33 / 61
14.花火大会の夜
しおりを挟む
異世界から我が家へ皇帝陛下がやって来てから、早いものでもう十六日目となった。
あと四日後には月は満ちて、彼は元居た世界へと還っていく筈だ。今のところ、四日後の天気予報は晴れで降水確率は0%となっている。
ベルンハルトが元の世界へ還れば、魔術書の呪いもまさか世界を隔てて効果あるとは考えにくい。
全ては元通りになり、非日常から普通の日常へ戻る。
喜ばしいことなのに、それを考えると何故か佳穂の気持ちは沈んでいく。
昨日は酔い潰れた佳穂を迎えに来てくれて、体調を気遣ってくれたベルンハルト。
四日後にはサヨナラする彼とは、偶然繋がってしまった、一般人と皇帝陛下という関係なのだ。何度、自分自身へ言い聞かせても胸の痛みを治まってくれない。
(そうか今日は、花火大会だっけ)
公共料金の支払いのため近所のコンビニへ向かい、店の入り口近くに貼られていたポスターを見て佳穂は今日が隣の区で開催される花火大会当日だと思い出した。
夕方の時刻に差し掛かる今から出掛けても、公共機関は軒並み混雑しているだろうし無理して出掛けたくはない。
コンビニを出た佳穂は、夕飯の買い物客が増えはじめている商店街へ向かった。
「今日の夕飯は、縁側に出て花火を見ながら食べませんか?」
「花火だと?」
「今日は隣の区の花火大会なんです。凄く混むから会場までは行けないけど、家からも少しだけ花火が見えるんですよ」
高い建物の隙間から見える花火は少し風流さには欠けるとはいえ、混雑する会場へ行くよりはずっといい。
家から見えるからという理由で、隣の区の花火大会は一度も行ったことは無く、祖母が亡くなってからは、一人で夜空に咲く花火を見上げていたのだ。
繁華街へ電車一本で出られる下町という好立地に住んでいることは、大学の友人には知られないようにしていた。
中学、高校時代は祖母と叔父に遠慮して友人は家には上げていなかった。
彼氏が出来たと思い込んでいた頃は「今年は大毅君と一緒に見られる」なんてお花畑なことを考えていたなと、自嘲の笑みを浮かべる。
先日、夏期集中講義を受けに行った大学で、大毅と彼が所属しているグループのメンバーが花火大会のことを話していたから、家の立地を知られたら絶対に大人数で押し掛けられて好き放題されていたと思う。
今思えば、大毅にフラれたのが花火大会前で良かった。
(そういえば、私に気が付いた途端、ダイキ君の顔色が変わった気がする。ベルンハルトさんとたこ焼きを食べに行った時に色々あったし、避けられている?)
楽しそうに談話していた大毅達は、佳穂が近付いてくるのに気付いた途端、顔色を変えた。
そして、佳穂が彼等へ視線を動かす前に一斉に背中を向けたのだ。
「花火を見る時は、カホも浴衣とやらを着るのか?」
大学での出来事を思い出していた佳穂は、ベルンハルトの声で我に返った。
「浴衣? 家で見るだけなら着ませんよ」
「この国独自の衣装ならば見てみたい。駄目か?」
「うっ」
ソファーに座ったベルンハルトが首を動かし、上目遣いでの「駄目か?」と言う破壊力は抜群で。
嫌だとは言えずに、佳穂はただ頷くことしかできなかった。
✱✱✱
縁側に陶器の豚形蚊取り線香をセットして、硝子の徳利にはキンキンを冷やした冷酒。
おつまみに作ったのはピリ辛胡瓜、椎茸の佃煮、鶏股肉の辛味噌炒め、だし巻き玉子、唐揚げ。
つまみは食べやすく大皿へ盛り付け豪華にして、気分は少し早いベルンハルトの送別会だ。
お強請りされた通り、装いは花火大会仕様でベルンハルトだけでなく佳穂も涼しげな水色地に衿と袖、裾に金魚柄が入った浴衣を着る。
辺りが薄暗くなり、花火大会開始の花火が上がる頃に二人きりの送別会は開始した。
「ほぉ、うまいな」
冷酒を一口飲んで、ベルンハルトは感嘆の声を漏らした。
「酒屋のおじさんオススメの日本酒ですからね」
ヘラリと佳穂が笑えば、ベルンハルトは冷酒が入ったぐい呑みを差し出す。
「お前も、たまには付き合え」
「えっ」
「全く飲めないわけではあるまい」
二十歳の誕生日以降、居酒屋やカラオケボックスで友人達と酎ハイは何度か飲んだことはあっても、まだお酒の美味しさが分からない。
断りの言葉を言いかけて、今はベルンハルトの送別会なのだと佳穂はグッと飲み込む。
「じゃ、じゃあ、少しだけ」
受け取ったぐい呑みを口につける。
一口含むと少しとろみと甘味がある液体が舌を潤した。
初めて飲む日本酒は意外と飲みやすい味で、コクリと飲み込んでからあれっ?と気付いた。
(でも、これってベルンハルトさんと間接キスしたんじゃあ……)
唇を手の甲で拭い、頬を真っ赤に染めた佳穂はぐい呑みをベルンハルトへ渡す。
返されたぐい呑みと、頬を真っ赤に染める佳穂の顔を交互に見たベルンハルトは、ペロリとぐい呑みの飲み口を一舐めした。
(ううっ、無駄に色気がある)
飲み口を舐めただけなのにその仕草が妙に厭らしくて、羞恥から視線を逸らす。
バーンッ、少し離れた打ち上げ会場から花火が打ち上がり、佳穂とベルンハルトを明るく照らした。
あと四日後には月は満ちて、彼は元居た世界へと還っていく筈だ。今のところ、四日後の天気予報は晴れで降水確率は0%となっている。
ベルンハルトが元の世界へ還れば、魔術書の呪いもまさか世界を隔てて効果あるとは考えにくい。
全ては元通りになり、非日常から普通の日常へ戻る。
喜ばしいことなのに、それを考えると何故か佳穂の気持ちは沈んでいく。
昨日は酔い潰れた佳穂を迎えに来てくれて、体調を気遣ってくれたベルンハルト。
四日後にはサヨナラする彼とは、偶然繋がってしまった、一般人と皇帝陛下という関係なのだ。何度、自分自身へ言い聞かせても胸の痛みを治まってくれない。
(そうか今日は、花火大会だっけ)
公共料金の支払いのため近所のコンビニへ向かい、店の入り口近くに貼られていたポスターを見て佳穂は今日が隣の区で開催される花火大会当日だと思い出した。
夕方の時刻に差し掛かる今から出掛けても、公共機関は軒並み混雑しているだろうし無理して出掛けたくはない。
コンビニを出た佳穂は、夕飯の買い物客が増えはじめている商店街へ向かった。
「今日の夕飯は、縁側に出て花火を見ながら食べませんか?」
「花火だと?」
「今日は隣の区の花火大会なんです。凄く混むから会場までは行けないけど、家からも少しだけ花火が見えるんですよ」
高い建物の隙間から見える花火は少し風流さには欠けるとはいえ、混雑する会場へ行くよりはずっといい。
家から見えるからという理由で、隣の区の花火大会は一度も行ったことは無く、祖母が亡くなってからは、一人で夜空に咲く花火を見上げていたのだ。
繁華街へ電車一本で出られる下町という好立地に住んでいることは、大学の友人には知られないようにしていた。
中学、高校時代は祖母と叔父に遠慮して友人は家には上げていなかった。
彼氏が出来たと思い込んでいた頃は「今年は大毅君と一緒に見られる」なんてお花畑なことを考えていたなと、自嘲の笑みを浮かべる。
先日、夏期集中講義を受けに行った大学で、大毅と彼が所属しているグループのメンバーが花火大会のことを話していたから、家の立地を知られたら絶対に大人数で押し掛けられて好き放題されていたと思う。
今思えば、大毅にフラれたのが花火大会前で良かった。
(そういえば、私に気が付いた途端、ダイキ君の顔色が変わった気がする。ベルンハルトさんとたこ焼きを食べに行った時に色々あったし、避けられている?)
楽しそうに談話していた大毅達は、佳穂が近付いてくるのに気付いた途端、顔色を変えた。
そして、佳穂が彼等へ視線を動かす前に一斉に背中を向けたのだ。
「花火を見る時は、カホも浴衣とやらを着るのか?」
大学での出来事を思い出していた佳穂は、ベルンハルトの声で我に返った。
「浴衣? 家で見るだけなら着ませんよ」
「この国独自の衣装ならば見てみたい。駄目か?」
「うっ」
ソファーに座ったベルンハルトが首を動かし、上目遣いでの「駄目か?」と言う破壊力は抜群で。
嫌だとは言えずに、佳穂はただ頷くことしかできなかった。
✱✱✱
縁側に陶器の豚形蚊取り線香をセットして、硝子の徳利にはキンキンを冷やした冷酒。
おつまみに作ったのはピリ辛胡瓜、椎茸の佃煮、鶏股肉の辛味噌炒め、だし巻き玉子、唐揚げ。
つまみは食べやすく大皿へ盛り付け豪華にして、気分は少し早いベルンハルトの送別会だ。
お強請りされた通り、装いは花火大会仕様でベルンハルトだけでなく佳穂も涼しげな水色地に衿と袖、裾に金魚柄が入った浴衣を着る。
辺りが薄暗くなり、花火大会開始の花火が上がる頃に二人きりの送別会は開始した。
「ほぉ、うまいな」
冷酒を一口飲んで、ベルンハルトは感嘆の声を漏らした。
「酒屋のおじさんオススメの日本酒ですからね」
ヘラリと佳穂が笑えば、ベルンハルトは冷酒が入ったぐい呑みを差し出す。
「お前も、たまには付き合え」
「えっ」
「全く飲めないわけではあるまい」
二十歳の誕生日以降、居酒屋やカラオケボックスで友人達と酎ハイは何度か飲んだことはあっても、まだお酒の美味しさが分からない。
断りの言葉を言いかけて、今はベルンハルトの送別会なのだと佳穂はグッと飲み込む。
「じゃ、じゃあ、少しだけ」
受け取ったぐい呑みを口につける。
一口含むと少しとろみと甘味がある液体が舌を潤した。
初めて飲む日本酒は意外と飲みやすい味で、コクリと飲み込んでからあれっ?と気付いた。
(でも、これってベルンハルトさんと間接キスしたんじゃあ……)
唇を手の甲で拭い、頬を真っ赤に染めた佳穂はぐい呑みをベルンハルトへ渡す。
返されたぐい呑みと、頬を真っ赤に染める佳穂の顔を交互に見たベルンハルトは、ペロリとぐい呑みの飲み口を一舐めした。
(ううっ、無駄に色気がある)
飲み口を舐めただけなのにその仕草が妙に厭らしくて、羞恥から視線を逸らす。
バーンッ、少し離れた打ち上げ会場から花火が打ち上がり、佳穂とベルンハルトを明るく照らした。
10
お気に入りに追加
255
あなたにおすすめの小説
絶対に間違えないから
mahiro
恋愛
あれは事故だった。
けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。
だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。
何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。
どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。
私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
忘却令嬢〜そう言われましても記憶にございません〜【完】
雪乃
恋愛
ほんの一瞬、躊躇ってしまった手。
誰よりも愛していた彼女なのに傷付けてしまった。
ずっと傷付けていると理解っていたのに、振り払ってしまった。
彼女は深い碧色に絶望を映しながら微笑んだ。
※読んでくださりありがとうございます。
ゆるふわ設定です。タグをころころ変えてます。何でも許せる方向け。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。
ふまさ
恋愛
楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。
でも。
愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる