ヒュントヘン家の仔犬姫〜前世殿下の愛犬だった私ですが、なぜか今世で求愛されています〜

高遠すばる

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第2章

口づけは、花の匂いにつつまれて

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 王妃とのお茶会を終え、退出したシャルロット。
 シャルロットの銀の髪は淡く、ところどころのこげ茶に、少しの灰色がまざっている。
 大きな緑の目はどこまでも透き通って、侍女に付き添われて自身の部屋に戻る様子を見た衛兵が感嘆のため息をついた。
 16歳になったシャルロットは、その完璧な愛らしさに美しさを兼ね備えた、奇跡のような容貌をしていた。
 今日は緑のリボンのついた淡い水色のドレスを着て、丁寧にくしけずられた髪の上半分をまとめた結び目にはドレスに結んであるのと同じ、緑のリボンをしている。
 いつだってにこやかに、そしてどこか無邪気に。
 音と気配と匂いに敏感な公爵家の姫君――仔犬姫。
 そろそろ結婚の準備を、と囁かれているのを知っている。シャルロットは、アルブレヒトと結婚できるのがとてもうれしい。
 ……だけれど、王妃の言う「恋」が何なのか、まだよくわからなかった。
だって、シャルロットにとって、アルブレヒトはずっとずうっと世界で一番大切な人だったから。これ以上があるなんて、予想もつかないのだ。

「シャロ」

 ふわり、と。花の匂いがした。
 中庭に面した回廊を歩く途中、やわらかな、低い声が落ちるようにシャルロットに届く。
 思わずそちらに顔を向けると、シャルロットのほうへ歩み寄ってくるアルブレヒトの姿が見えた。

「アルブレヒトさま」
「母上との茶会は終わったんだね。ちょうど、シャルロットがここを通る気がしたんだ」
「まあ」

 シャルロットは頬を染める。アルブレヒトにこうやって優しくしてもらえることが、シャルロットはとても好きだ。
 アルブレヒトの手からインクのにおいがする。仕事を急いで終わらせてきたんだ。シャルロットの視線に気づいて、アルブレヒトはそう言って苦笑した。

「シャロはいつだって僕のことがわかるんだね」
「インクのにおいがしたんですもの」

 特別なことではないのだとシャルロットははにかんだが、今日はなぜか、アルブレヒトはその続きを求めている気がして、不思議に思って、アルブレヒトの手に自身のそれを伸ばした。

「汚れてしまうよ」
「なら、わたしが綺麗にします。アデーレ、お水はあるかしら」
「お任せください、おひいさま」

 侍女のアデーレがはりきって答え、踵を返した。ほかの侍女は残っているから、きっとアデーレ自身が用意してくれるのだろう。
 それをありがたく思って微笑んだシャルロットは、アルブレヒトを見上げた。

「アーモンドの花、きれいですね」
「そうだね、シャロにもとても似合う」
「わたし、全体的に、色が薄いですもの……。アルブレヒトさまのほうがお似合いになりますわ」

 アーモンドのピンクの花と、アルブレヒトの黒髪が合わさるところを想像したシャルロットは、なんて素敵なんだろうと頬を紅潮させた。

「シャルロットのほうがずっと似合うよ」

 そう言って、アルブレヒトは手に持っていたなにかを、シャルロットの耳元の髪に差し込んだ。
 ふわっと、甘やかな香りが強くなって、シャルロットの鼻腔をくすぐる。
 思わず触れたそこには、やわらかな花の感触がある。

「ごめんね、本当は、この花をシャロに飾りたくて、待っていたんだ」

 さらさらと、風が吹いた。
シャルロットの髪を飾っているのと同じ、アーモンドの、薄紅色の花びらが風に乗ってひらひらと舞い散る。
 アルブレヒトの笑顔が、シャルロットへ向けられて、愛しさに満たされた眼差しが、シャルロットへ一身に注がれているのを感じて、だから、いいや、だから――それが、急に恥ずかしくなってしまった。

「あ、あえ?え、っと」
「シャロ?」

 アルブレヒトの顔を見ることができない。火照った頬をさましたくて、自分の頬に両手を当てた。
 おかしい、急に心臓が早くなって、顔が熱くて、どうにかなりそうだ。

「ご、ごめんなさい、アルブレヒトさま。わたし、風邪をひいてしまったのかも」

 シャルロットの言葉に、アルブレヒトはどう思ったのだろうか。
 驚いたように、息をのむ音。少しの間の沈黙、そうしてふいに、アルブレヒトが、シャルロットの手を両手で包んだ。
 アルブレヒトの顔が近くなる。呼吸のにおいがして、シャルロットはぴくりと震えた。

「アルブレヒト、さ、」

 アルブレヒトの右手が、シャルロットのおとがいを撫でる。
 それに肩を揺らしたシャルロットの言葉を飲み込むように、唇に触れた熱いもの。

 ――初めての口づけは、むせかえるような花のにおいに包まれて。

 アルブレヒトの赤い顔。潤んでなおぎらぎらと飢えたように輝く青い目――食べられてしまいそうな、少しの恐怖。
 けれどそのどれもが、シャルロットの中の何かを満たしていったことに、シャルロットこそが気づいていた。
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