駆け巡り出した。
「──俺と、踊れるように、だって?」
 フロイントは念を押して確かめるように、アデライデの言ったことを細かく区切って繰り返した。


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