上 下
6 / 15

第二話 聖女暗殺未遂という濡れ衣④

しおりを挟む
 そこにあったのは炎のような大きい、赤い目だった。つややかな鱗は漆黒で、背には大きな翼が映えている。おとぎ話や神話の挿絵と同じ姿がそこにある。つまりは、黒い鱗の巨大な竜が、ミリエルを抱きかかえているのだった。

「邪竜様!」

 遠くで砂糖菓子のような声が響く。
 ああ──ああ──誰に言われなくてもわかる、『彼』は──。

「ユアン……!」

 ミリエルの目から、ぽろりと涙が零れ落ちる。どうしてそんな姿をしているの、とか、死んだんじゃなかったの、とか、聞きたいことはたくさんあった。けれど、今はそんなことより、ユアンとまた会えたことが何よりうれしく、大切なことだった。

 抱き着いた鱗はひんやり冷たく、その大きな口から漏れ出る吐息からはユアンの匂いがした。

──ミリー、怪我したの。

 ふいに、ユアンがミリエルの額をなぞる。血に固まったそこは赤くぼそぼそとしていた。

「もう痛くないわ」

 じんじんと痺れるだけだ。頭の傷は血が出やすい。

──ミリー……。

 ユアンがぎっとセレナをにらむ。その先にいるセレナはどうしてか、笑っていた。

「うわああ! 邪竜だ! 邪竜が現れたぞ!」
「逃げろ! 焼き尽くされる!」
「本当に邪竜が存在するなんて……!」

 優しく抱き上げてくれる竜の姿をしたユアンの腕の中で地上を見下ろせば、阿鼻叫喚の渦中でセレナだけが爛々と目を輝かせて喜んでいる。

「邪竜様……セレナはここよ!」

 ──前々から思っていたが、ミリー、君の妹は頭がおかしいのか?

「そういう、わけではないと思うのだけれど……」

 そう思いはするが、おとぎ話のような異世界の話を現実だと言うセレナの狂気的な姿には、ユアンの言葉を否定できないものがあった。
 と、そこで神話に出てくる邪竜の話を思い出す。たしか邪竜は聖女に浄化されたのではなかったか。眠っていた邪竜が起きた姿がユアンだというのはわかる。状況的にそれ以外ありえないからだ。

 だが、そうするとユアンが神話で闇から助けてくれた聖女という役職に好意的ではない理由がわからない。……それとも、今もなお、彼は悪しき竜のままなのだろうか。

 ……ミリエルにとっては、ユアンが悪しき竜なのかそうでないのかはどうでもいい。
 俗な思いだとはわかっているけれど、重要なのは、ユアンが聖女のことを愛しているか否かだ。

「ユアン、どうしてセレナのことをそんな風に? 彼女は今代の聖女よ?」

 ──あれは聖女じゃない。少なくとも、僕は認めない。

 きっぱりとした言葉が脳裏に響く。それにほっとした自分がいるのを自覚して、ミリエルは恥じるように顔を伏せた。

(そっか、ユアンはセレナのことを好きじゃないのね)

 胸を押さえて、ミリエルはほっと息を吐く。

 ──僕があの女に恋するなんて、ありえないから。

 そんなミリエルの思考を呼んだかのように、ユアンが鼻を鳴らした。竜の大きな吐息がミリエルの髪を吹き上げる。

「心が読めるの?」

 ──心が読めなかったとしても、ミリーの考えていることくらい分かるよ。僕はミリーを、君が思うよりずっと真剣に見ているんだから。

 それは、言外に心が読めると言っているようなものである。
 けれど、そう、そうか。
 ユアンが変わらずにミリエルのことを想ってくれているとわかって、ミリエルは嬉しくなった。
 そうしていると、気持ちに余裕が出てきて、周囲のざわめきに気が付く。

 ユアンに抱えられたミリエルを見て、儀式を行おうとしていた人々は驚いた顔をしていた。

「どうして邪竜はあの悪姉を食わないんだ?」
「聖女様の言葉の通りなら、邪竜はまずあの女を殺すはずだろう……?」
「それに、邪竜と会話をしているように見える。邪竜と話せるのは、聖女様だけのはずなのに……」
 そんな言葉が聞こえてきて、ミリエルはユアンを振り仰いだ。
「ユアン、あなたの声は、もしかして他の人には聞こえないの?」

 ──こうして直接話ができるのは、聖女だけだ。ほかの人間には、僕の声はただの唸り声に聞こえるはずだよ。

「聖女だけ? それじゃあ、やっぱり」

 ──あの女は聖女じゃない。

「……?」

 聖女じゃない?それでも、セレナはたしかに教会に見とめられた聖なる魔力を持つ今代の聖女だ。どういうことなの、とミリエルがユアンに尋ねようとした時だった。
 きいん、という耳鳴りのような音がして、と同時に白い光の糸が束となってミリエルに襲い掛かってきたのだ。

 ──ミリー、ちょっとこっちにいてね。

「ユアン!」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ふしだらな悪役令嬢として公開処刑される直前に聖女覚醒、婚約破棄の破棄?ご冗談でしょ(笑)

青の雀
恋愛
病弱な公爵令嬢ビクトリアは、卒業式の日にロバート王太子殿下から婚約破棄されてしまう。病弱なためあまり学園に行っていなかったことを男と浮気していたせいだ。おまけに王太子の浮気相手の令嬢を虐めていたとさえも、と勝手に冤罪を吹っかけられ、断罪されてしまいます。 父のストロベリー公爵は、王家に冤罪だと掛け合うものの、公開処刑の日時が決まる。 断頭台に引きずり出されたビクトリアは、最後に神に祈りを捧げます。 ビクトリアの身体から突然、黄金色の光が放たれ、苛立っていた観衆は穏やかな気持ちに変わっていく。 慌てた王家は、処刑を取りやめにするが……という話にする予定です。 お気づきになられている方もいらっしゃるかと存じますが この小説は、同じ世界観で 1.みなしごだからと婚約破棄された聖女は実は女神の化身だった件について 2.婚約破棄された悪役令嬢は女神様!? 開国の祖を追放した国は滅びの道まっしぐら 3.転生者のヒロインを虐めた悪役令嬢は聖女様!? 国外追放の罪を許してやるからと言っても後の祭りです。 全部、話として続いています。ひとつずつ読んでいただいても、わかるようにはしています。 続編というのか?スピンオフというのかは、わかりません。 本来は、章として区切るべきだったとは、思います。 コンテンツを分けずに章として連載することにしました。

お堅い公爵様に求婚されたら、溺愛生活が始まりました

群青みどり
恋愛
 国に死ぬまで搾取される聖女になるのが嫌で実力を隠していたアイリスは、周囲から無能だと虐げられてきた。  どれだけ酷い目に遭おうが強い精神力で乗り越えてきたアイリスの安らぎの時間は、若き公爵のセピアが神殿に訪れた時だった。  そんなある日、セピアが敵と対峙した時にたまたま近くにいたアイリスは巻き込まれて怪我を負い、気絶してしまう。目が覚めると、顔に傷痕が残ってしまったということで、セピアと婚約を結ばれていた! 「どうか怪我を負わせた責任をとって君と結婚させてほしい」  こんな怪我、聖女の力ですぐ治せるけれど……本物の聖女だとバレたくない!  このまま正体バレして国に搾取される人生を送るか、他の方法を探して婚約破棄をするか。  婚約破棄に向けて悩むアイリスだったが、罪悪感から求婚してきたはずのセピアの溺愛っぷりがすごくて⁉︎ 「ずっと、どうやってこの神殿から君を攫おうかと考えていた」  麗しの公爵様は、今日も聖女にしか見せない笑顔を浮かべる── ※タイトル変更しました

婚約破棄された真の聖女は隠しキャラのオッドアイ竜大王の運命の番でした!~ヒロイン様、あなたは王子様とお幸せに!~

白樫アオニ(卯月ミント)
恋愛
「私、竜の運命の番だったみたいなのでこのまま去ります! あなたは私に構わず聖女の物語を始めてください!」 ……聖女候補として長年修行してきたティターニアは王子に婚約破棄された。 しかしティターニアにとっては願ったり叶ったり。 何故なら王子が新しく婚約したのは、『乙女ゲームの世界に異世界転移したヒロインの私』を自称する異世界から来た少女ユリカだったから……。 少女ユリカが語るキラキラした物語――異世界から来た少女が聖女に選ばれてイケメン貴公子たちと絆を育みつつ魔王を倒す――(乙女ゲーム)そんな物語のファンになっていたティターニア。 つまりは異世界から来たユリカが聖女になることこそ至高! そのためには喜んで婚約破棄されるし追放もされます! わーい!! しかし選定の儀式で選ばれたのはユリカではなくティターニアだった。 これじゃあ素敵な物語が始まらない! 焦る彼女の前に、青赤瞳のオッドアイ白竜が現れる。 運命の番としてティターニアを迎えに来たという竜。 これは……使える! だが実はこの竜、ユリカが真に狙っていた隠しキャラの竜大王で…… ・完結しました。これから先は、エピソードを足したり、続きのエピソードをいくつか更新していこうと思っています。 ・お気に入り登録、ありがとうございます! ・もし面白いと思っていただけましたら、やる気が超絶跳ね上がりますので、是非お気に入り登録お願いします! ・hotランキング10位!!!本当にありがとうございます!!! ・hotランキング、2位!?!?!?これは…とんでもないことです、ありがとうございます!!! ・お気に入り数が1700超え!物凄いことが起こってます。読者様のおかげです。ありがとうございます! ・お気に入り数が3000超えました!凄いとしかいえない。ほんとに、読者様のおかげです。ありがとうございます!!! ・感想も何かございましたらお気軽にどうぞ。感想いただけますと、やる気が宇宙クラスになります。

猛禽令嬢は王太子の溺愛を知らない

高遠すばる
恋愛
幼い頃、婚約者を庇って負った怪我のせいで目つきの悪い猛禽令嬢こと侯爵令嬢アリアナ・カレンデュラは、ある日、この世界は前世の自分がプレイしていた乙女ゲーム「マジカル・愛ラブユー」の世界で、自分はそのゲームの悪役令嬢だと気が付いた。 王太子であり婚約者でもあるフリードリヒ・ヴァン・アレンドロを心から愛しているアリアナは、それが破滅を呼ぶと分かっていてもヒロインをいじめることをやめられなかった。 最近ではフリードリヒとの仲もギクシャクして、目すら合わせてもらえない。 あとは断罪を待つばかりのアリアナに、フリードリヒが告げた言葉とはーー……! 積み重なった誤解が織りなす、溺愛・激重感情ラブコメディ! ※王太子の愛が重いです。

【完結】聖女になり損なった刺繍令嬢は逃亡先で幸福を知る。

みやこ嬢
恋愛
「ルーナ嬢、神聖なる聖女選定の場で不正を働くとは何事だ!」 魔法国アルケイミアでは魔力の多い貴族令嬢の中から聖女を選出し、王子の妃とするという古くからの習わしがある。 ところが、最終試験まで残ったクレモント侯爵家令嬢ルーナは不正を疑われて聖女候補から外されてしまう。聖女になり損なった失意のルーナは義兄から襲われたり高齢宰相の後妻差し出されそうになるが、身を守るために侍女ティカと共に逃げ出した。 あてのない旅に出たルーナは、身を寄せた隣国シュベルトの街で運命的な出会いをする。 【2024年3月16日完結、全58話】

巻き込まれではなかった、その先で…

みん
恋愛
10歳の頃に記憶を失った状態で倒れていた私も、今では25歳になった。そんなある日、職場の上司の奥さんから、知り合いの息子だと言うイケメンを紹介されたところから、私の運命が動き出した。 懐かしい光に包まれて向かわされた、その先は………?? ❋相変わらずのゆるふわ&独自設定有りです。 ❋主人公以外の他視点のお話もあります。 ❋気を付けてはいますが、誤字脱字があると思います。すみません。 ❋基本は1日1話の更新ですが、余裕がある時は2話投稿する事もあります。

私、悪役令嬢ですが聖女に婚約者を取られそうなので自らを殺すことにしました

蓮恭
恋愛
 私カトリーヌは、周囲が言うには所謂悪役令嬢というものらしいです。  私の実家は新興貴族で、元はただの商家でした。    私が発案し開発した独創的な商品が当たりに当たった結果、国王陛下から子爵の位を賜ったと同時に王子殿下との婚約を打診されました。  この国の第二王子であり、名誉ある王国騎士団を率いる騎士団長ダミアン様が私の婚約者です。  それなのに、先般異世界から召喚してきた聖女麻里《まり》はその立場を利用して、ダミアン様を籠絡しようとしています。  ダミアン様は私の最も愛する方。    麻里を討ち果たし、婚約者の心を自分のものにすることにします。 *初めての読み切り短編です❀.(*´◡`*)❀. 『小説家になろう』様、『カクヨム』様にも掲載中です。

モブですら無いと落胆したら悪役令嬢だった~前世コミュ障引きこもりだった私は今世は素敵な恋がしたい~

古里@10/25シーモア発売『王子に婚約
恋愛
前世コミュ障で話し下手な私はゲームの世界に転生できた。しかし、ヒロインにしてほしいと神様に祈ったのに、なんとモブにすらなれなかった。こうなったら仕方がない。せめてゲームの世界が見れるように一生懸命勉強して私は最難関の王立学園に入学した。ヒロインの聖女と王太子、多くのイケメンが出てくるけれど、所詮モブにもなれない私はお呼びではない。コミュ障は相変わらずだし、でも、折角神様がくれたチャンスだ。今世は絶対に恋に生きるのだ。でも色々やろうとするんだけれど、全てから回り、全然うまくいかない。挙句の果てに私が悪役令嬢だと判ってしまった。 でも、聖女は虐めていないわよ。えええ?、反逆者に私の命が狙われるている?ちょっと、それは断罪されてた後じゃないの? そこに剣構えた人が待ち構えているんだけど・・・・まだ死にたくないわよ・・・・。 果たして主人公は生き残れるのか? 恋はかなえられるのか? ハッピーエンド目指して頑張ります。 小説家になろう、カクヨムでも掲載中です。

処理中です...