8 / 8
長い眠りにつく
しおりを挟む
正月でさえも、自称進学校から出された「作業」という名の課題に明け暮れる。数学のワークなんて提出範囲が120ページもある。これだけあったら生徒達もモチベーションを失い、答えを写す「作業」になることを教師陣は理解しているのだろうか。いずれにせよ、この量は合理的ではない。むしろ生徒の勉強意欲を削いでいる悪の塊だ。
いつしか外は夕暮れる。時計の針は午後5時前。
「ただいま」と、介護施設のパートタイムで働く母が帰ってきた。
「また勉強してたの?」
「学校からの課題が多いからね」
「昨日も寝るの遅かったんでしょ? 今日ぐらいは早く寝なさいよ」
「……そうすると多分終わらないんですけど」
僕は少し苛立って言った。こっちだってやりたいことは山ほどある。睡眠も然りだ。あたかも「やりたくて勉強している」と思っていそうな母の口ぶりが毎度毎度嫌だった。
「そういえば、今日お父さんは同窓会だよね。夜はカレーでいい?」
「カレー? やったね」
高校生になっても好きな食べ物はカレー。正直週7でカレーでもいいと思っている。
母がリヒングを出ると、見計らったように母の携帯が鳴る。父からの着信だった。
「もしもし?」僕は電話に出た。
「あれ、お母さんは?」と言われたので、和室で洗濯物を畳んでいた母に携帯を渡す。
「もしもし……。……えぇっ!? うん……。えぇ……」
驚愕、呆然、沈痛の10秒間。僕は母の姿を不審に思い、その場の壁に背を預ける。
母が電話を切った。赤い目には涙が浮かんでいる。
「どうしたん?」
「琴美さんが亡くなったって」
「え?」
これには僕自身も驚いた。琴美さんは、近所に住むおばさんで、姉の友達の親でもある。たまに我が家に来ては、1時間近くもくっちゃべって、なかなか迷惑な人だったが、楽しい人でもあった。年齢も母より少し上なだけで、明らかに寿命ではなかったはずだ。
「5月くらいから、ずっと『腰が痛い、腰が痛い』って言っててさ、私も『腰が痛くて長い期間治らないと内臓が悪いかもしれないから、そっちの病院も行った方がいいよ』とは言ったんだけどさぁ……」
僕は母の話を聞いていたが、それは本当に「聞いていた」だけで、僕はひたすら「死」の存在をすぐ近くに感じていた。
◇◇◇◇◇
結局、床につこうとしたのは夜中の3時過ぎであった。廊下に出ると、夜の寒さが体を突き刺す。
母が眠る寝室。目の前の布団に入る。
仰向けになって、目を閉じる。
死ぬ。
死後の世界はどんなものだろうか。
それは天国かもしれないし、地獄かもしれない。
でもそれは人が考え出した幻想で、本当は何も無いかもしれない。
いつも通り目が覚めて、物心がついたばかりの幼子として転生するかもしれないし、またはもう一度「僕」を始めるのかもしれない。
ああ、体の力が抜けていく。
動かそうにも、動かない。
時間が止まっているようだ。1秒が限りなく長い。いや、1秒の定義が、時間の定期が通用するかもわからない時空の狭間に、僕はいる。
体の表面は温かいのに、芯は冷たい。
ああ。死んでいく。
これが死後の世界かもしれない。
でも、これも僕が考え出した幻想で。
――やめよう。不毛だ。非合理だ。
突然興冷めして、考えることを止めた。すると、体が、すっ、と布団に馴染んだ。
翌朝、柔らかな太陽の光に包まれて、僕は生きていた。
今日も、作業に明け暮れる。
いつしか外は夕暮れる。時計の針は午後5時前。
「ただいま」と、介護施設のパートタイムで働く母が帰ってきた。
「また勉強してたの?」
「学校からの課題が多いからね」
「昨日も寝るの遅かったんでしょ? 今日ぐらいは早く寝なさいよ」
「……そうすると多分終わらないんですけど」
僕は少し苛立って言った。こっちだってやりたいことは山ほどある。睡眠も然りだ。あたかも「やりたくて勉強している」と思っていそうな母の口ぶりが毎度毎度嫌だった。
「そういえば、今日お父さんは同窓会だよね。夜はカレーでいい?」
「カレー? やったね」
高校生になっても好きな食べ物はカレー。正直週7でカレーでもいいと思っている。
母がリヒングを出ると、見計らったように母の携帯が鳴る。父からの着信だった。
「もしもし?」僕は電話に出た。
「あれ、お母さんは?」と言われたので、和室で洗濯物を畳んでいた母に携帯を渡す。
「もしもし……。……えぇっ!? うん……。えぇ……」
驚愕、呆然、沈痛の10秒間。僕は母の姿を不審に思い、その場の壁に背を預ける。
母が電話を切った。赤い目には涙が浮かんでいる。
「どうしたん?」
「琴美さんが亡くなったって」
「え?」
これには僕自身も驚いた。琴美さんは、近所に住むおばさんで、姉の友達の親でもある。たまに我が家に来ては、1時間近くもくっちゃべって、なかなか迷惑な人だったが、楽しい人でもあった。年齢も母より少し上なだけで、明らかに寿命ではなかったはずだ。
「5月くらいから、ずっと『腰が痛い、腰が痛い』って言っててさ、私も『腰が痛くて長い期間治らないと内臓が悪いかもしれないから、そっちの病院も行った方がいいよ』とは言ったんだけどさぁ……」
僕は母の話を聞いていたが、それは本当に「聞いていた」だけで、僕はひたすら「死」の存在をすぐ近くに感じていた。
◇◇◇◇◇
結局、床につこうとしたのは夜中の3時過ぎであった。廊下に出ると、夜の寒さが体を突き刺す。
母が眠る寝室。目の前の布団に入る。
仰向けになって、目を閉じる。
死ぬ。
死後の世界はどんなものだろうか。
それは天国かもしれないし、地獄かもしれない。
でもそれは人が考え出した幻想で、本当は何も無いかもしれない。
いつも通り目が覚めて、物心がついたばかりの幼子として転生するかもしれないし、またはもう一度「僕」を始めるのかもしれない。
ああ、体の力が抜けていく。
動かそうにも、動かない。
時間が止まっているようだ。1秒が限りなく長い。いや、1秒の定義が、時間の定期が通用するかもわからない時空の狭間に、僕はいる。
体の表面は温かいのに、芯は冷たい。
ああ。死んでいく。
これが死後の世界かもしれない。
でも、これも僕が考え出した幻想で。
――やめよう。不毛だ。非合理だ。
突然興冷めして、考えることを止めた。すると、体が、すっ、と布団に馴染んだ。
翌朝、柔らかな太陽の光に包まれて、僕は生きていた。
今日も、作業に明け暮れる。
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
【ショートショート】雨のおはなし
樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
青春
◆こちらは声劇、朗読用台本になりますが普通に読んで頂ける作品になっています。
声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。
⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠
・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します)
・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。
その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
【ショートショート】おやすみ
樹(いつき)@作品使用時は作者名明記必須
恋愛
◆こちらは声劇用台本になりますが普通に読んで頂いても癒される作品になっています。
声劇用だと1分半ほど、黙読だと1分ほどで読みきれる作品です。
⚠動画・音声投稿サイトにご使用になる場合⚠
・使用許可は不要ですが、自作発言や転載はもちろん禁止です。著作権は放棄しておりません。必ず作者名の樹(いつき)を記載して下さい。(何度注意しても作者名の記載が無い場合には台本使用を禁止します)
・語尾変更や方言などの多少のアレンジはokですが、大幅なアレンジや台本の世界観をぶち壊すようなアレンジやエフェクトなどはご遠慮願います。
その他の詳細は【作品を使用する際の注意点】をご覧下さい。
結城優希の短編集
結城 優希@毎日投稿
ライト文芸
ボクが気ままに書いた数千文字の短編小説をここに随時置いていく予定です!
ボクの私生活の忙しさによっては変わるかもしれないですけど週に2~3回投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
短編は短い中でしっかりと物語を練りこむ必要があるので難しいのですが、安定した構成で良いと思いました。
文章力もしっかりとしていて、参考になります。
お褒めの言葉ありがとうございますm(_ _)m
お世辞でもとても嬉しいです!! 文章力だったり構成だったり表現だったりはまだまだ精進あるのみですが、もしよろしければこれからの作品・何故か分けてしまった別の作品の方の短編も読んでくださると嬉しい限りです。
優里タンさんの小説も楽しみにしてます!