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1章.少女と付喪神

由緒ある“高梨家”②

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 バンッ!

 勢いよく開かれた襖の堅縁が、木枠に当たった振動で空気が揺れる。

「おい! 鈴!」

 皮靴で床に上がり、ズボンのベルト部分に手を引っかけてふんぞり返るのは、鈴と同年代の少々肉付きの良い少年だった。
 少年の後ろには彼とよく似た顔立ちの妹が付き従い、兄と同じように腰に手を当ててふんぞり返る。

「喜べ! 居候のお前にぴったりの仕事がある。こっちへ来いよ!」

 言い終わる前に少年は正座していた鈴の手首を掴む。

「きゃあっ」

 勢いよく手首を引っ張られて、体勢を崩した鈴は前のめりの体勢で畳の上へ倒れた。

「痛っ、放してください」
「ちっ! 愚図だな。いいから来い!」

 舌打ちした少年は、鈴を無理矢理立ち上がらせると開け放した襖から廊下へ引っ張っていく。

「しっかり歩きなさいよ!」
「いっ」

 背中を力いっぱい少女に拳で叩かれ、痛みのあまり鈴は涙目で彼女の方を振り向いた。

「何? 睨んできて生意気だってお父様に言いつけてやるわ!」
「ううっ」

 甲高い声で叫んだ少女は、さらに鈴の背中を殴りつけた。

(ここで悲鳴を上げては駄目よ。痛くても我慢しなければ、旦那様と奥様から折檻されるもの)

 引き摺るようにして鈴を無理矢理歩かせる兄妹へ、制止の声を発して手を振り払いたいとことだが、彼等は伯父であり高梨家の次期当主、章宏の子ども。
 高梨家の大事な跡取り達、章晴坊ちゃんと尚子お嬢様なのだ。
 学業が苦手で学校での不満を抱えている章晴は時折、鬱積した鬱憤を晴らすため鈴へ嫌がらせをしていた。

 居候の分際だと思われている鈴が、生意気な態度をとったら必ず章晴と尚子が両親へ言いつける。
 言いつけられたら、伯父夫婦から何をされるか分からない。
 背中を殴り続ける少女を制止して、この場から逃げ出したくなるのを鈴は下唇を噛んで堪えた。
 使用人達は鈴が引き摺られているのを見ても、我儘な二人の癇癪に巻き込まれたくないと見て見ぬふりをする。
 それに、厄介者扱いの鈴が我儘なお坊ちゃんとお嬢様の都合の良い発散相手になれば、使用人達の負担が減るからだった。


 庭の奥まった場所まで歩いていくと、選定されていない木々の間から古く大きな蔵が現れた。
 半分開いた蔵の戸から見える暗い内部は、陽光がほとんど届かないことも相まって魑魅魍魎が住まう世界への入口に見える。
 建てられてから百年は優に超えるだろう古い蔵の表面には、大きな亀裂が入り少なくとも数年は手入れされていないことが分かった。

「いいか、今からお前はこの蔵の片付けをするんだ。使用人がやればいいのに、お父様が高梨家の血筋の者がやらなければいけないなんて言うから、俺達がやる羽目になったんだ。だけど、俺達はこんなに汚くて暗い蔵なんか入りたくない。そこでお前だ。お前は一応、お父様の妹の子どもなんだろう」
「……嫌です」

 普段は見下しているのに、都合の良い時だけ高梨家の血筋扱いをする少年へ苛立ち、考えるよりも先に声が出た鈴は彼と視線を合わせた。

「坊ちゃんが言いつけられたことを私がやるのは、旦那様の意に反します。このことが旦那様に知られたら、坊ちゃま達が叱られますよ」

 初めて自分に反論した鈴の態度に驚き、丸くなった少年の顔は怒りで赤くなり目が吊り上がっていく。

「うるさい!」

 ドンッ!

「きゃああ⁉」

 怒った少年によって突き飛ばされ、悲鳴を上げた鈴は蔵の入口の床へ尻もちをついた。
 強か打ち付けた尻の痛みで立ち上がれないでいる鈴の肩を、鼻息を荒くした少年は力いっぱい蹴り飛ばす。

「お兄様、これ」
「ふぅーふぅー、ああそうだな」

 顔を顰めながら起き上がった鈴へ、妹から受け取った鍵を見せ付けた少年はニヤリを笑う。

「いいか、俺達の代わりにお前が蔵の片付けをやっておけ」
「日暮れになったら出してあげるわ。汚いアンタは汚い場所がお似合いよ」

 少年の後ろから顔を出した少女はクスクス声を出して笑う。

「おい、閉じろ」
「はっ」

 蔵の外に待機していた使用人達が少年の命令で扉を押し、軋み音を立てて扉は閉ざされた。
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