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借金2
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「アリウム家の令嬢との結婚と引き換えに、借金を補填しようと言われた。もちろん、お前を借金のかたに売り渡すようなことはできないと断った。だが、そうするとオーク家の当主は、ほうぼうの商人に手を回し、我が家に金を貸さないよう取りきめを作ってしまった」
父はそこで、座っているソファの肘当てを握りしめた。
「それで……それで……」
むせび泣くような声が聞こえる。アンリエッタのことを案じてくれているのだ。母の、こらえた泣き声が響く。
「お父様、泣かないでくださいませ。お父様は努力してくださいましたわ」
アンリエッタはだから、にっこりとほほ笑んだ。母の背を支え、ソファに座らせてやり、父に向き直って静かに口を開く。
「領民を守るためにこの人生を捧げること、本望です。よろこんでオーク様に嫁ぎましょう。大丈夫、私が結婚するご子息――フレッドさまも、きっと悪い方ではありませんわ。我が家に手を貸してくださるのですもの」
アンリエッタがそう言うと、横から兄であるユリウスがアンリエッタの名前を呼んだ。
「アンリエッタ……」
「お兄様」
アンリエッタが兄を振り仰ぐ。背の高い兄は、ベータで、アルファに生まれついたために次期当主となったアンリエッタを補佐しようと、アンリエッタを慈しみ、己も決して簡単ではない努力をしてきたひとだ。アンリエッタがオーク家の息子であるフレッドと結婚するなら、彼が次期当主となる。しかし、ユリウスにはそれを喜ぶ色はない。当たり前だ。アンリエッタを愛してくれる兄は、そんなことを思う人ではない。
「どうしても苦しくなれば、逃げていいんだ。僕だってアリウム侯爵家の長男なんだ。あとのことは僕が何とかする。だから……」
「……ありがとうございます。お兄様。ですが、私の身一つで解決することを、お兄様が処理する必要はありません」
「……僕は、そんなに頼りないかな。ベータでも、国や領地経営のことは学んでいるつもりだ」
兄が肩を落とす。それに微笑みを返し、アンリエッタは、自分は大丈夫なのだと兄の手を握った。
「いいえ、そういうわけではございません。お兄様は素晴らしい方です。侯爵になったとしてもやっていけるでしょう。けれど、お相手の目的は侯爵家とのつながりです。こうするしかないのですわ。それに、私が今まで幸せに過ごしてこられたのは、愛して大切にしてくださったお父様、お母様、お兄様のおかげです。その恩を、返させてくださいな」
アンリエッタのその言葉に、兄は顔をふせ、母は嗚咽をこぼして泣いた。父がすまない、すまない、と繰り返すのを心苦しく思う。けれど、きっとこれはそういう運命だったのだ。
ベータとアルファでも子はできないわけではない。貴族の令嬢らしく、婚姻して子をなすために生きる。それだけだった。
アンリエッタはそれから三日間学校を休んだ。
借金の借用書と、それにともなう婚姻の書類を作るためだ。
しかし、後はアンリエッタのサインだけ、というところになって、アンリエッタの手は止まった。いけない。これが書けないと、父や兄を心配させてしまう。
けれど、どうしても書けない。
アンリエッタは、今も胸の中に染み付いた彼の匂いを思い出した。
ああ、そうか、と思う。
私、ふっきれていないんだわ、と。
突然の結婚だ。クラリスとの「婚約者候補」という関係ではなく、本当の結婚。
それをすぐに受け入れられなかったのは、アンリエッタが今もフェリクスを愛しているから。だから最後に学園へ行こう、と思った。幸い、結婚したら学園をやめてほしいとは書かれていたが、契約書にサインする前に学園に言ってはいけない、とは書かれていない。
アンリエッタは、四日目の朝、制服のリボンを結びながら、静かに呟いた。
「フェリクス……」
その想いは、蓋をしなければならない想いだ。
わかっている。ちゃんと、きちんと、わかっている。
だから最後に、お別れをしよう。
この想いを、一生表に出すことなく、胸の奥にしまえるように。
■■■
父はそこで、座っているソファの肘当てを握りしめた。
「それで……それで……」
むせび泣くような声が聞こえる。アンリエッタのことを案じてくれているのだ。母の、こらえた泣き声が響く。
「お父様、泣かないでくださいませ。お父様は努力してくださいましたわ」
アンリエッタはだから、にっこりとほほ笑んだ。母の背を支え、ソファに座らせてやり、父に向き直って静かに口を開く。
「領民を守るためにこの人生を捧げること、本望です。よろこんでオーク様に嫁ぎましょう。大丈夫、私が結婚するご子息――フレッドさまも、きっと悪い方ではありませんわ。我が家に手を貸してくださるのですもの」
アンリエッタがそう言うと、横から兄であるユリウスがアンリエッタの名前を呼んだ。
「アンリエッタ……」
「お兄様」
アンリエッタが兄を振り仰ぐ。背の高い兄は、ベータで、アルファに生まれついたために次期当主となったアンリエッタを補佐しようと、アンリエッタを慈しみ、己も決して簡単ではない努力をしてきたひとだ。アンリエッタがオーク家の息子であるフレッドと結婚するなら、彼が次期当主となる。しかし、ユリウスにはそれを喜ぶ色はない。当たり前だ。アンリエッタを愛してくれる兄は、そんなことを思う人ではない。
「どうしても苦しくなれば、逃げていいんだ。僕だってアリウム侯爵家の長男なんだ。あとのことは僕が何とかする。だから……」
「……ありがとうございます。お兄様。ですが、私の身一つで解決することを、お兄様が処理する必要はありません」
「……僕は、そんなに頼りないかな。ベータでも、国や領地経営のことは学んでいるつもりだ」
兄が肩を落とす。それに微笑みを返し、アンリエッタは、自分は大丈夫なのだと兄の手を握った。
「いいえ、そういうわけではございません。お兄様は素晴らしい方です。侯爵になったとしてもやっていけるでしょう。けれど、お相手の目的は侯爵家とのつながりです。こうするしかないのですわ。それに、私が今まで幸せに過ごしてこられたのは、愛して大切にしてくださったお父様、お母様、お兄様のおかげです。その恩を、返させてくださいな」
アンリエッタのその言葉に、兄は顔をふせ、母は嗚咽をこぼして泣いた。父がすまない、すまない、と繰り返すのを心苦しく思う。けれど、きっとこれはそういう運命だったのだ。
ベータとアルファでも子はできないわけではない。貴族の令嬢らしく、婚姻して子をなすために生きる。それだけだった。
アンリエッタはそれから三日間学校を休んだ。
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しかし、後はアンリエッタのサインだけ、というところになって、アンリエッタの手は止まった。いけない。これが書けないと、父や兄を心配させてしまう。
けれど、どうしても書けない。
アンリエッタは、今も胸の中に染み付いた彼の匂いを思い出した。
ああ、そうか、と思う。
私、ふっきれていないんだわ、と。
突然の結婚だ。クラリスとの「婚約者候補」という関係ではなく、本当の結婚。
それをすぐに受け入れられなかったのは、アンリエッタが今もフェリクスを愛しているから。だから最後に学園へ行こう、と思った。幸い、結婚したら学園をやめてほしいとは書かれていたが、契約書にサインする前に学園に言ってはいけない、とは書かれていない。
アンリエッタは、四日目の朝、制服のリボンを結びながら、静かに呟いた。
「フェリクス……」
その想いは、蓋をしなければならない想いだ。
わかっている。ちゃんと、きちんと、わかっている。
だから最後に、お別れをしよう。
この想いを、一生表に出すことなく、胸の奥にしまえるように。
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