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4話
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「み、ミリエル」
「旦那様、どうなさったのですか?」
「ミリエル、君は、今のことを覚えているのか?」
今しがたの素晴らしい夢の思い出を、忘れられるわけがない。ミリエルはそう思ってこくり、と頷いた。
デュークの目が、ネックレスと、ミリエルに順番に向けられ、それを一往復繰り返したあと、ゆっくりと時間をかけて、ミリエルに戻された。
デュークの緑の目が絶望に染まる。
そうして。
「すまなかった……」
おびえるような、後悔しているような声で、デュークはミリエルをそうっと起こした。
頭に疑問符を浮かべるミリエルだったが、激しくこすれた背中が痛いような気がして、そこでようやっと「これは、もしかしたら現実のことなのかしら」と思った。
「旦那様、どうしてそんな顔をしていらっしゃるの?」
ミリエルの問いに、デュークはまるで死刑宣告でもされたような顔になってうなだれた。
ミリエルが恐る恐るデュークの頬を撫でると、そこはとても冷たい。
目を瞬き、デュークにそっと手を握られながら、ミリエルはデュークの話す言葉を聞くこととなった。
■■■
デュークがその少女を初めて見たのは10年前。隣国との戦争に勝利し、和平交渉が成立してからの、凱旋パレードでのことだった。
そのころのデュークはまだ若いながらもめきめきと頭角を現していて、その凱旋パレードでも目立つ場所に配置されるような騎士だった。
未来の騎士団長という立場を期待されてのことだとはわかっていたが、こういう催しには気が乗らない。民を守るために戦うことに否やはないが、その勝利を大々的に喧伝する、こうした行為はそれを好むものがやればいいと常々思っていた。
そんな風に思って、ふと道のわきへと視線をやった時だった。
「きゃ……ッ」
高い、子供の声。親とはぐれたのか、一人の少女がパレ―ドの進行方向に転び出てきてしまっていた。
後ろから人ごみに押されたのだろう。少女は尻もちをついて、迫ってくる馬におびえたようにエメラルドグリーンの目を揺らした。
このままでは少女が危ない。馬に蹴られでもしたら大ごとだ。
デュークはすぐさま乗っていた馬から飛び降り、少女を抱き上げた。
絹のようにさらさらとした柔らかな金髪がデュークの腕をくすぐる。
一連の出来事に驚いていた観客は、それを演出だと思ったらしい。歓声があがる。
デュークは少女を抱き上げたまま馬へと戻った。あのままあそこにおいておけば、少女は迷子になったまま、何も解決しないだろう。
そう思って少女を見やると、少女は何が起きたのかわからない、と言った顔できょとんと目を瞬いていた。
「君、名前は?」
「みりえる……」
「そうか、ミリエル。私が抱っこしていてあげるから、お父さんやお母さんを探せるかい?」
「ウン……」
まだ10も数えていないだろう、幼い少女をそうっと抱いて、18になったばかりのデュークは遠くを見わたす。まるで人形のように軽い少女だ。それは、デュークが子供に触れたことがないからだろうか。
「お父様、お母様!」
「ミリエル!ああ、騎士様、なんとお礼を申し上げればよいか……」
ミリエルの両親が見つかったのは、パレードも終盤に差し掛かったときだった。
ミリエルによく似た金髪の母親と、ミリエルと同じエメラルドグリーンの目をした父親。デュークからミリエルを渡されて、彼女の両親は今にも泣きそうに顔を歪めた。
愛されているのだ、と思って、デュークは微笑ましい気持ちになる。
デュークの両親は不仲ではないもののどこかよそよそしい、政略結婚という言葉の通りの夫婦だった。だから、ミリエルのように両親双方から愛される存在がまぶしいと思う。
「きしさま」
「なんだい、ミリエル」
「ありがとう、ございました」
はにかんで、デュークに礼を言うミリエル。彼女は幼く、無垢で、そして何より愛らしかった。
手から離れた重みがデュークにそう思わせたのだろうか。ミリエルに礼を述べられ、彼女が離れていく後姿を見やって、デュークは自分の胸を掻きむしりたい衝動に襲われた。
今になって思えば、それはデュークがはじめて恋をした瞬間だったのだろう。一回り年下の、幼い少女を好きだと思い――その時は、それが理解できなかった。
ただ微笑まれただけで恋に落ちるなどありえない。そうは思うが、それが純然たる現実なのは変わりがなかった。
傾きかけたミリエルの実家――歴史ばかりが長い伯爵家に婚姻を申し入れたのは、それから10年が経ってから。
自分は子供を愛する人間なのかと悩み、孤児院へ慰問して確かめ、それを否定し、10年だ。その時には、デュークは自分が「ミリエルだから」愛してしまったのだ、と理解していた。
「旦那様、どうなさったのですか?」
「ミリエル、君は、今のことを覚えているのか?」
今しがたの素晴らしい夢の思い出を、忘れられるわけがない。ミリエルはそう思ってこくり、と頷いた。
デュークの目が、ネックレスと、ミリエルに順番に向けられ、それを一往復繰り返したあと、ゆっくりと時間をかけて、ミリエルに戻された。
デュークの緑の目が絶望に染まる。
そうして。
「すまなかった……」
おびえるような、後悔しているような声で、デュークはミリエルをそうっと起こした。
頭に疑問符を浮かべるミリエルだったが、激しくこすれた背中が痛いような気がして、そこでようやっと「これは、もしかしたら現実のことなのかしら」と思った。
「旦那様、どうしてそんな顔をしていらっしゃるの?」
ミリエルの問いに、デュークはまるで死刑宣告でもされたような顔になってうなだれた。
ミリエルが恐る恐るデュークの頬を撫でると、そこはとても冷たい。
目を瞬き、デュークにそっと手を握られながら、ミリエルはデュークの話す言葉を聞くこととなった。
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デュークがその少女を初めて見たのは10年前。隣国との戦争に勝利し、和平交渉が成立してからの、凱旋パレードでのことだった。
そのころのデュークはまだ若いながらもめきめきと頭角を現していて、その凱旋パレードでも目立つ場所に配置されるような騎士だった。
未来の騎士団長という立場を期待されてのことだとはわかっていたが、こういう催しには気が乗らない。民を守るために戦うことに否やはないが、その勝利を大々的に喧伝する、こうした行為はそれを好むものがやればいいと常々思っていた。
そんな風に思って、ふと道のわきへと視線をやった時だった。
「きゃ……ッ」
高い、子供の声。親とはぐれたのか、一人の少女がパレ―ドの進行方向に転び出てきてしまっていた。
後ろから人ごみに押されたのだろう。少女は尻もちをついて、迫ってくる馬におびえたようにエメラルドグリーンの目を揺らした。
このままでは少女が危ない。馬に蹴られでもしたら大ごとだ。
デュークはすぐさま乗っていた馬から飛び降り、少女を抱き上げた。
絹のようにさらさらとした柔らかな金髪がデュークの腕をくすぐる。
一連の出来事に驚いていた観客は、それを演出だと思ったらしい。歓声があがる。
デュークは少女を抱き上げたまま馬へと戻った。あのままあそこにおいておけば、少女は迷子になったまま、何も解決しないだろう。
そう思って少女を見やると、少女は何が起きたのかわからない、と言った顔できょとんと目を瞬いていた。
「君、名前は?」
「みりえる……」
「そうか、ミリエル。私が抱っこしていてあげるから、お父さんやお母さんを探せるかい?」
「ウン……」
まだ10も数えていないだろう、幼い少女をそうっと抱いて、18になったばかりのデュークは遠くを見わたす。まるで人形のように軽い少女だ。それは、デュークが子供に触れたことがないからだろうか。
「お父様、お母様!」
「ミリエル!ああ、騎士様、なんとお礼を申し上げればよいか……」
ミリエルの両親が見つかったのは、パレードも終盤に差し掛かったときだった。
ミリエルによく似た金髪の母親と、ミリエルと同じエメラルドグリーンの目をした父親。デュークからミリエルを渡されて、彼女の両親は今にも泣きそうに顔を歪めた。
愛されているのだ、と思って、デュークは微笑ましい気持ちになる。
デュークの両親は不仲ではないもののどこかよそよそしい、政略結婚という言葉の通りの夫婦だった。だから、ミリエルのように両親双方から愛される存在がまぶしいと思う。
「きしさま」
「なんだい、ミリエル」
「ありがとう、ございました」
はにかんで、デュークに礼を言うミリエル。彼女は幼く、無垢で、そして何より愛らしかった。
手から離れた重みがデュークにそう思わせたのだろうか。ミリエルに礼を述べられ、彼女が離れていく後姿を見やって、デュークは自分の胸を掻きむしりたい衝動に襲われた。
今になって思えば、それはデュークがはじめて恋をした瞬間だったのだろう。一回り年下の、幼い少女を好きだと思い――その時は、それが理解できなかった。
ただ微笑まれただけで恋に落ちるなどありえない。そうは思うが、それが純然たる現実なのは変わりがなかった。
傾きかけたミリエルの実家――歴史ばかりが長い伯爵家に婚姻を申し入れたのは、それから10年が経ってから。
自分は子供を愛する人間なのかと悩み、孤児院へ慰問して確かめ、それを否定し、10年だ。その時には、デュークは自分が「ミリエルだから」愛してしまったのだ、と理解していた。
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