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第一章
助けてくれた男の子1
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どうして、少年がレインの名前を知っているのだろう。
レインをレインと呼ぶのはレインだけだ。もう失って久しい、奴隷になる前の記憶の中、自分がそう呼ばれていた気がして、レインは自分をレインと呼称していた。
「私は名無し、です。お客様」
「名無し!?タンベット男爵は君を名無しだと……」
「はい」
ぎゅっと握られた腕が少し痛い。レインが顔をしかめると、少年ははっと気づいたように、まじまじとレインの顔を見つめた。
「ここも、ここも……なんてひどい傷だ……。熱まであるじゃないか、おいで、君。ここにいたら死んでしまう」
「ご主人様のお言いつけです。私はここから出てはいけないんです。本当は、少し出てしまっているから、もうだめなんですけど……」
「そんなことを言っている場合じゃないだろう……!?」
「それに、公爵閣下とそのご子息に、お嬢様がしようとしていることをお伝えしなければならないのです、お嬢様が公爵閣下のご子息になにかして、無理矢理婚約なさろうとしています、と」
「なんだって?パトリシア嬢、なにか企んでいるとは思っていたが、そんなことを考えていたなんて」
「ですから、離してください。今なら私が罰せられるだけで……」
「その必要はない」
レインの言葉に、少年はきっぱりと言った。
「僕がその公爵子息だ。ありがとう、たくらみを教えてくれて。でも、それより優先することは、君の手当てだ」
「え……?」
驚きに目を見開くレインを抱えて横抱きにし、少年は傘を脇に挟んで力強く歩きだした。ぽつ、ぽつ、とまた雨が降り始める。
けれど、温かな腕が、レインをその冷たさから守ってくれた。レインが混乱して何もいえないでいると、安心させるような笑みが降ってくる。暗いなかでもその笑顔の気配はよくわかった。
どこか懐かしい、慕わしい気配だわ。レインはそう思った。
その時、遠くからぱしゃぱしゃと走ってくる存在があって、その乱暴な足音から、レインは思いだした恐怖に身を震わせた。この足音は……。
「ユリウス様!こんな雨の中、どこへ行かれていたのですか?」
「ユリウス様、パトリシアも心配しておりました……ん?その腕の中の、もの、は……」
やっぱり、パトリシアお嬢様とご主人様だ。甲高い、きいきいとコウモリの鳴くような声は親子でよく似ている。
少年に抱かれているレインを見て、ご主人様は目を見開き、お嬢様はあんぐりと口をあけ、そうして同時に悪魔のように目を吊り上げた。
「名無し!何をしているの!ユリウス様の服が汚れているじゃない!」
「そうだ、それにお前、物干し小屋から出てくるなと言っただろうが!」
ご主人様のこぶしが勢いよくレインに振り下ろされる。しかし、それがレインにぶつかることはなかった。
ご主人様のぶよぶよのこぶしを、少年――ユリウスというらしい――の手が、がっしりと掴んでいたからだ。
「ゆ、ユリウスさま!どうして」
「お前たち、今、この子に何をしようとした……?」
ユリウスが、ひんやりとした声音で言う。それは先ほどの柔らかいものとは真逆で、まるで氷のように底冷えのする声だった。
「ど、奴隷にしつけをしているだけです!わ、私はこいつの主人ですから」
「ほう……お前はこの子を奴隷として所持している、というんだな」
「そうです!」
レインをレインと呼ぶのはレインだけだ。もう失って久しい、奴隷になる前の記憶の中、自分がそう呼ばれていた気がして、レインは自分をレインと呼称していた。
「私は名無し、です。お客様」
「名無し!?タンベット男爵は君を名無しだと……」
「はい」
ぎゅっと握られた腕が少し痛い。レインが顔をしかめると、少年ははっと気づいたように、まじまじとレインの顔を見つめた。
「ここも、ここも……なんてひどい傷だ……。熱まであるじゃないか、おいで、君。ここにいたら死んでしまう」
「ご主人様のお言いつけです。私はここから出てはいけないんです。本当は、少し出てしまっているから、もうだめなんですけど……」
「そんなことを言っている場合じゃないだろう……!?」
「それに、公爵閣下とそのご子息に、お嬢様がしようとしていることをお伝えしなければならないのです、お嬢様が公爵閣下のご子息になにかして、無理矢理婚約なさろうとしています、と」
「なんだって?パトリシア嬢、なにか企んでいるとは思っていたが、そんなことを考えていたなんて」
「ですから、離してください。今なら私が罰せられるだけで……」
「その必要はない」
レインの言葉に、少年はきっぱりと言った。
「僕がその公爵子息だ。ありがとう、たくらみを教えてくれて。でも、それより優先することは、君の手当てだ」
「え……?」
驚きに目を見開くレインを抱えて横抱きにし、少年は傘を脇に挟んで力強く歩きだした。ぽつ、ぽつ、とまた雨が降り始める。
けれど、温かな腕が、レインをその冷たさから守ってくれた。レインが混乱して何もいえないでいると、安心させるような笑みが降ってくる。暗いなかでもその笑顔の気配はよくわかった。
どこか懐かしい、慕わしい気配だわ。レインはそう思った。
その時、遠くからぱしゃぱしゃと走ってくる存在があって、その乱暴な足音から、レインは思いだした恐怖に身を震わせた。この足音は……。
「ユリウス様!こんな雨の中、どこへ行かれていたのですか?」
「ユリウス様、パトリシアも心配しておりました……ん?その腕の中の、もの、は……」
やっぱり、パトリシアお嬢様とご主人様だ。甲高い、きいきいとコウモリの鳴くような声は親子でよく似ている。
少年に抱かれているレインを見て、ご主人様は目を見開き、お嬢様はあんぐりと口をあけ、そうして同時に悪魔のように目を吊り上げた。
「名無し!何をしているの!ユリウス様の服が汚れているじゃない!」
「そうだ、それにお前、物干し小屋から出てくるなと言っただろうが!」
ご主人様のこぶしが勢いよくレインに振り下ろされる。しかし、それがレインにぶつかることはなかった。
ご主人様のぶよぶよのこぶしを、少年――ユリウスというらしい――の手が、がっしりと掴んでいたからだ。
「ゆ、ユリウスさま!どうして」
「お前たち、今、この子に何をしようとした……?」
ユリウスが、ひんやりとした声音で言う。それは先ほどの柔らかいものとは真逆で、まるで氷のように底冷えのする声だった。
「ど、奴隷にしつけをしているだけです!わ、私はこいつの主人ですから」
「ほう……お前はこの子を奴隷として所持している、というんだな」
「そうです!」
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