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ままならない恋3
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ニンジンのグラッセは大きめなので、ナイフを入れて食べやすく切る。
「オメガはそういうことに慎重にならざるを得ないわよね。私との婚約者候補という関係だって、クラリスのお父様がクラリスの防波堤になってほしいからって結ばれたものですし」
アンリエッタの言葉に、遠い目をしたユーグがずり落ちた眼鏡を直しながら相槌を打つ。
「へえ、ゴデチア嬢はそうなんだー。うんうん、なるほどね」
「ユーグ様、あなた、話を聞いていらっしゃる?」
「うんうん聞いてる聞いてる。だから今あなたの後ろでお化けみたいな顔してる殿下を慰めてもらえますか。特に、ゴデチア嬢はあなたの婚約者“候補”っていうのを強調してくれると嬉しいです」
「え?どうしたのフェリクス」
「うん?なにかな、アンリエッタ」
ユーグの言葉に驚いて振り仰いだ先のフェリクスはいつも通りだ。給仕に新しいフォークを運ばせ、優雅にナプキンで口元をぬぐっている。
「……?ユーグ様、お化けってどういうことですの?フェリクスはどう見てもいつも通りですわ」
「変わり身の早さ!」
ユーグが頭を抱えて叫ぶが、フェリクスはどこ吹く風だ。本当に一体なんなのだろう。
と、クラリスがアンリエッタの袖をくいくいと引くので、今度はアンリエッタはそちらへ顔を向けた。
「ねえねえ、アンリエッタ様は、初恋っていつでしたの?」
「初恋?」
「うん、気になります!」
クラリスの目は、アンリエッタの初恋話への期待にきらきらと輝いている。そうねえ、と答えて、アンリエッタはしばし、昔を懐かしく思って目を細めた。
「初恋、ね……」
初恋、と言われて思い出すのは、幼いころ、城で出会ったあの声の主だ。胸に今も鮮やかに湧き上がる想い――温度さえ感じる胸のときめきに、アンリエッタは苦笑した。きっと、あれが初恋だった。
「そうね、婚約者候補であるクラリスには悪いけれど、私は恋をしたことがあるわ。そして、今でもずっとその方が好き」
カーン、かしゃん。かしゃん、かん。今度は四回、カトラリーを落とした音がした。ユーグとフェリクスは、今日は手に力が入らないのかもしれない。
執務に一生懸命になりすぎて、無理をしてはだめよ、と後で言おうと決意しながら、アンリエッタはつづけた。
「昔ね、私、アルファとしては全然ダメでしたの。いつもいじめられて、一人で泣いて……」
「アンリエッタ様が?」
意外そうな顔をするクラリスに微笑む。「そうよ、実は昔はそうだったの」と一呼吸おいて、アンリエッタはあの、きらきらと水面に落ちる水滴のようにきらめく思い出を振り返った。
「でも、ある時出会った方……その方が、私の歌をほめてくださったの。まだ全然上手ではない、つたない歌を褒めて、“君が望めば、君が努力すれば、なんだって叶う”って言ってくださったの」
アンリエッタは胸を押さえる。何度思い出しても、この大切な想いは今もあたたかに生きたままだ。気づけば、フェリクスは食堂の喧騒の中、一言も聞き漏らすまいとでもいうのだろうか、瞬きもせずにアンリエッタを見つめていた。
「顔も名前もわからないわ。だって、相と手は生垣越しで言葉を交わしただけなんですもの。でも、顔も名前も知らなくても、たったそれだけの交わりでも、私はその方に恋をしたの」
アンリエッタの口元に笑みが浮かぶ。自分でも自覚するほど、にやけている自信があった。
それほど、好きだった。今も、昔も。あの人のことが。
「今の私があるのは、その方のおかげ。だから、私はその方に恥じない自分になりたいのよ」
「――わあ、素敵!」
聞き終えたクラリスがきゃっきゃと歓声をあげる。そんなクラリスの頭を撫でてやりながら、アンリエッタは様子のおかしいフェリクスへと視線を向けた。
「…………」
黙したまま何かを考えこんでいるフェリクス。
「フェリク――」
「はい殿下これ午後の授業の資料です」
「突然なんだユーグ」
その名を呼ぼうとして、ユーグの言葉に重なった。その様子はいつも通りのまじめな彼だったので、アンリエッタは安心して、ひとつ息をして、クラリスに向き直った。
「それだけだけれど……」
「ううん、それだけ、じゃないです。そんなふうに言わないで、アンリエッタ様のお好きになった方ですもの。それがアンリエッタ様の初恋なんですね」
「――ええ」
自分の気持ちを汲み取って言葉にしてくれたクラリス。それが嬉しくて顔をほころばせたアンリエッタは、でも、と続けた。
「オメガはそういうことに慎重にならざるを得ないわよね。私との婚約者候補という関係だって、クラリスのお父様がクラリスの防波堤になってほしいからって結ばれたものですし」
アンリエッタの言葉に、遠い目をしたユーグがずり落ちた眼鏡を直しながら相槌を打つ。
「へえ、ゴデチア嬢はそうなんだー。うんうん、なるほどね」
「ユーグ様、あなた、話を聞いていらっしゃる?」
「うんうん聞いてる聞いてる。だから今あなたの後ろでお化けみたいな顔してる殿下を慰めてもらえますか。特に、ゴデチア嬢はあなたの婚約者“候補”っていうのを強調してくれると嬉しいです」
「え?どうしたのフェリクス」
「うん?なにかな、アンリエッタ」
ユーグの言葉に驚いて振り仰いだ先のフェリクスはいつも通りだ。給仕に新しいフォークを運ばせ、優雅にナプキンで口元をぬぐっている。
「……?ユーグ様、お化けってどういうことですの?フェリクスはどう見てもいつも通りですわ」
「変わり身の早さ!」
ユーグが頭を抱えて叫ぶが、フェリクスはどこ吹く風だ。本当に一体なんなのだろう。
と、クラリスがアンリエッタの袖をくいくいと引くので、今度はアンリエッタはそちらへ顔を向けた。
「ねえねえ、アンリエッタ様は、初恋っていつでしたの?」
「初恋?」
「うん、気になります!」
クラリスの目は、アンリエッタの初恋話への期待にきらきらと輝いている。そうねえ、と答えて、アンリエッタはしばし、昔を懐かしく思って目を細めた。
「初恋、ね……」
初恋、と言われて思い出すのは、幼いころ、城で出会ったあの声の主だ。胸に今も鮮やかに湧き上がる想い――温度さえ感じる胸のときめきに、アンリエッタは苦笑した。きっと、あれが初恋だった。
「そうね、婚約者候補であるクラリスには悪いけれど、私は恋をしたことがあるわ。そして、今でもずっとその方が好き」
カーン、かしゃん。かしゃん、かん。今度は四回、カトラリーを落とした音がした。ユーグとフェリクスは、今日は手に力が入らないのかもしれない。
執務に一生懸命になりすぎて、無理をしてはだめよ、と後で言おうと決意しながら、アンリエッタはつづけた。
「昔ね、私、アルファとしては全然ダメでしたの。いつもいじめられて、一人で泣いて……」
「アンリエッタ様が?」
意外そうな顔をするクラリスに微笑む。「そうよ、実は昔はそうだったの」と一呼吸おいて、アンリエッタはあの、きらきらと水面に落ちる水滴のようにきらめく思い出を振り返った。
「でも、ある時出会った方……その方が、私の歌をほめてくださったの。まだ全然上手ではない、つたない歌を褒めて、“君が望めば、君が努力すれば、なんだって叶う”って言ってくださったの」
アンリエッタは胸を押さえる。何度思い出しても、この大切な想いは今もあたたかに生きたままだ。気づけば、フェリクスは食堂の喧騒の中、一言も聞き漏らすまいとでもいうのだろうか、瞬きもせずにアンリエッタを見つめていた。
「顔も名前もわからないわ。だって、相と手は生垣越しで言葉を交わしただけなんですもの。でも、顔も名前も知らなくても、たったそれだけの交わりでも、私はその方に恋をしたの」
アンリエッタの口元に笑みが浮かぶ。自分でも自覚するほど、にやけている自信があった。
それほど、好きだった。今も、昔も。あの人のことが。
「今の私があるのは、その方のおかげ。だから、私はその方に恥じない自分になりたいのよ」
「――わあ、素敵!」
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「それだけだけれど……」
「ううん、それだけ、じゃないです。そんなふうに言わないで、アンリエッタ様のお好きになった方ですもの。それがアンリエッタ様の初恋なんですね」
「――ええ」
自分の気持ちを汲み取って言葉にしてくれたクラリス。それが嬉しくて顔をほころばせたアンリエッタは、でも、と続けた。
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