邪竜の鍾愛~聖女の悪姉は竜の騎士に娶られる~

高遠すばる

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第二話 聖女暗殺未遂という濡れ衣④

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 そこにあったのは炎のような大きい、赤い目だった。つややかな鱗は漆黒で、背には大きな翼が映えている。おとぎ話や神話の挿絵と同じ姿がそこにある。つまりは、黒い鱗の巨大な竜が、ミリエルを抱きかかえているのだった。

「邪竜様!」

 遠くで砂糖菓子のような声が響く。
 ああ──ああ──誰に言われなくてもわかる、『彼』は──。

「ユアン……!」

 ミリエルの目から、ぽろりと涙が零れ落ちる。どうしてそんな姿をしているの、とか、死んだんじゃなかったの、とか、聞きたいことはたくさんあった。けれど、今はそんなことより、ユアンとまた会えたことが何よりうれしく、大切なことだった。

 抱き着いた鱗はひんやり冷たく、その大きな口から漏れ出る吐息からはユアンの匂いがした。

──ミリー、怪我したの。

 ふいに、ユアンがミリエルの額をなぞる。血に固まったそこは赤くぼそぼそとしていた。

「もう痛くないわ」

 じんじんと痺れるだけだ。頭の傷は血が出やすい。

──ミリー……。

 ユアンがぎっとセレナをにらむ。その先にいるセレナはどうしてか、笑っていた。

「うわああ! 邪竜だ! 邪竜が現れたぞ!」
「逃げろ! 焼き尽くされる!」
「本当に邪竜が存在するなんて……!」

 優しく抱き上げてくれる竜の姿をしたユアンの腕の中で地上を見下ろせば、阿鼻叫喚の渦中でセレナだけが爛々と目を輝かせて喜んでいる。

「邪竜様……セレナはここよ!」

 ──前々から思っていたが、ミリー、君の妹は頭がおかしいのか?

「そういう、わけではないと思うのだけれど……」

 そう思いはするが、おとぎ話のような異世界の話を現実だと言うセレナの狂気的な姿には、ユアンの言葉を否定できないものがあった。
 と、そこで神話に出てくる邪竜の話を思い出す。たしか邪竜は聖女に浄化されたのではなかったか。眠っていた邪竜が起きた姿がユアンだというのはわかる。状況的にそれ以外ありえないからだ。

 だが、そうするとユアンが神話で闇から助けてくれた聖女という役職に好意的ではない理由がわからない。……それとも、今もなお、彼は悪しき竜のままなのだろうか。

 ……ミリエルにとっては、ユアンが悪しき竜なのかそうでないのかはどうでもいい。
 俗な思いだとはわかっているけれど、重要なのは、ユアンが聖女のことを愛しているか否かだ。

「ユアン、どうしてセレナのことをそんな風に? 彼女は今代の聖女よ?」

 ──あれは聖女じゃない。少なくとも、僕は認めない。

 きっぱりとした言葉が脳裏に響く。それにほっとした自分がいるのを自覚して、ミリエルは恥じるように顔を伏せた。

(そっか、ユアンはセレナのことを好きじゃないのね)

 胸を押さえて、ミリエルはほっと息を吐く。

 ──僕があの女に恋するなんて、ありえないから。

 そんなミリエルの思考を呼んだかのように、ユアンが鼻を鳴らした。竜の大きな吐息がミリエルの髪を吹き上げる。

「心が読めるの?」

 ──心が読めなかったとしても、ミリーの考えていることくらい分かるよ。僕はミリーを、君が思うよりずっと真剣に見ているんだから。

 それは、言外に心が読めると言っているようなものである。
 けれど、そう、そうか。
 ユアンが変わらずにミリエルのことを想ってくれているとわかって、ミリエルは嬉しくなった。
 そうしていると、気持ちに余裕が出てきて、周囲のざわめきに気が付く。

 ユアンに抱えられたミリエルを見て、儀式を行おうとしていた人々は驚いた顔をしていた。

「どうして邪竜はあの悪姉を食わないんだ?」
「聖女様の言葉の通りなら、邪竜はまずあの女を殺すはずだろう……?」
「それに、邪竜と会話をしているように見える。邪竜と話せるのは、聖女様だけのはずなのに……」
 そんな言葉が聞こえてきて、ミリエルはユアンを振り仰いだ。
「ユアン、あなたの声は、もしかして他の人には聞こえないの?」

 ──こうして直接話ができるのは、聖女だけだ。ほかの人間には、僕の声はただの唸り声に聞こえるはずだよ。

「聖女だけ? それじゃあ、やっぱり」

 ──あの女は聖女じゃない。

「……?」

 聖女じゃない?それでも、セレナはたしかに教会に見とめられた聖なる魔力を持つ今代の聖女だ。どういうことなの、とミリエルがユアンに尋ねようとした時だった。
 きいん、という耳鳴りのような音がして、と同時に白い光の糸が束となってミリエルに襲い掛かってきたのだ。

 ──ミリー、ちょっとこっちにいてね。

「ユアン!」
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