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OLは猛獣に翻弄される

02.予期しなかった再会と強引な彼

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 動揺する紗智子を一瞥した男性社員は、ぐしゃりと顔を歪めた。

「は、定時退社かよ。内勤は残業しなくてもいいんだな。本当に羨ましいよ」
「……お疲れ様です」

 余所行きの仮面を貼り付けて、紗智子は彼に向かって軽く頭を下げた。

「俺と付き合っていた時は、定時退社なんてしてくれなかったのにな。そんなに急いでいるなんて、まさか新しい男が出来たのか?」
「新しい男、ですか?」

 聞き流そうとしていた紗智子だったが、小馬鹿にした口調で言われて口元がピクリと引き攣る。

 ヘラヘラ笑うこの男性は、五ヶ月前まで彼氏だと紗智子が思いこんでいた相手。
 学生時代からの親友だと、紗智子が思いこんでいた女性と浮気をして、妊娠させた“元彼氏”だった。

(こんなところで鉢合わせするなんて、最悪だわ)

 一方的に別れを切り出されてから五ヶ月経っていても、まだ彼とは顔を合わせて普通に会話は出来ない。
 頭では「忘れよう」と分かっていても、あの時に抱いた衝撃と悲しみは鮮明に覚えている。
 何よりも、ショックを受ける紗智子に対して表面上は謝罪の言葉を口にしても、元親友が一瞬だけ浮かべた勝ち誇った笑みを目にしてしまい、親友だと思いこんでいたのは自分だけだと知った。
 彼女に抱いた恐怖と嫌悪感は、まだ消えてくれない。

「新しい男が出来たなら、もう俺のことは吹っ切れてるよな? 今、愛加まなかがマタニティブルー? 情緒不安定なんだよ。相談にのってやってくれよ」

 元彼氏の言葉で我に返った紗智子は、笑みの形を作り、持ち手を握っていたバッグを強調するように腕にかける。

「マタニティブルーの相談なら、妊娠経験の無い私ではなくお母さんか、産院の助産師さんに相談する方がいいでしょう。それから、貴方達のおかげでとっても素敵な飲み友達が出来たわ」
「は? 飲み友達?」

 目を丸くする彼の表情がマヌケに見えて、落ち着かなくなっていた紗智子の心が鎮まっていく。

「お先に失礼しまーす」

 作り笑顔ではない自然の笑みを浮かべた紗智子は、彼の返事を聞かずに颯爽とビルから出た。


 ビルから十メートルほど歩き、足を止めた紗智子は息を吐く。

(指示された通り、定時退社したら何処に行けばいいのかしら?)

 待ち合わせの場所を指定するメッセージが来ているかもしれないと、腕にかけているバッグに手を入れてスマートフォンを取り出した。

「お嬢さん、少しいいかしら?」
「はっ、はい。何でしょうか」

 突然、声をかけられた紗智子は慌てて顔を上げる。
 声をかけてきたのは、黒色の帽子をかぶった上品な老婦人だった。
 困り顔の老婦人は、スマートフォンの画面を紗智子に見せる。

「このお店を探しているのだけど、道はこっちで合っているかしら?」
「この店はですね。この道とは逆方向になります。駅方面へ戻って、少し歩きますよ」

 老婦人が探しているのは、地下鉄の駅近くに最近開店したばかりのレストランだった。

「お嬢さんがよろしければ、お店まで案内してくださらない?」

 微笑んだ老婦人は紗智子に近付き、そっと彼女の手を握った。

「……山田紗智子さん、ですね」

 耳元へ口を近付けた老婦人の口から発せられたのは若い女性の声だった。
 名乗っていないはずの名前を言われて、ハッとなった紗智子は老婦人の顔を凝視する。

「ボスがお待ちです。私と一緒に来てくださいますね?」

 否を言わせない響きを含む老婦人の声は、やはり若い女性の声だった。

「え、あの」
「じゃあ、道案内よろしくね」

 若い女性から老婦人の声へ戻した女性は、戸惑う紗智子に向かってにっこりと微笑んだ。

 
 “足の悪い老婦人を孫が支えて歩いている”というくらい、自然な動きで紗智子の腕に掴まった老婦人に誘導されて二人は駅方面へ歩く。
 目的の店の手前で路地へ入り、辿り着いたのはとある会社の裏口だった。

「あの、此処は?」

 時刻はまだ平日の夕方。
 それなのに周囲に人の気配は無く、不安から紗智子は老婦人に問いかける。
 周囲を見渡す紗智子の腕から手を離そうとも、問いに答えることもせずに老婦人は駐車している黒塗りの車を指差した。

「足が痛くて歩けなくなっちゃたわ。お店まで車で行きましょう」
「車?」

 老婦人が指差したのは、車に疎い紗智子でも知っている海外の高級車で、運転席には黒色スーツのサングラスをかけた男性が座っていた。

「さあ、乗って」
「……はい」

 運転席の男性から堅気ではない雰囲気を感じ取り、老婦人の目的を察した紗智子は覚悟を決めて車に近付いた。

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