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2章 魔王様は抱き枕を所望する

10.職務放棄は駄目です

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 眠ってしまった魔王の穏やかな寝顔を見て、早鐘を打つ心臓の鼓動を鎮めようと理子は胸に深呼吸を繰り返す。

(昨夜は私がいなかったせいで、あまり寝られなかったというの?)

 魔王の髪にそっと触れてみれば、見た目通りのサラサラで柔らかな髪の感触がした。
 幼く見える魔王の寝顔に、胸の奥が騒めきだし落ち着かなくなる。

(どうしよう。綺麗で恐いけど、魔王様が可愛い)

 眠る魔王の髪以外、滑らかな頬に触れたくなる。

(私、変になっちゃったみたい)

 どうやら完全に、甘い薔薇の香りで酔ってしまったらしい。
 魔王の頬に、薄い唇に、首筋に、触れたくなるなんて。この場所の雰囲気と、薔薇の香りに酔っていなければ思わないはずだ。

(どうしよう、どうしよう、私……)

 抱き枕じゃなくて膝枕、魔王に枕扱いされているのに、文句ではない感情ではなく嬉しいと思ったのなんて、どうかしている。
 膝の上に頭を乗せている魔王の温もり否応なしに感じ、理子は真っ赤に染まった顔を両手で覆った。


 薔薇園のガゼボに置かれたベンチに座り、魔王に膝枕をして小一時間程経った頃。

 半ば眠りの淵へ落ちかけていた理子がコクリ、と舟をこいだ時、目蓋を開いた魔王が上半身を起こした。

「チッ」

 舌打ちした魔王が肩を引き寄せて、理子の体は彼の腕の中へ落ちた。

「……魔王様?」

 寝ぼけ眼で理子が見上げた魔王はガゼボの外、夕陽が大地に沈みかけている空を睨んだ。

 ピシッ!

 夕焼け空の一部がひび割れが生じ、ビシビシと音を立てて広がっていき、ついには大きく割れて地面目掛けて落下する。割れ落ちた空の一部は、地面にぶつかる前に溶けて消えた。
 空の一部が割れ落ちて開いた穴から、黒い烏が飛び込んで来てガゼボへ一直線にやって来る。

「お邪魔しま~す」

 黒い烏はガゼボに居る魔王に向かって言葉を発し、愉しそうに目を細めて笑った。

「フンッ、邪魔だと分かっているなら来るな」

 冷たい魔王の声が頭上から聞こえ、理子は烏をよく見るために体を反転させようともがく。
 魔王の胸に手を置いて彼との距離をとろうとしても、背中へ回された腕の力は緩まず強まっていく。
 離れることを諦め、首を動かして背後の様子を伺った。

 ガゼボの側へと降り立った鳥の体は粒子となり、粒子は固まりを形成していき人型になった。
 色を纏った人型は、貴族が好みそうな上品な黒の燕尾服を着た若い男性。
 青銅色の肩より長い髪を黒いリボンで括って、少し垂れ気味の目元が柔和な印象を与えるが、その茶色い瞳に宿る鋭い光が、男性がただの優男ではないことを物語っていた。

 派手な登場の仕方から、彼も魔族なのかと理子は体を固くした。
 魔王に肩を抱かれたまま、緊張している理子に気付いた男性は柔らかな笑みを向ける。

「初めまして、僕はこの国の宰相、キルビス・モルガンと申します。仕事を途中放棄しやがった魔王様を引っ捕らえに来ました」
「私は山、むぐっ」

 名乗られたから返さなければと、開いた理子の口元に魔王の手のひらが当てられ、言葉を遮られる。
 申し訳無いと目線で訴えると、キルビスと名乗った男性は肩を竦めた。

「随分、探したんですよ。上手く結界を張り巡らして、痕跡を消しやがって」

 かなり苛立っているのか、明るい声色で言うキルビスの目は全く笑っていない。

「ハッ、魔王の責務は果たしたはずだが? 後は貴様でも対処出来るだろうが」
「責務? この後の会食もそうだろ? 仕事を放棄するなよ魔王様」

 感情を抑えきれないのか、眉を吊り上げたキルビスのこめかみに青筋が浮かぶ。

「あの鬱陶しい女と会食しろと?」
「鬱陶しい女でも一国の王女で大使ですから。僕も王女の相手をするのは嫌になっていて、苛つきすぎて殺したくなってきたんで、魔王様が戻って相手をしてください」
「断る」

 魔王の一言で、キルビスの顔から張り付けていた笑みが消えた。

 
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