フロイント

ねこうさぎしゃ

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二つめの願い

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 たった今起きた出来事にアデライデは激しく動揺していたが、魔物が自分を必死に守ってくれたことを思うと、凍りつきかけていた心には徐々にあたたかさが戻って来た。気分が落ち着いて来ると体の震えも止まり、まだ心配そうに自分を見つめる魔物を見上げて微笑んでみせた。
 しかしアデライデの微笑みにはどこか無理をしている気配があり、魔物の気は落ち着かなかった。
「台所が大変なことになってしまいましたね」
 アデライデはゆっくりと立ち上がり、調理道具や食品庫の中にあった食べ物までが散乱している辺りを見回した。調理台の上の作りかけのパン生地に目をやると、べっとりと土ぼこりが付着していた。アデライデは小さなため息を吐くと、
「わたし、あなたと一緒に食事をしようと思って、準備をしていたんです。でも、もう一度やり直さないと……」
 不安の余韻が消えずにいた魔物の心は、アデライデの思いがけない言葉によって、俄かにぱっと明るい炎が燃えた。
「食事を、俺と共にするために……?」
「はい……。あの、もちろんあなたさえ構わなければ、ですが……」
 控えめな調子で言ったアデライデに、魔物は思わず上ずった声で答えた。
「もちろん構わないとも!」
 勢い込んで叫んだ後で、魔物は少しの恥ずかしさを感じて黙った。
 アデライデは急に黙りこんだ魔物を美しい瞳で見つめると、思わずにっこりと笑った。どこか恥ずかしそうな様子の魔物に、心がほぐれるのを感じた。
「よかった、それではさっそく準備をしますね。あぁ、でもまずはここを片づけないと……」
 アデライデに少し元気が戻ってきたようなのを見た嬉しさもあり、魔物は床に散乱した鍋や皿を片づけようとしたアデライデに急いで声を掛けた。
「俺も手伝おう」
 アデライデは魔物の申し出に驚いたが、すぐにお礼を口にして微笑んだ。
 魔物は物の散乱した周囲を見回した。片付け程度ならばそれほどの魔力がなくとも行える。魔物は呪文を唱え、めちゃくちゃになった台所を元通りにした。アデライデはこどものように目を輝かせ、その様子を見ていた。魔物はアデライデが少しずつ、先ほどのショックから立ち直りつつあることを喜んだ。
 片付けが済むと、魔物とアデライデは調理台の前に並んで食事の準備に取り掛かった。アデライデはすぐに魔物が調理に慣れていることに気がついた。
「あの、魔物さん。いつもお食事はどうなさっていたのですか? つまり、わたしがここに来る前のことですが……」
「そうだな……何か適当に用意して済ませていたな」
「ご自分でお料理を……?」
「うん、まぁそうだな」
 アデライデはいかにも強そうな巨体の魔物が、ひとり料理をする姿を想像して、思わず頬を緩めた。
「俺が料理をするのがおかしいか?」
「いえ、そんなことはありません」
 アデライデは慌てて首を振ったが、内心ではなんだか魔物が可愛らしく思え、心が和んだ。おかげで、先ほどの恐ろしい出来事がもたらした影は、すっかり消えてしまった。
 魔物は期せずして、アデライデがいつものやわらかな空気を取り戻したことに胸を撫でおろした。何か、アデライデがもっと安心できることを言ってやりたくて、
「人間の口にする物は味がいい」
 と呟くように言いながら、大きなキャベツを二つに割った。魔物たちの中には生きた動物や人間の赤子を好むものもあったが、魔物自身はそんなものを食べたいと思ったことは一度もなく、ずっと人間の食べ物を口にしてきた。はじめはギザギザの歯で素材をそのまま噛みちぎるか、せいぜい爪の先から火を出してあぶったものを食べるかくらいだった。だがそのうちに少しずつ調理の仕方を覚えていき、いろいろな食材をそろえて作るようになったのだ。ひとりで作るのも食べるのも、長すぎる時間の単なる暇つぶしでしかなかったが、今はアデライデと並んで食事の支度をすることに大いなる喜びを感じていた。
 白いパンに、レンズ豆と野菜と果物のスープ、サーモンのパイ、鹿肉のロースト、それにゴーフルとビスケット、ワインの準備が整うと、魔物とアデライデはそれらを正餐室に運び、大きな黒大理石の長テーブルに並べた。テーブルの端と端に向かい合って、魔物とアデライデは初めての二人での食事を始めた。ゆっくり時間をかけて食べ、他愛のない会話を楽しんだ。魔物にとってはほんとうに何もかもが初めてのことだったが、それはアデライデにとっても同じことだった。魔物が高揚感に心を躍らせると、アデライデの方でも心には居心地の良い安らぎが広がるのを感じるのだった。


 その日を境に、魔物とアデライデは食事の時にはいつも一緒に準備をし、二人で食卓に着くようになった。共に食事をすることで互いの距離はぐっと縮まり、魔物は寂しい灰色の荒野での毎日が、日に日にあたたかな色であふれていくのを感じ、アデライデもラングリンドでの生活では味わったことのなかった類いの楽しさと充足を感じていた。
 館の中はアデライデのおかげでどこもかしこもすっかり清潔になり、ときおり魔物が摘んでくる花が館の内部に生き生きとした彩を与えた。外では相変わらず恐ろしい風が冷たく吹き荒れていたが、以前ほど館にぶつかって壁や窓を軋ませることもなくなったような気さえした。
 アデライデは今では魔物にすっかり心を許し、気がつくと父のこともほとんど思い出さなくなっていた。アデライデは魔物と過ごす毎日に、ささやかな幸せを感じるようになっていた。ただひとつ、アデライデには気になることがあった。それは魔物がまだ自分に名前を明かそうとしないことだった。魔物の世界の流儀か何かで絶対に名前を明かしてはいけないことになっているのかもしれない、などと考えて自分を納得させようとしたが、アデライデには魔物が自分に真からは気持ちを許していないことの表れではないかという思いもあるのだった。


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