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第1章
再会
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「はじめまして、皆さま。本日はわたしの誕生日をお祝いくださりありがとうございます」
どきどきする心臓を抑えるように、胸にそっと手をやる。
頬が熱くて、緊張しているんだと自分でもわかった。続く言葉はなんだったかしらと思い出そうとしていると、シャルロットの肩をぽんと叩く優しい振動を感じて、シャルロットは思わず目線を自分の隣に向けてしまった。
「大丈夫」
「シャルの思ったことを言えばいいの」
ひそひそ声で微笑んだ姉――アレクシア。それに続けるように、アレクシアの片割れであるクリスティーネがシャルロットの背に手を添えて励ましてくれた。
後ろには、きっと兄も両親もいるのだろう。シャルロットはほっと息を吐いた。
何を言うべきか、決めてきたのに、もう忘れてしまった。
けれど、思ったことを言えばいいのなら簡単で、シャルロットは息を一度吐いて、吸い込んだ。
「皆さまに祝っていただけて、わたし、とてもうれしい……です!今日は、皆さまにもうれしく思っていただけるようにお母さまやお姉さまたちとお料理や音楽を考えました。あっ、お庭はお姉さまたちです!」
どうしよう、失敗してしまった。あわあわと目をぱちぱちしているシャルロットを、しかし包んだのは優しい笑い声で。
だから、シャルロットは、もういっぱいいっぱいだったけれど、この言葉だけは言わねばと足に力を入れたのだった。
「本当に……本当にありがとうございます!」
最後まで言い切って、シャルロットは右の足を引き、スカートをつまんだ。
ちょん、とふたつに結った髪が揺れる。後頭部にかあっとした熱さを感じて、やっぱりどきどきは収まっていなかったのがわかる。
おそるおそる頭を上げると、シャルロットを待っていたのは割れんばかりの拍手――そして、招待客たちのほほえまし気な表情だった。
「シャルロット、きちんとできたね」
「お父さま」
頭にぽんと置かれた手は父のものだ。ひんやり冷たい骨ばった手は、シャルロットの汗ばんだ頭をさましてくれるようだ。
ほう、と息をついたシャルロットを、ヴィルヘルムがひょいと抱き上げる。
「お兄さま、シャルは赤ちゃんではないのよ?」
「僕がシャルロットを抱き上げたいだけなんだよ。お兄様のわがままを聞いてくれないかな」
「兄さま、ずるいわ!わたくしも我慢しておりますのに!」
「そうです、シャルロット離れしてくださいな!」
そういう姉たちはおいでとシャルロットに手を差し出すが、それじゃあお兄さまとおなじじゃないかしら、なんてシャルロットは思うのだ。
「あなたたち、いい加減にしなさい。ほら、シャルロット、お母様と手をつなぎましょうね」
母が言う。抱っこされるよりずっと大人だわ、と思って、シャルロットは母に顔を向け――そして、会場のある一点に視線を留めた。
涼し気な、鴉のように黒い、つややかな髪のひと――青い目は透けるように、けれど深く深く、おぼれてしまいそうな色をして、どうしてか、シャルロットを食い入るように見つめていた。
見開かれた目は、間違いなくシャルロットに向けられている。
冷たい色の瞳が、シャルロットを追い詰めるような熱を帯びて。そうして、シャルロットはその唇が、たったひとこと、つぶやくのを確かに見た。
――シャロ。
瞬間。
はじけるような――頭が――胸が――いいや、もっとずっとずっと奥の何かがはじける音を、シャルロットは確かに聞いた。
欠けたパズルのピースが、ぱちんと音をたててはまったのだと、そう感じた。
湧き上がったのはなんだろうか。シャルロットの知らない言葉でも、きっといい表すことのできない、焦りのような、安堵のような、はたまたそのどちらも内包した得体のしれない衝動が、シャルロットを支配した。
「――さま」
「シャルロット?」
兄の腕をすり抜ける。突如、猛然と走り出した主役の姿に、招待客たちは困惑の声をあげていた。――気がした。
招待客の困惑した声も、兄の、姉たちの、父の、母の、シャルロットを呼ぶ声も、耳には届いた。けれど、そんなことは関係ない、今この時、シャルロットの思考を埋めていたのは、たったひとりだった。
「――ご主人様!」
会いたかった!――会いたかった、会いたかった、ずっとずっとずっと、会いたかった!
あの日の泣いている顔よりも、ずっと大人びた、精悍な面差し。けれど、シャルロットを抱きしめるべく広げられた両腕は、出会ったあの日と変わらず優しくシャルロットへ伸ばされている。
「シャロ……!」
飛び込んだ腕は暖かく、もう離すまいとでもいうようにシャルロットをぎゅうと抱きしめる。
……泥にまみれた記憶がよみがえる。楽しかった、幸せだった。だってあなたが掬い上げてくれた。「わたし」を抱きしめてくれた。
「わたし、あなたに、ずっと会いたかった……!」
涙があふれる。「ご主人様」の肩口に吸い込まれた塩水は、それでもあとからあとからあふれる雫のせいでぽたぽたと、さらに色の濃い場所を大きくしていく。
探していたのだ。もう一度、会いたかったから。
約束したから。一方的な約束を、勝手に取り付けていなくなった「わたし」が、それでもこのよすがをもう一度手繰り寄せられた。
「シャロ……やはり、君なんだね」
どこか安堵したような声が降る。
ふいに、わんわん泣きじゃくるシャルロットを抱いたまま、「ご主人様」が立ち上がった。
「王太子殿下、シャルロットに、会ったことがあったのでしょうか」
一言一言区切るように尋ねるのは、父の声だった。……王太子、は聞きなれないけれど、でんか、には聞き覚えがあった。昔、ご主人様はそう呼ばれていたから。
こわばった父の声を振り返ろうとしたシャルロットの頭をそっと撫でて制すと、「ご主人様」はシャルロットに対するものとは全然違う温度の声で答えた。
「シャルロットは、私の「愛犬」だ。公爵。わかっていたからこそ、ミドルネームにシャロとつけたのでは?」
「…………」
黙り込む父は、いつもと違う。不安になって振り返ると、心配そうにシャルロットを見つめている家族たちが目に映った。
「沈黙は肯定ととる。そして、感謝しよう。シャロ……いいや、シャルロット・シャロを愛してくれていることに」
「殿下……!」
「奪い取りはしない。ただ……そうだな」
ご主人様、が、シャルロットを降ろす。よくわからなくて、膝をついたご主人様の顔を見つめると、ご主人様はふわっと笑った。
「笑った……?」
「嘘だろう……?氷の王太子殿下が」
囁かれる声が、シャルロットの耳を通り抜ける。けれど、シャルロットは久しぶりに見ることのできた大好きな人の笑顔にまた涙が溢れないようにするのでいっぱいいっぱいだった。
「シャルロット・シャロ・ヒュントヘン。私――アルブレヒト・アインヴォルフの伴侶として、この先をともに歩んでほしい」
跪き、シャルロットの手をとってその甲に唇を当てる。それがプロポーズだと理解するには、シャルロットは幼すぎた。
だから、ただただ、ご主人様とずっといられるのだと、それだけを理解したから、シャルロットはこの間学んだばかりの言葉を返したのだった。
「ええ、よろこんで」
どきどきする心臓を抑えるように、胸にそっと手をやる。
頬が熱くて、緊張しているんだと自分でもわかった。続く言葉はなんだったかしらと思い出そうとしていると、シャルロットの肩をぽんと叩く優しい振動を感じて、シャルロットは思わず目線を自分の隣に向けてしまった。
「大丈夫」
「シャルの思ったことを言えばいいの」
ひそひそ声で微笑んだ姉――アレクシア。それに続けるように、アレクシアの片割れであるクリスティーネがシャルロットの背に手を添えて励ましてくれた。
後ろには、きっと兄も両親もいるのだろう。シャルロットはほっと息を吐いた。
何を言うべきか、決めてきたのに、もう忘れてしまった。
けれど、思ったことを言えばいいのなら簡単で、シャルロットは息を一度吐いて、吸い込んだ。
「皆さまに祝っていただけて、わたし、とてもうれしい……です!今日は、皆さまにもうれしく思っていただけるようにお母さまやお姉さまたちとお料理や音楽を考えました。あっ、お庭はお姉さまたちです!」
どうしよう、失敗してしまった。あわあわと目をぱちぱちしているシャルロットを、しかし包んだのは優しい笑い声で。
だから、シャルロットは、もういっぱいいっぱいだったけれど、この言葉だけは言わねばと足に力を入れたのだった。
「本当に……本当にありがとうございます!」
最後まで言い切って、シャルロットは右の足を引き、スカートをつまんだ。
ちょん、とふたつに結った髪が揺れる。後頭部にかあっとした熱さを感じて、やっぱりどきどきは収まっていなかったのがわかる。
おそるおそる頭を上げると、シャルロットを待っていたのは割れんばかりの拍手――そして、招待客たちのほほえまし気な表情だった。
「シャルロット、きちんとできたね」
「お父さま」
頭にぽんと置かれた手は父のものだ。ひんやり冷たい骨ばった手は、シャルロットの汗ばんだ頭をさましてくれるようだ。
ほう、と息をついたシャルロットを、ヴィルヘルムがひょいと抱き上げる。
「お兄さま、シャルは赤ちゃんではないのよ?」
「僕がシャルロットを抱き上げたいだけなんだよ。お兄様のわがままを聞いてくれないかな」
「兄さま、ずるいわ!わたくしも我慢しておりますのに!」
「そうです、シャルロット離れしてくださいな!」
そういう姉たちはおいでとシャルロットに手を差し出すが、それじゃあお兄さまとおなじじゃないかしら、なんてシャルロットは思うのだ。
「あなたたち、いい加減にしなさい。ほら、シャルロット、お母様と手をつなぎましょうね」
母が言う。抱っこされるよりずっと大人だわ、と思って、シャルロットは母に顔を向け――そして、会場のある一点に視線を留めた。
涼し気な、鴉のように黒い、つややかな髪のひと――青い目は透けるように、けれど深く深く、おぼれてしまいそうな色をして、どうしてか、シャルロットを食い入るように見つめていた。
見開かれた目は、間違いなくシャルロットに向けられている。
冷たい色の瞳が、シャルロットを追い詰めるような熱を帯びて。そうして、シャルロットはその唇が、たったひとこと、つぶやくのを確かに見た。
――シャロ。
瞬間。
はじけるような――頭が――胸が――いいや、もっとずっとずっと奥の何かがはじける音を、シャルロットは確かに聞いた。
欠けたパズルのピースが、ぱちんと音をたててはまったのだと、そう感じた。
湧き上がったのはなんだろうか。シャルロットの知らない言葉でも、きっといい表すことのできない、焦りのような、安堵のような、はたまたそのどちらも内包した得体のしれない衝動が、シャルロットを支配した。
「――さま」
「シャルロット?」
兄の腕をすり抜ける。突如、猛然と走り出した主役の姿に、招待客たちは困惑の声をあげていた。――気がした。
招待客の困惑した声も、兄の、姉たちの、父の、母の、シャルロットを呼ぶ声も、耳には届いた。けれど、そんなことは関係ない、今この時、シャルロットの思考を埋めていたのは、たったひとりだった。
「――ご主人様!」
会いたかった!――会いたかった、会いたかった、ずっとずっとずっと、会いたかった!
あの日の泣いている顔よりも、ずっと大人びた、精悍な面差し。けれど、シャルロットを抱きしめるべく広げられた両腕は、出会ったあの日と変わらず優しくシャルロットへ伸ばされている。
「シャロ……!」
飛び込んだ腕は暖かく、もう離すまいとでもいうようにシャルロットをぎゅうと抱きしめる。
……泥にまみれた記憶がよみがえる。楽しかった、幸せだった。だってあなたが掬い上げてくれた。「わたし」を抱きしめてくれた。
「わたし、あなたに、ずっと会いたかった……!」
涙があふれる。「ご主人様」の肩口に吸い込まれた塩水は、それでもあとからあとからあふれる雫のせいでぽたぽたと、さらに色の濃い場所を大きくしていく。
探していたのだ。もう一度、会いたかったから。
約束したから。一方的な約束を、勝手に取り付けていなくなった「わたし」が、それでもこのよすがをもう一度手繰り寄せられた。
「シャロ……やはり、君なんだね」
どこか安堵したような声が降る。
ふいに、わんわん泣きじゃくるシャルロットを抱いたまま、「ご主人様」が立ち上がった。
「王太子殿下、シャルロットに、会ったことがあったのでしょうか」
一言一言区切るように尋ねるのは、父の声だった。……王太子、は聞きなれないけれど、でんか、には聞き覚えがあった。昔、ご主人様はそう呼ばれていたから。
こわばった父の声を振り返ろうとしたシャルロットの頭をそっと撫でて制すと、「ご主人様」はシャルロットに対するものとは全然違う温度の声で答えた。
「シャルロットは、私の「愛犬」だ。公爵。わかっていたからこそ、ミドルネームにシャロとつけたのでは?」
「…………」
黙り込む父は、いつもと違う。不安になって振り返ると、心配そうにシャルロットを見つめている家族たちが目に映った。
「沈黙は肯定ととる。そして、感謝しよう。シャロ……いいや、シャルロット・シャロを愛してくれていることに」
「殿下……!」
「奪い取りはしない。ただ……そうだな」
ご主人様、が、シャルロットを降ろす。よくわからなくて、膝をついたご主人様の顔を見つめると、ご主人様はふわっと笑った。
「笑った……?」
「嘘だろう……?氷の王太子殿下が」
囁かれる声が、シャルロットの耳を通り抜ける。けれど、シャルロットは久しぶりに見ることのできた大好きな人の笑顔にまた涙が溢れないようにするのでいっぱいいっぱいだった。
「シャルロット・シャロ・ヒュントヘン。私――アルブレヒト・アインヴォルフの伴侶として、この先をともに歩んでほしい」
跪き、シャルロットの手をとってその甲に唇を当てる。それがプロポーズだと理解するには、シャルロットは幼すぎた。
だから、ただただ、ご主人様とずっといられるのだと、それだけを理解したから、シャルロットはこの間学んだばかりの言葉を返したのだった。
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