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キング・フロッグの憂鬱

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 キング・フロッグの憂鬱


 ある城のほとりの森の中に、それほど小さくはなく、かと言ってそれほど大きくもない沼がありました。
 その沼の真ん中にある大きな岩のてっぺんに、だらりと垂らした長い足に頬づえをついて座ったキング・フロッグは、彼のトレードマークであるお気に入りの王冠をかぶり、いつものように、長い間考え事にふけっていました。
 鯉が近づいて来て、たずねました。
「キング・フロッグ、何を考えているのですか?」
 キング・フロッグはちらりと鯉を見やって、ため息をつきました。
「そなたに話したところで、私の悩みがわかるはずもない」
 鯉はあきれて、くるりと背中を見せると、尾びれでぴしゃりと水を打って、行ってしまいました。
 美しい蝶がひらりひらりとやって来て、キング・フロッグに話しかけました。
「ねぇ、キング・フロッグ。一緒に遊びましょうよ」
 キング・フロッグは首を振りました。
「そなたに私の万分の一でも知恵があればね」
 蝶は怒って激しくはねを震わせると、さっさと飛び去って行きました。
「あぁ、私ほど不幸なものはいない」
 キング・フロッグは悲しげに大きなため息をつきました。そのとき、沼の底からぼこぼこと大きな泡がたち、巨大なナマズが顔を出しました。

*

「キング・フロッグ、よければワシが話を聞こう」
 このナマズはもう何百年も生きていて、森の中では一番の知恵者と評判でした。キング・フロッグはナマズに打ち明けることに決めました。
「私はいつも心配していなければならないのです」
「なにをだね」
「この王冠のことです」
「ふむ、たいそう立派に見えるがね」
「そう、そうなのです。確かに私の王冠ほど立派なものは、そうはないでしょう。だから、いつかこの王冠を盗みに来るものがいるかもしれない。それが心配で、私は夜も眠れないほど不安なのです」
「ほほう、それは心配だな」
 ナマズはもっともらしくひげを動かし、うなずきました。
「だが、王冠がなければ、よけいな重荷も減るというもの。生きやすくなるのではないかな」
 キング・フロッグは、ナマズの言葉を聞くと、驚いて岩の上で飛び上がりました。
「とんでもない。王冠がなくては生きている意味などない」
 それから、呆れたように顔を背けると、ナマズを横目に見やりながら、
「貴方はこの森で一番の賢者と言われているが、そうでもないらしい」
 ナマズの濁った目がギョロリと動きました。そして長いひげを沼の水面に遊ばせながら、
「キング・フロッグ、ワシは思うのだがね、どうやらこの沼は君には小さすぎるようだ」
 それを聞くと、キング・フロッグはパッと大きく目を見開き、
「そう、そうなのです。確かにこの沼は小さい。私ほど立派な王冠をかぶったものに、こんな小さな沼はふさわしくない」
 キング・フロッグは興奮したように、水かきのある両手で自分の膝をぴしぴしと叩きました。
「では、どうかね。この森をぬければ、城がある。城は人間の王様が住んでいるが、そこには素晴らしい池がある。池といってもそれはまるで湖ほどの広さがあり、朝は日の光にダイヤモンドのように輝き、夜は星の瞬きをうつしてサファイやのしとねのようにさざめく。そこを君の城にしてはどうかね」
「なんですって、それは素晴らしいアイデアだ。やはりあなたは世界で最も賢いナマズだ」
 キング・フロッグは急いで立ち上がり、早速城の池を目指して飛び出しました。
 キング・フロッグが大喜びで去っていく後ろ姿を、黙ってじっと見つめていたナマズは、やがてまたぼこぼこと大きな泡を立てながら、沼の底に潜っていきました。

*

 キング・フロッグは意気揚々と城を目指して進みました。飛び跳ねるたびに王冠がずり落ちそうになるので、キング・フロッグは王冠を片手でしっかりとおさえながら、慎重に進まなければなりませんでした。
 蝶や小鳥たちが、そんなキング・フロッグを見て、くすくすと笑いながら、からかうようにまわりを飛んでも気にしませんでした。
 そして西の空に、沈みかけたトパーズ色の太陽が見える頃、キング・フロッグはやっと城の池に到着しました。
 キング・フロッグはずいぶん飛び跳ね続けていましたから、すっかり疲れきっていましたが、まるでギリシア神話に出てくる神々の庭のように清らかで、美しさに満ち溢れた池を見た途端、疲れは跡形もなく消えてしまいました。
 周りを生い茂った深い緑の草が取り囲み、燃えるような西日を受けて、池はそのまま太陽をうつして巨大なトパーズに変わったかのように、神々しく光り輝いていました。
 池の真ん中にはふかふかと心地良さそうな大きなハスの葉が、ゆったりと体を広げ、キング・フロッグが泳いでくるのを待っているようでした。
「なんと素晴らしい。まるであのナマズの言った通りだ」
 キング・フロッグは、やっと自分にふさわしい城が見つかったことに満足し、ゆっくりと池に向かって飛び跳ねました。
 ところがもうあと一歩というところで、美しい池に気を取られていたキング・フロッグの片手から、王冠がするりと抜けて、地面に転がり落ちてしまいました。
 慌てて王冠を取りに戻ろうとしたとき、ベルのような音が頭上に鳴り響き、大きな影がキング・フロッグの体をおおいました。
 見上げると、美しい翡翠の飾りのついた首輪をかけた、重そうな体のペルシア猫が、ほんのすぐ目の前に立って、じっとキング・フロッグを見下ろしていました。
 キング・フロッグがあっと思う間もなく、信じられない素早さで、猫はキング・フロッグをペロリと一口に飲み込んでしまいました。
 猫は何食わぬ顔で、後ろ足で自分の頭を掻いていましたが、猫を呼ぶ王妃の声が聞こえると、大きなのびをして、それから悠然とした足取りで、城の方に向かって歩き出しました。

 さて、飲み込まれたキング・フロッグは、猫が動くたびにお腹の中でぐらぐら揺られながら、だらりと投げ出した足の間に両手を挟み、大きなため息をついて言いました。
「私の王冠、誰かに盗まれてはいないだろうか」
 燃え上がるように美しい池の片隅には、もうかぶるもののいなくなった王冠が、泥にまみれて西日にさらされ、ぽつんと小さな影を作っていました。



 
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