11 / 67
第一章
タンベット男爵家からの救出、そして保護3
しおりを挟む
そうやって案内された部屋はこれもまた広く、レインの住処だった厩なんて両手の指以上に入ってしまうような豪奢なものだった。趣味のいい、素人目にもわかる高価な調度が当然のように配置され、床にはふかふかの絨毯が敷かれている。
レインはユリウスの手からメイドの手に移動させられ、人生で入ったこともないあたたかな湯につけられた。猫足の白いバスタブは、レインが湯に入るとあっという間に濁ってしまう。何度も何度も湯を変えて、信じられないようないい匂いのする石鹸をこれでもかと使って洗われ、それだけで一生分の湯を使ったと思うくらいだったのに、仕上げに薔薇の香油を塗り込められた。
レインは爪の間まで洗い上げられ、仕上げにふかふかの白いタオルで拭われて、そしてこれまたはっとするような手触りのワンピースを着せられて、レインはユリウスとアンダーサン公爵の待つリビングに通された。
どうやって絨毯を踏めばいいのだろう、なんてことを思っていると、メイドは直接ユリウスの腕の中にレインを戻すから、レインはまた目をぱちぱちと瞬いた。
「うん、温まったみたいだね。薬を飲んで寝ようか」
「ユリウスさま、公爵様、ありがとうございます……私、こんなことしていただくの、はじめてで……あの、あの……」
レインがもじもじと体の前で手を握る。
それを優しく見下ろして、ユリウスとアンダーサン公爵は笑った。
「いいんだよ、レイン。君が受けるべき当然の待遇がこういうものなのだから」
「薬湯をお飲み、レイン。はちみつを入れて甘くしてあるから、少しは飲みやすいはずだ」
ユリウスが柔らかくレインの髪を撫で、アンダーサン公爵がマグカップに入った琥珀色の薬湯を差し出してくる。
少し甘苦いそれをゆっくり、ゆっくりと飲みほすと、おなかの中がポカポカしてきた。
瞼がゆるりと重くなる。
まもなく、広い広い天蓋付きのベッドにうつされたレインは、優しく髪を撫でられながら、うとうととまどろみの中に入り込んだ。
アンダーサン公爵がなにか話すことがあると言って、侍従とともに部屋の外に出て行ったから、この部屋には今、ユリウスとレインのふたりっきりだった。
あたたかい、やわらかいベッドは、あの干し草の寝床とはまるで違う。
向けられる気持ち、言葉の種類だって。
それを改めて自覚したとき、レインはその眦から涙を一筋、こぼした。
「レイン」
「これは、夢なんですよね」
「……レイン?」
「これは、きっと素晴らしい夢。やさしいひとが、私を助けて、頭を撫でてくれる、夢。覚めてほしくないけど、きっと覚めてしまう……」
ぽろぽろとあふれる涙を止めることができない。レインはずっと胸の奥にわだかまっていた不安が急に形を成したのに気づいた。
――そっと、手を握られる。
「夢じゃ、ないよ、レイン」
「ユリウスさま……?」
「僕の手が強く握っているのを感じる?あたたかいかな、それとも冷たい?」
「少し、ひんやりしてます」
「熱、ちょっと下がったかな。……温度を感じて、この手を感じて、そうして今、レインはここに横になってる。……大丈夫、夢じゃないよ」
ユリウスの言葉に、レインは赤い目を潤ませた。
あたたかい……それは、レインがもうずいぶん感じていなかった温度で、と同時に、ずっとずっと欲しかった温度だった。
「ユリウスさま、わがままを、言ってもいいですか」
「もちろん」
「手を……」
「手を?」
「握っていてくださいますか。私が眠るまで」
「うん――うん。いいよ……」
ユリウスの手が、レインの手と絡められる。指の一本一本をきゅっと絡められて、レインはほっと息をついた。
うとうととまどろむレインに、ユリウスが子守唄を歌うように告げる。
「君は、これから僕の妹になるんだ」
「……いもうと?」
「そう、君は、レイン・アンダーサン。アンダーサン家の令嬢……アンダーサン家の愛される姫君になって、幸せに暮らすんだよ」
「ふふ、おとぎ話みたい」
レインは知らず、唇に笑みを浮かべていた。それは、レインがここ数年間、まったく覚えなかった感情だった。
「ほんとうに、そうなら、いいな……」
レインの意識がゆっくりと落ちていく。こんな幸せなことはきっと、世界を探しても見つからないわ、と思いながら。
レインの言葉に、ユリウスの目がすっと細められ輝く。
「……レイン。君をもう二度と失わない。……何からも守るよ」
その言葉は、レインの耳に届くことなく――静かに夜の闇に吸い込まれて消えていった。
この後、レインはアンダーサン公爵家の養女として、正式に受け入れられることとなる。
今まで触れたことのないやさしさに包まれながら、レインは公爵家の長女として育つ。
そうしているうちに、風のうわさで、タンベット男爵一家が断罪されたと聞いた。
けれどレインの生活は、そんな噂で波風を立てられるものではなく、どこまでも穏やかで、優しいもののままだった。
レインはユリウスの手からメイドの手に移動させられ、人生で入ったこともないあたたかな湯につけられた。猫足の白いバスタブは、レインが湯に入るとあっという間に濁ってしまう。何度も何度も湯を変えて、信じられないようないい匂いのする石鹸をこれでもかと使って洗われ、それだけで一生分の湯を使ったと思うくらいだったのに、仕上げに薔薇の香油を塗り込められた。
レインは爪の間まで洗い上げられ、仕上げにふかふかの白いタオルで拭われて、そしてこれまたはっとするような手触りのワンピースを着せられて、レインはユリウスとアンダーサン公爵の待つリビングに通された。
どうやって絨毯を踏めばいいのだろう、なんてことを思っていると、メイドは直接ユリウスの腕の中にレインを戻すから、レインはまた目をぱちぱちと瞬いた。
「うん、温まったみたいだね。薬を飲んで寝ようか」
「ユリウスさま、公爵様、ありがとうございます……私、こんなことしていただくの、はじめてで……あの、あの……」
レインがもじもじと体の前で手を握る。
それを優しく見下ろして、ユリウスとアンダーサン公爵は笑った。
「いいんだよ、レイン。君が受けるべき当然の待遇がこういうものなのだから」
「薬湯をお飲み、レイン。はちみつを入れて甘くしてあるから、少しは飲みやすいはずだ」
ユリウスが柔らかくレインの髪を撫で、アンダーサン公爵がマグカップに入った琥珀色の薬湯を差し出してくる。
少し甘苦いそれをゆっくり、ゆっくりと飲みほすと、おなかの中がポカポカしてきた。
瞼がゆるりと重くなる。
まもなく、広い広い天蓋付きのベッドにうつされたレインは、優しく髪を撫でられながら、うとうととまどろみの中に入り込んだ。
アンダーサン公爵がなにか話すことがあると言って、侍従とともに部屋の外に出て行ったから、この部屋には今、ユリウスとレインのふたりっきりだった。
あたたかい、やわらかいベッドは、あの干し草の寝床とはまるで違う。
向けられる気持ち、言葉の種類だって。
それを改めて自覚したとき、レインはその眦から涙を一筋、こぼした。
「レイン」
「これは、夢なんですよね」
「……レイン?」
「これは、きっと素晴らしい夢。やさしいひとが、私を助けて、頭を撫でてくれる、夢。覚めてほしくないけど、きっと覚めてしまう……」
ぽろぽろとあふれる涙を止めることができない。レインはずっと胸の奥にわだかまっていた不安が急に形を成したのに気づいた。
――そっと、手を握られる。
「夢じゃ、ないよ、レイン」
「ユリウスさま……?」
「僕の手が強く握っているのを感じる?あたたかいかな、それとも冷たい?」
「少し、ひんやりしてます」
「熱、ちょっと下がったかな。……温度を感じて、この手を感じて、そうして今、レインはここに横になってる。……大丈夫、夢じゃないよ」
ユリウスの言葉に、レインは赤い目を潤ませた。
あたたかい……それは、レインがもうずいぶん感じていなかった温度で、と同時に、ずっとずっと欲しかった温度だった。
「ユリウスさま、わがままを、言ってもいいですか」
「もちろん」
「手を……」
「手を?」
「握っていてくださいますか。私が眠るまで」
「うん――うん。いいよ……」
ユリウスの手が、レインの手と絡められる。指の一本一本をきゅっと絡められて、レインはほっと息をついた。
うとうととまどろむレインに、ユリウスが子守唄を歌うように告げる。
「君は、これから僕の妹になるんだ」
「……いもうと?」
「そう、君は、レイン・アンダーサン。アンダーサン家の令嬢……アンダーサン家の愛される姫君になって、幸せに暮らすんだよ」
「ふふ、おとぎ話みたい」
レインは知らず、唇に笑みを浮かべていた。それは、レインがここ数年間、まったく覚えなかった感情だった。
「ほんとうに、そうなら、いいな……」
レインの意識がゆっくりと落ちていく。こんな幸せなことはきっと、世界を探しても見つからないわ、と思いながら。
レインの言葉に、ユリウスの目がすっと細められ輝く。
「……レイン。君をもう二度と失わない。……何からも守るよ」
その言葉は、レインの耳に届くことなく――静かに夜の闇に吸い込まれて消えていった。
この後、レインはアンダーサン公爵家の養女として、正式に受け入れられることとなる。
今まで触れたことのないやさしさに包まれながら、レインは公爵家の長女として育つ。
そうしているうちに、風のうわさで、タンベット男爵一家が断罪されたと聞いた。
けれどレインの生活は、そんな噂で波風を立てられるものではなく、どこまでも穏やかで、優しいもののままだった。
24
お気に入りに追加
1,943
あなたにおすすめの小説

殿下、私は困ります!!
IchikoMiyagi
恋愛
公爵令嬢ルルーシア=ジュラルタは、魔法学校で第四皇子の断罪劇の声を聞き、恋愛小説好きが高じてその場へと近づいた。
すると何故だか知り合いでもない皇子から、ずっと想っていたと求婚されて?
「ふふふ、見つけたよルル」「ひゃぁっ!!」
ルルは次期当主な上に影(諜報員)見習いで想いに応えられないのに、彼に惹かれていって。
皇子は彼女への愛をだだ漏らし続ける中で、求婚するわけにはいかない秘密を知らされる。
そんな二人の攻防は、やがて皇国に忍び寄る策略までも雪だるま式に巻き込んでいき――?
だだ漏れた愛が、何かで報われ、何をか救うかもしれないストーリー。
なろうにも投稿しています。

【完結】仕事のための結婚だと聞きましたが?~貧乏令嬢は次期宰相候補に求められる
仙桜可律
恋愛
「もったいないわね……」それがフローラ・ホトレイク伯爵令嬢の口癖だった。社交界では皆が華やかさを競うなかで、彼女の考え方は異端だった。嘲笑されることも多い。
清貧、質素、堅実なんていうのはまだ良いほうで、陰では貧乏くさい、地味だと言われていることもある。
でも、違う見方をすれば合理的で革新的。
彼女の経済観念に興味を示したのは次期宰相候補として名高いラルフ・バリーヤ侯爵令息。王太子の側近でもある。
「まるで雷に打たれたような」と彼は後に語る。
「フローラ嬢と話すとグラッ(価値観)ときてビーン!ときて(閃き)ゾクゾク湧くんです(政策が)」
「当代随一の頭脳を誇るラルフ様、どうなさったのですか(語彙力どうされたのかしら)もったいない……」
仕事のことしか頭にない冷徹眼鏡と無駄使いをすると体調が悪くなる病気(メイド談)にかかった令嬢の話。
【コミカライズ2月28日引き下げ予定】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。
氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。
私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。
「でも、白い結婚だったのよね……」
奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。
全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。
一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。
断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

《完》義弟と継母をいじめ倒したら溺愛ルートに入りました。何故に?
桐生桜月姫
恋愛
公爵令嬢たるクラウディア・ローズバードは自分の前に現れた天敵たる天才な義弟と継母を追い出すために、たくさんのクラウディアの思う最高のいじめを仕掛ける。
だが、義弟は地味にずれているクラウディアの意地悪を糧にしてどんどん賢くなり、継母は陰ながら?クラウディアをものすっごく微笑ましく眺めて溺愛してしまう。
「もう!どうしてなのよ!!」
クラウディアが気がつく頃には外堀が全て埋め尽くされ、大変なことに!?
天然混じりの大人びている?少女と、冷たい天才義弟、そして変わり者な継母の家族の行方はいかに!?

絞首刑まっしぐらの『醜い悪役令嬢』が『美しい聖女』と呼ばれるようになるまでの24時間
夕景あき
ファンタジー
ガリガリに痩せて肌も髪もボロボロの『醜い悪役令嬢』と呼ばれたオリビアは、ある日婚約者であるトムス王子と義妹のアイラの会話を聞いてしまう。義妹はオリビアが放火犯だとトムス王子に訴え、トムス王子はそれを信じオリビアを明日の卒業パーティーで断罪して婚約破棄するという。
卒業パーティーまで、残り時間は24時間!!
果たしてオリビアは放火犯の冤罪で断罪され絞首刑となる運命から、逃れることが出来るのか!?

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました
八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます
修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢
岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか?
「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」
「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」
マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる