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フェリクスとユーグ(フェリクス視点)
しおりを挟む二人のそんな想いとは裏腹に、婚約は正式に整えられた。
婚約披露のための舞踏会を十日後に控え、フェリクスと、その側近であるユーグは膨大な執務に追われていた。……が。
「……おーい」
「……」
「おーい!執務中ですよ。何を上の空になってるんですか」
ぺちん、と肩をはたくユーグに、フェリクスがはっとした顔を向ける。しかしその目はすぐにうつろによどみ、フェリクスはうなだれる。
「……すまない。……それで、オーク商会の手口についてわかったことはあるか?」
フェリクスの言葉に、ユーグが頷く。
「はい。アルファに劣等感を抱いていたり、アルファが商売敵のベータが経営している商会を抱き込んで、善良なアルファの商人から品物を買いたたいているようですね。そういうベータからしてみれば義賊みたいなものなのでしょう。支持もそこそこにあります。アルファの商人は取引先がみんな結託しているからどうしようもなくて、不利な取引に応じてしまう……と」
ユーグがぺらり、と資料をめくる。フェリクスは黙ってそれを聞いていた。
「そのうちの一人が皇城に出入りしている商人で、最近破産したようですね。その屋号ごと買収して、皇城にも出入りして、その手を広げています」
「それで、アンリエッタの家にも取引を持ち掛けられたんだな」
城に出入りしている商人、というていでなら、信用を得るのはたやすかっただろう。
フェリクスはペンを持つ手を握りしめた。アンリエッタの家を追い詰めた手口に反吐が出る。――と、ユーグは眼鏡をくい、と持ち上げ、フェリクスに体を向けた。
「ここまでなら違法ではない……が、その資金はどこから出ていると思いますか?」
ユーグが続ける。
「そして、ここまでやっていて訴えが一つも上がってこないのは?」
「被害者が消えた、ということだな」
フェリクスは頷いて、ぱらぱらと押収した帳簿を見た。
「オーク商会と取引をして破産した商会の会頭が、翌月から代変わりしている。しかし、ここの商会は後継者を決めていなかったはずだ。翌月というのはあまりにも早すぎる……。そして、その後、隠居したはずの前会頭の家が売り払われた」
「そう。首の回らなくなった人間が、オーク親子にその地位を奪われて、行きつくところまで行ってしまった。つまり人身売買です。あんたの言ったことが的中しましたよ。フェリクス様」
一瞬、幼馴染としてのフランクな口調になってユーグは言った。けれどそこには、隠しきれぬ怒りがにじんでいるようだった。
「やはり……か」
フェリクスは書類を机に置き、ため息をつく。
「隣国に売られた人間を何人か保護しました。その証言と、買い手から入手した証文があります」
「そこまでとは。どうやって手に入れた?」
「ま、私の口がうまいってことですね」
ユーグが片目を瞑って笑顔を見せる。が、フェリクスはそんなことでごまかされたりしない。この情報を得るまでには、危険な橋もわたっているはずなのだ。
「はぐらかすな」
「……そんなに危険なことはしていません。オーク商会の検挙予定があると匂わせたらすぐでしたよ。関わりたくないんでしょうね。後ろ暗いことをしている自覚はあるらしいので。ただ、その補填は私のポケットマネーから。あとで何か驕ってくださいね、親友」
「……恩に着る。なんでも好きなものを言え」
「大変ありがたく」
「……それで、殿下がそんなにぼんやりしてるのは、アリウム侯爵令嬢が理由ですか?」
「なぜそうだと?」
「わかりますよ。あなたがポンコツになるのはアリウム侯爵令嬢のことを考えているときだと相場がきまっています。昨日の花祭りのこともあります。花祭りに行くというから執務の肩代わりをしましたのに、帰ってきたらアリウム侯爵令嬢は気絶しているし、殿下は憔悴していらっしゃるし」
フェリクスは、ゆっくりと目を瞬いた。
口を開いて、閉じて、それを二度、繰り返し、そのあと、静かに口を開く
「……アンリエッタの告白を否定したら、彼女がパニックを起こした。オメガの、番に捨てられたと思ったときに起こるパニック症状だろう」
「――は?殿下、馬鹿なんですか?」
「ぐ……」
「なんで否定したりしたんですか。っていうか、両想いじゃなかったんです?殿下もアリウム侯爵令嬢も、互いを好き合ってるのはまるわかりだったのに」
「アンリエッタが僕のことを好きだと思っていることは知っている。けれど、受け入れられなかった。それは、アンリエッタに不誠実だと思ったからだ。最初こそ、アンリエッタは僕を本心から好きだと思ってくれていただろう。だが、無理矢理ビッチングしてオメガにした上に、ラットで体を奪って……アンリエッタの未来を捻じ曲げ、女侯爵としての未来を閉ざしたんだ。もう好かれているなどとうぬぼれることはできない」
フェリクスは、吐き出すように言った。
「僕がアンリエッタが困ったら助ける、なんて言ったから、それが呪いになってしまった。あの言葉があったから、僕を助けるために身をささげたんだ。まるで、生贄みたいに。……アンリエッタは、番の本能として、僕を好きだと思い込んでいるだけだ」
「……ハァ――……」
ユーグは額を押さえた。そうして、フェリクスを見やり、叫ぶ。
「馬鹿!ほんっとう、馬鹿!」
耳がきいんと鳴るほどの音量でののしられ、フェリクスは目を白黒させた。
ユーグは息も荒く続ける。
「あんた、それはアリウム侯爵令嬢が言ったんですか?」
「言われてはいない、だが」
「アリウム侯爵令嬢は嫌ならちゃんと嫌だって言える人でしょう。それはあんたの決めつけです」
「……」
「しっかりしてください、フェリクス・デルフィニウム!!あんたの好きな人は、ただ黙って全部泣き寝入りする人ですか?違うでしょう!」
ユーグのはしばみ色の目に――常には冷静な目が激情に駆られている。
「あのラットの日、アリウム侯爵令嬢に頼みに行ったのは私です。だから、アリウム侯爵令嬢が殿下を助けようとして殿下の部屋に入ったのを見た。……そこに、いやいやだって気持ちが見えてたら私が止めてました。あなたの大切な人だからこそ、絶対に止めてた」
はあ、はあ、と肩で息をして「どうか……」と、そう、ユーグは言った。
「信じてください、あなたが愛した人は、強い人だ」
フェリクスは目を瞬いた。水面に一滴の水を落とされたような――薄い壁が壊れたような、そんな心地だった。
アンリエッタは強い人だ。――だれよりそれをわかっていたはずの自分が、それをわかっていなかった。
「……オークの件を片付けたら、アンリエッタに言う。すべて告白して、もう一度愛を乞う」
愁いをなくしてから告白する。そう言った。
「ああ、がんばれよ」
ユーグがほっとしたような顔でそう口にする。激励が嬉しい。
――婚約披露のための舞踏会が、すぐそばまで迫っていた。
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