2 / 15
第一話 恋の成就と不穏な足音②
しおりを挟む
空に輝く三日月が雲に隠れて、あたりが暗くなる。
何にも見えない中で、ユアンの視線だけをはっきりと感じた。
「それ、は」
「そんなのは嫌だ。君をやっとこの手に抱けたのに、君が砂漠の砂のようにすり抜けてどこかへ行ってしまうなんて耐えられない」
「……だって、あなたは、セレナと、婚約を……」
言い訳のように呟いた言葉は、ユアンの抱きしめる腕の力が強くなったことで返事とされた。ミリエルを離すまいとかき抱くユアンの手に、他に向ける想いなど感じられなかった。
「そんなのとっくに断った。僕が愛しているのは君だけだから。ミリー」
ほろほろと、目のふちから盛り上がった涙がいくつぶも零れていく。
ミリエルが泣き続けているのを知らないはずはないだろうに、ユアンはミリエルを腕の中から解放することはしなかった。
「愛しているんだ、ミリー、君だけを……」
「……でも、あなたもいつか、わたしから離れていくわ。わたしは『聖女のはきだめ』だもの」
はきだめとは、いつも聖女セレナが豪遊をしたとか、男遊びをしたとかの不始末の罪を擦り付けられ、身代わりになるミリエルをさしてセレナが言った言葉だ。
その言葉は今もミリエルの胸に突き刺さって消えない。仲良くなった人々は、みなその罪を信じて離れて行った。
だから愛されることが怖いのではない。手に入れた後、失うのが怖いのだ。
手に入らないと思っていた。それが急に手の中にはい、どうぞと入ってきた。けれど、こうしていながら背を向けられれば、それは何よりもさみしい、悲しいことだ。
「ミリーにそう思わせたのは、あの女だね」
ユアンが、ぞっとするほど冷たい氷のような声を落とす。
ミリエルは否定も肯定もできないまま、ユアンから離れようとユアンの腕をほどき一歩後ずさった。
けれど、その一歩を詰めて、ユアンはより一層強くミリエルを抱きなおす。
離すまいとでもいうように、しかと。
「ユアン、離して。こんなところ誰かに見られたら」
「離さない。君がそう言うのは、これ以上奪われたくないからだ。なら僕は、君からこれ以上、何も奪わせない。なにからも守る。僕のミリエル──僕だけのミリー。そして僕は、ミリーだけのものだ」
ユアンの力強い言葉に、ミリエルが目を見開く。仰いだ拍子にユアンの炎色の目と真っ向から視線が混ざり合う。
その瞳は炯々と輝いていて、ミリエルにユアンの本気を否応なしに理解させた。
「ユアン」
「ミリー、信じて」
そんな風に見つめられて、愛されてしまえば、もうだめだった。溢れそうだった恋心が決壊して、迷いも何もかもを押し流していく。
ミリエルは恐る恐るユアンの胸に手を添えた。その手をしっかりと握られて、ぴたりとユアンの胸に当てられる。
「聞こえる? ミリー、僕の心臓、こんなにドキドキしてる」
「聞こえる……。本当に、わたしを好きなの? ユアン」
ミリエルのおびえた言葉に、ユアンが微笑む。
「ああ」
「わたしは、あなたを好きでいていいの」
「もちろん」
「わたし……」
ミリエルは目を閉じた。頭の中にぐるぐると回るのは、双子の妹、セレナのことや、周りの言葉。でも、今大切なのはきっと、それじゃない。
ミリエルは、荒れ狂う感情が収まるのを待って目を開けた。もう一度ユアンを振り仰いで、そうして、泣きながら、笑った。
「あなたを、愛してるわ、ユアン」
それは、先ほど口にした諦観混じりの声音で塗りつぶされたものではなかった。
未来を見た、希望を抱いた、心からの言葉だと、ユアンにもわかったのだろう。
「ああ、ミリー!」
嬉しくてならない、とユアンがミリエルを抱き上げる。
その拍子に顔が近づいて、ミリエルはあ、と思った。
胸いっぱいにユアンの匂いが広がって、吐息が混ざっているのを理解した。
キスされているのだ。ゼロになった距離で、目に映るユアンの長いまつ毛が幻想的にすら思えた。
だけど、これは幻でも妄想でもない。もちろん、夢でも。
どれだけそうしていただろう。酸欠になったミリエルを解放して、ユアンはその炎色の目をとろりと蜂蜜のように蕩けさせた。
「これで、君はの僕の恋人だ。……僕だけの、宝だ」
「宝……」
ミリエルは、ぼんやりとした酸欠の頭で、ユアンの言葉を繰り返した。
繰り返して、はにかむように笑った。大切なものを胸にしまいこむように、ユアンの言葉を噛み締める。
「ミリー、明日、スタンピードの件で功労者としての受勲式が終わったら、王に君との結婚を願い出るよ。そうしたら、もう君は『聖女のはきだめ』なんてする必要はない」
「うん……うん……ユアン」
「待っていて。ミリー。君には、もう、幸せな未来視か用意しない」
ユアンの優しい言葉が、しんしんと、星の光のように降ってくる。
ふと空を見上げると、本当に星が降っていた。流星群だ。
そうやって降る雪はユアンの言葉のようで、風に押し上げられた雲から現れた月は、ユアンのように優しい光を纏っていた。
──ユアンは、わたしのお月さま。
どこにいてもミリエルを見つめてくれる、ミリエルだけの月……。
今日まで、妹ばかり見る両親と、毎日かぶせられる濡れ衣に、心が壊れかけていた。
でも、もう、ユアンがいれば、この先には幸せがあると信じられる。
幸せだ、本当に、本当に、本当に……。
──…………。
ミリエルが、聖女セレナの暗殺未遂で囚われ、それに抗議したユアンが拘束されたのは、翌日のこと──すべては、ユアンの不在をついた一瞬の隙に行われ、そして、終わった。
何にも見えない中で、ユアンの視線だけをはっきりと感じた。
「それ、は」
「そんなのは嫌だ。君をやっとこの手に抱けたのに、君が砂漠の砂のようにすり抜けてどこかへ行ってしまうなんて耐えられない」
「……だって、あなたは、セレナと、婚約を……」
言い訳のように呟いた言葉は、ユアンの抱きしめる腕の力が強くなったことで返事とされた。ミリエルを離すまいとかき抱くユアンの手に、他に向ける想いなど感じられなかった。
「そんなのとっくに断った。僕が愛しているのは君だけだから。ミリー」
ほろほろと、目のふちから盛り上がった涙がいくつぶも零れていく。
ミリエルが泣き続けているのを知らないはずはないだろうに、ユアンはミリエルを腕の中から解放することはしなかった。
「愛しているんだ、ミリー、君だけを……」
「……でも、あなたもいつか、わたしから離れていくわ。わたしは『聖女のはきだめ』だもの」
はきだめとは、いつも聖女セレナが豪遊をしたとか、男遊びをしたとかの不始末の罪を擦り付けられ、身代わりになるミリエルをさしてセレナが言った言葉だ。
その言葉は今もミリエルの胸に突き刺さって消えない。仲良くなった人々は、みなその罪を信じて離れて行った。
だから愛されることが怖いのではない。手に入れた後、失うのが怖いのだ。
手に入らないと思っていた。それが急に手の中にはい、どうぞと入ってきた。けれど、こうしていながら背を向けられれば、それは何よりもさみしい、悲しいことだ。
「ミリーにそう思わせたのは、あの女だね」
ユアンが、ぞっとするほど冷たい氷のような声を落とす。
ミリエルは否定も肯定もできないまま、ユアンから離れようとユアンの腕をほどき一歩後ずさった。
けれど、その一歩を詰めて、ユアンはより一層強くミリエルを抱きなおす。
離すまいとでもいうように、しかと。
「ユアン、離して。こんなところ誰かに見られたら」
「離さない。君がそう言うのは、これ以上奪われたくないからだ。なら僕は、君からこれ以上、何も奪わせない。なにからも守る。僕のミリエル──僕だけのミリー。そして僕は、ミリーだけのものだ」
ユアンの力強い言葉に、ミリエルが目を見開く。仰いだ拍子にユアンの炎色の目と真っ向から視線が混ざり合う。
その瞳は炯々と輝いていて、ミリエルにユアンの本気を否応なしに理解させた。
「ユアン」
「ミリー、信じて」
そんな風に見つめられて、愛されてしまえば、もうだめだった。溢れそうだった恋心が決壊して、迷いも何もかもを押し流していく。
ミリエルは恐る恐るユアンの胸に手を添えた。その手をしっかりと握られて、ぴたりとユアンの胸に当てられる。
「聞こえる? ミリー、僕の心臓、こんなにドキドキしてる」
「聞こえる……。本当に、わたしを好きなの? ユアン」
ミリエルのおびえた言葉に、ユアンが微笑む。
「ああ」
「わたしは、あなたを好きでいていいの」
「もちろん」
「わたし……」
ミリエルは目を閉じた。頭の中にぐるぐると回るのは、双子の妹、セレナのことや、周りの言葉。でも、今大切なのはきっと、それじゃない。
ミリエルは、荒れ狂う感情が収まるのを待って目を開けた。もう一度ユアンを振り仰いで、そうして、泣きながら、笑った。
「あなたを、愛してるわ、ユアン」
それは、先ほど口にした諦観混じりの声音で塗りつぶされたものではなかった。
未来を見た、希望を抱いた、心からの言葉だと、ユアンにもわかったのだろう。
「ああ、ミリー!」
嬉しくてならない、とユアンがミリエルを抱き上げる。
その拍子に顔が近づいて、ミリエルはあ、と思った。
胸いっぱいにユアンの匂いが広がって、吐息が混ざっているのを理解した。
キスされているのだ。ゼロになった距離で、目に映るユアンの長いまつ毛が幻想的にすら思えた。
だけど、これは幻でも妄想でもない。もちろん、夢でも。
どれだけそうしていただろう。酸欠になったミリエルを解放して、ユアンはその炎色の目をとろりと蜂蜜のように蕩けさせた。
「これで、君はの僕の恋人だ。……僕だけの、宝だ」
「宝……」
ミリエルは、ぼんやりとした酸欠の頭で、ユアンの言葉を繰り返した。
繰り返して、はにかむように笑った。大切なものを胸にしまいこむように、ユアンの言葉を噛み締める。
「ミリー、明日、スタンピードの件で功労者としての受勲式が終わったら、王に君との結婚を願い出るよ。そうしたら、もう君は『聖女のはきだめ』なんてする必要はない」
「うん……うん……ユアン」
「待っていて。ミリー。君には、もう、幸せな未来視か用意しない」
ユアンの優しい言葉が、しんしんと、星の光のように降ってくる。
ふと空を見上げると、本当に星が降っていた。流星群だ。
そうやって降る雪はユアンの言葉のようで、風に押し上げられた雲から現れた月は、ユアンのように優しい光を纏っていた。
──ユアンは、わたしのお月さま。
どこにいてもミリエルを見つめてくれる、ミリエルだけの月……。
今日まで、妹ばかり見る両親と、毎日かぶせられる濡れ衣に、心が壊れかけていた。
でも、もう、ユアンがいれば、この先には幸せがあると信じられる。
幸せだ、本当に、本当に、本当に……。
──…………。
ミリエルが、聖女セレナの暗殺未遂で囚われ、それに抗議したユアンが拘束されたのは、翌日のこと──すべては、ユアンの不在をついた一瞬の隙に行われ、そして、終わった。
70
お気に入りに追加
181
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています
水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。
森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。
公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。
◇画像はGirly Drop様からお借りしました
◆エール送ってくれた方ありがとうございます!
【完結】追放された元聖女は、冒険者として自由に生活します!
蜜柑
ファンタジー
レイラは生まれた時から強力な魔力を持っていたため、キアーラ王国の大神殿で大司教に聖女として育てられ、毎日祈りを捧げてきた。大司教は国政を乗っ取ろうと王太子とレイラの婚約を決めたが、王子は身元不明のレイラとは結婚できないと婚約破棄し、彼女を国外追放してしまう。
――え、もうお肉も食べていいの? 白じゃない服着てもいいの?
追放される道中、偶然出会った冒険者――剣士ステファンと狼男のライガに同行することになったレイラは、冒険者ギルドに登録し、冒険者になる。もともと神殿での不自由な生活に飽き飽きしていたレイラは美味しいものを食べたり、可愛い服を着たり、冒険者として仕事をしたりと、外での自由な生活を楽しむ。
その一方、魔物が出るようになったキアーラでは大司教がレイラの回収を画策し、レイラの出自をめぐる真実がだんだんと明らかになる。
※序盤1話が短めです(1000字弱)
※複数視点多めです。
※小説家になろうにも掲載しています。
※表紙イラストはレイラを月塚彩様に描いてもらいました。

【完結】婚約破棄寸前の悪役令嬢は7年前の姿をしている
五色ひわ
恋愛
ドラード王国の第二王女、クラウディア・ドラードは正体不明の相手に襲撃されて子供の姿に変えられてしまった。何とか逃げのびたクラウディアは、年齢を偽って孤児院に隠れて暮らしている。
初めて経験する貧しい暮らしに疲れ果てた頃、目の前に現れたのは婚約破棄寸前の婚約者アルフレートだった。
護国の聖女、婚約破棄の上、国外追放される。〜もう護らなくていいんですね〜
ココちゃん
恋愛
平民出身と蔑まれつつも、聖女として10年間一人で護国の大結界を維持してきたジルヴァラは、学園の卒業式で、冤罪を理由に第一王子に婚約を破棄され、国外追放されてしまう。
護国の大結界は、聖女が結界の外に出た瞬間、消滅してしまうけれど、王子の新しい婚約者さんが次の聖女だっていうし大丈夫だよね。
がんばれ。
…テンプレ聖女モノです。

異世界から本物の聖女が来たからと、追い出された聖女は自由に生きたい! (完結)
深月カナメ
恋愛
十歳から十八歳まで聖女として、国の為に祈り続けた、白銀の髪、グリーンの瞳、伯爵令嬢ヒーラギだった。
そんなある日、異世界から聖女ーーアリカが降臨した。一応アリカも聖女だってらしく傷を治す力を持っていた。
この世界には珍しい黒髪、黒い瞳の彼女をみて、自分を嫌っていた王子、国王陛下、王妃、騎士など周りは本物の聖女が来たと喜ぶ。
聖女で、王子の婚約者だったヒーラギは婚約破棄されてしまう。
ヒーラギは新しい聖女が現れたのなら、自分の役目は終わった、これからは美味しいものをたくさん食べて、自由に生きると決めた。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる