上 下
5 / 42
第1章

再会

しおりを挟む
「はじめまして、皆さま。本日はわたしの誕生日をお祝いくださりありがとうございます」

 どきどきする心臓を抑えるように、胸にそっと手をやる。
 頬が熱くて、緊張しているんだと自分でもわかった。続く言葉はなんだったかしらと思い出そうとしていると、シャルロットの肩をぽんと叩く優しい振動を感じて、シャルロットは思わず目線を自分の隣に向けてしまった。

「大丈夫」
「シャルの思ったことを言えばいいの」

 ひそひそ声で微笑んだ姉――アレクシア。それに続けるように、アレクシアの片割れであるクリスティーネがシャルロットの背に手を添えて励ましてくれた。
 後ろには、きっと兄も両親もいるのだろう。シャルロットはほっと息を吐いた。
 何を言うべきか、決めてきたのに、もう忘れてしまった。
 けれど、思ったことを言えばいいのなら簡単で、シャルロットは息を一度吐いて、吸い込んだ。

「皆さまに祝っていただけて、わたし、とてもうれしい……です!今日は、皆さまにもうれしく思っていただけるようにお母さまやお姉さまたちとお料理や音楽を考えました。あっ、お庭はお姉さまたちです!」

 どうしよう、失敗してしまった。あわあわと目をぱちぱちしているシャルロットを、しかし包んだのは優しい笑い声で。
 だから、シャルロットは、もういっぱいいっぱいだったけれど、この言葉だけは言わねばと足に力を入れたのだった。

「本当に……本当にありがとうございます!」

 最後まで言い切って、シャルロットは右の足を引き、スカートをつまんだ。
 ちょん、とふたつに結った髪が揺れる。後頭部にかあっとした熱さを感じて、やっぱりどきどきは収まっていなかったのがわかる。
 おそるおそる頭を上げると、シャルロットを待っていたのは割れんばかりの拍手――そして、招待客たちのほほえまし気な表情だった。

「シャルロット、きちんとできたね」
「お父さま」

 頭にぽんと置かれた手は父のものだ。ひんやり冷たい骨ばった手は、シャルロットの汗ばんだ頭をさましてくれるようだ。
 ほう、と息をついたシャルロットを、ヴィルヘルムがひょいと抱き上げる。

「お兄さま、シャルは赤ちゃんではないのよ?」
「僕がシャルロットを抱き上げたいだけなんだよ。お兄様のわがままを聞いてくれないかな」
「兄さま、ずるいわ!わたくしも我慢しておりますのに!」
「そうです、シャルロット離れしてくださいな!」

 そういう姉たちはおいでとシャルロットに手を差し出すが、それじゃあお兄さまとおなじじゃないかしら、なんてシャルロットは思うのだ。

「あなたたち、いい加減にしなさい。ほら、シャルロット、お母様と手をつなぎましょうね」

 母が言う。抱っこされるよりずっと大人だわ、と思って、シャルロットは母に顔を向け――そして、会場のある一点に視線を留めた。
 涼し気な、鴉のように黒い、つややかな髪のひと――青い目は透けるように、けれど深く深く、おぼれてしまいそうな色をして、どうしてか、シャルロットを食い入るように見つめていた。
 見開かれた目は、間違いなくシャルロットに向けられている。
 冷たい色の瞳が、シャルロットを追い詰めるような熱を帯びて。そうして、シャルロットはその唇が、たったひとこと、つぶやくのを確かに見た。
 
 ――シャロ。
 
 瞬間。
 はじけるような――頭が――胸が――いいや、もっとずっとずっと奥の何かがはじける音を、シャルロットは確かに聞いた。
 欠けたパズルのピースが、ぱちんと音をたててはまったのだと、そう感じた。
湧き上がったのはなんだろうか。シャルロットの知らない言葉でも、きっといい表すことのできない、焦りのような、安堵のような、はたまたそのどちらも内包した得体のしれない衝動が、シャルロットを支配した。

「――さま」
「シャルロット?」

 兄の腕をすり抜ける。突如、猛然と走り出した主役の姿に、招待客たちは困惑の声をあげていた。――気がした。
 招待客の困惑した声も、兄の、姉たちの、父の、母の、シャルロットを呼ぶ声も、耳には届いた。けれど、そんなことは関係ない、今この時、シャルロットの思考を埋めていたのは、たったひとりだった。

「――ご主人様!」

 会いたかった!――会いたかった、会いたかった、ずっとずっとずっと、会いたかった!
 あの日の泣いている顔よりも、ずっと大人びた、精悍な面差し。けれど、シャルロットを抱きしめるべく広げられた両腕は、出会ったあの日と変わらず優しくシャルロットへ伸ばされている。

「シャロ……!」

 飛び込んだ腕は暖かく、もう離すまいとでもいうようにシャルロットをぎゅうと抱きしめる。
 ……泥にまみれた記憶がよみがえる。楽しかった、幸せだった。だってあなたが掬い上げてくれた。「わたし」を抱きしめてくれた。

「わたし、あなたに、ずっと会いたかった……!」

 涙があふれる。「ご主人様」の肩口に吸い込まれた塩水は、それでもあとからあとからあふれる雫のせいでぽたぽたと、さらに色の濃い場所を大きくしていく。
 探していたのだ。もう一度、会いたかったから。
 約束したから。一方的な約束を、勝手に取り付けていなくなった「わたし」が、それでもこのよすがをもう一度手繰り寄せられた。

「シャロ……やはり、君なんだね」

 どこか安堵したような声が降る。
 ふいに、わんわん泣きじゃくるシャルロットを抱いたまま、「ご主人様」が立ち上がった。

「王太子殿下、シャルロットに、会ったことがあったのでしょうか」

 一言一言区切るように尋ねるのは、父の声だった。……王太子、は聞きなれないけれど、でんか、には聞き覚えがあった。昔、ご主人様はそう呼ばれていたから。
 こわばった父の声を振り返ろうとしたシャルロットの頭をそっと撫でて制すと、「ご主人様」はシャルロットに対するものとは全然違う温度の声で答えた。

「シャルロットは、私の「愛犬」だ。公爵。わかっていたからこそ、ミドルネームにシャロとつけたのでは?」
「…………」

 黙り込む父は、いつもと違う。不安になって振り返ると、心配そうにシャルロットを見つめている家族たちが目に映った。

「沈黙は肯定ととる。そして、感謝しよう。シャロ……いいや、シャルロット・シャロを愛してくれていることに」
「殿下……!」
「奪い取りはしない。ただ……そうだな」

 ご主人様、が、シャルロットを降ろす。よくわからなくて、膝をついたご主人様の顔を見つめると、ご主人様はふわっと笑った。

「笑った……?」
「嘘だろう……?氷の王太子殿下が」

 囁かれる声が、シャルロットの耳を通り抜ける。けれど、シャルロットは久しぶりに見ることのできた大好きな人の笑顔にまた涙が溢れないようにするのでいっぱいいっぱいだった。

「シャルロット・シャロ・ヒュントヘン。私――アルブレヒト・アインヴォルフの伴侶として、この先をともに歩んでほしい」

 跪き、シャルロットの手をとってその甲に唇を当てる。それがプロポーズだと理解するには、シャルロットは幼すぎた。
 だから、ただただ、ご主人様とずっといられるのだと、それだけを理解したから、シャルロットはこの間学んだばかりの言葉を返したのだった。

「ええ、よろこんで」
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?

雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。 最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。 ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。 もう限界です。 探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

【完結】気付けばいつも傍に貴方がいる

kana
恋愛
ベルティアーナ・ウォール公爵令嬢はレフタルド王国のラシード第一王子の婚約者候補だった。 いつも令嬢を隣に侍らす王子から『声も聞きたくない、顔も見たくない』と拒絶されるが、これ幸いと大喜びで婚約者候補を辞退した。 実はこれは二回目人生だ。 回帰前のベルティアーナは第一王子の婚約者で、大人しく控えめ。常に貼り付けた笑みを浮かべて人の言いなりだった。 彼女は王太子になった第一王子の妃になってからも、弟のウィルダー以外の誰からも気にかけてもらえることなく公務と執務をするだけの都合のいいお飾りの妃だった。 そして白い結婚のまま約一年後に自ら命を絶った。 その理由と原因を知った人物が自分の命と引き換えにやり直しを望んだ結果、ベルティアーナの置かれていた環境が変わりることで彼女の性格までいい意味で変わることに⋯⋯ そんな彼女は家族全員で海を隔てた他国に移住する。 ※ 投稿する前に確認していますが誤字脱字の多い作者ですがよろしくお願いいたします。 ※ 設定ゆるゆるです。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

処理中です...