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第一章
婚約破棄1
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「レイン・アンダーサン!俺は貴様との婚約を破棄し、ここにいるヘンリエッタ・コックスとの婚約を結ぶ!奴隷令嬢はさっさとスラムに帰るんだな!」
こんな公衆の面前で婚約破棄をすればどうなるかわかりますか、とか、奴隷だったのは過去の話です、とか、そのヘンリエッタは男爵令嬢だから、王族と婚約する資格はありません、とか。そういう考えが浮かんでは消えて、けれどレインは結局そのどれもを言葉にすることができないまま「そうですか」と静かに応えを返しただけだった。
レイン・アンダーサンは地味な令嬢だった。薄く青みがかった髪はよく手入れされていて絹糸のようだが、それだけ。いつも分厚いビン底眼鏡をかけていて、前髪を長くおろしたその顔つきを見ることができるものはどれだけいるだろうか。
腰のあたりまで長く伸ばした髪は、その窺い知れない顔から幽鬼のようだと例えられ、ごくわずかな使用人などの親しい人間以外には遠巻きにされるような公爵令嬢。派手なのは肩書だけね、と今レインを罵倒しているオリバー・グレイウォード王太子がかばう、子リスのような顔つきをしたヘンリエッタ・コックス男爵令嬢にあざけられたことは記憶に新しい。
レインは自己肯定感が非常に非常に――非常に低い。だからその罵倒も当然のものだと受け入れたし、今こんな時になっても「結局はこうなる運命だったのよ」としか思えなかった。
そんな風に、思い描いた通りの――例えば、狼狽してわめき散らすだとか――反応を示さないレインに対して、オリバーは焦れたようだった。
「なにか言ったらどうなんだ!この奴隷令嬢!」
どん、と突飛ばされて、レインはたたらを踏んだ。今日のこの卒業パーティーのために新しくあつらえた靴はヒールが高い。ぐらりと傾いだ体に、あ、転ぶ、と思った瞬間だった。
「レイン、大丈夫か!」
――ああ、いつだって、あなたは私を助けてくださる。
「お兄様」
抱き留められ、レインはほっと息をつくように、その人を呼んだ。レインよりも濃い青の髪――透き通る眼鏡をかけたその人は、眼鏡越しでも周囲がため息をつくほどに美しい。
均整の取れた体をしていて、その腕は今、レインを強く抱き留めてくださった。
切れ長の目を心配そうに揺らし、レインを支えるその人は、ユリウス・アンダーサン。レインの血のつながらない兄にして、若くしてアンダーサン公爵家を継いだ、氷の公爵様だった。
「ゆ、ユリウス様!違うんですのよ、私――その、レイン様にいじめられて」
「違います……!私、そんなこと」
「言い逃れをする気か!レイン・アンダーサン!」
なぜかユリウスを見て目の色を変えたヘンリエッタがついた真っ赤な嘘に、レインは反論しようとした。けれどすぐに上から降ってきた罵声のようなオリバーの言葉に、ひく、と喉が震え、それ以上の言葉が出てこなかった。
(お兄様だけには、ご迷惑をおかけしたくなかったのに)
王太子が選んだ令嬢だ。たとえそこに証拠がなくたって、ただでさえ元奴隷という瑕疵のついたレインは、ヘンリエッタをいじめた、という罪を問われるだろう。
大好きな、レインのお兄様。たったひとり、レインをあのごみ溜めのような場所から救ってくださった、レインの神様。
こんな公衆の面前で婚約破棄をすればどうなるかわかりますか、とか、奴隷だったのは過去の話です、とか、そのヘンリエッタは男爵令嬢だから、王族と婚約する資格はありません、とか。そういう考えが浮かんでは消えて、けれどレインは結局そのどれもを言葉にすることができないまま「そうですか」と静かに応えを返しただけだった。
レイン・アンダーサンは地味な令嬢だった。薄く青みがかった髪はよく手入れされていて絹糸のようだが、それだけ。いつも分厚いビン底眼鏡をかけていて、前髪を長くおろしたその顔つきを見ることができるものはどれだけいるだろうか。
腰のあたりまで長く伸ばした髪は、その窺い知れない顔から幽鬼のようだと例えられ、ごくわずかな使用人などの親しい人間以外には遠巻きにされるような公爵令嬢。派手なのは肩書だけね、と今レインを罵倒しているオリバー・グレイウォード王太子がかばう、子リスのような顔つきをしたヘンリエッタ・コックス男爵令嬢にあざけられたことは記憶に新しい。
レインは自己肯定感が非常に非常に――非常に低い。だからその罵倒も当然のものだと受け入れたし、今こんな時になっても「結局はこうなる運命だったのよ」としか思えなかった。
そんな風に、思い描いた通りの――例えば、狼狽してわめき散らすだとか――反応を示さないレインに対して、オリバーは焦れたようだった。
「なにか言ったらどうなんだ!この奴隷令嬢!」
どん、と突飛ばされて、レインはたたらを踏んだ。今日のこの卒業パーティーのために新しくあつらえた靴はヒールが高い。ぐらりと傾いだ体に、あ、転ぶ、と思った瞬間だった。
「レイン、大丈夫か!」
――ああ、いつだって、あなたは私を助けてくださる。
「お兄様」
抱き留められ、レインはほっと息をつくように、その人を呼んだ。レインよりも濃い青の髪――透き通る眼鏡をかけたその人は、眼鏡越しでも周囲がため息をつくほどに美しい。
均整の取れた体をしていて、その腕は今、レインを強く抱き留めてくださった。
切れ長の目を心配そうに揺らし、レインを支えるその人は、ユリウス・アンダーサン。レインの血のつながらない兄にして、若くしてアンダーサン公爵家を継いだ、氷の公爵様だった。
「ゆ、ユリウス様!違うんですのよ、私――その、レイン様にいじめられて」
「違います……!私、そんなこと」
「言い逃れをする気か!レイン・アンダーサン!」
なぜかユリウスを見て目の色を変えたヘンリエッタがついた真っ赤な嘘に、レインは反論しようとした。けれどすぐに上から降ってきた罵声のようなオリバーの言葉に、ひく、と喉が震え、それ以上の言葉が出てこなかった。
(お兄様だけには、ご迷惑をおかけしたくなかったのに)
王太子が選んだ令嬢だ。たとえそこに証拠がなくたって、ただでさえ元奴隷という瑕疵のついたレインは、ヘンリエッタをいじめた、という罪を問われるだろう。
大好きな、レインのお兄様。たったひとり、レインをあのごみ溜めのような場所から救ってくださった、レインの神様。
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