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第七章
前に進むために2
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思い出すのは、あの卒業パーティーの日、レインとユリウスが結ばれた日のこと。
唇に触れた感触を、忘れた日などない。
甘やかで、蕩けるような、幸せな体験だった。
レインがそんなことを思い出してもじもじしていると、ふいに屋敷のほう――つまり、真後ろから声が聞こえて来た。
「仲良しですね、お二人とも」
ユリウスの従僕であるベンジャミンだ。
こんな、ユリウスにべったりと甘えているところを見られてしまった、と恥ずかしくなって慌てたレインが、ユリウスの膝から降りるべく体を動かすも、ユリウスの手はレインをしっかりと抱いたまま、離してはくれない。
「あ、あの……」
恥ずかしくて、照れてしまって――困り果てたレインがベンジャミンを見上げると、彼は「ははは! 相変わらずユーリはおひいさまが好きで好きで仕方ないんですね」と豪快に笑った。
「ベン、レインとの時間を邪魔するな」
「ああ、違う違う。馬に蹴られに来たわけじゃないぞ」
ユリウスに対してだけ砕けた口調で、ベンジャミンは両手を振ってユリウスの言葉を否定した。
「じゃあなんだ。のっぴきならない書簡でも届いたのか?」
「残念ながらそう。だから許してくれよ」
そういうベンジャミンの手元には、一通の手紙。その封筒には、それが王家からのものであるという印璽が押されていた。
「……」
今のところ、王家からの便りにはいい思い出がない。不安になって眉尻を下げるレインの頭を、ユリウスが優しくなでてくれる。
「見せてくれ」
「はいよ」
ベンジャミンから封筒を受けとったユリウスが一緒に手渡されたペーパーナイフで封を切る。
そして、中身に上から下まで目を走らせ、その目に眼鏡越しでもわかるくらい冷たい色を宿して目を細めた。
「おにい……ユリウス様?」
「レイン、読むかい?」
「は、はい……」
ユリウスがさし出した手紙に、レインも目を通す。そこには、今まで兄妹として過ごしていたけれど、婚約者だと発表したのだから、別々に住むべきだと書かれていた。
そこまでは納得できた。婚約者同士、結婚もしていないものが同じ屋根の下に住むのは外聞が悪いのはレインにもわかる。問題はその次だった。
レインは――イリスレインはいずれ女王として即位するのだから、その準備、教育をしなければならない。この手紙は、だから王城に住まないか、という申し出だった。
「女……王……?」
「……レインには帝王学を含めて最高の教育をしてきた。女王に即位するとしても、教養的には全く問題がない。あとは外交などの実践だけだ」
ユリウスが静かに言った。レインは思わずユリウスを振り仰ぐ。
「お兄様は、私に女王になれと……?」
「いいや」
ユリウスはきっぱりと否定した。
「レインには、女王になれるだけの資質も、血筋もある。だが、私が君にそうした教育をほどこしたのは、あくまでレインの選択肢を増やすためだ。レインが嫌なら、王位は第二王子にでも譲ればいい。今は幼いが、数年もすれば成人だ。私は、レインに無理強いはしない」
「そう、ですか……。でも、私には女王の資質なんて」
「レインはタンポポが好きと言っただろう。普通、雑草と呼ばれるような花に目を向けられ、価値を見出せる。それは臣民に目を行き届かせられる素養だと、私は思っている」
言って、ユリウスは冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。
「なんでもしていいんだ。レイン、君は自由だ。女王になるのなら、私が全力で手助けする。女王になりたくなければ、君は未来の公爵夫人としてここにいればいい」
「ユリウス様……」
レインは、ぽつりとこぼすようにユリウスの名前を呼んだ。
何が何だかわからなくて、うまく髪けないほどに話が速く進んでいく。
……だけど。
「……私、お城に行ってみようと思います」
「……わかった」
「でも、それは女王になると決意したからではありません。私は、母と父のことを知りたいんです。だから、それを知るために、王城へ行こうと思います」
レインのしっかりとした言葉に、ユリウスはうなずいた。
「ああ、レイン。……君の、心のままに」
レインは、屋敷の東の空を見上げた。
今は屋敷の高い生垣で見えないけれど、あの空の下には王城がある。
――レインの生まれた場所が。
(私、知りたい。私の生まれた場所で、私の母が、父が、どうやって生きていたのか。記録だけじゃない、私の、亡くした記憶の中にいる、両親を知りたい)
きっと、少し前ならこんなことを思いつきもしなかった。王城へ行くのはオリバーとの結婚の時で、それがレインの終の墓場だと思っていた。
だから、こんな気持ちで王城に行く日が来るなんて、想像もしていなくて。
――レインは、今もレインを抱きかかえているユリウスの腕にそっと手を添えた。
(大丈夫、ユリウス様がいるから、私は前に進もうと思えたのだから)
そう思って、もう一度見上げた空は、雲一つありはしない。
ただ、ただ――ひたすらに、青く、高かった。
唇に触れた感触を、忘れた日などない。
甘やかで、蕩けるような、幸せな体験だった。
レインがそんなことを思い出してもじもじしていると、ふいに屋敷のほう――つまり、真後ろから声が聞こえて来た。
「仲良しですね、お二人とも」
ユリウスの従僕であるベンジャミンだ。
こんな、ユリウスにべったりと甘えているところを見られてしまった、と恥ずかしくなって慌てたレインが、ユリウスの膝から降りるべく体を動かすも、ユリウスの手はレインをしっかりと抱いたまま、離してはくれない。
「あ、あの……」
恥ずかしくて、照れてしまって――困り果てたレインがベンジャミンを見上げると、彼は「ははは! 相変わらずユーリはおひいさまが好きで好きで仕方ないんですね」と豪快に笑った。
「ベン、レインとの時間を邪魔するな」
「ああ、違う違う。馬に蹴られに来たわけじゃないぞ」
ユリウスに対してだけ砕けた口調で、ベンジャミンは両手を振ってユリウスの言葉を否定した。
「じゃあなんだ。のっぴきならない書簡でも届いたのか?」
「残念ながらそう。だから許してくれよ」
そういうベンジャミンの手元には、一通の手紙。その封筒には、それが王家からのものであるという印璽が押されていた。
「……」
今のところ、王家からの便りにはいい思い出がない。不安になって眉尻を下げるレインの頭を、ユリウスが優しくなでてくれる。
「見せてくれ」
「はいよ」
ベンジャミンから封筒を受けとったユリウスが一緒に手渡されたペーパーナイフで封を切る。
そして、中身に上から下まで目を走らせ、その目に眼鏡越しでもわかるくらい冷たい色を宿して目を細めた。
「おにい……ユリウス様?」
「レイン、読むかい?」
「は、はい……」
ユリウスがさし出した手紙に、レインも目を通す。そこには、今まで兄妹として過ごしていたけれど、婚約者だと発表したのだから、別々に住むべきだと書かれていた。
そこまでは納得できた。婚約者同士、結婚もしていないものが同じ屋根の下に住むのは外聞が悪いのはレインにもわかる。問題はその次だった。
レインは――イリスレインはいずれ女王として即位するのだから、その準備、教育をしなければならない。この手紙は、だから王城に住まないか、という申し出だった。
「女……王……?」
「……レインには帝王学を含めて最高の教育をしてきた。女王に即位するとしても、教養的には全く問題がない。あとは外交などの実践だけだ」
ユリウスが静かに言った。レインは思わずユリウスを振り仰ぐ。
「お兄様は、私に女王になれと……?」
「いいや」
ユリウスはきっぱりと否定した。
「レインには、女王になれるだけの資質も、血筋もある。だが、私が君にそうした教育をほどこしたのは、あくまでレインの選択肢を増やすためだ。レインが嫌なら、王位は第二王子にでも譲ればいい。今は幼いが、数年もすれば成人だ。私は、レインに無理強いはしない」
「そう、ですか……。でも、私には女王の資質なんて」
「レインはタンポポが好きと言っただろう。普通、雑草と呼ばれるような花に目を向けられ、価値を見出せる。それは臣民に目を行き届かせられる素養だと、私は思っている」
言って、ユリウスは冷めてしまった紅茶を一口飲んだ。
「なんでもしていいんだ。レイン、君は自由だ。女王になるのなら、私が全力で手助けする。女王になりたくなければ、君は未来の公爵夫人としてここにいればいい」
「ユリウス様……」
レインは、ぽつりとこぼすようにユリウスの名前を呼んだ。
何が何だかわからなくて、うまく髪けないほどに話が速く進んでいく。
……だけど。
「……私、お城に行ってみようと思います」
「……わかった」
「でも、それは女王になると決意したからではありません。私は、母と父のことを知りたいんです。だから、それを知るために、王城へ行こうと思います」
レインのしっかりとした言葉に、ユリウスはうなずいた。
「ああ、レイン。……君の、心のままに」
レインは、屋敷の東の空を見上げた。
今は屋敷の高い生垣で見えないけれど、あの空の下には王城がある。
――レインの生まれた場所が。
(私、知りたい。私の生まれた場所で、私の母が、父が、どうやって生きていたのか。記録だけじゃない、私の、亡くした記憶の中にいる、両親を知りたい)
きっと、少し前ならこんなことを思いつきもしなかった。王城へ行くのはオリバーとの結婚の時で、それがレインの終の墓場だと思っていた。
だから、こんな気持ちで王城に行く日が来るなんて、想像もしていなくて。
――レインは、今もレインを抱きかかえているユリウスの腕にそっと手を添えた。
(大丈夫、ユリウス様がいるから、私は前に進もうと思えたのだから)
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