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花祭りの歌姫4
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まもなく、花女神コンテストは始まった。こんなにも時間が迫っているなら、それは司会者は焦るだろう。しかも、参加者が少ないため、すぐにアンリエッタの順番が訪れた。
「さあ、次のエントリーは、謎めいた美声の麗人。その正体は、精霊か、はたまた天の使いか!?フードを被ったミステリアスな姫君です!どうぞ、お願いします」
拡声の魔法がかけられた石を受け取り、それを周囲に浮かせながら舞台の中央へと歩を進める。
色とりどりの花の飾られた舞台は、簡素なつくりながらも美しかった。
アンリエッタは口元を笑みの形にして、拡声魔法石に手を添えた。舞台袖に控えた楽団によって、伴奏が流れ始める。
アンリエッタがリクエストしたのは、フリージア帝国の民ならだれでも知っている曲――花女神をたたえる歌だ。花祭りでもよく演奏されている曲だし、ぴったりだと思ってお願いした。
前奏が終わり、かわいらしい小花を思わせる旋律が流れ始める。アンリエッタは息を吸って、会場を見渡した。
これから歌う楽し気な歌を思って微笑み――その時だった。
ヒキガエルのような顔、赤く焼けた茶髪――客席の後ろで、アンリエッタをねめつけている男。すぐに人波に紛れて消えてしまったが、見間違えるはずもない。フレッド・オークだ。
アンリエッタは拡声魔法石に添えていた手をだらん、と垂らした。
脚が震える。喉が詰まって声が出ない。拡声魔法石が力なく揺れている。
ただ立ちすくむアンリエッタを、観客たちがいぶかし気な顔で見る。
ふいに、一陣の風が吹いた。
ざわめきの中、誰かが「あ!」と叫んだ。
「アンリエッタ様だ!」
「歌姫の……」
「フリージアの歌姫のアンリエッタ様だ!」
「どうしてここに……?」
ふいーどが風で吹き払われ、アンリエッタの顔があらわになる。
珍しい白銀の髪に紫の目は、それだけでアンリエッタを表す要素だ。それに、絵姿や新聞で出回っているアンリエッタの顔を知らない庶民はほとんどいない。
硬直していたせいで、フードが脱げるのを押さえられなかった・
伴奏が止まる。楽団が戸惑って演奏を中止したのだ。
アンリエッタはひとり、さざめきが広がる、冷たい舞台に取り残された。
「――……」
そんなになっても、アンリエッタは何も言うことができないでいた。
声が出ないのだ。目に力ばかりこもって、目頭がじわりとい熱くなる。
泣くな、泣くな――泣いてはだめ。
アンリエッタの喉が、ようやっとのことで、かすれた旋律を紡ぐ。しかし、それはまともな音にならない。子供が慣れない歌を歌った、というほうがまだ理解できるようなありさまだった。
「緊張してるの?アンリエッタ様」
「まさか。フリージアの歌姫だぞ?」
「でも。あの様子……」
ふいに、誰かが言った。
「もしかして、オメガになったから……?」
アンリエッタがオメガになり、そのために皇太子の婚約者となったことは誰もが知っていることだ。そのうえ、オメガは絶対数が少ないから、オメガについて正しく知っているものは少ない。フェリクスが改革したとはいえ、まだオメガが劣っているという偏見は残っているのだ。発言者も深く考えて言った言葉ではないのだろう。けれど、その言葉は打ち寄せる波のようにわっと弧を描いて広がった。
「そうだ、オメガになったからだ」
「アンリエッタ様は最近オメガになったんでしょう?それで歌えなくなったってこと?」
「それにしてはフェロモンを感じないぞ」
「皇太子殿下の番になったからだよ。ほら、噛み防止のチョーカーもしてないだろう?」
「それ、皇太子殿下に体でとりいったってこと?」
最初、アンリエッタが歌えない、という話題だったそれは、まるで伝言ゲームのようにその様相を変えていく。気付けば、アンリエッタは皇太子妃となるためにフェリクスの番となった、というところまで話が進んで、その下世話な話はとどまることを知らなかった。
「じゃあ、フリージアの歌姫っていうのも、皇太子殿下に便宜を図ってもらってそう呼ばれてたってこと?」
「そうかも、取り入ったんだよ」
「私、そういえばアンリエッタ様の歌声を聞いたことがないわ」
「だってアンリエッタ様は貴族のパーティーでしか歌わないじゃないか」
「あ……」
アンリエッタは喉を振るわせた。今すぐうずくまって泣いてしまいたい。けれど、それはアンリエッタの中に最後に、かけらほど残る矜持が許さなかった。
アンリエッタの目に、隠しきれぬ涙が浮かぶ。
濡れたまなこを上に向けて、アンリエッタがぐっと奥歯を噛んだ。その時だった。
「違う!アンリエッタの歌声は――アンリエッタが歌姫と呼ばれたのは、彼女自身の実力ゆえだ!」
「――フェリクス……」
アンリエッタは思わず吐息だけの、かすれた声でその名を呼んだ。フェリクスが舞台を駆けあがり、アンリエッタをかばうように立つ。
「さあ、次のエントリーは、謎めいた美声の麗人。その正体は、精霊か、はたまた天の使いか!?フードを被ったミステリアスな姫君です!どうぞ、お願いします」
拡声の魔法がかけられた石を受け取り、それを周囲に浮かせながら舞台の中央へと歩を進める。
色とりどりの花の飾られた舞台は、簡素なつくりながらも美しかった。
アンリエッタは口元を笑みの形にして、拡声魔法石に手を添えた。舞台袖に控えた楽団によって、伴奏が流れ始める。
アンリエッタがリクエストしたのは、フリージア帝国の民ならだれでも知っている曲――花女神をたたえる歌だ。花祭りでもよく演奏されている曲だし、ぴったりだと思ってお願いした。
前奏が終わり、かわいらしい小花を思わせる旋律が流れ始める。アンリエッタは息を吸って、会場を見渡した。
これから歌う楽し気な歌を思って微笑み――その時だった。
ヒキガエルのような顔、赤く焼けた茶髪――客席の後ろで、アンリエッタをねめつけている男。すぐに人波に紛れて消えてしまったが、見間違えるはずもない。フレッド・オークだ。
アンリエッタは拡声魔法石に添えていた手をだらん、と垂らした。
脚が震える。喉が詰まって声が出ない。拡声魔法石が力なく揺れている。
ただ立ちすくむアンリエッタを、観客たちがいぶかし気な顔で見る。
ふいに、一陣の風が吹いた。
ざわめきの中、誰かが「あ!」と叫んだ。
「アンリエッタ様だ!」
「歌姫の……」
「フリージアの歌姫のアンリエッタ様だ!」
「どうしてここに……?」
ふいーどが風で吹き払われ、アンリエッタの顔があらわになる。
珍しい白銀の髪に紫の目は、それだけでアンリエッタを表す要素だ。それに、絵姿や新聞で出回っているアンリエッタの顔を知らない庶民はほとんどいない。
硬直していたせいで、フードが脱げるのを押さえられなかった・
伴奏が止まる。楽団が戸惑って演奏を中止したのだ。
アンリエッタはひとり、さざめきが広がる、冷たい舞台に取り残された。
「――……」
そんなになっても、アンリエッタは何も言うことができないでいた。
声が出ないのだ。目に力ばかりこもって、目頭がじわりとい熱くなる。
泣くな、泣くな――泣いてはだめ。
アンリエッタの喉が、ようやっとのことで、かすれた旋律を紡ぐ。しかし、それはまともな音にならない。子供が慣れない歌を歌った、というほうがまだ理解できるようなありさまだった。
「緊張してるの?アンリエッタ様」
「まさか。フリージアの歌姫だぞ?」
「でも。あの様子……」
ふいに、誰かが言った。
「もしかして、オメガになったから……?」
アンリエッタがオメガになり、そのために皇太子の婚約者となったことは誰もが知っていることだ。そのうえ、オメガは絶対数が少ないから、オメガについて正しく知っているものは少ない。フェリクスが改革したとはいえ、まだオメガが劣っているという偏見は残っているのだ。発言者も深く考えて言った言葉ではないのだろう。けれど、その言葉は打ち寄せる波のようにわっと弧を描いて広がった。
「そうだ、オメガになったからだ」
「アンリエッタ様は最近オメガになったんでしょう?それで歌えなくなったってこと?」
「それにしてはフェロモンを感じないぞ」
「皇太子殿下の番になったからだよ。ほら、噛み防止のチョーカーもしてないだろう?」
「それ、皇太子殿下に体でとりいったってこと?」
最初、アンリエッタが歌えない、という話題だったそれは、まるで伝言ゲームのようにその様相を変えていく。気付けば、アンリエッタは皇太子妃となるためにフェリクスの番となった、というところまで話が進んで、その下世話な話はとどまることを知らなかった。
「じゃあ、フリージアの歌姫っていうのも、皇太子殿下に便宜を図ってもらってそう呼ばれてたってこと?」
「そうかも、取り入ったんだよ」
「私、そういえばアンリエッタ様の歌声を聞いたことがないわ」
「だってアンリエッタ様は貴族のパーティーでしか歌わないじゃないか」
「あ……」
アンリエッタは喉を振るわせた。今すぐうずくまって泣いてしまいたい。けれど、それはアンリエッタの中に最後に、かけらほど残る矜持が許さなかった。
アンリエッタの目に、隠しきれぬ涙が浮かぶ。
濡れたまなこを上に向けて、アンリエッタがぐっと奥歯を噛んだ。その時だった。
「違う!アンリエッタの歌声は――アンリエッタが歌姫と呼ばれたのは、彼女自身の実力ゆえだ!」
「――フェリクス……」
アンリエッタは思わず吐息だけの、かすれた声でその名を呼んだ。フェリクスが舞台を駆けあがり、アンリエッタをかばうように立つ。
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