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第七章
ヘンリエッタという「ヒロイン」(ヘンリエッタ視点)
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故郷に雨が降ることはめったになかった。ヘンリエッタの故郷は、南にある、枯れた土地だった。ヘンリエッタが生まれたとき、ヘンリエッタの家にはお金がなくて、いつもヘンリエッタはおなかをすかせていた。ヘンリエッタの産みの母はいつも、悲しい顔で「ごめんね、ヘンリエッタ」とヘンリエッタに謝っていた記憶がある。
ヘンリエッタが物心ついて間もなく、ヘンリエッタは子爵家に引き取られた。
袋一杯の金貨を持って帰っていく母の後姿を、ヘンリエッタは見えなくなるまで見ていた。
コックス子爵夫人だという新しいヘンリエッタの母は優しかった。
新しい母は、ハシバミ色の髪を揺らして、ヘンリエッタを大切な宝物を見るような、熱のこもった目で見つめてくれた。
新しい母は、実は自分は異世界からの転生者なのだと言った。
異世界には、ヘンリエッタが見たこともないような、想像したこともないような高度な文明があって、母はそこで死んで、この世界に生まれ変わったのだと。
母はヘンリエッタによく異世界の話をしてくれた。
ヘンリエッタが特に好きだったのは、母が異世界で好きだった「乙女ゲーム」というものの話だ。
その「乙女ゲーム」の中で、「ヒロイン」はいつも素敵な「攻略対象」と結ばれて幸せになるのだという。何度も「乙女ゲーム」の話をねだるヘンリエッタに、母は言った。
「あなたも『乙女ゲーム』の『ヒロイン』なのよ」と。嬉しそうに「私はヒロインの義理の母親だけど、あなたをいじめたりしないわ」と言った。
ヘンリエッタが「ヒロイン」である乙女ゲームは「私の陽光」というタイトルのゲームだ。
義理の母に疎まれるつらい幼少期を過ごしたヒロインは、王立の学園に入って自分を照らしてくれるおひさまのような「攻略対象」と出会い、さまざまな経験を得て成長する。やがて攻略対象の心の傷を癒したヒロインは、自分こそが攻略対象にとっての光となって、幸せな結末を迎える、という物語。
「私のイチオシはユリウス様ルートね! 眼鏡イケメンって最高! でも、やっぱりヘンリエッタにはハーレムルートを進んでほしいわ! 全員分のスチルが見られるんですもの!」
そのためなら私は助力を惜しまないわ!と笑った母は無邪気な少女の顔をしていた。
母はヘンリエッタにすべてを与えてくれた。ヘンリエッタは母の言う通りにした。母に喜んでほしかったから。
「私ね、昔王城で侍女をしてたの。ヘンリエッタを邪魔してくる悪役令嬢を奴隷商人に売ってやったわ。ステータスが高いからなかなか対処が難しいのよね。なぜか女王と王配が死んじゃったけど……ま、ゲームの修正力があるから大丈夫でしょ。むしろオリバーが王太子になっちゃったりして!? わ、それって最高!」
ヘンリエッタは母がヘンリエッタのためにそれほど努力してくれたのだわ、と思って、にっこり笑った。そうすると母は少女のように満足そうに笑ったから、ああ、これでよかったんだわ、と思った。
母の膝に抱かれ、母の選んだ服をまとい、ヘンリエッタらしいしぐさを身に着ける。
――私はこの世界のヒロイン。
皆がヘンリエッタを好きになる。と母は言った。
事実、そうだった。学園に入学して、母の言うとおりに行動したら、王子も側近もみんなころっとヘンリエッタにほれ込んだ。
悪役令嬢が母の「推し」であるユリウスの妹として出て来たのは不思議だったが、母のいう「ゲームの修正力」のことだろうと納得した。
……でも、最後はうまくいかなかった。
ヘンリエッタは王女を陥れた罪で、母は王女誘拐の手引きをした罪で、貴族用の牢へ投獄された。母は今臥せっている。
どうしてこんなことになったの、と泣いている。あの、少女のような顔で。
母を元気にするためには、どうしたらいいのだろう。
ああ、そうだ。ユリウスは母の「推し」だ。ハーレムエンドは無理だったけれど、ユリウスを手にいれれば、母はきっと元気になる。
「ユリウスを、攻略しないと……」
ヘンリエッタは必死で考えた。今までずっと母の言うとおりにしてきたから、うまく考えがまとまらない。その時だった。
ヘンリエッタたちが閉じ込められている場所へ、オリバーがやってきたのは。
「恋人に一目だけでも会いたい、と言って、連れてきてもらったんだ」
幽閉されているはずのオリバーが会いに来たのが不思議だったが、そういうことなら納得だった。
「オリバー様、ありがとう」
鉄錆の臭いがして、ヘンリエッタは顔をしかめた。オリバーはごめんごめん、と言って、なにかでべっとり濡れた剣を鞘にしまった。
オリバーはほほ笑んで言った。
「かわいいヘンリエッタ。愛しているよ。愛しているから、君のやりたいことを手伝おう。そのために来たんだ。そう、例えば、イリスレインを殺す、とか」
オリバーの言葉に、ヘンリエッタはアッと思った。そうだ、たしかに、イリスレインを殺せば、ユリウスの愛情の向かう先はなくなる。そうしたら自動的に、ヒロインであるヘンリエッタが愛されるじゃないか!
「さすが、オリバー様! ありがとうございます! 私、がんばります!」
母が教えてくれた、ヘンリエッタの立ち絵のひとつであるぎゅっと両手を握りしめたポーズをとる。かわいいかわいい、とオリバーが笑ってくれて、ヘンリエッタも嬉しくなった。
牢に母を残していくのは心配だが、今もぶつぶつ何かを言っている母は自分で動いてくれないのだからしょうがない。
きっとユリウスを連れて戻ってくるわ、と言い残して、ヘンリエッタは牢を出た。
オリバーの、琥珀色の目が三日月の形に細まって、怪しい光を宿したのを、ヘンリエッタは知らなかった。
ヘンリエッタが物心ついて間もなく、ヘンリエッタは子爵家に引き取られた。
袋一杯の金貨を持って帰っていく母の後姿を、ヘンリエッタは見えなくなるまで見ていた。
コックス子爵夫人だという新しいヘンリエッタの母は優しかった。
新しい母は、ハシバミ色の髪を揺らして、ヘンリエッタを大切な宝物を見るような、熱のこもった目で見つめてくれた。
新しい母は、実は自分は異世界からの転生者なのだと言った。
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母はヘンリエッタによく異世界の話をしてくれた。
ヘンリエッタが特に好きだったのは、母が異世界で好きだった「乙女ゲーム」というものの話だ。
その「乙女ゲーム」の中で、「ヒロイン」はいつも素敵な「攻略対象」と結ばれて幸せになるのだという。何度も「乙女ゲーム」の話をねだるヘンリエッタに、母は言った。
「あなたも『乙女ゲーム』の『ヒロイン』なのよ」と。嬉しそうに「私はヒロインの義理の母親だけど、あなたをいじめたりしないわ」と言った。
ヘンリエッタが「ヒロイン」である乙女ゲームは「私の陽光」というタイトルのゲームだ。
義理の母に疎まれるつらい幼少期を過ごしたヒロインは、王立の学園に入って自分を照らしてくれるおひさまのような「攻略対象」と出会い、さまざまな経験を得て成長する。やがて攻略対象の心の傷を癒したヒロインは、自分こそが攻略対象にとっての光となって、幸せな結末を迎える、という物語。
「私のイチオシはユリウス様ルートね! 眼鏡イケメンって最高! でも、やっぱりヘンリエッタにはハーレムルートを進んでほしいわ! 全員分のスチルが見られるんですもの!」
そのためなら私は助力を惜しまないわ!と笑った母は無邪気な少女の顔をしていた。
母はヘンリエッタにすべてを与えてくれた。ヘンリエッタは母の言う通りにした。母に喜んでほしかったから。
「私ね、昔王城で侍女をしてたの。ヘンリエッタを邪魔してくる悪役令嬢を奴隷商人に売ってやったわ。ステータスが高いからなかなか対処が難しいのよね。なぜか女王と王配が死んじゃったけど……ま、ゲームの修正力があるから大丈夫でしょ。むしろオリバーが王太子になっちゃったりして!? わ、それって最高!」
ヘンリエッタは母がヘンリエッタのためにそれほど努力してくれたのだわ、と思って、にっこり笑った。そうすると母は少女のように満足そうに笑ったから、ああ、これでよかったんだわ、と思った。
母の膝に抱かれ、母の選んだ服をまとい、ヘンリエッタらしいしぐさを身に着ける。
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事実、そうだった。学園に入学して、母の言うとおりに行動したら、王子も側近もみんなころっとヘンリエッタにほれ込んだ。
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……でも、最後はうまくいかなかった。
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どうしてこんなことになったの、と泣いている。あの、少女のような顔で。
母を元気にするためには、どうしたらいいのだろう。
ああ、そうだ。ユリウスは母の「推し」だ。ハーレムエンドは無理だったけれど、ユリウスを手にいれれば、母はきっと元気になる。
「ユリウスを、攻略しないと……」
ヘンリエッタは必死で考えた。今までずっと母の言うとおりにしてきたから、うまく考えがまとまらない。その時だった。
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「オリバー様、ありがとう」
鉄錆の臭いがして、ヘンリエッタは顔をしかめた。オリバーはごめんごめん、と言って、なにかでべっとり濡れた剣を鞘にしまった。
オリバーはほほ笑んで言った。
「かわいいヘンリエッタ。愛しているよ。愛しているから、君のやりたいことを手伝おう。そのために来たんだ。そう、例えば、イリスレインを殺す、とか」
オリバーの言葉に、ヘンリエッタはアッと思った。そうだ、たしかに、イリスレインを殺せば、ユリウスの愛情の向かう先はなくなる。そうしたら自動的に、ヒロインであるヘンリエッタが愛されるじゃないか!
「さすが、オリバー様! ありがとうございます! 私、がんばります!」
母が教えてくれた、ヘンリエッタの立ち絵のひとつであるぎゅっと両手を握りしめたポーズをとる。かわいいかわいい、とオリバーが笑ってくれて、ヘンリエッタも嬉しくなった。
牢に母を残していくのは心配だが、今もぶつぶつ何かを言っている母は自分で動いてくれないのだからしょうがない。
きっとユリウスを連れて戻ってくるわ、と言い残して、ヘンリエッタは牢を出た。
オリバーの、琥珀色の目が三日月の形に細まって、怪しい光を宿したのを、ヘンリエッタは知らなかった。
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