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第一章
婚約破棄2
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レインの体が、おこりのように震える。婚約破棄された、という事実にではなく、ユリウスの輝かしい経歴に、自分のようなものが汚れをつけてしまった、ということが、そしてそれが原因で、ユリウス自身に軽蔑されるかもしれない、ということが恐ろしかった。
――けれど。
「大丈夫だよ、レイン」
ユリウスは小さくささやいた。レインにだけ聞こえるような、やわらかな声で。
はっと振り仰いだユリウスは、レインの髪を優しく撫ぜて、レインを安心させるように微笑んで見せた。
「そうです! レイン様、ひどい!この期に及んで、いいわけをするなんて……」
「黙れ、愚か者!」
「へ……?」
ユリウスの言葉に、ヘンリエッタはきょとんと目を瞬いた。オリバーも目を丸くしている。
それはレインも同じで、レインはユリウスの腕に包まれたまま、ユリウスを見上げてぽかんと口を開けた。それはそうだ。いつだって穏やかで、冷静に王太子をいさめる未来の側近であるはずのユリウスが、こんな、全身に怒気をみなぎらせて、あまつさえ「愚か者」などと暴言を吐く姿を、誰が想像できただろう。
低い声が耳朶を打つ。それは、傷ついた番を守るオオカミの唸り声にも似ていた。
我慢ならない、というようにわなわなと震えるユリウスは、レインをそっとその場に立たせると、かつかつと靴音を鳴らし、オリバーのもとへ歩み寄った。
それを何と勘違いしたのか、オリバーが余裕を取り戻し、手をひらひらさせて口を開く。
「そ、そうだ、愚か者だな。王太子の婚約者をいじめるなんて……」
「貴様のことを言っている。オリバー・グレイウォード!そこの女にそそのかされただけなら看過できようが、貴様、今なんと言った。私のレインを、よくも奴隷令嬢などと言ってくれたな」
「ゆ。ユリウス様……?」
オリバーの襟首をつかみ、首を絞めるように引き上げたユリウスに、ヘンリエッタがおびえたような声を出した。ぎゅうぎゅうと首を絞められ、泡を吹いたオリバーを助けようとする者はいない。皆、ユリウスの剣幕に怯えているのだ。
「貴様も黙れ、ヘンリエッタ・コックス。貴様が私の大切なレインを貶めようと様々に画策したことはすべて調べがついている。今までレインが何も言わなかったから見逃していたが、それが間違いだった」
――レインに近づく害悪は、すべて私が排除せねばならなかった。
呟かれたそれを、正面から受けたヘンリエッタはさあっと顔色を青く変える。
「で、でも、ユリウス様、私、本当にいじめられて……」
「まだ言うか。その頭にはカボチャスープでも詰まっているのではあるまいな。本当に愚かだ。だいたい、王家とレインの婚約など、私自らが破棄して久しい」
「ど、どういうことですか……?」
今度はレインが声をあげる番だった。だって、レインはいままで、この婚約がアンダーサン公爵家のためになると思って耐えて来たのだ。それを、兄自らが破棄していた、だなんて。
「私は、お兄様のお役には立てなかったのですか……?」
「ああ、違うよ、かわいいレイン」
今にも赤い目から涙をこぼしそうなレインの目じりをそっとぬぐい、ユリウスはオリバーたちに向けるのとは真逆の表情でレインに向き直った。
「泣かないでおくれ、私のレイン。私があの婚約を破棄したのは、お前を誰にも渡したくないと思ったからだ。お前は今、私の婚約者なんだよ、レイン」
「……え?」
レインは目を見開いた。だって自分はユリウスとは戸籍上は兄妹のはずで、兄妹は結婚なんてできなくて……。そもそも、王家と公爵家のつながりを増すために婚約をしたのであって、レインとユリウスが結婚してしまえば、その目的もかなわなくなって……。
あら、あら?目をぱちくりさせているレインに、ユリウスがふっと笑う。いとおしさを形にしたようなその微笑みに、レインは場違いにも頬を真っ赤に染めてしまった。
混乱して、考えをうまく処理できない。
レインはぐるぐる回る頭を抱えて、今日までの出来事を思い返した。――そう、それは、ある雨の日のことだった。
――けれど。
「大丈夫だよ、レイン」
ユリウスは小さくささやいた。レインにだけ聞こえるような、やわらかな声で。
はっと振り仰いだユリウスは、レインの髪を優しく撫ぜて、レインを安心させるように微笑んで見せた。
「そうです! レイン様、ひどい!この期に及んで、いいわけをするなんて……」
「黙れ、愚か者!」
「へ……?」
ユリウスの言葉に、ヘンリエッタはきょとんと目を瞬いた。オリバーも目を丸くしている。
それはレインも同じで、レインはユリウスの腕に包まれたまま、ユリウスを見上げてぽかんと口を開けた。それはそうだ。いつだって穏やかで、冷静に王太子をいさめる未来の側近であるはずのユリウスが、こんな、全身に怒気をみなぎらせて、あまつさえ「愚か者」などと暴言を吐く姿を、誰が想像できただろう。
低い声が耳朶を打つ。それは、傷ついた番を守るオオカミの唸り声にも似ていた。
我慢ならない、というようにわなわなと震えるユリウスは、レインをそっとその場に立たせると、かつかつと靴音を鳴らし、オリバーのもとへ歩み寄った。
それを何と勘違いしたのか、オリバーが余裕を取り戻し、手をひらひらさせて口を開く。
「そ、そうだ、愚か者だな。王太子の婚約者をいじめるなんて……」
「貴様のことを言っている。オリバー・グレイウォード!そこの女にそそのかされただけなら看過できようが、貴様、今なんと言った。私のレインを、よくも奴隷令嬢などと言ってくれたな」
「ゆ。ユリウス様……?」
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「貴様も黙れ、ヘンリエッタ・コックス。貴様が私の大切なレインを貶めようと様々に画策したことはすべて調べがついている。今までレインが何も言わなかったから見逃していたが、それが間違いだった」
――レインに近づく害悪は、すべて私が排除せねばならなかった。
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「で、でも、ユリウス様、私、本当にいじめられて……」
「まだ言うか。その頭にはカボチャスープでも詰まっているのではあるまいな。本当に愚かだ。だいたい、王家とレインの婚約など、私自らが破棄して久しい」
「ど、どういうことですか……?」
今度はレインが声をあげる番だった。だって、レインはいままで、この婚約がアンダーサン公爵家のためになると思って耐えて来たのだ。それを、兄自らが破棄していた、だなんて。
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「泣かないでおくれ、私のレイン。私があの婚約を破棄したのは、お前を誰にも渡したくないと思ったからだ。お前は今、私の婚約者なんだよ、レイン」
「……え?」
レインは目を見開いた。だって自分はユリウスとは戸籍上は兄妹のはずで、兄妹は結婚なんてできなくて……。そもそも、王家と公爵家のつながりを増すために婚約をしたのであって、レインとユリウスが結婚してしまえば、その目的もかなわなくなって……。
あら、あら?目をぱちくりさせているレインに、ユリウスがふっと笑う。いとおしさを形にしたようなその微笑みに、レインは場違いにも頬を真っ赤に染めてしまった。
混乱して、考えをうまく処理できない。
レインはぐるぐる回る頭を抱えて、今日までの出来事を思い返した。――そう、それは、ある雨の日のことだった。
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